第七部 第十章 第十五話 潜入前日


「全く……落ち着きの無い奴だ」


 開け放たれたままの扉を閉めたロクスは申し訳無さそうに一礼すると再びリドリーの正面に座る。同時にカラナータはそれまでルーヴェストが座っていた席へ移動した。


「どうやらルーヴェストは焦れておるようだな」

「焦り……ですか、師匠?」

「うむ。恐らく勇者ライとやらに実力を離されたと感じておるのだろうよ。まだまだ若いがその心もまた成長の種となる。お前さんも覚えがあるのではないか、ロクス?」

「そう……ですね。確かにその通りです」


 ロクスにとっての比較の対象はルーヴェストだった。親類であり幼なじみともなれば尚の事だろう。

 幼き頃はまだ手の届くと思っていた存在であるルーヴェストはその後一気に勇者として成長を果たしている。ロクスはただ友として引き離されない様に必死だった。バベルの遺産を譲渡されたこともまた途中で諦められない理由となった。


 そんな焦りがあったからこそロクスは今の実力を手に入れたとも言える。


「何か助言すべきだったでしょうか?」

「その必要はあるまいさ。当人も理解はしておる筈だからな。アレもそれなりに苦労して今の力を手に入れておるだろう。いずれは自己解決する。但し……」

「……?」

「それまでに厄介な相手と一戦交えなければ良いのだかな……」


 フローラが新たに用意した茶をカラナータは笑顔で受け取り一息吐いた。


「それは……【黒蜘蛛】のことですか?」

「黒蜘蛛とやらがどのような能力かは知らんが、通常【魔獣】が相手ならばそうそう遅れは取るまいさ。儂の心配はもっと狡猾で卑怯を得意とする相手……。恐らくルーヴェストは今まで搦め手さえも力で捩じ伏せてきた……違うか?」

「…………」


 普段は雑なルーヴェストではあるが決して馬鹿ではない。その脳の処理速度は竜人としての変化も加わり魔人と同等の知性を獲得している。以前苦手と言っていた魔法も使えぬ訳ではなく、単に面倒という理由で使用しないだけである。

 実のところルーヴェストは、狡猾な相手に対しても臨機応変に戦うことも容易なのだ。相手が何か目論んでいること、そして相手の実力を測ることを可能とする『見抜く目』はルーヴェストにも宿っており、最適な対応として策を弄することもできる。


 それを行わないのは戦闘の在り方にある種の拘りを持っているからに他ならない。先程、黒蜘蛛の情報を拒否したことも同じ様な理由である。


「成長には信念も必要なのは確かだ。だからその辺りは儂も悪いとは言わん。ただ、如何せんあれだけの力があると大体は押し通ってしまえるのだろう。そうなれば同レベルの難敵と出遭って苦戦した経験を殆ど積めておるまい」

「確かにそうですが……そんな相手が存在するのですか?」

「さてな……。だが、闘神の配下にそれが居らんとも限らんだろう? いや……その前にこのロウド世界の中にも未だ力を隠した者らが居っても不思議ではあるまいさ」


 カラナータ自身ライの存在に気付いたのは最初のアバドン出現、そして邪教騒動があったからである。カラナータの実力であれば強者を探り当てることも可能だった様に思えるが、半精霊体というだけでは感知できない相手も確かに存在していた。

 良い例がデミオスとプレヴァイン、そしてアムドとベルフラガだろう。神の眷族を感知するにはまだ実力が足りていないことは事実であり、また事象神具による隠蔽はライ同様に探り当てることさえも困難。


 ベルフラガに至ってはある種封印に近い状態な為に力の深淵までは探り当てることはなかった。たとえどこかですれ違っていても気付くことはできなかったと思われる。


 そんな風に、カラナータであろうとも未だ出逢うに到れぬ相手も存在する。ルーヴェストであってもそれは例外では無いのだ。


「……。因みに……師匠が搦め手を使えばルーヴェストを倒せますか?」

「さてな。やりようはあるが、アレもまだ真のを隠しているのは確か……それ次第では覆されるだろうよ」

「では、杞憂ではないのですか?」

「かもしれん。どのみち今でなければならぬという話でもない。ルーヴェストは蜜精の森にも鍛錬に来るのだろう? ならばその時にでも忠告してやるさ。さて……」


 話を区切ったカラナータはロクスの肩に手を置いて頷く。ロクスはこれを受け改めてリドリーに問い掛けた。


「レフ族の長リドリー殿……。ここからは我が国トォンからの正式な依頼となります。ご協力願えますか?」

「ふむ……その件はマニシド殿からも依頼されておりますよ。トォン国潜入……勿論協力しましょう」

「先ず入国方法ですが、何かお考えがあるとのこと……お教え願えますか?」

「ええ……そちらは至極単純。実はカジームにはトシューラ国への抜け道があるのですよ。結界は地下まで届かないので容易に潜入できるでしょう」


 それは、かつてトシューラ国第一王子・リーアがレフ族の里を襲撃する際に使用した地下通路だった。


 カジーム防衛戦の折、地下道を掘り進め奇襲を狙ったトシューラ兵達は全員捕縛されるに至っている。その際、地下道はフェルミナの力により強固な植物の根で埋められた。 

 実質封印された地下道はその後、オルストの提言によりいつでも使える様に確保された。いざという時にトシューラ国へ逃れることで敵の裏をかくことができるという意図からのものだった。


「ホッホッホ。まさか、こちらからの侵入に使うことになるとは思いませなんだが」

「そんな道があったのですね……。ですが、これは渡りに船。感謝致します」

「いやいや。それで……潜入の人選はどうなっておるのですかな?」

「トォン国からは私と師匠、それと元トシューラ兵達が居ます。そもそも彼等の家族を救出に向かうのが目的なので」

「ふむ……して、その兵士達の姿が見当ませんが外に待機しておるのですかな?」


 リドリーの疑問にはカラナータが得意気に腕輪を掲げて応える。


「お前さんから貰った腕輪は本当に便利だぞ、リドリーよ」

「成る程……異空間内に入れておけば団体行動の不利点も無くなるか」

「今更返せと言っても返さんからな?」

「そんなこと言わんわ。その気になれば大聖霊様に頼めば似たものを授けて貰えるからのぅ」

「大聖霊……以前お前さんから聞いた伝説の存在だな。結局、儂は一度も逢うことは叶わなんだが」

「そんなものだろうて。大聖霊様達との出逢いは本当の意味での運命を左右するからのぅ。今、確実にお会いできることが本来有り得んのだ」


 大聖霊達は星の法則に絡む。元々人嫌いも多く、その存在を知り求めても一生逢えぬ者が大多数である。

 それでも出逢えるのは真なる渇望を持つか、運命を掴み取る豪運を持つか……リドリーは事もなげにそう告げた。


「大体、お主は大聖霊様を求めておらんかっただろう? それではすれ違ったとしても気付かんと思うがの」

「ハッハッハ。儂は一介の剣士に過ぎんからな。必要なものは大体揃っておるし、助力を求める必要も無い。逢えぬでも困らんよ」

「お主ならそう言うとは思うたよ。ハッハッハ」


 剣士カラナータにとっての優先は超常の存在よりも己の精進である。誰かの助力で楽に成長することなど退屈でしかないのだ。

 ならば強敵として手合わせを……とも考えても良さそうなものだが、実のところそこまで手合わせに飢えている訳でもない。


 カラナータの本来の姿勢は『あるがままから学ぶこと』である。接する全てから己の成長に繋がるものを見抜き、それを学び糧とする。故にカラナータの価値観は万物全てが師であり研鑽の種──弟子を取ることも含め全ては己の為に繋がると理解して行動している。


 故に大聖霊に辿り着かずともどうということはない……それが剣聖カラナータという存在だった。


 反面、カラナータにはある癖がある。


「そんなことより、だ。この里には随分面白い気配を持つ者が数名混じっておるな?」

「やれやれ……また手合わせか。好きだのぅ、お主も」

「強者との出逢いは一期一会よ。なるべく出逢った時に手合わせをせねば期を逃しかねんからな」


 そう……。カラナータは手の届く範囲に居る相手とは早期に手合わせをしようとするのである。


 勿論、状況判断を行い正しい頃合いかを分別する理知は持ち得ている。また、加減をすべきかの判断や先延ばしできるかの見極めをもおこなっている。

 しかし、差し迫った危機が無い場合は手合わせを敢行する。それがまさに今……カラナータはレフ族の里に到着して以来、ずっと我慢していた様だ。


「儂がざっと感じた範囲では魔人といったところか。それと僅かに竜の気配もあるが……」

「残念ながら竜は今不在だ。里の守りの要になっておる傭兵と出掛けて居る」

「リドリー殿……。傭兵とはもしやアウレル殿ですか? 協力依頼の予定でしたが……」

「いや、別口の奴ですな。アウレルは事情を話してあるので里に残って居ります」


 その言葉を聞くや否や、カラナータは立ち上がり玄関口の扉へと向かう。


「ロクスよ……細かい話はお前さんがやってくれ。飽くまで儂は弟子の手伝いに来ただけなのだ。という訳で、お前さんを待つ間少し肩慣らししてくるとしよう」

「……。分かりました。後から私も行きますので」

「うむ……済まんな」


 ニタリと笑みを浮かべたカラナータは土煙を上げて森の中へと走り去って行った。


 ロクスはスッと立ち上がり玄関口へ向かうと開け放たれたままの扉を閉め一礼しつつ卓へ戻っだ。


「…………ロクス殿も大変ですな」

「ハハハ。カラナータ師匠は尊敬していますが、正直ルーヴェストが二人になった気分です」


 言葉では冷静さを保っているロクスさんだが、その表情はとても生温い。


「さて……では、なるべく手短に打ち合わせをしますかな」

「ご配慮、感謝致します」

「潜入は闇に乗じるが常道。それまではカジーム国に滞在なさると良いでしょう」


 その後、打ち合わせを終えたロクスはカラナータの気配を追い森の奥へ。そこには大地に仰向けに倒れるカラナータの姿が……。


「し、師匠……!?」


 ロクスの声に反応したカラナータはケラケラと笑い声を上げて飛び起きた。


「クックック。心配無用……怪我はしとらんよ」

「し、しかし、師匠が倒れるなんて何があったのですか?」

「儂もまだまだということだ。まさか子供に勝負で敗れるとはな……ハッハッハ!」


 益々困惑するロクス。それを見兼ねてか、傍らで丸太に座っていた短髪の大男が声を掛ける。


「なぁに。カラナータの旦那には子供の遊び相手をして貰ったのさ。で、油断した」

「貴公は……?」

「俺はアウレルってんだ。アンタがロクスだろ? 宜しくな」

「貴公がアウレル殿……。お初にお目に……」

「あ〜……そういう堅っ苦しいのは無しにしようぜ」

「承知した。それでアウレル殿……一体何があったのか聞いても?」

「言ったまんまだ。カラナータの旦那には子供の遊び相手をして貰った。ちょっと激しいのな?」


 カラナータはアウレルを直ぐに見付けたが、そこにはニースとヴェイツも一緒に居た。直ぐ様その力を感じ取ったカラナータは先ず、双子との勝負を行おうとした。

 しかし、ローナの手前戦いになるのを良しとしなかったアウレルは鬼ごっこでの勝負を提案。それはライが双子と良く遊んでいたものであり、カラナータも同じルールを同意した。


 結果……カラナータは双子に体当たりを受け倒れることとなったのだ。


 事の経緯を聞いたロクスの表情はやはり生温い。そして思った。世界はまだまだ広いのだな──と。

 

 


 

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