その31:鋼の嵐! アリューシャン海戦 2
「寒くなってきたな……」
「かなり北にあがりましたからな」
俺の呟きに、黒島先任参謀が答える。
一々、答えなくていいけど。この人、航海に出たらまた体臭がきつくなってきたんだけど。亀人ではなくカメムシだよ。
ここは大和の艦橋だ。その戦闘指揮所に俺はいた。
でもって、戦艦大和はなぜか、青森県の大湊港を出港し、アリューシャン目指して航行しているのだった。
大和の周囲には駆逐艦がぐるっと護衛している。
なぜだ…… ヤバいよ。
俺は目をつぶって、なにが起きたのか、頭の中を整理する。
こうなってしまった発端は、大西瀧治郎の提案だった。
彼は、航空の専門家ゆえに、現状の日本の航空機の問題点を把握していた。特に陸攻の問題点だ。
1942年時点、帝国海軍の基地航空隊の主力攻撃機は、一式陸攻だ。
こいつは本来、敵主力艦に雷撃を仕掛けるために作られた機体だ。
この機体は、だいたい30機の編隊攻撃で1隻の主力艦(戦艦)を沈めることができると考えられていた。
ワシントン、ロンドンの軍縮条約で戦艦、補助艦艇の数量的不利を補うために、考え出された機体だ。
他国の海軍にこんな機体はない。
航空機としての性能は抜群といっていい。速度も水準以上。航続距離に関しては他国の4発機すら凌ぎかねない。双発爆撃機として考えれば、広大な太平洋戦線で色々と使い勝手のいい機体といえた。
ただ、艦船攻撃の兵器として考えると、かなり問題がある。
対地攻撃なら、高高度性能が悪くないので、被害をある程度は局限できた。
しかし、本来の目的である対艦攻撃をするのには、あまりに機体が脆弱過ぎた。
大西洋標準のイギリス戦艦には、通用したが、本来の敵であるアメリカ海軍の艦艇相手では厳しい。
アメリカ海軍は、1942年の段階でも、対空火力の強力さは、他国の海軍から頭一つ抜けている。
エンタープライズとホーネットを沈めた戦いでも、陸攻は大ダメージを受けている。
以前から陸攻の脆弱性を指摘していた大西少将は、この海戦の結果を非常に重視していた。
だから彼は俺に言ったのだ「戦艦の打撃力をもっと利用すべきです」と――。航空機の脆弱性、消耗を押さえるために、戦艦をもっと使いまくれということだ。
でもって、この大和も積極的に使うべきだと提言してきたのだ。
今後のことを考えると、大西少将の提案を却下するわけにはいかない。
最初は、南のニューギニア方面作戦に投入しようかと思った。俺は戦場に出るのは気が進まない。いや、正確に言えば嫌だった。
戦艦大和を旗艦にしていたら、俺はずっと戦場に出まくることになる。早く、聯合艦隊司令部を陸地にあげてしまおうと心に誓った。
でだ。ニューギニアとアリューシャンのどっちに行くかだ。
まあ、俺としては、空母がいっぱいあるニューギニア方面で行こうかと思った。大西少将も賛同した。
もし、安全か確認できたなら、ポートモレスビーに46サンチ砲の艦砲射撃くらわしてやろうかと思ったのだ。ミルン湾方面でもよかった。
軍令部から反対された。
ポートモレスビー周辺は、精度の高い海図がないので、喫水の深い大和は動きづらいということだ。座礁でもしたら目も当てられない。
おまけに、オーストラリア北部の基地からの航空攻撃もあり得るということだ。
要するに「うちの大和をそんな危険な場所に出せません!」ということらしい。
過保護の引きこもり戦艦だよ。なんというか、無職ニートの俺が座上するのに本当にふさわしい戦艦ではないかと思うけどね。
じゃあ、ずっと柱島にいればいいかなと思ったりもした。
しかし、そうもいかなかった。
「長官が戦場に出撃したい気持ちは分かります」
「そうかね」
「とりあえず、ニューギニアは空母に任せ、アリューシャン支援でいきましょう」
「いや、無理して出る……」
「長官出撃で士気も上がりますな!」
簡単にいえば、軍令部とこんなやりとりがあったわけだ。
死ね、軍令部。
油の無駄遣いだ。
結局――
今回の出撃は、乗員の士気や待遇の問題も絡んでいたようだ。
まず、出撃しないと、士気も上がらないのだ。
旗艦がだらけるのはよろしくないのだった。
更に、柱島に引きこもっていては、大和乗員に各種手当も出ないのである。
他艦に勤務している物は手当てがどんどん出て、大和勤務の者は手当てがでないのは、いかがなものかという空気もあった。
そして、今に至る。
俺は大和に乗ってダッチハーバー目指して航行を続けているのだ。
大和は、本隊から離れて、最後尾を駆逐艦に守られながら進んでいる。
まだ、この時期はアメリカ潜水艦も積極的な攻撃はしてきていない。
史実でも、北方方面にはS級という古い潜水艦しか配備されていないはずだ。
シュガーボートと呼ばれ、第一次世界大戦レベルに毛の生えた潜水艦だ。
色々思うところはあったが、どうにもならんものは、ならないのである。
こういう「妥協」とか乗員の待遇の問題で作戦が決まるのはどうかと思ったのだが、なんか反対しづらい空気があった。
まあ、チャンスがあれば艦砲射撃の一つでもやればいいかと思っている。
46サンチ砲の砲撃を生で見れるというのは、軍ヲタとして楽しみが無いわけではない。
しかしだ。
それにしても寒い―― もう5月も終わりだというのに……
蒸気管で暖房が入っているが、室内はかなり寒かった。
「哨戒機より入電です。『大規模艦隊ミユ、30隻以上――』」
電話手の声が響いた。
室内の空気の温度をさらに下げる内容だった。
「なんだそれは? 敵か! 敵なのか?」
宇垣参謀長が電話手を叱責する。彼を怒っても問題は解決しない。
それにしても、宇垣参謀長は、怒っていても、口の端を釣り上げた不気味な笑顔に見える。さすが鉄仮面だった。
とにかく、この情報の衝撃は大きかった。
大和の戦闘艦橋の中は騒然となった。とんでもない大艦隊の出現だ。
続けて情報が入る。位置は東200海里。進路は西。つまり日本列島を目指していることになる。
またかよ!
また来たのか?
おいおい、勘弁してくれよ。
東京空襲は阻止したが、米海軍が諦めず、またやってきたのか?
今度は大艦隊で。
いや、違うか?
狙いは、この艦隊か?
やばい。待ち伏せか? こっちに待ち伏せ攻撃か?
「敵ではありません。ソ連です。『ソビエト船籍の船団。航行中の船団は対ソ支援用物資の輸送船団――』敵ではないです。ソ連船籍であることを確認」
続報が入った。
俺は肺の中に固まっていた息をゆっくりと吐いていた。
全身の力が抜けた。アメリカ艦隊では無かったようだ。
この情報で、司令部の空気が一気に緩んだ。
あからさまにホッとした空気となった。
艦隊の正体は、ソ連への援助物資を送り込む輸送船団だった。現時点ではソ連は中立国だ。
アメリカは、欧州でドイツと戦っているソ連に大量の援助を行っている。
その援助ルートの一つが、日本近海を通ってウラジオストクに至るものだ。
他には中東ルート、大西洋ルートがある。
このウラジオストクのルートはソ連にとってはかなり重要だ。
このルートが全援助物資の30%~50%というデータを見た記憶がある。
大西洋ルートのように、ドイツ潜水艦の妨害がない。
中東ルートはアフリカ戦線の動向次第では危ういことになるかもしれない。
史実でも日本はこの対ソ援助ルートを寸断するという作戦は避けた。
海軍として、ソ連を刺激して日ソ開戦になっても、いいことなど何もないからだ。
戦後、このルートを攻撃して、ドイツを支援すべきだったという意見もチラホラ出てきた。
ドイツの勝利が講和の条件であるとするならば、このルートを断ち切って、ドイツを支援すべきという考え方だ。
しかし、アメリカと戦争状態になってからそんなことするのは自殺行為だと俺は思う。
援助ルートを他に切り替えれば対応はできるし、ソ連が報復してきたら、大変なことになる。
米軍機が、ソ連領に進出したら、その日から本土空爆の開始だよ。
そもそも、ソ連が崩壊してしまうと、俺の終戦プランも崩壊してしまう。
ソ連には頑張ってもらって、きっちりアメリカと対立して欲しいのだ。
むしろ、ドイツを弱らせて、早々にソ連を勝たせたいくらいだ。
早く来い、冷戦――
「今のところ、無線発信はないようですな」
黒島先任参謀が言った。
ソ連としても、あまり日本を刺激したくないという考えもあるのだろう。
実際に、日本の潜水艦がソ連の潜水艦を誤認して沈めたことがある。
それでも、ソ連はダンマリを決め込んでいた。
お互いに干渉しませんよってのが、今の日ソの関係だ。
「哨戒機は引き続き、船団を監視しさせましょう。不審な動きがあれば、対応せざるをえません」
三和参謀が言った。
まあ、常識的な判断だと思う。
アリューシャン作戦は奇襲が必須というわけではないが、奇襲できるならそれに越したことは無い。
アリューシャン攻撃の艦隊は、進路を若干変更。対ソ援助の船団と交差しないように、舵を切った。
哨戒機は、燃料の限界がくるまで、監視を続けた。特に不審な動きはなかった。
◇◇◇◇◇◇
どんよりとした鉛色の空が広がっている。
細谷一飛曹は顔を上げ空を見上げた。
風切音が聞こえる。
空母の作りだした風がキャノピーに流れ込んでいた。
天候は悪いが、発艦不能ということはなかった。
本来であれば、日の出直前に発信する予定だったが、悪天候がそれを阻んでいた。
このアリューシャン方面は一年中濃霧が発生することで有名だった。
航空作戦を行うという点において、非常に困難な立地だ。
「まだ霧が濃いな――」
細谷一飛曹はつぶやいた。
零式艦上戦闘機21型の操縦席。細谷一飛曹は、全開しているキャノピーから周囲を見やった。日本人離れした落ちくぼんだ目がその光景を捕えていた。
日本海軍の空母の中では、異彩を放つ巨大な艦橋と煙突。
煙突は外側に斜めに傾いている。空母隼鷹に初めて取り入れられた構造だった。
ようやく攻撃隊が発艦する。
この間、ジリジリと時間だけが、無為に流れていくような気がした。
これ以上、発艦を待つのは危険だと思った矢先の事だった。
空母隼鷹には、発艦を待つ零式艦上戦闘機が並んでいた。
その数は10機。ダッチハーバー空襲の制空隊だった。
飛行甲板の先端からは水蒸気がたなびいている。
零戦のハミルトンプロペラが低ピッチの状態で回転する。
栄エンジンの軽快な調べが、艦上に満ちていた。
世界最強の海鷲が、獲物を求めて飛び立とうとしていた。
「チョーク払え!」
細谷一飛曹は手信号で整備兵に伝えた。
視界を確保する。座席位置は目いっぱい上げてある。
隼鷹は、商船改造空母であるが、飛行甲板は広い。
天候は悪いが、発艦そのものには不安が無かった。
ゆるゆると零戦が発進する。そして次第に加速していく。
細谷一飛曹は、右のフットバーを踏み込み当て舵をいれる。
プロペラ回転によるトルクで機体が左に流れるのを押さえるためだ。
ブースト計は離床最高出力を出していること示していた。
1000馬力近い出力が、この機体を持ち上げていく。
彼の操縦する零戦は、驚くほどの短い距離でふわりと浮きあがった。
今回の作戦では隼鷹、龍驤には熟練者が集められていた。
軽空母、商船改造空母であったが、搭乗員は精鋭といえる水準にあった。
細谷一飛曹もその中の一人である。
飛行が安定した時点で、彼はキャノピーを閉めた。
計器を確認する。異常はない。エンジンも快調な音を立ている。
ただ、どんよりとした空は相変わらずだ。
太陽の方角すら分からないくらいだった。
(これでは高度は取れないのではないか)
細谷一飛曹は小隊長機を見ながら思った。彼は小隊2番機の位置についている。
不思議と高ぶりはなかった。
アメリカ北方の拠点である、ダッチハーバー。
おそらく、奇襲は無理であろうと思っている。
すでに、搭乗員の間でもレーダの存在は周知の物となっていた。
自分たちの艦隊でも、戦艦伊勢と日向にそれが搭載されていると聞いた。
しかしだ――
仮にそのような機械があったとしても、見張りの重要性が下がるわけではない。
戦闘機搭乗員にとって一番重要なことは、見張りであるという信念があった。
彼は周囲を見やる。常に警戒を怠らないことこそ、戦場生き残るための公理であると信じている。
畢竟――
戦争は人の戦いだという思いがあった。どんなに優れた兵器、機体であろうと操るのは人だ。
自分の技量には自信があった。積み上げてきた物がある。
しかし、慢心はしていない。
敵も強い。米軍は、今までのどの敵よりも強い――
彼は、南方で何度か米軍機と手合せをしている。彼らの技量は高かった。決して侮れる相手ではなかった。
口が渇いているのに気付いた。舌で唇を湿らせた。
零戦13機、爆装した九九艦爆15機、九七艦攻6機が、鉛色の空を飛んでいた。
雲はどこまでいってもどんよりと垂れこめていた。
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