第七部 第十章 第二十四話 短くも長い対峙
【七武勇】──それはあまり内情が流れないトシューラに於いて他国が強者の存在を知ることのできる数少ない情報源でもある。
それ自体は飽くまで民間で列挙されるもの故に不確かさはある。しかし、やはり民草の耳にも入る武勇というものは判断材料として当然実力も伴う者も含まれる。
その周知に商人が絡んでいることは目論見がある。民にとっての英雄を提示することは国の勢いにも繋がるからだ。国が活気に満ちれば商売もまた軌道に乗るのは必定。
とはいえ、商人には商人なりの別の思惑も存在しているのだが……。
そんな『トシューラ七武勇』……一年に一度情報更新されるという。しかしながら、そうそう新たな実力者が出現することは少ない為に前年度と同じという状態も少なくない。
しかし近年、変わったのは五度と比較的に多い。
かつて【七武勇】に名を連ねた近衛騎士筆頭デルメレア・ヴァンレージは、彼は恋人のセラをトシューラ第一王子に傷付けられて離反……反逆の大罪人という汚名を着せられた。結果、国の英雄という立場も消えその名を削除される。同時に……デルメレアに国を出るよう促されたギルデリス領主カインも【七武勇】から除外されている。
空いた枠二つに入ったのは『鋼鉄ブロネイト』という戦士と『鏡身トートル』という拳闘士だった。
他の交代劇としては勇者フォニックの名が挙がる。前シウト国王ケルビアムの退位劇にてフォニックの名を逆利用されたことが原因だった。
元々架空の勇者であるフォニックだがトシューラ国からシウト国へ移ったという体で番付けから削除されることとなった。
空席に名を連ねたのはフォニック騎士団、もとい傭兵団長ルフィアン。しかし彼はカジーム侵攻の際に命を落とし短期間で除外された。
その際に新たに番付に加わった者こそスタグメリント領主エメラダである。
それまでエメラダは領主の後継ぎとしての役割を優先していた為に目立ちこそしなかったが、新領主となった際に王都剣術大会優勝の過去が明らかとなり名を馳せることとなる。
因みに現在、名を連ねている領主はエメラダのみ。トシューラ国の領主の半分は武勇に優れず、残る半分は武勇による栄光に興味がない。エメラダ自身も力を示すつもりは無かったが、噂が当人を置き去りにするのは常……といったところだろう。
「やっぱり手合わせの旅かぁ〜……。ハハ…ハハハ……」
「何の話だ……?」
「いえ、こっちの話です。……つまり、エメラダさんは凄腕の剣士ということで間違いはないと?」
「ああ。剣さばきは俺も見ているからな……。彼女が参加した大会は確かに粒ぞろいの年じゃなかった。が、それでも実力者は確かに居たよ」
かつて第一王女アリアヴィータ付きだったボナートは王都での剣術大会も観戦していた。勿論、ただ惰性で観ていた訳ではない。優勝者を派閥に取り入れれば仕えている者の王位争いに大きな糧と成り得るからだ。
同様の理由で、結果が振るわずとも才覚ある者を見抜くことができればドレンプレル領に勧誘し領地の地力を底上げすることができる。ボナートは存在特性の影響故かより強い者を直感的に感じ取ることができた。その為、領地強化に大きく貢献していたことを殆どの者は知らない。
「それでも正直、お前が負けるとは思っちゃいない。でもな……何事にも絶対はないだろ? 敵地で眠っちまう程の疲弊状態なら尚更だ。油断はするな」
「そうですね……。ありがとうございます」
ボナートへ感謝を述べたライはエメラダへと向き直る。どうやら待っていてくれたらしく、剣先は下ろされていた。
「お待たせしました。それで……場所はここで? それとも移動しますか?」
「その前に返事を聞かせて貰おう。勝負を受けるか否か」
「勿論、受けますよ。寧ろ願ったりですし」
「何……?」
「まだアバドンは倒せてないんですよ。早めに追わないとなりませんので。その点、勝負なら手っ取り早いし」
「…………」
読めぬ表情……しかし、僅かだがエメラダからは憤慨の雰囲気が漏れる。
「つまり、私との勝負は短時間で終わると言いたいのか?」
「そういう訳じゃないですけどね。少なくとも、今からトシューラで俺がやったことの証拠を揃えてあなたを言葉で納得させ丸め込むよりはずっと早いでしょう?」
「……。成る程」
エメラダはその通りだなと自嘲した。
「ということなので早いほうが助かります。場所は……」
「ここで良い」
エメラダが手を払う仕草を見せると家具は一斉に押し退けられ部屋の隅へと押しやられる。領主の部屋は本格的な手合わせにやや狭いがそれなりの広さを確保された。エメラダが存在特性を使い熟している故かかなり汎用性が高いことが分かる。
「周囲への音は私が防ぐ。存分に剣を振るって貰おうか」
「分かりました」
ボナートが預かっていた愛刀・頼正を腰に差し抜刀。それに合わせてエメラダも剣を構える。
互いに半身──。右片手中段のライに対し、エメラダは腰を落とし剣先に片手を添えるやや中段下寄りの構えだ。
(刺突主体の剣……? 部屋の中だからか?)
エメラダの剣はやや細身ながらライの小太刀より長い両刃の長剣。本来の戦い方は分からないが太刀筋の変化にも気を付けてばならぬだろう。
そして……珍しく先に動いたのはライだった。
「こちらから行きます」
「……来い」
身体を僅かに右に、それから左へと揺らし再び右へ……。次の瞬間、ライは身体を右回転させ刃を振るった。
(この距離から……? 流石に届くまいよ)
仮にも領主の執務室。天井も高く飽くまで格技場よりは狭いというだけで熟練の剣士が剣を振るうには充分な広さである。後退しライの剣を回避する空間も存在する。前に出している剣や腕には当たるが身体には届かないという距離……捌けば問題はなかった。
エメラダは名を馳せる剣士。警戒を怠らず念の為に剣の届かぬ位置まで身を引いた。
が……ライの太刀筋は変化する。左足を軸に背面側へ身体を回転させる際、踏み込みが加わる。遠心力を利用した脱力した腕は鞭のようにしなやかだった。加えてライは、柄の中程を握っていた手を柄尻近くへと持ち替える。太刀筋は想定より伸びエメラダへと迫った。
(間合いを伸ばす奇襲の剣か。だが、その程度の技が私に通用すると思うな)
エメラダは刃を往なした後の反撃を瞬時に判断する。剣士としては常道……体全体を使った比較的大振りの技はその後の隙も大きい。空振り、若しくは往なせば体勢が崩れるのは目に見えている。
脅威存在と言われる者も制限を掛ければこの程度か……と、やや辟易としたものの油断せぬ心構えはエメラダには染み付いていた。
だからこそ……この時点で手合わせは終わらなかったと言って良い。ライの技の更なる変化にエメラダは対応できたのだから。
【華月神鳴流・
通常、無理に太刀筋を変えることは技を殺すことに繋がる。たとえ変幻自在な斬撃でも威力は格段に落ち浅い傷しか与えられない。それは技としての意味を失う。
これを避ける為に《紆曲蛇尾》は関節と筋肉の柔軟性を求めた。そしてもう一つ。重要なのは筋力の使い分け。
刀を離さぬ強靭な握力を保ちつつ手首や関節の柔軟さを維持。しかしながら振り抜く筋力と衝撃への耐性は失わないギリギリの領域での筋力操作。
それを為すことができても完成ではない。剣の軌道を変える為に肘、肩、上腕といった箇所での筋肉を僅かに使用し揺れを生まねばならないのだ。
その結果──見守っているボナートには横薙ぎの剣閃が急に波打ったように見えた。離れた位置からでさえそれである。エメラダはさぞ意表を突かれたことだろう。
「!! ……っ!」
金属同士が交差した甲高い音が室内に響く。
エメラダは巧く剣で往なすことができたものの思いの外斬撃が重く持ち手を弾かれた。その為体勢を崩され“後の先”を取ることができなかった。
「……。奇妙な技を……。それは貴公の流派の技か?」
「そうですよ。お察しの通り奇襲技です。あんまり使うと肘を壊すらしいので滅多にやりませんけどね」
「…………」
間合いが程々に空いた相手への奇襲技。《紆曲蛇尾》の使い所は然程多くないが一つ効果がある。
「成る程……。間合いを警戒させるのが目的の技か」
「今のでそこまで分かりますか……。流石ですね」
「それだけではないな? 貴公……対応できるか私の力量を見ただろう?」
「アハハ〜。スミマセン」
ライは悪びれもせずに笑う。エメラダには逆にそれが恐ろしく感じた。
(今の技一つとて並の者では対応しきれまいな。その証拠に……)
咄嗟に両手で剣を持ち斬撃を往なしたエメラダ……だが、その手は僅かに痺れている。《紆曲蛇尾》は見た目以上に強い技だった。
(まるで縄を付け振り回した大剣の一撃。それも技の研鑽によるものなのだろう。脅威存在は力押し……という考えも改めねばならぬな)
或いはそれを気付かせる為の技だったのかとエメラダは考えたが今はどうでも良かった。
剣士というものは本質負けず嫌いである。噂に聞こえる『脅威存在ライ・フェンリーヴ』ではあるが、純粋な剣技のみでの戦いならば勝ちたいと思うのは至極自然なこと。エメラダもその例には漏れていなかった。
強き者との対峙は自らの糧となる。あわよくばこのまま倒したいという気持ちもあるがほんの僅かなものだ。
故にエメラダは……領主としての役割を一時的に忘れることにした。技を受けたことにより剣士としての意志が昂ったのだ。
「ここからは一剣士としてお相手願おう。今の技は私を焚き付けるのも狙いだろう?」
「さて……どうでしょうね」
「フッ。まあ良い……オルターグ戦刃術、エメラダ。参る」
「華月神鳴流、ライ。受けて立ちます」
エメラダは先程と同じ構えながらやや前のめりの姿勢。対するライは正眼に構える。
二人はそのまましばし動かず対峙していた。と言っても微動だにしない訳では無い。揺れる剣、足のにじり、視線の動き、果ては些細な筋肉にさえ反応し互いの動きを牽制している。
剣の達人ともなれば僅かな機微から数手先の剣撃までも予測する。今、ライとエメラダの間で起こっているのはそれだった。
時間としては湯が湧くほど。だが、思考の内の二人はそれこそ無数の打ち合いを行っていた。仮想とはいえ集中状態である故に長く感じる剣撃。その疲労は確実に蓄積されていった。
やがて──短くも長い対峙に痺れを切らしたのはエメラダだった。
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