第七部 第十章 第二十話 弱体化


 ライの思考よりも早く決断を下したのは偉大なる先人カラナータだった。


「カラナータさん。しかし……」

「迷っている暇はないぞ? 儂とて無辜むこの民が犠牲となることは望まぬ。とはいえ、現状では犠牲を減らす手は限られる」

「…………」

「あの魔法……《無空輪明渠》といったな。あれは正式な魔法手順ではなく概念力からの干渉で発生したとお前さんも気付いておるのだろう?」


 波動魔法であれ如意顕界法であれ魔法には違いがない。その構築から展開までには魔法式と魔力を必要とする。

 しかし、先程出現した《無空輪明渠》にはその過程が発生していない。無詠唱魔法でさえ魔法陣を利用するのである。過程が抜けている《無空輪明渠》は何らかの概念力による干渉から派生したと考えるのが妥当であることはライも理解していた。


「儂でも技を用いれば《無空輪明渠》は破壊できるだろう技はある。しかし、練度不足で無制限に放つことは出来んのだよ。それに問題はアバドン分体だ。今から分体を追って全てを蹴散らすには儂には手段が足りぬ。その点、お前さんならまだ間に合うと見たが?」

「……。ですが、アバドン本体は厄介ですよ?」

「なぁに……お前さんが神聖国へ来るまでの時間稼ぎ程度はできる。アチラにも対アバドンの戦力は控えておるのだろう?」

「…………わかりました。お願いします。但し、無理はしないで下さい。エクレトルならアバドンを封じる方法もある筈ですから協力を願います」

「分かっておる。まぁ、弟子の丁度良い鍛錬にもなろうから利用させて貰うとするさ」


 ニタリと笑みを浮かべたカラナータは直ぐ様表情を引き締める。


「理解したならば急げ! 手遅れになるぞ!」

「はい!」


 剣聖カラナータの言葉を信じたライは最後に魔力を込め《神遊盤戯領域》を発動。対象を包む暗き円柱は遊戯盤の駒の形状を構築し闇から光へと反転した。

 次の瞬間──天地の魔法陣で構築された魔法領域は塵のように消滅。内部に居たアバドン、そしてカラナータ達の姿も消えていた。


「どう……なった?」

『成功でおじゃるよ』

『主の指定した座標へ確実に送ったのである』

「ハハハ、流石だなぁ。ありがとうな……シロマリ、クロマリ。それとクロカナ……。後でご褒美を…………っ!?」


 その時、ライは全身から一気に力が抜けるのを感じた。崩れそうになった体勢を膝を突き辛うじて防ぐも力が入らない。

 続けて襲ったのは猛烈な頭痛と眠気……。ライは迷わず腕輪型空間収納庫から瓶を二本取り出し中の液体を飲み干す。


「ぐっ……ハァ、ハァ……! あ、危ねぇ……! まさか残った魔力全部持っていかれちまうとはね……」


 《神遊盤戯領域》の魔法式を構築していたのは聖刻兎達とクロカナではあるが、使用した魔力はライのものである。アバドンとの戦いで減っていた魔力、如意顕界法の完成までに研鑽に使用した魔力、そして先程の魔法展開……。戦いで消耗したとはいえそれでもまだ膨大な魔力がギリギリの状態だった。


 久々の魔力切れという負荷を補う為に飲んだのはラジックが再現したという『回復の湖水』……フェルミナが封印されていたあの泉の水の複製品である。お陰で全快とまではいかないが昏倒を防ぐことはできた。


「……。一回の魔法展開でこんなに消費するんじゃまだ使い勝手が悪いな。もっと効率を良くする為に魔法式を見直さないと……」

『ガ〜ン、である!』

『ガ〜ン、でおじゃる!』

『ガ〜ン……!』

「…………。っと。そ、そんな場合じゃなかった。今はアバドン分体を……」


 シロマリとクロマリに続いてクロカナの言葉が聞こえた様な気がするが敢えて触れない勇者さん。そんなことを突っ込んでいる余裕もないのが本音である。


 この間も《無空輪明渠》からはアバドン分体が溢れ出している。休んでいられるで状況ではない……それはライ自身も理解していた。


 しかし──ライのその身は鉛のように重かった。


 体力・魔力共に程々には回復している。だが、身体の気怠さが重くのしかかったまま……。加えて、手は若干震えている。


(クソッ……。ヤバいな。これはベルフラガとの戦いの時に起こったヤツの影響か……?)


 存在疲弊による限界……。先程アバドンとの戦いの中で使用した制限超過の分身。その負荷は魔力切れという状態が発生したことにより肉体にも疲弊を与えたらしい。

 それでも……泣き言を言っている場合ではないのだ。まだ力の入らぬ手で足を叩きその身体を奮い立たせた。


「……。フゥ〜……。こういう時は焦らず集中……でしたね。リクウ師範」


 剣術と柔術……その修行の過程で窮地の際の心構えを叩き込まれているライは、己の身体をより把握し無駄を削ぐことに意識を費やした。

 それは魔法でも概念力でもない人の持つ胆力。負荷を抑える為に力の抜きどころを確認し、可能な限り最小限の動きに絞る。その上で魔力による補助を形成し一先ずの行動維持に努めた。


「取り敢えず制限はあるけどこれで動けるか。急いで《無空輪明渠》とアバドン分体を潰さないと……」


 再び抜き放った愛刀・頼正を手にライは滑るように地を駆ける。瞬く間に《無空輪明渠》の真下まで辿り着くと跳躍と共に神威自在たる魔法を斬り裂いた。

 続け様に放ったのは神格魔法 《崩壊放射光》──その身から放たれた消滅の光線は周囲一辺半里に存在するアバドン分体を穿ち滅ぼした。


「取り敢えず元は絶ったけど、先に出た奴等を何とかしないと……」


 ライの《千里眼》はアバドン分体の動きを俯瞰して捉えている。しかしその動きは均等になるよう放射状に散開していた。

 これは明らかに意図されたもの……アバドンは徹底してライの疲弊を狙っていることが分かる。


「あの野郎……本当に底意地悪いな。仕方無い……」


 あまり使用したくはなかったが制限である五体を超えた十体もの分身展開。だが、これがライにとっての再びの悪手のなる。


 分身纏装を展開した途端、身体に電流のような痺れが奔る。堪えられぬ程ではないが間違いなく負荷は大きい。

 とうとう竜鱗装甲アトラの提示した制限内でさえも存在を蝕み始めた……ライ自身もそれを即座に理解した。


「ぐ……。アトラのありがたみが身に沁みるよなぁ……。分身もこの先ロクに使えなくなりそうだ」


 存在疲弊は確実にライを蝕み、そして破滅へと進んでいる。それでもライは止まらない。ただ悲劇に飲まれぬ為に……己が身を削ってでも前へと進む。

 周囲の者が異常にさえ感じるそれは魂から湧き出る欲であり、真の意味では善意からのものではない。結果として善行となっているに過ぎないのだ。


 しかし、欲であるからこそ責務や義務よりも遥かに強く不変である。それが幸運竜ウィトがかつて望んだ力であることは間違いはない。


 但し、理由それだけではない。余りに強力なその欲は優しき幸運竜の願いにしては苛烈過ぎるのだ。


 時が経つにつれ強くなる救いたがる願望にはまだ秘密があることを当人は理解していない……。



 そしてライは、大きな負荷に堪えつつも分身を転移させアバドン分体を追う。ライ本体は不測の事態に備え移動は行わず大地に座禅を組み目を閉じた。


(何とか間に合う……か?)


 ライの分身達は先回りの形でアバドン分体を取り囲んだが、迎え撃って終わりという単純な話ではない。空と森の中、そして地という立体的な位置取りを考えれば全てを倒すことはかなりの労力を要する。一体でも後ろに抜けられることは犠牲に繋がる程に近隣の集落が近付いていたのだ。

 更に……多数のアバドン分体の中には数匹の色の違う個体が加わってた。ライが警戒していたのは明らかに魔力の多いその個体である。


(……。やっぱり只の分体じゃないんだろうな……)


 本体ライは《千里眼》を用いて特殊個体の《解析》を行う。判明したのは魔力量の多さ、そしてその身体を構築する素材。


「クソッ! またラール神鋼かよ!!」


 《吸収》以外に特別な能力が与えられていた訳では無いが、強い魔力と破壊不能の外殻を持つ特殊個体はその前脚の鎌の一振りで瞬く間に街一つを蹂躙するだろう。何としても食い止めねばならない。

 しかもラール神鋼である以上、ライの《天網斬り》でも斬り滅ぼすことは難儀である。


「ちっくしょう……やってくれるぜ、全く。特殊体の数は全部で六体──時間がねぇ!」


 分身体の役割を侵攻防止に絞り防衛線を構築。更にライは遠隔にての契約霊獣の力を展開する。


 使用したのは鱗輝甲・リンキの概念力。ライ分身体を通し出現させのは輝く鱗……それをアバドン分体を逃さぬよう防衛線の壁を構築した。


「いけそうか、リンキ?」

『通常の分体程度であれば問題無く……。但し、ラール神鋼の個体は防ぎきれないでしょう』

「……了解だ。悪いけど普通の分体は任せた。俺は特殊個体を何とかする」

『承知』


 割り当ては、特殊個体には同数の分身六体で対峙し、残りを通常のアバドン分体殲滅に回す。侵攻を止める間に本体ライが一体づつ確実に倒しに向かうことにした。


 そうして始まった分体殲滅戦……これが想定より困難だった。その原因はライの能力減退──。


 過酷な戦いの連続と限界を超えた力の使用、そして存在自体への多大な負荷は遂に超越たる力にさえ影響を与え始めたのである。


「クソッ! 思うように力が入らない……」


 それでも並の者であれば辿り着かぬ領域であるライの力。時間が掛かっても確実にアバドン分体の数を減らしてゆく。

 だが、特殊個体はそうは行かなかった。故に早急に通常分体を殲滅し特殊個体のみを対象とすべく殲滅に加速をかける。


 その間にライ本体が転移により特殊個体の一体へ接近。不意打ち気味に《天網斬り》を放つもかすり傷さえ付かない。


(やっぱり駄目か……。だけど、アバドン本体との戦いで幾つか方法は考えた。折角だ。アバドンとの再戦に備えて練習台にさせて貰う)


 アバドン分体に魂が無いことは《解析》にて既に理解している。分体達の状態はライの分身と同様に一つの意思を元に動いているのだ。

 状態としては独立分身に近いらしい。要はコピーということになる。


 本来ならそれでも意思の確認を行うのがライである。しかし、これまでにない程の窮地である為に余裕が無かったことは言うまでもないだろう。


「先ずはコイツを試すか……」


 特殊個体へ放ったのは波動氣吼法……但し、その出力は相手の被害を考えぬ最大出力。それを波動吼・《鐘波》の要領で内部へと叩き込んだ。

 結果、特殊個体はその身体の動き止めた。


「う〜ん……。生命活動は止まってないからまた動き出すな、これは……。波動は全開でも生命活動を止めるまでの威力はないのか。良し、次だ」


 続けてライは《物質変換》により金属球を手元に創造。そこから極細の金属の糸を伸ばす。そのまま糸を停止している特殊個体の関節部に潜り込ませた。

 次の瞬間……アバドンの特殊個体は外殻を残してバラバラになった。まさにもぬけの殻である。


「良し。これなら負担も少ない……いけるな」

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