その55:珊瑚海は燃えているか? 11

「トトトトト―― トトトトト―― トトトトト――」


 攻撃隊の艦爆がト連送を打電。

 突撃を開始している。

 高空から薄い大気をつんざき、突っ込んでくるF4Fワイルドキャット。


 6門の12.7ミリ機銃をぶっ放しながら、降下してくる。

 この距離では、まぐれあたりしかあり得ないと思うが、その「まぐれ」の確率を増やす圧倒的な弾数だった。

 

「かぶられたか――」


 田中少尉は、苦虫をかみつぶした顔をする。部下がいたら出来ない顔だ。

 とにかく、機体を突き上げ、艦爆の護衛に回る。盾になるのだ。

 敵を落とすのではない。艦爆を守る。それが使命だ。


 数は明らかに敵の方が多かった。

 防空戦闘に可能な限り、戦闘機を使用したため、攻撃隊に割けた零戦は18機だった。

 敵は明らかにその倍はいた。

 翼から火を噴くように機銃弾をばらまいている。そう、ばら撒いているというしかない。


 青黒い不格好な敵戦闘機を視認し、田中少尉は、グッと操縦桿を握りこむ。

 腹の底から、グツグツと言葉に出来ない感情が湧いてくる。


 勇気なのか――

 闘志なのか――

 憎悪なのか――

 歓喜なのか――

 恐怖なのか――

 

 それは分からない。

 なにか、分からない感情に突き動かされ、操縦桿を引く。

 彼の3機編隊は、シャワーのような火箭の中を突っ切っていく。

 艦爆を狙っている射線をこれで、塞ぐことができる。同時に自分たちがその射線に晒されることになるが。


 かまわなかった。


 これは、制空任務ではない。護衛だ。艦爆、艦攻を守り、彼らの攻撃を成功させることが目的だ。

 彼は空が煮えたぎる様な、曳光弾の豪雨の中、グラマン目がけ機体を突き上げていく。


 視界の隅が眩く光る。

 

(橋本か! くそ!)


 零戦が火だるまになって、空中でボロボロと崩れていくのが見えた。

 彼の3番機であった橋本一飛の機体だった。

 また、20にもならない、子どものような男だった。

 今、この瞬間、その男の生涯が終わり。子を亡くした親が新たに生まれた――


(グラマンが――)


 覆いかぶさってきたF4Fワイルドキャットの1機が黒煙を吐きながら、クルクルと自転を開始した。

 撃墜。

 自分はまだ、機銃を撃っていない。2番機の高橋一飛曹も撃っている気配はなかった。

 橋本か?

 橋本と相撃ちだったのか――

 理由はないが、彼はそのように結論付けた。そう思いたかったからだ。それで十分だった。


 田中少尉は、スロットルの機銃切り替えボタンを7.7ミリのみとしたまま、発射釦を押し込む。

 軽快な音とともに、7.7ミリ機銃弾が機首から発射されていく。

 突き上げていく機動のため、弾道特性が比較的良好な7.7ミリ弾も下方に流れていく。

 以前、それは目の錯覚だと言っていた、先輩搭乗員がいたが、関係なかった。

 とにかく、撃ちまくって突っ込むことしか考えてない。

 OPLを覗くこともなかった。


 接近するF4Fワイルドキャット。青黒い、憎々しいほどゴッツイ機体だ。

 正面には8機の敵機。弾幕を作りながら突っ込んでくる。


 何度か、ガンガンと弾丸が当る感触があった。ただ、致命部は外れている。

 距離が詰まる。こっちの機銃弾が当っているのか、当たっていないのか分からない。

 ただ、最初の1機以外はなんの痛痒も感じていないような気がした。

 青黒く太い機体は、人間の意思の介在のない、ただ人を殺すためだけの殺戮機械(バーサーカー)のように見えた。

 

 彼が機銃の発射切り替えボタンを操作しようとした瞬間だった。

 不意に、F4Fの編隊が、翼を翻して、急角度で降下していった。


(なんだ、いったい? 逃げたのか?)


 このとき、F4Fはそのまま、零戦を駆逐した後、艦爆を攻撃するという選択肢もあり得た。

 それを避け、降下していったのは、海面下ギリギリを進む、艦攻への攻撃に切り替えたこと。

 そして、このまま零戦との格闘戦に巻き込まれるのを避けたということだった。


 太平洋各地で、零戦と戦う中、アメリカ軍はこの日本海軍の主力戦闘機についてある結論に至っていた。


『零戦と格闘戦をするな――』ということである。


 陸海軍ともに、この俊敏な機体に対する格闘戦は自殺行為であることを把握していた。

 まだ、実機を手に入れることは無かったが、戦ったパイロットの証言や、ガンカメラで撮影した動き。

 更に、撃墜された機体の残骸から、この恐るべき機体の秘密に近づいていた。


 徹底して軽く作られることで、大きな余剰馬力を確保していること。

 その余剰馬力が、恐るべき機動性を生み出していること。

 

 その恐ろしさについては、多くの血を流す中で確証を得るまでに至っていた。


 では――


 どうやって、そのような機体と戦うのか?

 まだ、組織としての明確な回答にはたどり着いてはいなかった。


 降下していくF4Fは、あくまでも、自分たちが生き残る事と、敵の攻撃阻止という2つの目的を最も合理的に達成できそうな方法を選択したにすぎなかった。


(今から追っても無理だ)


 田中少尉は噴き出す汗が顔を流れる中、ちらりと下方を見た。

 グラマンの突っ込みの良さは、周知の事実だった。今から追いかけても無駄だった。

 それよりも、艦爆を守る事。敵機を寄せ付けないことが最優先だった。


        ◇◇◇◇◇◇


 死神の奏でる笛の音のような、神経にさわる甲高い音が聞こえてくる。


 ジャップの急降下爆撃機。

「ヴァル」と呼ばれる機体だ。

 足の突き出た原始的な機体に見える。

 しかし、この機体によって合衆国の多くの艦艇が海の底に叩きこまれていた。

 見た目からは想像もつかない、獰猛で危険な猛禽だ。

 

 シムス級駆逐艦「モリス」艦長のジャレット中佐は、鋼と火薬の匂いの混じった風の中、上空を見上げていた。

 同艦に搭載されたMK12両用砲は、砲身が焼けつくようなペースで砲弾を撃ちあげていた。

 青い空に、黒い弾幕の花が次々と開いていく。


 しかし――

 奴らは止まらない。突っ込んできやがる。いつものことだった。


 こちらの対空砲火で、ヴァルが火だるまになって四散する。しかし、残った機体はくるんとターンをうって、降下を開始する。

 艦隊から炎の矢が無数に撃ちこまれる。

 

「海面、高度0! 来ます! 雷撃機です! 奴らの同時攻撃です!」


 見張りからの声が戦闘指揮所に響く。しかし、今、一から諸元を入れ直し、ターゲットを変更するのは無理があった。


 急降下爆撃、雷撃――


 後者は個艦防衛でなんとか対応可能だ。


(敵ながら、見事な機動だ――)


 九九艦爆(ヴァル)の編隊は糸でつながったかのように降下を開始する。

 まるで、教材映画の映像のような機動だと、ジャレット駆逐艦長は思った。


 次々と黒い礫のような爆弾を投げつけてくる。

 

「当る――」


 彼は、その投下を一瞥すると、そのまま帽子を目深にかぶり、自身の視線を閉じた。

 結果は見るまでもないということだった。


 連続した爆発音が響いた。

 どういうつもりだか知らないが、ジャップの奴らの爆弾は、やけに硬い。

 大きさ自体はおそらくは500ポンド(225キログラム)級の爆弾だろうと思われる。

 しかし、空母の甲板に着弾すると、そこで爆発せず、艦内奥深くまで侵入し信管を作動させることが多かった。


 空母の飛行甲板を潰すような瞬発の爆弾もあったが、ほとんどが奥に食いこんでくる徹甲爆弾だった。

 致命部を避ければ、飛行甲板の修復は比較的たやすかったが、致命部に喰らうと非常にやっかいな爆弾だった。


「ワスプ被弾!」

 

 見張り員の声が聞こえ、彼はゆっくりと視線を上げた。

 条約の縛りを受け、元々防御力に弱さを抱えたワスプが連続した爆撃により黒煙を上げていた。

 まるで、煙幕を張るかのようなどす黒い煙を吐きながら、海面をのたうっているように見えた。


 そして、そのワスプに巨大な水柱が上がった。

 魚雷だ。

 敵雷撃機の攻撃命中だった。

  

 その数は3本まで数えることができた。


「かなりまずいな……」


 防空網は完全に日本軍に突き破られていた。

 残りの3隻の空母も、九九艦爆(ヴァル)が獲物として狙いをつけていた。

 火だるまとなり四散するヴァルも少なくは無い。

 しかし、ジャップの狂ったような攻撃を止めることはできない。

 

 ビリビリと船体を揺さぶる轟音が響く。


「レディー・レックス……」


 ジャレット駆逐艦長はつぶやいた。

 そう、彼の視界の中で、爆発し、火だるまとなっている空母の愛称を――


        ◇◇◇◇◇◇


「きやがったかよ! しつこいねぇ、アメ公は!」


 本来、赤城に搭載された電探情報を、九七艦攻による警戒機で中継し、戦闘機を誘導する計画であった。

 しかし、それは最初の準備された段階でだけ、機能したにすぎなかった。

 乱戦となり、戦場が混乱に包まれている中、情報の伝達は機能しなくなっていた。


 実際、無理やり飛龍を発艦し、上空に飛び出た清水少尉は、一切の情報を受け取っていなかった。

 彼は、彼自身の目で、敵を確認した。


(誘導も悪くはないが、これも分かりやすい)


 彼は零戦のスロットルを叩きつける。栄12型が甲高い音をたて、1000馬力に近い出力を叩き出す。

 徹底的に軽量化された機体を、その大きな余剰馬力で引っ張り上げる。


 先に空に上がっていた零戦に手信号で続けと合図する。

 即席の編隊を作る。単機突っ込む気は無い。即席でもなんでも、戦闘は編隊で突っ込まねば意味がない。


 現実的な思考の持ち主である、清水少尉は、自身の技量に過大な評価をしていなかった。

 というよりは、戦闘機の戦闘に対し、非常に冷めた感覚を持っていたといえる。


 簡単に言ってしまえば「射撃練習もしてないのに、実戦でまぐれ以外で弾が当たるわけがない」というものだ。

 実際、彼は、ほとんど射撃練習を経験していないで、士官搭乗員となっている。

 全く無いわけでないが、吹き流しを7.7ミリで撃ったのと、地上銃撃の訓練くらいだ。

 20ミリなどは実戦以外では撃ったことがない。


 おそらく、最適な射撃位置についたとしても、そうそう機銃弾など当たる物じゃないと思っている。

 実際に、自分が狙われているときも、機体を滑らせれば、絶対に当たるわけがないと思っている。

 少なくとも、致命的なほどの弾丸を食らうとは思えない。


 彼の空戦に対する見方は『落とせないし、落とされない』というものだ。

 よって、彼は徹底的に敵の攻撃機を狙う。戦闘機など狙っても落とせないし、意味がないと思っているからだ。


「雷撃機だな」


 彼は目標を雷撃機。つまり「デバステータ」に絞る。

 最も性能が悪く、雷撃という特殊任務のため、低空をのろのろと直線飛行する鴨だ。


 正対し、上空からかぶさるように射撃を行う。

 出し惜しみはしない。最初から20ミリと7.7ミリをプレゼントする。


「落ちろ! おらぁああ!」


 それでも彼の射撃は的を捉えない。撃ちながら首をひねる。

 自分も下手くそであるが、零戦のこのOPLも大概なんじゃないかと思う。

 まあ、照準器などこんなもので、役に立たないのは仕方ないのかもしれないが。


 それでも、編隊で銃撃したので、先頭の一機が弾幕の中に突っ込み火を噴いた。

 そのまま、海面に叩きつけられ、水しぶきを上げる。

 

 清水少尉は周囲を見やった。

 

「少ないな…… 味方は……」


 アメリカの攻撃隊も、それほど多いとは思えなかったが、それ以上に味方が少なかった。

 上空に上がれた零戦は何機なのか……

 あの「戦争キ〇ガイ」のような頭のネジが吹っ飛んだ提督がいなければ、もっと上がっている機体は少なかっただろう。

 まあ、上がってしまった身としては、本分を尽くすだけだが。

 清水少尉は、他人からあまり評判のよろしくない笑みを浮かべ、零戦を突っ込ませていくのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


 艦橋にいても、焦げ臭い匂いがするほどの至近距離に爆弾が落下した。

 1000ポンド(450キログラム)のGP爆弾が水面で破裂し、大量のスプリンターをまき散らす。

 飛龍が複数の水柱に包まれる。それは複数の至近弾に襲われたことを意味していた。

 

 連装の96式25ミリ機銃員の多くがそのスプリンターで死傷していく。

 そして、それは防空能力の低下を意味する物であった。

 徐々にではあるが、飛龍はその対空攻撃力を削られていた。


 決して、密度が高いとも、敵機をバタバタと撃ち落としているわけではないが、対空砲火の存在により、敵はより命中が困難な位置からの爆弾のリリースを強いられていたのは事実だった。

 現在の米海軍の急降下爆撃隊には、500メートルより遠くのリリースで確実に爆弾を命中させる技量の持ち主は皆無だった。


「当らんなぁ、ええ、おい。なにやっとるんだ?」

 

 バカにしたような声があがる。

 その太い態度と、当時の日本人からすれば、かなりの巨体。

 丸顔といえば、温厚というイメージを突き崩す、恐ろしい目をした提督だった。


 山口多聞少将だ。


「アメリカの爆撃ですか?」


 飛龍の加来艦長が訊いた。


「違うよ、こっちの対空砲火だ。まあ、当たっているのかもしれんが、落としてなきゃ同じようなもんだ」

 

 機銃をかなりの数装備しているが、それが本当に機能しているのか、よくわからない状態だった。

 確かに、敵の攻撃をある程度、掣肘しているのだろうが、それだけだ。

 まあ、今はそれで我慢すべきかもしれないが、敵だっていずれ学習するだろう。


「特に、トンボ釣は、本当にトンボ釣るしか役に立たんな……」


 ぶち殺しそうな勢いで駆逐艦に対し悪態をつく。

 しかし、それは駆逐艦に対し酷な話であった。


 空母の周囲で一応の護衛をしている駆逐艦であるが、対空砲火は自分を守る機銃くらいしかない。

 主砲は平射砲であり、仰角は55度まで上がるが、それだけだ。

 対空射撃に必須な照準システムを全く持っていない。

 

 戦艦に対し、魚雷を叩きこむプラットフォームが大日本帝国の駆逐艦なのだ。

 空母を守るための対空戦闘は『仕様に入っていません』ということだ。


「新手! 敵機! 右舷から新手です! 30…… 40機以上!」


 見張り員からの報告が響く。


 人殺しの提督は、双眼鏡でちらりと、その方向を見た。


「ほう―― やるね。南雲さん。いや、源田か? その手があったかい……」


 山口提督は小さくつぶやいた。


 敵機ではなかった。

 第一航空艦隊上空にやって来た機体。

 零戦とそして、零観も含まれている。

 

「上陸部隊護衛の艦戦をつぎ込んで来るかよ――」


 それは、上陸部隊の護衛を行っていた軽空母。

 瑞鳳、祥鳳に搭載された戦闘機隊だった。 

 そして、下駄ばきの零式水上観測機までつぎ込んだ全力出撃だった。

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