その82:ラバウル・ソロモン海空決戦 その4

 駆逐艦高波の艦橋。

 その状況は、簡単に言ってしまえば地獄だった。

 艦橋への砲弾の直撃はなかった。

 あったら、全滅だ。

 それでも、弾片(スプリンタ)は容赦なく防御用の備え付け7ミリ装甲板を貫通した。

 そして、中にいる人間たちを容赦なく傷付けていた。


 そんな中、奇跡のように無傷だった人間が2人いた。


(くそ! たった7ミリの鉄板じゃ何の役にも立たないじゃないか。積むだけ無駄だ)


 1人目は極めて主計士官らしい感想を抱きながら、怪我人を介抱している男だ。

 中根主計中尉だ。怪我人が多すぎ衛生兵の数が足らない。


「あの島に乗り上げるぞ」


 艦橋にいるもう1人の無傷の男が声を上げた。駆逐艦高波の艦長だった。


「島に乗り上げます。宜候(よーそろー)」


 頭から血を流しつつもまだにも続行可能な伝令兵が命令を復唱する。


(島に乗り上げるだって……)


 中根主計中尉は、高波駆逐艦長の命令を聞いて言葉にできない思いが胸に去来した。

 言葉にしたところで状況が変わる訳でもないが。


 もはや、駆逐艦高波には兵器としての能力は一切残っていなかった。

 ただ、それに相応しい活躍はした。いや活躍どころではない。

 たった1隻の駆逐艦が敵艦隊、甲巡を含む艦隊に大損害を与えていた。

 命中させた酸素魚雷は3本。少なくとも1隻は海の底に葬っている。


 その分敵の反撃も凄まじかった。

 大小あらゆる砲弾が高波を襲う。

 味方駆逐艦が突撃してこなかったら、完全に沈んでいた。


 しかし、駆逐艦高波は沈んではいないというだけだった。

 辛うじて機関が停止していなかったのが幸運といえた。

 海面をナメクジのようにノロノロと進むことだけはできた。

 最速35ノットを誇る最新鋭駆逐艦が今では5ノットも出ていないのではないかと思った。


 中根主計中尉はやって来た衛生兵に指示をしながらそのようなことを考えていた。

 彼はボロボロになった艦橋から外を見た。

 闇の中にさらに黒く浮かび上がる島。非常に不気味に見えた。

 ただ、こんなところで水泳をするよりは幾分マシなように思えた。


「主計中尉」


「なんでしょうか駆逐艦長」


「希望通りの陸上勤務になりそうだな。艦内の武器の数を確認してくれ」


 この状態で諧謔(かいぎゃく)を帯びた笑みを浮かべる駆逐艦長。

 中根主計中尉の回転の速い頭は駆逐艦長の言わんとすることの意味を即座に理解した。

 陸戦隊を編成する気だ。


「軍人たるもの戦える方法があるうちは、諦めちゃいかんよ」


「了解しました」


 海軍式の敬礼をしながら、中根主計中尉の内心では「もういい加減にしてくれ」と言う叫びがこだましていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 第2水雷戦隊の9隻の駆逐艦のうち、先行していた第31駆逐隊の高波が戦線を離脱していた。

 駆逐艦長からは陸地に乗り上げるという報告が入っている。陸地とは、サボ島だ。ガダルカナル北東の小島である。

 第2水雷戦隊司令部では、敵に鹵獲される危険性を考え、自沈させるべきだという声が大きかった。

 しかし、指揮官である田中頼三少将は、高波の行動を許可した。


 軽巡洋艦五十鈴の艦橋からは燃える駆逐艦高波が見えた。

 混乱した海戦の最中乗員を救出することは不可能だった。

 もし、それを行えば陸上砲撃は断念せざるを得ない。

 陸上にいる乗員をこの戦闘の帰りに拾うことも不可能だ。

 ただ、後から救い出すことは十分可能だと思った。


(敵がやってくるならまた叩き潰せばいい)


 目の前の敵は全て叩き潰す。それも無理せず合理的にだ。

 彼は薄墨を流し込んだような海面で炎を上げている敵の巡洋艦を見つめていた。

 その数は2隻。1隻はすでに海の底だ。

 1隻は残存の駆逐艦を連れてすでに戦線を離脱していた。おそらくその中にも無傷な艦は、1隻もないだろうと思った。


 海域に残った巡洋艦2隻も1隻はすでに戦闘力を完全に失っている。ただ浮いているだけだ。

 もう1隻だけが味方の離脱を助けるため、戦闘を続けていた。

 ただ、それも時間の問題だろう。


 そう思った瞬間だった。

 その巡洋艦に巨大な水柱が上がった。


 頃合だろう。田中少将は思った。


「全艦突撃 目標、ガダルカナル泊地」


 第2水雷戦隊は当初の目的通りガダルカナル島への艦砲射撃を実施すべく突撃を開始した。


        ◇◇◇◇◇◇


「完敗だな……」


 第67任務部隊の司令官ライト少将は、まずい言葉を発してしまったと思った。

 誰にも聞こえていないことを確認しホッとする。指揮官の弱気な発言は士気に影響する。

 それでなくとも、今のアメリカ海軍の士気は高いとは言いかねるのだ。一時期のどん底を脱したと言っても。


 彼は重巡洋艦シカゴで残存艦隊を引き連れツラギに向け撤退中だ。

 もはや彼の艦隊は、戦闘不能状態だった。

 今は少しでも戦力を残し撤退することが最優先だと判断していた。

 幕僚の1人は最後まで戦い揚陸中の輸送船団の盾になるべきであると主張した。

 彼の決定に反論する幕僚が1人だけだったという事実には複雑な物があった。 


 しかし、判断は合理的だと信じていた。

 もう艦隊には盾として機能するだけの力も残っていないのだ。残念なことに。


 これ以上の戦闘は、無駄に被害を増やすだけであった。

 正体不明の高性能魚雷(ロング・ランス)を持つ日本の駆逐艦相手に狭い海域での乱戦は自殺行為だ。

 レーダーの優位を生かし切れず、接近戦に持ち込まれたのが大きな敗因だ。


 重巡洋艦シカゴも機関は無事であったが、ただ航行ができるというだけだ。

 すでに戦闘能力を完全になくしている。残りの駆逐艦4隻も似たようなものだった。


 大敗を喫した指揮官に対してアメリカ海軍は、決して甘い判断を下すことはない。

 覚悟はできていた。

 それでも今は少しでも多くの戦力を残すことが祖国にとって最善であると彼は信じていた。


(すまない)


 彼の心中にその言葉が浮かぶ。ただ誰に対しての言葉であるのか。それは自身にもよくわからなかった。


        ◇◇◇◇◇◇


 重巡洋艦ミネアポリスは、魚雷の一撃で艦首をめちゃくちゃにされ、さらに全身にまんべんなく砲撃を食らっていた。

 5インチ(12.7センチ)クラスの砲であったが、非装甲部には容赦ない破壊をもたらしていた。


「艦首の復旧は無理か」


 もはや艦首は千切れてないのが不思議な状態だ。

 このため、思うように操艦ができない状態になっていた。

 重巡ミネアポリスの艦長は血でふさがっていない方の目で前方にあるどす黒い島影をとらえた。


 このままではあの島に乗り上げてしまうな――

 そう考える。ただ、ここで完全に沈んでしまうよりはマシなように思えた。

 

 すでに旗艦を含む残存艦隊は撤退していた。

 ただミネアポリスはそれについていくことができなかった。

 最後まで、同じ海域に踏みとどまっていた重巡ノーザンプトンも海の底に消えた。


「くそ、座礁もやむなしか」


 ミネアポリスの艦長は叩きつけるように言葉を吐いた。

 そして各員に陸上に乗り上げることを伝える。


「これで終わりじゃないぞ、ジャップ!」


 闇の中、勝ち誇るように進む日本艦隊を、見つめ彼は言った。


 重巡洋艦ミネアポリスは、偶然にも高波と同じ島に座礁しようとしていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 夜の海というのはどす黒く、見てると気持ちが陰鬱になってくる。

 神田飛曹長は零式水上観測機の操縦桿を握り、眼下を見やった。

 すでに海戦は、終わったようなものであった。

 障害となる戦闘艦艇は排除されていた。


「さて、これからが仕事だな」

 

 神田飛曹長は独り語ちるように言った。

 本来の作成目的。

 ガダルカナル島ルンガ基地への砲撃。

 その支援のため神田飛曹長と藤田一飛はソロモンの空を飛んでいた。

 現在彼らは、軽巡洋艦五十鈴に配属されていた。


「ガダルカナルには陸戦隊の特殊精鋭部隊が上陸してるって話ですけど」


 零式水上観測機の後部に座る藤田一飛が言った。

 神田飛曹長はその言葉を伝声管から聞き苦笑した。

 海軍の陸戦隊に特殊部隊があるなどという与太話のことだ。

 藤田一飛は、こういった与太情報を掴むのが早い。


 確かに、ガダルカナル島には、日本の観測員が秘密裏に上陸している。

 今回の作戦でも陸上から照準目標のための明かりをつける予定となっている。

 神田飛曹長にすれば、自分たちの仕事の質を評価されていない気がして面白くなかった。


 確かに完ぺきを期すため人を送り込むのは理性では理解できた。

 しかし、それがどう特殊部隊と結びつくのか。

 まあ、確かに敵に占領された孤島で任務を続行するというのは普通の人間ではできないかもしれない。


「館山砲術学校で全国から選抜された人間を徹底的に鍛え上げ特殊部隊を作り上げているんですよ」と藤田一飛は自分に話した。

「バカらしい」と思った。こんな話は信じられなかった。だいたいそんなことは陸軍の仕事だ。

 なんで海軍が陸上部隊の特殊部隊を作らなければいけないのか。与太話な上に理屈に合わないこと甚だしい。


「すごいな……」


 彼の思考は眼下の光景により強制中断される。

 ガダルカナルのルンガ沖には輸送船が大量に存在していた。

 ざっと見ただけで20隻以上あるように見えた。

 彼の視力は闇の下でもそれを確認できた。


 日本でもこれと同じかそれ以上の船団を作ることはある。

 彼自身、そう言った船団を目にしていた。

 しかし「ガダルカナル」という聞いたことも無いような小島にこんな大規模な補給作戦を行うなど考えられなかった。

 こんな南の島にこれだけの船団を送るアメリカという国の恐ろしさをかいま見た気がした。


「アハハハハ、獲物がいっぱいいますね」


 伝声管から明るい声が聞こえてくる。藤田一飛だ。

 神田飛曹長は、この光景を見てそのように考えられる彼の思考がうらやましかった。


「自分たちは任務を遂行するだけだ。やるべきことやる」

「はい」


 このような戦場ではむしろ藤田一飛のような考え方の方が正解なのかもしれないと思った。

 悩んでも仕方がない。自分たちの出来ることをやるしかないのだ。


 本来であれば陸上攻撃の際の効果確認が彼らの任務であった。

 ただ、輸送船団が存在した場合その殲滅の支援を行うことも任務となっている。

 そのため、翼には照明弾が吊るされている。


「戦隊司令部への報告」

「完了してます」


 すでにルンガ沖には輸送船団がいることは打電済みだった。

 出所のわからない与太話をすぐに信じる藤田一飛であったが、仕事の速さと正確さは一流だった。


 神田飛曹長は零観をガダルカナル上空に向ける。

 アメリカ軍もまだ上陸したばかりだ。

 基地機能のまともな準備が出来上がってないのだろうか。反撃はなかった。全く対空砲火が上がってこない。


 彼は照明弾を落した。

 闇夜に小さな太陽が生まれた。それがアメリカの輸送船団を照らし出した。

 やはり20隻はいる。


「まだ揚陸中なんだな」


 神田飛曹長は照らし出された眼下の光景を見てつぶやくように言った。

 そこには輸送船と陸地を結ぶ小さな船がミズスマシのように行き来していた。

 彼はそのことも藤田一飛に打電させる。


 そして砲撃が始まった。それは戦闘ではなかった。一方的な殺戮とも言ってもいい。

 次々と輸送船が炎を吹き出す。闇の底に赤黒い炎が揺らいでいる。

 神田飛曹長は歴戦の搭乗員である。その彼にしてもこの炎の色はおそらく一生忘れることはないだろうと思えた。

 自分の一生がそれなりに長く続いたとしても。


        ◇◇◇◇◇◇


 俺は戦艦陸奥の長官私室で混乱していた。


『よう、どうしたんだい? そんなに慌てることはないだろう』


 脳内に声が響く。戦争神経症じゃない。これはいったい。


 いつもは呼ばなくても出てくる女神様が出てこない。

 その代わりに野太い声が俺の脳内に響き続ける。


『誰だ。誰なんだ一体』


『俺のことかい?』


 その声は返事をした。そこには明らかに揶揄の色があった。

 いや、俺の慌てぶりを楽しんでいるようにも感じた。


『そうだ。お前は一体誰だ』

『そういうお前さんこそ、誰なんだ一体?』

『え……』


 俺は女神に連れてこられたニートの軍ヲタで……

 考えている俺に声が響いた。


『俺の体に乗り移って、何者なんだい?』


「え!!」


 思わず声に出る。

 俺はその言葉を聞いて愕然とする。

 もしかして……


『山本五十六……』

『おいおい、いきなり呼び捨てとは失礼じゃないか? これでも海軍大将なんだぜ』


 正体が分かった。

 俺の脳内で声を上げているのは山本五十六大将本人だ。

 この世界の本当の聯合艦隊司令長官だ。

 一体これはどうなってるんだ。


『なあ、お前さん今のところうまくやってるじゃないか』

『はぁ』

『一応は感心してるんだぜこれでも』


 唐突に甲高い少女の声が響いた。


『はじゃあああああ! 出るな吾の結界を破りよって!! お前は,おとなしく戦争以外で山本五十六をやっていればいいのだ! 出てくるな!」


 女神様の声だった。

 一体何が起きてるのか、俺の頭は状況の変化について行けず真っ白になりかけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る