その23:東京空襲! 小笠原沖海戦 7
「莫迦な……」
ライト一等兵はつぶやいた。
ビッグE(エンタープライズ)の舷側にならぶエリコンFF20ミリ機銃。
彼は、その志願銃手であった。
機銃を握る手は痺れるくらい力が入っている。
目の前の光景が信じられなかった。
味方の戦闘機がジャップの戦闘機に追い立てられ、次々に落ちていく。
それは戦闘ではなく、一方的な屠殺に見えた。
「2時方向! 敵、突っ込んでくる!」
高角砲の弾幕を突破した敵機が突っ込んでくるのが見えた。
足の出た旧式機に見える。「やっぱりジャップの飛行機は遅れているのか」という思いがふとよぎる。
その機体は翼を翻し、逆落としのように突っ込んできた。
風を斬る唸り声が聞こえてきたような気がした。
ライト一等兵はその機体から黒いなにかが分離したのを目撃した。
爆弾!
彼は首をすくめその場に体を丸め、防御姿勢を取った。
爆発と衝撃波を予想する。妙に時間の経過が長いような気がした。
潮風がヌルヌルと顔の上を通るのを感じる。
その空気が棍棒のように全身を叩きに来た。固形化した空気の暴力だった。衝撃波、爆風だった。
「右舷被弾! 応急要員と衛生班を回せ!」
誰かが早口でまくし立てているのを聞いた。
ゆっくりと顔を上げた。巨大な水柱が何本も立っていた。
潮の飛沫が顔に当たる。
まさに、地獄の光景とはこのようなものではないかと彼は思った。
右舷艦橋が半壊し、そこからは地獄の業火を思わせる炎と煙に包まれていた。
彼は口の中で神の名をつぶやいた。
だが、そこに神はいなかった。
◇◇◇◇◇◇
翔鶴、瑞鶴の18機の艦爆隊は手信号で合図し二手に分かれた。
事前の打ち合わせ通り、それぞれ1隻づつの空母を狙う。
集中攻撃すべきではないかという意見もあったが、まずは空母の戦闘力を奪うことが先決だった。
飛行甲板をつぶし、対空火器を沈黙させる。それが、彼らの仕事であった。
九九式艦上爆撃機が放った25番(250キロ爆弾)は1942年時点の最高水準といえる精密爆撃となる。
エンタープライズに3発、ホーネットに5発の命中弾を与えた。
外れた爆弾もほとんどが至近弾となり、水圧によって水面下の船体を痛めつける。
エンタープライズの煙突と一体化された艦橋は半ば、スクラップのような状態となり、煙と炎に包まれている。
これにより、高射射撃システムがダメージを受けていた。右舷の対空火器自体も相当数がダメージを受け、機能を失っていた。
「奴ら、右舷から来るぞ――」
燻されるような状態になっているエンタープライズの艦橋。
ハルゼーは、それでも闘志を失っていなかった。
獰猛な双ぼうで、その方向を見つめる。煙と炎に包まれ視界がきかない。
「右舷から、敵雷撃機! 信じられない低空を! 奴らが接近中です!」
電話手が見張り員からの報告を受け、絶叫する。
「面舵だ! 面舵いっぱい!」
「イエスサ―」
エンタープライズの舵輪が回されるが、艦は直進を続ける。
息苦しくなるほどの間をおいて、2万トンを超える巨体は回頭を開始。人がよろけるほどの遠心力を生じる機動だった。
煙りと炎の隙間から、チラリと敵機が見えた。
あれがジャップの雷撃機か……
それは、日本人に対する偏見を持つハルゼーの目から見ても洗練された機体に見えた。
どこか、前時代の航空機的な匂いをもったデバステータ雷撃に比べて、一歩先をいっている機体という印象を受けた。
「信じられん」
思わず、その言葉をもらした。
そんな雷撃機が、海面すれすれを横滑りしながら、突っ込んできていた。
こちらの回避機動に対し、しっかりと進路変更してきている。雷撃の射点を外す気配が全く無かった。
九七式艦上攻撃機――
今まさに、必殺の魚雷を叩きこむために突っ込んでくる機体の名である。
日本を代表する航空機メーカー、中島飛行機が造り上げた航空機。
この時点で世界最高性能を誇る艦上攻撃機、雷撃機であった。
この機体は、重量800キロの航空魚雷を吊るしている。
魚雷は九一式航空魚雷。
真珠湾で戦艦を葬った魚雷だ。浅海でも使用可能であり、380キロ近い艦攻の最高速での投下が可能な魚雷。
TNT火薬の1.2倍の威力を持つ高性能炸薬である97式爆薬を200キロ以上詰め込んだ精密な凶器だった。
ドイツ側が技術提供を希望した数少ない日本側の兵器だった。
エンタープライズとホーネットの残存火器が火を噴く。
エンタープライズは射撃指揮システムにダメージを受け、統制された射撃になっていない。
接近する敵機に対し、エリコンFF20ミリ機銃も火を噴きはじめる。
一機が魚雷の射点に入る前に、炎に包まれ海面に叩き付けられた。
続いて、二機――
それでも弾幕をかいくぐった機体がある。
低空で横滑りさせながら、接近してくる敵雷撃機。どんな奴が操縦しているのか?
低空でこんな機動が可能なのか。ほとんどプロペラが海面を叩きそうな高さになっている。
生きのこった九七式艦上攻撃機は、落とされた僚機など目にもくれず、ただひたすら射点目がけ接近してきていた。
ふわり―― そう表現できるような、優雅な動作で、次々に魚雷を投下してきた。
エンタープライズに5本の魚雷が迫ってきた。白い航跡がスルスルと伸びて生きている。
魚雷を放って、回避を行った1機が高度を上げた。
そして、一瞬で火だるまになった。そのままバラバラになって吸い込まれるように消えた。
雷撃機だった破片がパラパラと舞いながら海面に落ちていく。
◇◇◇◇◇◇
ライト一等兵はエリコンFFを発射し続ける。
力強い振動が手から全身を震わせる。
敵機は信じられないような低空を突っ込んできていた。これがジャップなのか……
歯を食いしばり、グリップを握りこむ。
自分が撃った物かどうかは分からないが、1機が火を噴いて海面に叩きつけられた。
達成感などない。ただ、機械の部品のように、機銃弾を送り込むだけだった。
奴らが魚雷を投下した。
その事実を伝える声と、衝撃に備える叫びが聞こえた。いや、退避命令だったかもしれない。
彼は海面には白い航跡が迫ってきているのを見た。
一瞬陽光が遮られる。顔を上げた。ビッグEに魚雷を放った敵機が、すぐ近くを飛行していた。
機銃を向ける。その手が止まった。
人間が乗っていた。そんな当たり前の事実の前に、彼はその動作を止めてしまっていた。
その人間は、自分と変わらぬ、歳に見えた。
その男もこっちを見つめているような気がした。
一瞬だった。
やがて、その機体は翼を翻し、離れていった。
そして、衝撃がビッグEゆるがせた。
◇◇◇◇◇◇
ホーネットのミッチャー艦長は、苦渋の選択を迫られていた。
すでに、ホーネットには6発の爆弾と2発の魚雷が命中していた。
日本海軍の雷爆同時攻撃を対空砲火と操艦により防ごうとした。
しかし、防ぎきれなかった。
多数の敵機を落としたことは確実であるが、こちらのダメージも深刻だった。
命中した爆弾の内何発かは、格納庫下の装甲板で爆発した。
格納庫や兵員室が滅茶苦茶になっている。飛行甲板もめくれあがり、炎と黒煙を上げている。
ダメコンチームが必死の消火活動を行っている。
それでも、ホーネットを襲った災厄の中では、この火災は軽いものだった。酷いダメージであるが、致命傷ではない。
もっと深刻な、ダメージをこの艦は受けていたのだ。
魚雷命中2本。
いや、正確に言えば、魚雷のうち1本は外れていたものだった。
船体には直接命中していない。
もっと言ってしまえば、命中してくれた方がマシなものだった。
その九一式航空魚雷は、何らかの不具合により調定深度が深くなっていた。
そのまま、艦中央部に向かっていったなら、艦底をくぐって行ってしまっただろう。
艦尾を通りぬけるはずだったその魚雷の爆発尖が、ホーネットの作りだした推進波によって作動してしまう。
一種の艦底起爆信管のようになってしまった。
200キロを超える高性能炸薬は海水を巨悪な破壊をもたらす塊に変えた。
凄まじい水圧が、衝撃波となってホーネットの舵機を破壊する。さらに推進機にダメージを与えた。
その破壊は圧倒的だった。
もはや、ホーネットは、ただゆるゆると直進するだけの鉄の箱となっていた。
それは、あらゆる意味で空母と呼べる存在ではなくなっていた。
「舵機の復旧は――」
「可能ではあると思いますが……」
ダメコンチームからは火災の鎮火にてこずっている報告が上がっている。
舵機の復旧に対し、ミッチャー艦長は暗い見通しを持っていた。
現在の艦の位置が悪すぎた。
日本本土からの航空攻撃も可能な位置で、しかも空母も迫っている。
果たして、悠長に舵機の復旧ができるのか?
ならば、どうする……
重巡があるが、曳航して逃げ切ることができるか……
彼はその視界に僚艦エンタープライズを捕えた。
それでも、ホーネットはエンタープライズよりは幸運だったのかもしれないと思った。
ビッグEと呼ばれたその航空母艦は、右舷に大きく傾き、飛行甲板を波に洗っていた。
浮いてはいたが、すでに船としては完全に死んでいた。
味方の駆逐艦による自沈処分の命令が出ていた。
(この作戦は、失敗か)
ミッチャー艦長の胸の内に苦い思いが湧きあがる。
ドゥーリトルの攻撃が成功するかどうかは分からない。
当然、成功を祈っている。いや、確信している。ドゥーリットルならば絶対に作戦を成功させると思っている。
しかしだ――
作戦全体を俯瞰したとき、彼が爆撃を成功させたとしても、この作戦は我々の負けだ。
空母にB-25を乗せての、東京行きの航路は、あまり運賃が高すぎた。
ハルゼー提督を含む司令部はすでに、重巡ノーザンプトンに移っていた。
今のアメリカ海軍にとって、エンタープライズの喪失は痛い。いや、痛いなどというものではない。
そして、ホーネットも喪失の瀬戸際にいた。
ここで、ホーネットまで失ってしまえば、日本海軍は太平洋からインド洋まで好き勝手ができる。
残された空母で日本海軍の攻勢をしのぎきれるのか?
彼は祖国の最終的な勝利を疑ってはいなかった。合衆国が最終的には勝つ。
しかしだ――
それまでに、我々はなにを失うのか。その思いがあった。
とにかくだ――
いまここで、ホーネットを失う訳にはいかなった。
なんとしても、ホーネットだけは祖国に連れて帰る。
彼は指揮下の重巡に対し、ホーネットの曳航作業を命じた。
◇◇◇◇◇◇
翔鶴、瑞鶴の第二次攻撃隊がアメリカ艦隊の上空に達した。
「空母、1隻。重巡が曳航しています」
伝声管から偵察員の声が聞こえた。
見たまま、その通りだった。
石川少尉は小さく「了解」とつぶやいた。
空母は2隻のはずだ。沈んだのか? それとも逃走したのか――
指揮機から、周辺海域を探るという指示があった。
バンクをする九七式艦上攻撃機。彼はその指揮機に従い飛行を続ける。
第一次攻撃隊の報告では、まだ空母は浮いていたはずだ。
魚雷を何本か命中させているので、攻撃隊が去った後に沈んだのかもしれない。
その可能性はあった。
しかし、断定は禁物だった。
その意味で、指揮機の判断は正解であると思った。
空母はいなかった。
今、自分たちが攻撃できる範囲に存在する空母は重巡に曳航されている1隻だけだった。
甲種電波により、艦隊宛の電信が発せられた。現在の状況の報告だった。
そして「トツレトツレトツレ」の電信が入った。
石川少尉は操縦桿を握りこむ。攻撃準備の隊形を作れと言う命令を意味する。
指揮機が左右にバンクし、翼を翻した。それに追従する。
艦爆隊が突っ込んでいった。
逆落としで、空母目がけていく。
空母は、爆炎と水柱に包まれた。
散発的な対空砲火が上がっている。艦隊の陣形が乱れているので、それほどの密度では無かった。
しかし、それでも何機かの艦爆が炎に包まれた。
彼はフットバーを蹴飛ばし、機体を操る。
高度を下げ、海面ギリギリに迫っていく。口の中が乾いていく。
眼前に巨大な構造物を捕える。空母だ。敵空母。
もはや、それは沈黙した大きな鉄の塊に見えた。
どのような反撃もその空母からはなかった。
(この空母に止めが必要なのか? もうすでに戦力を喪失しているのでは――)
一瞬、その思いが頭をよぎる。
ダメだ、余計なことは考えるなと、石川少尉は思う。
雑念はよくない。
雷撃は操縦員がまず、照準を合わせながら進む。責任は大きい。
射点に接近した。
石川少尉は伝声管に「用意」と言う言葉を流し込む。
復唱する偵察員。
指揮機が魚雷を放った。
それに合わせ、石川少尉も命じた。
「撃て!」
偵察員が投下把柄を引いた。
800キロを超える魚雷が投下される。急に軽くなった機体が浮き上がろうとするのを抑え込む。
そのまま、艦尾を抜けて退避を行う。
オーバーブーストだった。
九七式艦上攻撃機は、翼を軋ませ、そのまま空を突き抜けていく。
「命中!」
声が聞こえた。
石川少尉が振り返えった。
巨大な水柱が林立し、空母を包み込んでいた。
それは現実感を喪失したある種の映像めいた光景に見えた。
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