第七部 第十章 第十九話 好転と暗転と


 アバドン本体に展開されていたものと《瀑氷壁》外部に展開されていたもの、二つの《無空輪明渠》が同時に消滅するのを確認した瞬間……ライは遂に己の講じた策を開始する。


 先ず行ったのは波動氣吼の最大展開──。小太刀・頼正を素早く納刀し両手に纏った波動氣吼を《瀑氷壁》一杯になる様に広げた。そして掌の様な形状を構築するとアバドン本体を包み込む様に捕らえる。


(ぐ……! さ、流石に最大出力はキツイか……!)


 アバドンは魔獣……魔力体化し逃れてしまうことを防ぐには吸収されぬ力が必要だった。加えてその超巨体を取り押さえるにも抵抗に耐えうる強度が必要となる。必然的に選択肢は決まっていた。


 だが──。


『今更私を取り押さえるか……。しかし、この状態……いつまで保てるかな』


 巨体なだけあってアバドンの純粋な膂力はとてつもない。結果、ここでも拮抗し辛うじて逃さぬ状況が生まれる。


 そしてアバドンは、この状況を油断せず観察していた。押さえ込むだけならば初めから仕掛ければ良いのだ。そこで何か策があるならばライは一気に決着に持ち込めば良い。実のところ最初はそれを警戒もしていたのである。

 しかし、共に大きく疲弊した状況での行動となると話は違ってくる。


(恐らくこの時点までに何らかの準備が整ったと見るべきか……。私を押さえているのは発動に時間を要する為……そして同時に、効果範囲も制限があるのだろう。《無空輪明渠》を取り払ったのは外部へ被害を継続させぬ為の処置……)


 現時点でライが残している奥の手は半精霊化と【神衣】──しかし、そのどちらも使えぬことをアバドンは知っていた。【情報】として得ていたこともあるが、先程 《無空輪明渠》を発動した際に咄嗟に使わなかったことから使用不能状態にある……若しくは使えるが反動があることを見抜いたのだ。

 事実、分身体が五体を超えた時点からライの動きは格段に悪くなった。アバドンの中には結論が導き出されていた。


『良くやるものだ。その体はもう限界で悲鳴を上げているのだろう?』

「……。さぁて、どうだかね……」

『クックック。まぁ良い。まだ隠し種があるならばじっくりと観察させて貰おう。私の更なる進化の為にな……』

「なら……遠慮なく行くさ」


 丁度その時、外側ではカラナータ達が残っていたアバドン分体を殲滅し終える。それを待っていたかの様にライは《瀑氷壁》を解除した……。


『む……』


 そしてライは高らかに叫んだ。


「頼んだぜ! 俺の頼れる仲間達!!」


 ライの声に呼応し天の光は暗い闇に閉ざされる。いや、天だけではない。地にも暗き闇が出現した。


 それはアバドンを覆い隠せる範囲に広がっていた。良く見れば暗くなった原因は魔法陣……発生した魔法陣は黒き円盤となっている。

 魔法陣は天地で平行に展開されライ達を挟む様な状況だ。更に黒き魔法陣の縁には同じく黒い雷の如き根が広がってゆく。やがて根は定着し細かい網で作り上げた円柱が出来上がった。


『これは……神威自在か。だが、お前は時空間属性の神威自在はまだ扱えぬ筈』

「ああ、そうだな。確かに俺はまだ使える波動魔法は少ないよ。だから頼んだ」

『頼んだ? 大聖霊メトラペトラ様の助力か』

「ハズレ。アバドン……進化ってのは誰もが

持ってる可能性なんだぜ?」

『何……?』

「これは種族を超えた者達の協力で生まれた魔法。お前を止める為にな」


 ライの狙っていたのは初めから神聖国へのアバドンの移送。だが、その吸収能力により通常の転移魔法では阻害・無効化されてしまう。加えて神聖国側の指揮権がペスカーにある以上、結界解除のタイミングも上手く合わせられない可能性もあった。

 だからライは全ての障害を無視し目的地へ対象を送る方法を模索した。それを行える存在、そして行える可能性がある者達が自分の傍にいた事も答えへの近道となった。


 【如意顕界法・神遊盤戯領域】


 それはライの契約する聖獣と精霊が協力し編み出された魔法──。


 時空間特化の聖獣・聖刻兎、クロマリとシロマリ。そして同じく時空間精霊だと判明したクロカナ。ライはその三体に魔法の合成を依頼した。

 メトラペトラの《心移鏡》の様に事象神具の結界さえ飛び越え、対象を確実に目的地へ送ることのできる魔法……。ライも使えぬそんな魔法も聖獣と精霊が力を合わせればできると信じて託したのである。


 聖獣や精霊では神威自在の領域には遠く及ばない。しかし、それは通常ならばの話である。

 事を成せたのは特殊な聖獣である聖刻兎、そして非常に稀なる時空間精霊という二つの存在が、ロウド世界の特異点とも呼べるライと契約を結んでいたからだ。


 無論、如意顕界法の修得は容易なことではなかった。準備に至るまでに聖刻兎達とクロカナは、ライとの契約印を通し魔力供給を受け何度も魔法の研鑽を行っていた。

 ライの補助による思考加速と術式構築、そして精査……。それでも魔法が完成に至ったのは奇跡と言って良い確率である。


 そこにあったのは【幸運】と【進化】という二種の存在特性であったことをライも気付いていない。



 だが……アバドンにとってそれは到底納得のできるものではない。


 大聖霊であるメトラペトラは創世神ラールの分け身である以上、神威自在が使えても理解はできる。その契約者たるライも同様……。しかし、それ以外の存在が如意顕界法を使うことは神の領分を穢されている……そう感じたアバドンは激昂した。


『不快……そして不遜! 低劣なる者達が神威に手を掛けるなど断じて赦せぬ!』

「お前……そういう自分勝手なところはしっかり魔獣だよな。でもな……。低劣なる者達なんて誰が決めんのさ? この世界に在る者は神の意志で誕生したんだろ。なら、皆んな神の子供達だろ……? アバドン……お前の言ってるのって子供の駄々に聞こえるぜ?」

『何だと……?』

「自分だけがおやに愛されてるんだ、自分が一番特別なんだ、ってな」


 会話の間にも如意顕界法は完成に近付いている。アバドンは憤りの中、轟音を伴う金切り声を上げた。


「無駄だよ。もうお前がここから逃げる方法はない。場所を移した後で決着付けてやる」

『フ……。クク……ハハハハハ! ライ・フェンリーヴ……お前はどこまでも想像を超える。だが、同時に果てしなき愚者でもあるな』

「まぁ、利口な性格じゃあない自覚はあるよ。で……それ、負け惜しみか?」

『フフフ……。お前は私の感情を掻き乱し、そして昂らせる。気付いていないことは憐れでもある』

「……? 何を言ってる?」

『教える義理はあるまい。直ぐに分かることだ』


 アバドンは抵抗を止め大人しくなったがライは波動氣吼による拘束を解除しない。確実にエクレトルへ移送することは決着への最低条件である。

 やや如意顕界法の展開が遅いのは編み出したばかりの魔法である為。それでも確実にその構築は成った。


 魔法が完成したと同時にライは念話にてカラナータ達へ呼び掛ける。即座に三人はライの下へと集った。


「このままエクレトルへ飛びます。皆さんは本当に良いんですね?」

「先程も言うたが儂としてはその方が楽なのだ。遠慮なく連れて行ってくれて構わんよ。無論、この者らも同意見だろう」


 ライが視線を向けるとアウレル、そしてロクスは頷いていた。


「分かりました。……。エクレトル側はアバドン討伐の準備をしているそうです。でも、できれば……」

「倒すな……か。どうやらお前さんは聞きしに勝るお人好しの様だ。しかし、どうするつもりなのだ?」

「もう一度封印します。その為にアバドンを疲弊させました。けど、その前に試したいこともあるので手伝って貰えると助かります」

「良かろう。この先、お前さんの住まいで少しばかり厄介になるつもりなのでな。駄賃代わりではないが最後まで付き合おうか」

「ありがとうございます」


 礼を述べた後、ライは波動氣吼によるアバドンの拘束を維持したまま両手を前へと伸ばした。右掌と左掌が上下から何かを挟むように形作ると光る球体が発生。聖獣契約印のある左腕と精霊契約印のある右腕、それぞれを伝い遠隔にて力の行使が行われた。

 これにより魔法領域内に存在する全てが仄暗き円柱に包まれる。当然、アバドンこそがその対象……天にも届きそうな巨大な闇の柱が森の中に出現した。


「さて、行こうかアバドン。続きは周囲にお前の被害が出ない場所でやろうぜ」

『…………』


 アバドンは抵抗を止め大人しくしたまま……。そんな様子にライの心中には僅かな不安が過る。しかし、《神遊盤戯領域》が発動した今あとは転移するのみ。波動気吼の拘束がある以上アバドンは逃げることはできない。



 だが、この時──ライは度重なる疲弊で繊細さを欠いていた。いつもならば見逃さぬ些細な違和感を確認せず、そして重ねての入念な確認を失念していたのである。


 ベルフラガとの因縁の決着から今に至るまで並の人間の一生では起こらぬ程の怒涛の連続……性分とはいえ自らを省みず行動したことが今になり影響した形となる。

 それでも……ライ本来の【幸運】であればそれさえ防ぐことができたかもしれない。ここに至り本人も気付かぬ精神の疲弊は【幸運】さえも翳らせた……。


「……。まぁ良いや。では……行きます!」


 ライが掌の光球に意識を集中すると魔法領域内の明暗が一瞬反転する。本来ならば続いて転移対象を包む暗き円柱のみ明暗が戻るのだが……そのタイミングでアバドンは高々と嘲り笑う。


『フハハハハ! 残念だったな、ライ・フェンリーヴよ! お前はこの地の被害を防きたかったのだろうが……徒労としてやろう!』


 次の瞬間、《神遊盤戯領域》の外側に出現したのは《無空輪明渠》──。一つのみだが、そこからアバドンの分体が溢れ出す様子が見えた。


「なっ……!?」

『ククク……。お前の使用している神威自在は借り物の力。加えてこれ程の魔法となれば魔力消費とて膨大……二度目は使えぬだろう? 残念だったな。ハーッハッハッハ!』


 《無空輪明渠》が何故突然発生したのか……ライは混乱したが今はそれどころではない。確かにアバドンの言う通り《神遊盤戯領域》を二度発動することはできないだろう。

 それはアバドンを転移させることだけを念頭に置いていたが故に起こった致命的なミスだった……。


 選べる選択肢は二つ……。ライはこれまでにない速度での《思考加速》を行った。


(クソッ……! 転移を取り止めてトシューラでの戦いを続行するか……。いや……アバドンの《無空輪明渠》は魔力消費も練りも無く突然発動した。多分、何かの概念力を使ったんだ。つまり、ここで戦ってる限り何回も起こる可能性がある。でも……)


 アバドン分体を放置すればトシューラ国は甚大な被害を受けるだろう。或いはその方がペトランズ大陸大戦は回避できるかもしれない。しかし、トシューラ女王ルルクシアはそんな事お構いなしに戦争を仕掛ける確信がライにはあった。

 何より……無辜むこの民の犠牲をライが許せる訳が無い。


(クソッ! どうする! 分身をここに残してアバドン分体を……)


 ライの思考は刹那の時間だった。だが、その結論が出るよりも早く決断した者が居た。


「構わん! お前さん以外全員を神聖国へ送れ!」

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