その74:血戦! ポートモレスビー その16

「なにが起きてるんだ!」

 

 密林の中に響く轟音。

 真鍋少尉は音の方向を見やる。

 彼は「振り返った」のだった。


 闇の底が明るくなり、そして照明弾が上がっていた。


 攻撃が開始された――

 そのことを理解し、歯を食いしばった。

 まるで、全身の血が凍てつくような気がした。


「なにをやっとるか! 攻撃位置に急げ! もう攻撃は開始されている!」

 

 彼は軍刀を抜いた。そして叫ぶ。

 戦場に上がった照明弾の光がその刀身を照らしていた。


 そして、照明弾の方向を見て、彼は気付いた。

 急いで地図を確認した。

 照明弾の明かりがここでの地図の確認を可能にしていた。

 不完全なずさんな地図ではあったが、それでも分かることはあった。

 彼は地図に書きこまれた情報と、照明弾の方向をあらためて確認した。


「行き過ぎてるじゃないか!」


 誰にもぶつけることのできない怒りが爆発する。

 密林の中とはいえ、目標となる高地を誤認していたのだ。

 彼らの小隊は、とっくに敵拠点を通り過ぎていた。完全に西の方に出てしまっていた。

 

「戻る! 攻撃位置もくそもない。会敵即時攻撃だ!」

 

 言ってみれば、教範通りのことであったが、それを口にするしかなかった。

 小隊は回れ右して、進み始める。

 密林の中、真鍋少尉は突っ走るように突き進んだ。

 もはや、疲れなど、関係ない。


 死ぬしかない。

 突撃して死ぬしかない。

 真鍋少尉はその思いにとらわれる。

 その思いだけが彼の体を突き動かしていた。


 作戦で決定された攻撃開始位置に時間通り到着できなかった事実。

 それだけではない、位置を見失い、通り過ぎていたのだ。

 過失で済む問題では無かった。

 

 突撃して死ぬしかない。

 そして、死んでも敵の砲を破壊せねばならない。

 絶対にだ。


 この事態を自分の命で贖えるのかどうかなど考えない。

 この失敗を挽回するのは砲の破壊と名誉ある死だ。

 彼は、死と破壊を考え、それを望むだけだった。


 死の妄執に囚われた指揮官に率いられた小隊は密林を進むのであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「いいねぇ、盛大なパーティじゃないか!」


 天幕から外に出たバレンタイン少佐は、天空に上がる地雷の火柱を見ながら言った。

 口をVの字型に変形させる。戦争中毒者の愉悦の笑みを浮かべていた。


「聴音情報によりますと、おそらくは一個中隊規模の攻撃と思われます」


 プポ中尉が冷静な口調で報告した。彼の元にはマイクロフォンによる聴音データが集まっていた。


「別働隊は? 奴らの得意な手だ。今の攻撃が囮である可能性は?」

 

 血と鉄と硝煙の香りにウキウキしていても、バレンタイン中佐は思考することを止めない。

 愉悦を感じてもそれに溺れない。頭のどこかが常に冷めているような男だった。

 

「現在、把握している聴音情報から別働隊の存在は確認できません」


「まあ、いたら、いたで、楽しいことになりそうだがな――」


 機銃の発射音が聞こえだした。

 更に大気を切り裂く迫撃砲の飛翔音。

 ジャップの奴らが死地に飛び込んだのだとバレンタイン少佐は思った。


「明日の朝にはサル肉の片づけが大変そうだな。人手が足りるか?」


「まあ、なんとかなるでしょう」


 プポ中尉は上空の照明弾を眩しそうに見上げて言った。

 そして、盛大な爆発音とともに、またしても管制地雷が爆発した。

 凄まじい火柱の中に、人の肉体と思われる黒い影が見えていた。


 密林に張り巡らされたマイクロフォンケーブルを一部流用して造ったものだ。

 それが成功していた。ジャップの奴らを血祭りに上げている。


 しかし、鋭敏で明晰な頭脳持つ彼であっても、戦場で起こる全てを予想できるものではなかった。

 戦に人生を捧げ、それを楽しんでいる自分の上官も同じであった。


 管制地雷作製のため、日本軍の攻撃可能性の低い、ポートモレスビーから真反対の方向。

 こちらのマイクロフォン密度がかなり薄くなっていたのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


「死ねジャップが! 殺してやる! この全体主義者のサルどもが!」


 ミンチー軍曹が叫びながら、ブローニングM2重機関銃のグリップを握りしめている。

 12.7×99ミリ弾が秒速890メートルで撃ち出される。

 人間に対しては完全なオーバーキルの破壊力だ。

 手足の末端に当たったとしても、そこを吹き飛ばすだけの破壊力を持った凶悪な兵器だ。

 高初速と重い弾頭ゆえに、弾道が伸びる。集束率の高い重機関銃だ。

 

 大量に消費される弾丸。1帯110発のベルトが瞬く間に消費されていく。

 その供給を行うウォーレン軍曹。


「もたもたするんじゃねぇ!」


 いつもは、温厚といっていい部類に入るミンチー軍曹が怒鳴る。

 明らかに冷静さを失っている。


 ウォーレン軍曹は苦笑をうかべながら、重機の給弾作業を続ける。

 着剣したカービンを背中に背負いながらだった。

 ゾッとする話ではあるが、ジャップがここまで来たら、コイツで対応しなければならなくなる。

 勘弁して欲しい話しではあったが、戦場では何が起きるか分からない。

 素行には問題がありすぎたウォーレン一等兵であったが、戦場では手を抜く気は一切なかった。

 自分と仲間の命がかかっているのだから。


 侵入してきた日本兵は、管制地雷の洗礼を受けた後に、濃密な機銃掃射と、迫撃砲の曲射弾道に晒されている。

 突破は、不可能だろうと思った。奴らが鉄かなにかで出来ているなら別だが。

 間をおかずに次々と上がる照明弾が、天上から闇の底を照らしだしていた。


 ウォーレン一等兵は、機銃陣地から日本軍の侵入方向を見やった。


「軍曹! 奴らあんなとこまで!」


「シット! あそこは、キャリバー50の仕事じゃねぇ、迫撃砲の奴らなにしてやがる!」


 15センチ砲を改造した管制地雷。

 突撃破砕射撃の弾幕の嵐。

 曲射弾道で着弾し、死神の鎌のような弾片をまき散らす迫撃砲。


 しかし――

 それでも、奴らは迫ってきていやがる。

 地面のくぼみに這いつくばっている日本兵を見て、ウォーレン一等兵は戦慄を覚えていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「なんだこれは?」


 立川軍曹は声にならないつぶやきを口の中にとどめた。

 突撃を敢行した第一小隊が一瞬にして消し飛んだ。

 自分たちの小隊長がどうなってしまったかもわからない。

 第二小隊、第三小隊がどうなっているのか、どころか自分たちの分隊がどうなっているのかすら分からなかった。


 密林から突撃。静寂を厳守。

 敵に接近一気に、陣地に浸透。

 ポートモレスビーに対する擾乱射撃を行う敵砲を破壊する。

 目的は単純な物だったはずだ。


 敵の反撃が激しい物となることは、事前の情報である程度把握し、予測していた。

 大陸戦線やジャワで幾多の戦塵を潜り抜けた立川軍曹であったが、この様な戦闘は想像の埒外だった。

 

 最初は砲撃だと思った。

 しかし違う。このような近距離での大口径砲の攻撃などあり得ない。

 地雷だ。

 彼はその爆発する瞬間を目に捉えていた。

 灼熱の風が顔面を叩き、伏せるのがやっとだった。

 鉄帽に、ビシビシと固い物が当る音がした。


 体の数か所に熱を感じた。弾片が肉に食い込んでいた。

 地面の緩やかな起伏を見つけ出し、そこに身を伏せるのが精一杯だった。

 彼は鉄帽の縁を両手で押さえながら、敵砲火に晒す面積を最小にすることだけを考えていた。


 一瞬の間だけ、弾幕が休む時があった。

 銃身の過熱か、給弾作業なのかは分からない。その間、地べたを這いずって前に進む。

 もはや、兵士の本能のようなものだった。

 自分以外の誰が追従してきているのか、それを確認することもできない。


 至近で爆発音が起きた。

 土と砂と細かな鉄がビシビシと体に当たる。

 

「ぐぬぅッ――」


 肉に食い込む鉄の熱さに声を上げた。

 痛いではない。熱いであった。


「突撃ぃぃぃ!!」


 明らかな日本語が激しい爆発音と銃声の中に響いた。

 味方だった。

 どの小隊の者だか分からない。だが、彼らは空間を埋め尽くすような弾幕の中、その肉体を踊りこませた。

 

「がはぁぁぁあああ!!」


 立川軍曹も立ち上がった。周囲には真っ赤な火箭が飛び交っている。

 なぜ、自分に当たらないのか不思議なくらいだ。

 硝煙と爆音の支配する死神の待つ大地。

 立川軍曹は、そこに向け突撃を敢行した。

 三八式歩兵銃の黒いゴボウ剣が鋭い切っ先を敵に向けていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「軍曹!!」

 

 信じられなかった。

 ウォーレン一等兵の目の前でブローニングM2重機関銃のグリップを握ったまま、ミンチー軍曹が死んだ。

 サムライソードを振りかざしたジャップが突撃してきやがったのだ。

 コイツらは不死身なのか!?


 反射的に、至近距離からカービンをぶっ放す。

 のけ反るようにして、サムライソードを持ったジャップが崩れ落ちた。

 こんな奴等と、接近戦を行うなど、冗談ではなかった。

 

 ウォーレン一等兵は、ブローニングのグリップを握る。

 足元には、肩から胸を切り裂かれ、いまだに血を流し続ける自分の上官だった物があった。

 ブローニングの銃口が再び火を吐く。

 空間を薙ぎ払うように、真っ赤な曳光弾が突き進む。


「来るんじゃねェ! ジャップ!」


 銃剣を構えた日本兵が思いのほか、至近に接近しているのが見えた。

 銃口を向けるが、弾道が高く跳ね上がる。

 彼は口の中で悪態を突きながらも、弾道を下げる。

 12.7ミリの高初速弾を食らった日本兵は、肉塊に変わった。


 まだだ――


 まだいやがる。


 ウォーレン一等兵はすがりつくようにして、ブローニングM2の射撃を続けていた。


「ジャップだ! ジャップの本隊が背後からやってきやがった! 奴らのだまし討ちだ!」


 この機銃陣地に残されたもう一人の兵が野戦電話を持って叫んでいた。

 どうした?

 それがどうしたって言うんだ。

 今、この目の前の奴らが囮?

 バカか、囮だろうが、本体だろうが、奴らは俺たちを殺しにやってきているんだ。


 これは戦争――

 いや、もっと単純な殺し合いなんだ。


「ぶち殺してやるジャップが!!」


 ウォーレン一等兵はただひたすら目の前の敵を掃討するだけであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「岩崎、大丈夫か?」


「ぐ、軍曹殿…… 自分は平気であります!」


 第三小隊の第四分隊を指揮する武藤軍曹は、敵陣を見やる。

 赤い火箭が飛び交っている。

 自分たちの小隊の火器である。九六式軽機関銃の軽快な発射音も聞こえている。

 形としては、機銃の撃ちあいというものになっていた。

 こちらの機銃は、第一、第二分隊が所有する二丁の軽機だけだ。


 一方は、土嚢による陣地とはいえ、防御された場所から、重機を撃ちまくっていた。

 その数が、それほど多くないのが救いと言えば救いだ。

 

 武藤軍曹の分隊は、八九式重擲弾筒装備の分隊である。

 

「行けるか?」


 彼は分隊の射手に声をかけた。

 言外に目の前の機銃陣地に重擲の専用榴弾をぶち込めるかという意味を込めた問いかけだ。


「行けるのであります! 軍曹殿!」


「よし! 潰せ! 機銃陣地を潰す!」


 八九式重擲弾筒は45度の角度で固定して発射される。

 訓練された射手であれば、暗闇の不整地であってもその角度を作ることは可能だった。

 日本軍の兵器は、兵士個々の熟練度に支えられている面があった。

 この八九式重擲弾筒も例外ではない。


 ただ、熟練した兵が扱えば、その威力は他国の陸軍が持ち得ないものとなっている。

 軽量でありながら、800グラムの弾頭を最大670メートル飛ばす。

 その威力半径は10メートルに近い。

 75ミリ級の野砲に迫る榴弾威力を持っている砲だ。


 乾いた音を立て、八九式重擲弾筒が、砲弾を発射した。

 多くの国のグレネードランチャーが手りゅう弾を発射する物であるのに対し、重擲弾筒は専用の榴弾を発射する。

 手りゅう弾の発射も可能であったが、この兵器が本領を発揮するのは、この専用弾を発射するときであった。


 夜空を放物線を描き飛ぶ800グラムの弾丸。いや、むしろ砲弾と言うべき存在だ。

 熟練した兵たちであれば、2秒で一発の発射が可能であった。

 

 1発目の着弾から機銃陣地の至近に落ちた。後は「公算躱避(こうさんだひ)」の問題だ。

 要するに同じ角度、装薬で撃ち出された砲弾のバラつきの可能性だ。

 撃ち続ければ、いずれ命中するだろという位置に砲弾は落下したのだ。


 4発目の砲弾が機銃陣地を捉えた。

 

 敵の機銃砲火が弱くなってきている。第三分隊の重擲弾筒も射撃を開始していた。


「突撃だ!」


 武藤軍曹が叫ぶ。

 分隊要員はすでに三八式歩兵銃に着剣していた。

 突入。機銃陣地を突破し、敵の重砲を破壊する。

 それで、俺たちの仕事は終わりだ。

 武藤軍曹は、銃剣を構え、敵陣に向け突撃を敢行していた。


        ◇◇◇◇◇◇


「天佑我にありか……」


 真鍋少尉は、密林の中で覚悟していた「死」をきれいさっぱり忘れていた。

 いや、忘れていたわけでは無かったが、あまりにも、自分たちの小隊がすんなり浸透できたことに拍子抜けしていた。

 だが、彼はその甘い考えを振り払おうとする。


 米軍の抵抗が今一つということは、先行する小隊の攻撃が成功したということではないのか?

 自分たちが出遅れたという事実は、覆らない可能性があることを思った。

 彼は、友軍の攻撃成功を祈りつつも、その胸の内に、相反する思いがあることに戸惑っていた。


 彼は軍刀を振りかざし、突撃の先頭に立っていた。

 弾幕密度は薄いとはいえないが、不思議と弾が当たらない。

 そして、一つの機銃陣地が吹き飛んだ。

 おそらく、分隊火器の重擲弾筒が仕事をしたのだろうと判断した。

 それ以外はあり得なかった。


「少尉殿! 掩体です! 掩体に砲が!」


 それを叫んだ兵が、頭をぶち抜かれ倒れた。

 鉄帽が割れ、血と脳漿の混ざったものが、闇の底に広がって行った。

 彼が、倒れた兵を見たのは一瞬だった。

 

 なすべきことをなす。

 

「砲だ! 砲を破壊しろ! 爆薬! 黄色薬!」


 彼の叫びに、黄色薬、つまりピクリン酸の塊を抱えた兵が突っ込んでいく。

 

 米軍の銃撃は続く。

 機銃だけではなく、小銃弾の銃声も混じる。

 

 そして、爆発の衝撃が真鍋少尉の全身を叩いた。

 彼は歓喜と安どの中にいた。


「第三小――」


 彼の声が途切れた。

 密林の中で彼が願っていたもう一つの願いが叶った。

 一発の銃弾が彼の顔面を撃ちぬいていた。


 彼がなにを命令しようとしたかは永遠に分からなくなった。


        ◇◇◇◇◇◇


「中隊規模の攻撃で、砲一門を失ったかね」


 バレンタイン少佐はただ事実を確認するかのような平坦な声で言った。

 彼の言葉で、砲撃基地の幕僚たちの緊張感は上がる。

 丸太小屋のような司令部も敵の軽迫撃砲の攻撃を食らい。

 今は大型の天幕に司令部を移していた。


「まだ、負けたわけではありません」


 砲撃指揮官が声上げた。

 

「当たり前のことだな。たった一門の喪失だ。砲に関しては大きな問題はない」


 お前は何を当たり前のことを言っているのか? という視線を彼は発言主に送った。

 怖い物がある目であった。


 日本陸軍の命知らずな攻撃と、少数の兵力を更に分割し、突撃に時間差を置いた奇策のため、砲撃拠点は少なからず消耗していた。


「累積損害がバカにならんな――」


 バレンタイン少佐の言葉を正確に理解したのは、副官のプポ中尉だけであった。

 この戦闘だけを見れば、敵を壊滅、敗走させた。

 被害は砲一門にすぎない。

 作戦の続行は可能だ。

 

 しかし、今後彼らがこのような作戦を続けた場合、こちらの累積損害がいずれ臨界点を超える。

 二か月持ちこたえるという、戦略上の要請を達成できない状況になりかねない。

 更に、大盤振る舞いした15センチ砲の砲弾の問題もあった。


 砲撃だけを行うならば、十分量である。

 しかし、今回のような管制地雷として流用する数はすでになかった。

 砲弾流用の管制地雷は、非常に効果のあった作戦ではあったが、補給と言う問題を新たに掘り起こすものでもあった。

 当然のことながら、機銃弾の不足、交換部品の必要性は更に上がっている。


 沈黙が支配する天幕に、伝令の兵が飛び込んできた。


「日本軍機です! 双発の軽爆撃機と思われます! 定期便ではありません!」


 日本軍の偵察行動は、時間通りに規則正しく行われていた。

 しかし、今回の物はそうではなかった。

 今まで飛んできた航空機と機種も異なる。


「奴ら…… ポートモレスビーの飛行場を使えるようにしたのか?」


 バレンタイン少佐は、その可能性を口にしていた。

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