第七部 第十章 第十八話 魔獣故の感情


 先程アバドンの背中側へ回ったライは二体の分身を展開していた。一体はアバドンの光線を受け消滅した囮、そしてもう一体はライの姿を隠す為に魔法を使う役割だった。


 波動氣吼法は【神衣】同様に魔力や生命力の気配を感じさせなくなる。その特性を利用する為に分身体は瀑氷壁内部の視覚を乱す空間魔法を使用した。


 時空間魔法・《屈光迷彩鏡》


 それはガラスの破片のような微弱な魔力物質を展開し光の屈折を起こす視覚偽装魔法。意図した対象の距離感や方向を誤認させることで戦略を広げるが、アバドンの吸収能力とは相性が悪い。

 しかし、敢えてそれを使用したのはライ本体を気付かせぬ為。本物と思わせる分身体と空間を満たす微量の魔力を以て、気配を感じさせぬライ本体を隠したのだ。


 幻覚魔法では精神系にせよ投影系にせよ狭い対象の吸収で解除されてしまう。たが、空間内の視覚を撹乱すればライ本体の位置特定までに時間を引き伸ばせる。たとえ全ての魔力物質を吸収するとしても瞬時にとはいかぬだろうことも踏まえた策……。

 確かに使用した魔力を吸収し魔力を回復されることは痛手ではあるが、それでも確実にアバドンの隙を突き《無空輪明渠》を破壊することを選んだ。結果、ライは見事目的を果たした。


「残り二つだぜ、アバドン?」

『…………』


 ライの見立てではアバドンはそう何度も如意顕界法を使えない。魔力の問題ではない。如意顕界法と波動魔法は同等のもの──【神衣】同様に神域の力だ。

 それ程の大きな力を使うには練度が必要となる。たとえアバドンの進化速度が早かろうと今の時点では精々使えてあと一度だろう。



 そしてそれはアバドン自身も理解していた。地核付近で如意顕界法の知識を得ていたものの技能を掌握する余裕は無かったのが正直なところである。だからアバドンは己の魔力の底上げとラール神鋼を取り込むことを優先した。


 しかし……それでようやく均衡を保てる状態。ライ・フェンリーヴという存在の異様さにアバドンは己の知らぬ感覚に襲われた。


(……クックック。これは……愉悦の感情というものか)


 自ら進化しライを倒すことを目的としたアバドン。だが、ライは対抗するかの様にその力を進化させている。

 今戦っているのは誰に対して与えられた試練なのか……そう考えると益々アバドンの胸の内に対抗心が溢れてくる。


 それは穏やかな性質を持つ聖獣では宿すことができなかったであろう、熱にも似た感情……。だからこそアバドンは感情の答えを知りたくなった。


『面白いぞ、ライ・フェンリーヴ……。だが、私は止まらぬ。ラール様は今の私やお前をも予見していた筈……故に世界を滅ぼしラール様の期待に応えるのが我が意志』

「…………。そうかい。なら俺も最初の予定通りお前をぶっ飛ばして聖獣に戻してやるよ。但し、俺だけじゃなく、だけどな」

『不可能だ。たとえ人類が総出で来ようともな』

「それはこの戦いの最後に判るさ」


 言葉が終わると同時……残されていた二つの《無空輪明渠》の内一つが崩壊して消えた。この事態には流石のアバドンも理解が追い付かなかった。


『!? 何をした……?』

「何てことはないさ。散っていた魔力をお前に吸収し尽くされる前に遠隔でもう一体分身を作ったんだよ。それを消滅属性にしてお前の《無空輪明渠》に取り付かせただけだ」


 本来ならば【神威自在】の如意顕界法を神格魔法属性では打ち破ることはできないだろう。


 しかし、アバドンが使用している《無空輪明渠》は特に難易度の高い時空間属性が基となっている。時空間属性の如意顕界法はメトラペトラでさえも長時間の展開は難しく、転移魔法である《心意鏡》も展開するのは僅かな間としている程だ。

 だがアバドンはそれを長く、しかも複数展開している。そして研鑽・理解が足りないことにより《無空輪明渠》は神格魔法属性でも崩せる程に不安定となっていた。


 アバドンは情報を得ることで如意顕界法を識り獲得したものの、今のロウド世界に【神威自在】を使い熟せる者が不在な為に不利点までの理解には及ばなかった。『星の記録』に情報が残されていればアバドンがそんなミスはしない筈……故にライはアバドンの知識不足を突いたのだ。


 だが……そうなればアバドンもやり方を変えてくる。一つとなった《無空輪明渠》にのみ集中し魔法の安定を図る。更にアバドンの身体に付着するように展開されていた《無空輪明渠》を胸部付近に移動させその上をラール神鋼の甲殻で覆った。

 加えて、《瀑氷壁》の外に展開していた側の《無空輪明渠》を更に空高くへと移動させその輪を拡大させた。


『お前が魔力を放出してくれたお陰で幾分回復させて貰った。その返礼をしてやろう』


 その言葉と同時にアバドンが行ったのは分体の大量放出……。但し、今度の分体は飛行型。外の《無空輪明渠》から溢れるように四方へと飛翔を始める。


「クッソ! またかよ!」

『この方法がお前には一番効果的だと理解したのだ。使わぬ理由はないだろう?』

「お前っ……ホンっっトに性格悪いな、おい」

『魔獣とはそういうものだろう』

「そうかよ。でもな……」


 飛翔するアバドン分体はある程度の範囲から先へは行けず打ち倒されている。全方位に向けての移動にも拘わらず、である。


 頼れる援軍……カラナータ、アウレル、そしてロクス。ライの分身体も一体加わっているが、全員がその戦闘技量を用い尽くを葬り去っていた。


『…………』

「言ったろ? 皆でぶっ飛ばすってな」


 だが、アバドン分体の勢いは落ちることなく《無空輪明渠》から飛び出している。先程同様の物量での圧倒を狙っているのは明白だった。


 事実、カラナータはともかくアウレルとロクスには対応に遅れが出始めている。


「師匠……魔剣の使用許可を!」

「ならん。窮地にこそ成長を引き出す好機」

「ですが……」

「限界になった際は儂が少しばかり本気を出す。見極めはしてやるから死ぬ気で剣を振れ」


 跳躍を繰り返し剣を振るうロクスに対し飛翔にて交差しつつ発破をかけるカラナータ。その素早い動きでロクスとアウレルの倍以上のアバドン分体を屠っている。

 一方、アウレルは飛翔を行いつつ竜巻の如き勢いで大剣を振り回していた。


「なあ、カラナータの旦那よ。俺は弟子じゃねぇんだから飛翔魔法以外も使っても良いだろ?」

「駄目だ。アバドンとの戦いはこの後エクレトルでも続く。力を使い過ぎると疲弊で足手まといになるぞ?」

「げ……それは困るな。つってもなあ……今度の分体はちっとばかり素早いみてぇじゃねぇか。このままじゃバテてジリ貧になるぜ?」

「その前にライが何とかするだろう。打開する考えがあるのだろうからな……儂らの役割は邪魔をせんこととさせないことよ」

「そんなモンかねぇ……」

「それよりもだ。お前さんも練度が足りんのぅ……。新しく得た力に振り回されていてはいざという時に役には立たんぞ?」

「ぐ……。お、俺は元傭兵だから制限掛けられるのが慣れてねぇんだよ」


 完全な我流であるアウレルは、正確には剣術ではなく戦闘術と呼べる戦いが染み付いているのだ。

 ライに魔法知識を叩き込まれてからは魔法研鑽に労力を費やしてもいるが、意外にもアウレルはエレナとの時間を大事にしていて修練時間が少なめになっていた。


 検索不足の理由を聞かされたカラナータは生温い表情を見せる。惚気のろけと呆れたのではない。奔放で自分勝手な己の在り方が身につまされた気分だったのだ。


「う、うむ……。そういうことならば仕方あるまい。嫁は大事にせねばな……。ならばアウレルよ。意識の拡大と加速に慣れることだ。それでかなりの研鑽短縮になる。無論、使い過ぎはいかんがな」

「意識拡大と意識加速か……。ライにも言われたがまだ本格的に試してなかったな……」

「それは今は使わんでも良い。代わりに剣技のみで意識と身体のズレを無くすことに専念せよ」

「剣聖様の助言ならそうするか……」


 そんな会話をしている間もアバドン分体はしっかり抑え込まれていた。《瀑氷壁》の外に展開しているライの分身体はそれを確認すると、自らは広範囲の結界を張ることにした。

 カラナータ達が打ち漏らす可能性は低いが、何事にも絶対ということはない。そして、この後ライが策を発動すれば隙も発生する。そこを突かれて被害が生まれぬ為の予防策。


 使用するのは圧縮魔法の《氷壁陣》と《風壁陣》──波動魔法を使う余裕は無いので、アバドン分体を抑え込めるよう二重での展開を選択した。



「さて……残る転移魔法輪はあと一つ……それを破壊してお前を確実に閉じ込める。覚悟して貰うぞ」

『ククク……確実に、だと? その割には先程までよりも動きが鈍い様だな、ライ・フェンリーヴ』

「俺の疲弊はお見通しか……。だが、それはお互い様だろ?」

『では試してみるが良い。お前はまだ私を理解していない。それが人類の敗因となるだろう』

「じゃあ遠慮なく……」


 本体ライと本体アバドンによる対峙。だが、ラール神鋼の甲殻に隠された《無空輪明渠》は《天網斬り》を以てしても打ち破れない。角度を変えても隙が無く、魔法を用いて針の穴程の隙を通そうとしても《吸収》により無効化されてしまう。

 そこでライは波動吼・鐘波を強化した技を用いる。


 波動氣吼法・《響鳴槌めいきょうつい


 圧縮波動を波動氣吼という形で放つ技は、物理防御を無視し撃ち貫く。ラール神鋼の防御はただ波動氣吼を当てるだけでは傷付けることも敵わなかったが、波動本来の『対象の波動への干渉』という効果であれば充分通じると考えたのだ。

 そしてその推測は正しいと言える。波動であればラール神鋼といえど波動に干渉し何らかの影響を与えることも可能な筈なのだ。


 だが──結果は狙った通りとはならなかった。ライの放った《響鳴槌》は《無空輪明渠》まで届かなかったのである。


(チッ……。どういう能力か分からないけど概念力で防ぎやがったな。やっぱり恐ろしく勘が良いな、コイツ……)


 《響鳴槌》が当たる瞬間、アバドンは自らの概念力を展開したのだろう。波動は存在特性……つまり概念力と同種。これにより貫く筈の波動はラール神鋼の甲殻を通り抜けることなく分散してしまった。


「…………。何で俺の狙いが分かんだよ」

『狙いが判る訳では無い。しかし、通じぬ攻撃と理解した上で行動するならば、何らかの意図か副次効果が籠められていると考えるべきだろう。それを妨げるのはつまり、また相手が厄介だと感じる能力で間違いはない……違うか?』

「…………。ごもっとも」


 思考する魔獣というかつて無い相手にライは舌打ちしつつも内心賞賛した。だが同時に、これで《無空輪明渠》を打ち崩す手段は無くなってしまった……かに思われた。

 実のところ今の攻撃が防がれるのは想定内……。ライの本当の狙いは《瀑氷壁》の外側にあった。


 瀑氷壁周囲に結界を張ったライ分身体は最後の役割を果たす為に空高くへと飛翔。狙いは《無空輪明渠》の中……溢れ出るアバドン分体の中へ吸収属性纏装を展開しつつ特攻を掛けたのだ。


 取り込んだ魔力を圧縮しつつ《無空輪明渠》をくぐり抜けたその瞬間、分身ライは魔力物質化し暴発。するとアバドン本体の胸が閃光と爆音を放つ。

 《無空輪明渠》を覆ったラール神鋼の甲殻は破壊こそ出来なかったが、内側からの圧力で大きく口を開いていた。


 その奥に……《無空輪明渠》が崩れ行く様子をライは確かに視認した。

 

 


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