第七部 第十章 第二十五話 翠玉色の髪


 ライとエメラダの勝負に然程の時間は掛からなかった。


 圧倒的な勝利という訳ではない。時間こそ短いが勝敗に至るには剣士しか分からぬやり取りも行われている。それを含めれば十分な激闘だったと言えよう。



 初手、エメラダが踏み込んで放ったのは多段突き……更に、突き出した状態からの片手薙ぎ払い。コレを寸で躱したライは下段からの斬り上げでエメラダの手元を狙う。しかし、それは誘導されたもの……エメラダは右足を軸にし弧を描くように身体を移動させライの右手を掴んだ。その状態で行われたのは“崩し”である。


「!?」


 だが、ライは体幹を乱される直前即座に掴まれた腕を刀から手放し“崩し”に対応。僅かな腕の捻りと体移動で逆にエメラダの体幹を乱す。そしてすかさず肩での体当たり……が、エメラダは身体を捻ることで衝撃を受け流しつつライとの距離を取った。


(今のは”崩し“か……)

 

 それはディルムとの手合わせで使われた意表を突くものと違い剣技の中に淀みなく組み込まれていた。導き出される答え……つまりエメラダの戦い方は剣技のみで戦う正当剣術ではなく、剣と格闘術とを融させた戦場の剣と推測できた。


(いや……。自らを剣士と名乗ってたから剣術寄りの戦闘スタイルかな。接近戦を格闘技でも対応できる……華月神鳴流に近いのかも)


 離れたエメラダは再び間合いを詰めての突き。上下バランス良く相手の意識を散らしつつ隙を狙うが、ライはこれを往なし躱し反撃の突きをも交える。

 互いに大振りは行わない。最小限の動きで相手を翻弄し効果を得るのがエメラダの剣術のようだった。


 そして……幾度か突きと薙ぎ払いを交え再び距離を取ったエメラダは深く深呼吸の後、三度目の突進を見せる。


 やや下方に下げ懐に抱えるように剣を前に出した体当たりに近い突き……かと思えばライの間合いに入る寸前剣先が伸びる。左足元を狙うこれをライは半身で躱した。

 だが、そこから剣筋は変化しエメラダの剣は下方から爆ぜるように跳ねた。


 斜め下からの高速斬り上げ。これも躱したライだがエメラダの攻撃はもう一段変化を見せた。上に伸びかけた剣筋は半円を描き右袈裟斬りとなる。反射的に刀で受けようとしたライだが、振り下ろされた剣は軽い衝撃と共にぬるりと小太刀の刀身を撫でエメラダの懐に引き戻される。

 そこから放たれたのは回転を加えた超高速の刺突。辛うじて上半身を反らしたライは軽業師のように身を背後へと反転させ難を逃れた。


「……。今のも躱すとはな……流石は脅威存在といったところか?」


 否。躱しきれた訳では無い。ライの服の胸元は裂かれ一筋の赤い筋が浮かんでいる。深手ではないが確かに剣は届いていた。


「…………」

「何か言いたげだな」

「いえ……。スミマセン。正直、侮っていました。謝罪します。そして感謝を」

「感謝……?」

「ええ。最近、たるんでました。剣の道は険しいと忘れていた。でも、エメラダさんのお陰で目が覚めました。そして……強き剣の使い手との出逢いにも感謝を」


 ヒイロの解放以後、これまで手合わせとして戦ったジャック、ディルムの両名は全ての力でライに食らいついてきた。両名は既に半魔人を超えており、しかもノルグー領にて頼れる人物であることも見ていたことも大きいのだろう。油断でもライを一瞬でも上回ることは当然だろうと思考の何処かで納得していたのだ。

 しかし、エメラダはそういった先入観とは別……。半魔人化している訳でもなく確かな技量でライに一太刀浴びせたのだ。


「ここからは本気でお相手します」


 途端……部屋の中の空気が変わる。それまで温かな日差しの中に居たような執務室が冬の外気の様に張り詰めた。


「……。フッ……。本気になると笑うのか、貴公は?」

「笑ってますか、俺?」

「ああ。いや……恐らくは私も笑っているのだろうな」


 領主としての立場ではなく一剣士として立ち会いに喜びを感じる……。剣士とはかような人種かとエメラダは改めて笑っているのだ。


「では、続きと行こうか」

「ええ。今度は俺から行きますよ」


 ライの行動は先程のエメラダ同様の刀を抱え込んだ前のめりの突進。そして下段斬り上げからの右袈裟斬り……。それはエメラダの動きをそっくり模倣したものだ。


(……。一目で真似るか。が……)


 袈裟斬りの刃が交差する際エメラダはその身を大きく反らし斬撃を躱した。それは通常では大きな隙となるものだが次の瞬間、ライの死角から長剣の突きが伸びる。頬を掠めた突きは更に薙ぎ払いとなり、倒れつつ躱したライは床に左手を着きその腕力で大きく後退する。


 再び間を空け対峙する両名。ここでライはようやくエメラダの強さの秘密を理解した。


(大体戦う者に柔軟な身体や筋肉は必須なんだけど、エメラダさんのはそんなレベルじゃないな……。どんな体勢でも体幹と柔軟性……恐らく水に浮かべた空樽の上に片足立ってもかなりの斬撃が放てるかな。しかも緩急の使い分けが凄い巧い)


 成る程、並の剣士では翻弄されるであろう技巧と柔軟さをバネに変える剣という組み合わせは驚愕だ。前者は剣術流派、後者はエメラダの持つ才能なのだろう。それが見事に作用し相乗効果を生んでいる。


 ライは素直に心の中で称賛した。


(これ程の剣士が居るってことは【七武勇】ってのは案外正しい情報なのか……。後でティムに聞いてみよう。だけど、そうなると大きな戦いになる前に睨み合いってのも少し厳しくなるかもな……)


 考えてみればトシューラは大国──しかも、侵略国家なのだ。国家体制にお粗末な部分はあれど戦力という一点に於いては他国との練度も意識も違うと見て良い。

 ましてやベルフラガ……ならぬ、べリドが様々な研究結果を残している以上大国相手への切り札は存在していると考えられる。


 もし、それが魔人級となれば通常の兵士では足止めにさえならないのは火を見るより明らかだ。同等の戦力を当てるにも各国の実力者も限られてくる。必定、ライが動かねば対応が厳しくなると思われる。

 【七武勇】達の意向は不明ながら列挙されていたカインやデルメレア、そしてエメラダの様な者達が相手となると戦いはより厳しいものに成り得るだろう。


 そして一番の懸念──それは女王となったルルクシア。彼女自身が半精霊格以上となっていることは確認済み。しかし、パーシンはルルクシアの智謀こそ警戒すべきなのだと口にしていた。


(今からトシューラの勢力を詳しく調べる時間はない……。先ずは迫る危機を片付けてからだ)


 その為にも先ずエメラダとの決着を付ける必要がある。これでライを更に警戒するようになれば少なくともスタグメリント領は牽制される筈だ。あわよくばドレンプレル領のように理解者側として引き入れられれば被害も抑えられるかもしれない。


 そうとなればライの行動は早かった。


 三度目の突進は両者ほぼ同時──。エメラダは左右に身体を揺らしつつの多段突き。これに対しライが合わせたのは上回る数の連続突きだ。


 華月神鳴流・《菊花》


 一瞬で放たれる無数の突きは放射状に広がり菊の花の様な残像を残す。目の前に現れた刃の壁にエメラダは足を止めざるを得ない。が、次の瞬間には片膝を突いた体勢のライがエメラダの視線の下に現れる。そして放たれるのは居合の一撃──。


 華月神鳴流・《梅花》


 刃を鞘に納め低い体勢からの閃撃は縦に弧を描く抜刀術。腕の振りと手首の返し、加えて腰と膝のバネを利用し鞘で加速された刃はエメラダの直剣をかち上げる。懐に大きな隙が生まれたが天性の体幹により体勢が崩れないエメラダは、直ぐ様刃を振り下ろすことで対応した。


 が……《梅花》は多段技。一撃目の居合いの後、直ぐ様手首で刀を返し再び小さな縦の弧を描く。流石のエメラダもこれには反応できず右手首を峰で打ち付けられた。


「ぐっ……!」


 それでもエメラダは諦めず距離を置こうとしたがライはその隙を見逃さない。跳ねる様に間合いを詰め未だ剣を持つエメラダの左手を掴み肩に担ぐように投げた。

 大抵の者はこの投げに反応できずその身を床に叩き付けられるだろう。しかしエメラダは異常とも言えるバランス感覚により身を捻り着地した。


 だが……既に眼前にはライの刃が迫っていた。


 華月神鳴流・《飛瀑流刃》


 縦一線に振るわれたのはあらゆる障害を叩き斬る豪剣。この技は『斬る』ことではなく『叩き斬る一閃』に特化した技であり【奥義】を除けば最も威力が高い。当然、片手しか使えぬエメラダでは止められない。


 小太刀・頼正はエメラダの長剣を難なく叩き落とし仮面に当たる寸前で止まっていた。回避できなかった時点で決着は付いていたのだ。


「……私の敗けだ」


 その言葉を確認し納刀したライは手を差し伸べた。手を取ったエメラダには回復魔法が掛けられ負傷も疲労も立ち所に消え去った。


「痛いところとか無いですか?」

「……いや、問題無い」


 打たれた右手が痛みもなく動くことを確認したエメラダは何か思うところがあるらしく、小さな溜息を吐いている。


「……私は手加減されたのだな」

「いえ、そんなことは無いですよ。かなり僅差だったと思いますけど……」

「世辞は結構だ。……最後に剣を合わせた時、私は三度は死んでいた。違うか?」


 一度目は《梅花》……。あの技は最大三連の弧を描く斬撃だとエメラダは見抜いていた。ライが真剣で三度目の切り返しを行っていた場合、エメラダの腹部……または腕は斬り落とされていただろう。

 二度目は肩に担いで投げた際のこと。投げ方によってはエメラダでも無事な着地は果たせず首を折られていた。


 そして三度目の《飛瀑流刃》は止めねばそのまま頭蓋を叩き斬れることは確実だ。


 しかし、このエメラダの言葉にライは首を振った。


「それは飽くまで一連の流れでの三撃ですよ。死体に二度当てても死んでるから実質一回です。真っ当にもう一度手合わせしたら同じ隙は突けないですからね」

「…………」

「納得できないですか?」


 そもそも地力が違うのだ。ライは素でもその肉体機能は人間を超えている。反射速度も膂力も上回る相手に半ば互角近く打ち合ったエメラダはそれだけ手練れだったことを意味していた。


「多分……もし体格も力も同じならもっと長く戦うことになったと思います。なので、今回は卑怯かもしれませんが力押しだったと思って下さい」

「いや……それが普通なのだ。世に遍く者は生まれた時点から誰一人とて平等ではない。体格も性別も含め、それを受け入れ技と成すのが剣の道」

「エメラダさんの凄いバランス感覚もそれ由来……ですよね」

「その通りだ」


 エメラダは長剣を拾い鞘に納めると顔を覆っていた仮面を脱いだ。露わになったその顔は苛烈な剣に似つかわしくない穏やかな顔の美女。


 そして何より目を引いたのはその髪の色──。


 光の反射するエメラダの長い髪は翠玉色だった……。


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