その45:珊瑚海は燃えているか? 1

「この作戦が一段落したら、俺の正体をかなり広い範囲に明かそうと思う」


 俺はここ数日考えていたことの結論を言った。一瞬、死亡フラグっぽく聞こえたのでちょっと嫌な気分になった。


 戦艦陸奥の長官私室だ。

 この部屋には俺と女神様しかいない。


「うむ、聖戦の完遂には陸海両軍の協力が必須なのだ」


 腕を組んでうなづく女神様。

 今日は髪型まで変わっている。

 ツインテールぽく結ってあった髪は解かれストレートのロングヘアになっていた。

 結ってあったせいか、癖がついて少しだけウェイブがかかっている。

 今日は、零戦と空母がデザインされた第一航空艦隊のTシャツを着ていた。真っ赤な文字で「第一航空艦隊」と大きく書かれている。

 意外に衣装もちだ。センスはどうかと思うが。


 見た目だけなら、ほんとに美少女なのだ。

 アホウな男が、騙されてこの時代に連れてこられるくらいに。


「ポートモレスビーとミルン湾を完全に占領して、ニューギニアを大日本帝国の勢力圏内にずっぽりといれる――」


「ああ、そうだな。そうすれば、豪州からの反攻を抑え込めるのであろう?」


「多分。まあ、史実―― 俺のいた時代の史実より、連合国側は大きく苦戦するとは思う」


 やはり、フィリピンのマッカーサーをオーストラリアに逃がさなかったのが大きかった。

 コーンパイプの将軍様は、コレヒドール陥落後、フィリピンでゲリラとして抵抗している。


 フィリピンは、アメリカの経済システム中に組み込まれ、独立を約束され、経済的にも比較的恵まれていた。よって日本に対する抵抗は一番強い。これは他のアジア諸国とは全然違う。


 日本が戦前の水準でフィリピンを支えていくのは無理だ。大東亜共栄圏にそんな余裕はないのだ。


 でもって結果として、フィリピンの日本に対する反発はかなり大きくなる。

 そういった土壌があるせいか、マッカーサーは国内に潜伏し、地道な抵抗活動を続けることができている。現地住民の支援が確実に得られる点が大きい。


 陸軍の憲兵隊もゲリラ狩りを行っているが、どうにもならないような気がする。


 まあ、太平洋戦争全体から見れば、マッカーサーがゲリラの親玉に収まってくれているのは、ラッキーとしか言いようがない。ゲリラ程度で済んで万歳だ。どうせ、どう転んでも、フィリピンのゲリラ活動はゼロにはならない。


 それよりも、オーストラリア政府の消極的な姿勢が何も変わっていないのが大収穫だ。


「これで、アメリカ空母を撃滅すれば、ハワイ攻略も豪州占領も思いのままなのだぁぁ!! あまねく世界に八紘一宇なのだぁ! 東亜の解放! 大日本帝国が地球の盟主となるのだぁぁ! ひゃははははあ!!!」


 ビリビリとした絶叫が陸奥の長官私室に響いた。静かにしてお願いだから――


 つーか、それは無理と何度言ったら分かるんですか? 女神様。


「この作戦、終わったら、持久に入ります」


「ムッ! それはあまりに、戦意不足ではないか! 全軍の士気に影響が出るのだ!」


「太平洋方面はもう限界ですよ。これで米空母がゼロになっても、1944年になれば、数で逆転されますから。2年持ちませんよ。優位が――」


「次から次へと沈めやればいいのだ! 太平洋をヤンキーの空母で浅くしてやるのだ!」


「まあ、チャンスがあれば……」


 どうせ、言っても聞かないので、俺は言葉をにごす。


「どうせ、今回も勝つのだろう? やはり吾が見込んだ男なのだ! 大日本帝国を滅ぼした元凶のアホウとは違うのだ!」


 なんだかんだ言っても、ここまでの勝利で女神様は俺のことを意外に信じている。


 しかし、この戦いもかなり厳しいことは確かだ。


 毎回そうだけど、日本は一度も負けが許されないというムリゲーなんだよなぁ。

 1945年に有利な状況で、戦争を片付けるためには、ある程度の戦力を維持してなきゃ話にならない。


「南雲機動部隊の様子はどうなのだ?」


「無線封止しているので分かりませんよ。攻略部隊も一切合財、沈黙して作戦中ですからね」


「うむ、まあアメ公の弱小空母など鎧袖一触であろうがな! きゃははははは!」


 実際、それほど甘くは無いと俺は思っている。


 実は空母部隊は定例の人事異動があった。

 でもって、熟練者のかなりの数が教員配置になったりして、ごそっと抜けた。

 これは、将来的な搭乗員育成のための措置というわけではなく、本当に定例的な人事異動。

 大きな作戦が控えていようがどうしようが、関係なし。


 だって、人事の権限が海軍省だから。

 こっちは要望は出せるけど、全体的な動きまではどうにもできない。

 戦争の進捗とは全く関係なしに、この様なことが行われる。全く史実通りだ。

 素晴らしき、お役所仕事だった。

 

 ただ、第一航空艦隊は、一応定数はほぼ満たしている。


 まあ、数だけでその内実は、真珠湾のときのレベルじゃないのは言ってはいけない秘密だが。

 今回が初陣みたいな搭乗員がかなり混じっているので、ちょっと不安だ。

 

 赤城:60機。

 加賀:72機。

 蒼龍:54機。

 飛龍:54機。

 翔鶴:72機。

 瑞鶴:72機。


 今回は、戦闘機の割合を増やし、艦攻を減らした。

 攻撃力の減少という反対意見もあったが、戦闘機の護衛をつけねば、いくら艦攻や艦爆があっても意味がないことがデータで分かってきた。


 だから、機動部隊の首脳部と相談してその方向性で決定した。


 南雲長官は「上空警戒機も必要ですので、長官の提案は正しいと判断します」とすんなり認めた。

 インド洋で一撃喰らっているだけに、空母戦の怖さも知ったのかもしれない。この経験は今後大きいかもしれん。


 ミッドウェーのときは日米とも空母戦の恐ろしさをあんまりわかってなかったのだと思う。


 日本側の魚雷換装とか、アメリカ側の裸のデバステータ送り出しとか、空母戦への恐怖心が無いからできたのではないかと思う。


 第二航空艦隊の山口多聞少将も「艦攻、艦爆が死ぬ気で訓練し、絶対に必中させれば、数の不足はカバーできます」と笑いながら言った。

 たれ目の布袋さんに似た感じの提督だが、目の奥が全然笑ってねーのな。

 確かに「人殺し」の目をしていた。一見温厚そうに見えるだけに、魂の底から震えそうだよ。絶対に敵にしてはいけない種類の人間だよあれは……


 後、瑞鳳、祥鳳の軽空母と、特設水上機母艦を投入して、攻略部隊の輸送艦隊を守ることにした。

 2隻の軽空母には運用限界いっぱいまで、零戦だけを詰め込んだ。

 合計で60機になる。正規空母3隻分に近い。

 索敵とか対潜哨戒などは、水上機母艦の搭載機にやらせおく。

 また、零式観測機も戦闘機の代りに積んである。使い勝手の良い機体だし、個人的も好きなのだ。


 この艦隊は、敵の陸上基地からの航空攻撃圏内を、昼間3回は航行する必要がある。

 徹底した航空撃滅戦を行わせてはいるが、完全に敵の行動を封じるのは無理だろう。

 何とか守れるだけの戦力はつけたつもりだ。

 陸軍からも、絶対に空母付けろと要請もあったし。


 戦力は出来る限り集中させた。

 潜水艦も大量に配備した。

 以前から問題視されていた散開「線」行動は止めにして、面での行動に切り替えた。

 これは第六艦隊側から歓迎された。

 まあ、以前から潜水艦の運用者側からは意見が出続けていたのだ。


 史実ではこの「散開線」に縛った運用が潜水艦の被害を拡大させた面もある。

 敵を捕らえられるかどうかはわからんが、出し惜しみはしない。


「この時点で勝てなきゃ、どの道勝てませんからね――」


「ほう―― 言うようになったのだな!」


 女神様がちょっと感心したように俺を見た。


 まあ、俺も戦艦の砲撃の下をくぐって少しは度胸がついたのかもしれない。


 ただ、今でも死にたくないし。

 戦犯で死刑も、戦場で戦死もゴメンこうむる。


 でも、それほど追いつめられた気持ちが無いのが不思議だ。


 俺は壁に貼ってある大日本帝国の勢力範囲を示した地図を見た。

 やはり、戦線は広げすぎかなとは思った。ただ、意外に悪くない気もしている。なんだろう?


 俺は、今生涯最高に一生懸命何かに打ちこんでいる気がしていた。

 それは、それでそれほど悪い感じはしなかった。


        ◇◇◇◇◇◇


 ラエ基地に零戦隊が帰還していた。

 1機が滑走路にアプローチしている。


 急ごしらえの滑走路はコンディションが良くない。

 プロペラの巻き起こす風で砂煙が巻き上がる。


 熊谷二飛曹は搭乗員待機所でその光景を見ていた。

 彼は、今回の攻撃では、エンジン不調で途中で引き返していた。

 18機で参加した中、彼の零戦だけがエンジントラブルで引き返していた。

 

 機付整備員が土下座しそうな勢いで彼に謝罪した。それを責める気は無かった。


 整備員につらく当たる様な搭乗員は長生きできないと思っていた。


 彼らは努力していた。それは分かる。

 

 彼は周囲を見た。

 ラバウルの飛行場も火山灰で砂煙が酷かったが、ラエはそれ以下だ。

 バラックのような掘立小屋に、天幕生活なのだ。


 おまけに、マラリア、デング熱、アメーバ赤痢などの熱帯性の疾病にいつかかるか分かった物じゃない。


 あのラバウルが大都会とすれば、ここは山間の僻地だ。本当にここは地の果てだ。整備も大変だろうというのは理解できた。

 

 不意に刃のような視線を感じた。

 遠くからでも周囲の空間を歪めるような殺気をまとった男がこちらに歩いてきた。

 直属の上官。坂井三郎一飛曹だった。

 

「申し訳ありません」


「エンジントラブルでは仕方ないな」


 坂井一飛曹は、思わず出てしまった熊谷二飛曹の謝罪の言葉を軽く流した。


「14機上がってきた。第二中隊で5機は落としたはずだ」

  

 坂井一飛曹は、熊谷二飛曹に視線を合わせることなく言った。

 戦闘の状況を語ったのだ。


「そうですか。さすがです」


 フッと坂井一飛曹が笑みを浮かべた。この鬼のような男がこんな良い笑顔で笑うのかと思った。


 作戦では中島少佐の第一中隊が地上銃撃、第二中隊が空中警戒および要撃戦闘機撃破の割り当てとなっていた。

 作戦では地上銃撃は成功。多数機を炎上させたという。

 ただ、地上砲火によって2機が損傷を受け自爆を選んだ。


 ラエに帰還したのは全部で13機。

 残りの2機はサラモア基地の方に着陸していた。


 17機出て、2機の自爆。地上撃破多数。撃墜5機。


 数字だけみれば、作戦は成功だ。しかし、搭乗員の側からすればまた違う感想はあった。それは口にはしないものであったが。


 敵機を要撃した第二中隊8機は全機帰還していた。それを確認して、熊谷二飛曹は少しほっとした。


「まだまだ続くな――」

 

 坂井一飛曹はそう言うと、懐からホマレを取り出し咥えた。

 そして、熊谷二飛曹に一本すすめる。


 2人の吐きだす紫煙が、ニューギニアの濃厚な大気の中に溶けて消えていった。


        ◇◇◇◇◇◇


 この海域で、アメリカ潜水艦の動きが活発ではないという報告は受けていた。


 それだからこそ、危険があるのではないかと神田飛曹長は思っている。

 これだけの大作戦を行い、敵が気付いていないと考える方がどうかしていた。


 おそらくは――

 積極的な攻勢にでず、情報収集に徹していたのではないか。そのような考えが浮かんだ。


「問題ありません――」


 最終チェックをしていた整備員はそう言うと、機体を離れた。


 エンジンがかかる。ボフンと排気管から煙の塊が噴き出た。

 それだけだった。その後、瑞星エンジンは軽快な音を上げ回転している。

   

「いつもながら、射出機からの出撃は……」


 神田飛曹長の声はエンジン音にかき消されていた。


 彼の乗る零式水上偵察機は、対潜哨戒任務のため、出撃しようとしていた。


 彼は「発艦」の合図を送る。

 

 そして、唐突な加速。骨が軋むような強烈なGの中、吹っ飛ぶように愛機が撃ちだされる。

 射出機とは一種の拷問装置ではないかとチラリと思った。

 巨人の腕で首が固定されるような強烈な圧力を感じる。その加速を得て、零式水上観測機は空中に浮いていた。

 彼は、操縦桿とラダーで機体を安定させる。この点、この機体は素晴らしい安定性をもっていた。


 目の高さに合った水平線がだんだん下の方に移動していく。

 875馬力の瑞星エンジンは快調に回転していた。


 むき出しの操縦席なので、風を切って進む。神田飛曹長はその感覚は嫌いではなかった。

 射出機は大嫌いであったが。

 あれは、危険手当が出ると言っても、勘弁して欲しいというのが実感だ。


 高度1000メートルで機体を旋回させる。

 眼下には無数の輸送船、護衛艦艇が航行している。無数の白い航跡がまるで食塩をまいたように見える。

 それを視界にとらえた。


「凄い大艦隊ですね――」


 偵察員の藤田一飛の声が伝声管から聞こえた。


「海軍始まって以来の、大作戦だからな」


 浮かれ気味の藤田一飛の感覚がある意味うらやましかった。

 これだけの艦隊だ。絶対に敵に狙われる。

 それは潜水艦かもしれないし、敵爆撃機かもしれない。


 それを排除するのが自分たちの役目だ。


 上空には哨戒中の零戦が飛んでいる。


 艦隊最後尾につけている瑞鳳、祥鳳の軽空母の艦上機だろう。


 敵爆撃機は彼らの担当だ。


「気を緩めるなよ、しっかり見張るんだ」


「了解!」


 照りつける南洋の日差しを翼が反射する。

 

 太平洋を挟んだ、この星最強の海洋国家同士の決戦――

 その死闘の幕が上がろうとしていた。

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