第七部 第十章 第十二話 意志ある魔獣の進化


 アバドンの幻覚魔法によりいさかいを始めたトシューラの騎士達は、互いが互いに魔獣に操られていると思い込み剣を振るっている。やがて緊張がピークに達すると戦闘が本格的なものになり始めた。


 だが、それを見越したライは《瀑氷壁》の外側へ出現させていた分身体を使用し対処を始める。アバドンの幻覚魔法を打ち消す為に自らの幻覚魔法 《迷宮回廊》を発動……上書きを行い沈静化させるつもりだった。


 しかし……。


「成る程。ベルフラガの神具を受けた時と似たような状態になっちまうのか……」


 ベルフラガの持つ神具『無間幻夢の鐘』は永続的に幻覚を見せ続ける効果を持つ。流石にそこまでとは行かぬもののアバドンの使用している《眺聴猜芽曲》はその音が続く限り幻覚を解くことはできない。

 つまり、ライの《迷宮回廊》の効果が切れた途端アバドンの魔法が効果を再上書きするのである。故にライは《迷宮回廊》を解除することができない。


「自主的に退避して貰おうとしたんだけど無理か……。と言っても、俺の話なんて聞きやしなかっただろうけどさ」


 ライはトシューラ国に於いて脅威認定された指名手配犯である。少なくとも領主や騎士には魔導具を使い人相も伝わっている。その程度ならば顔を偽装すれば誤魔化せるが、そもそも騎士達が見知らぬ者の言葉をすんなり受け入れることはないだろう。

 故に妙案を考えていたのだが、それ以前に幻覚を解けないのでは話にならない。


 先ずはアバドンが展開している《眺聴猜芽曲》を解く必要がある。そこでライは展開した分身の一体を用い《瀑氷壁》を覆う様に遮音結界を展開した。


「これで一先ずは安心かな……。いや……何だ、この違和感……」


 周囲を感知すれば魔力の乱れが少しづつ拡大している。原因は植物の出す音……それはアバドンの魔法の効果が周囲に伝播した影響だとライは直ぐに気付いた。


「クソ……思ったより厄介な魔法だな。まさか植物まで媒介すんのかよ」


 《眺聴猜芽曲》の効果はその曲を聞いた者に猜疑心を与える幻覚を見せるもの。だが、それだけではない。“聞いた者の魔力を媒介し周囲へ曲を伝播する”という更なる効果も備えていた。

 ライが《迷宮回廊》で幻覚に捉えている騎士達は抑えられているが植物までは未対応だった為に《眺聴猜芽曲》はジワジワと周囲へと拡がり始めていた。


 幸いだったのはアバドンとの戦いの最中、大地の振動を感じた動物達が残らず去っていたことだろう。動けぬ植物の伝播であればまだ対応は間に合う。


 そこで分身体達をそれぞれ走らせまだ《眺聴猜芽曲》の効果の及ぼない位置に配置を行ったライは魔法を展開する。使用したのは《波蛇なみへび》という吸収魔法の一種ではあるが魔法式のみを分解して取り込むというものだった。

 五体の分身達が放った白い帯の形状をした魔法 《波蛇》は螺旋を描きながら中央の《瀑氷壁》へと向かう。しかし、それは途中で円を描きつつ上昇し小さな塔の様な形状へ。そこでようやく《眺聴猜芽曲》の効果は消滅させることができた。


(《瀑氷壁》はともかく遮音結界は波動魔法じゃないからな……。《波蛇》で無効になったらマズイ)



 この時点で……ライは気付くべきだった。ここまでの流れがアバドンの思惑通りであったことを。


 アバドンが放つ一手に対してライは三手も必要となった。もし単身での戦いであれば不要な手間……それらが周囲を慮るライの性分ながら弱点と成り得ることは最早明確だった。


 アバドンはずっと試していた。魔法というものの有用性と欠点、そして更なる効率化を。それを思考内で研鑽し纏める……《眺聴猜芽曲》は謂わば時間稼ぎの為に放たれた魔法だった。

 その過程でライが他者の為にどれ程の労力を割くかを確認したアバドンは、遂に新たな手を繰り出した。


 眩く輝くアバドンの甲殻……先程 《眺聴猜芽曲》を放った後も光を失わないことにライは違和感……そして嫌な予感がした。


(…………。何だ……? 転移魔法? この中からは出られない様にはしてあるけど……)


 やがて甲殻には五十を超える転移魔法陣が浮かび上がる。それはライも良く知る転移魔法陣に過ぎないが当然それだけということはない。複数の見慣れぬ魔法陣が五つ均等に配置されていた。

 転移魔法陣はそれぞれ重なるように集まり見慣れぬ魔法陣の上に更に重なると五芒星を描き新たな魔法陣となった。


 現時点でロウド世界に於いて……いや、存在するどの世界に於いても波動魔法を超える魔法は存在しない。波動魔法の本来の名称は《天威自在法》──つまり、神の意志による万物自在の行使を意味する。

 そこに至るには少なくとも何らかの形で【創世】の力に触れねばならない。ライは大聖霊紋章を通じ影響を受け、ベルフラガはライとの戦いで創世の力を感じ取り自らの存在特性との和合を果たした。それは才覚も影響するが運命的な偶然の産物でもある。


 本来魔導師でもあった闘神の眷族デミオスは波動魔法には至っていなかった。そのことから如何に到達の困難な魔法かは察することができるだろう。


 だからこそ……神格魔法といえど波動魔法の効果を超えることは無い。それこそがライの油断──。


 ライは忘れていたのだ。未だ使い熟せぬ魔法を……。それは自らの師のみが使える魔法だと思い込んでいたのである。


 メトラペトラはその魔法をこう呼んでいた。


 【如意顕界法】


 如意は物事の自在を意味する。それを世界に顕現することから顕界──そう……メトラペトラは波動を介さず無意識に天威自在の領域に手を掛けていたのである。

 

 アバドンが使用したのはまさに如意顕界法だった。それは恐ろしく緻密な神格魔法同士の組み合わせ。複数の魔法を掛け合わせあらゆる転移手段を精密化し、更に新たな空間魔法との融合を果たすことにより波動魔法とは別の切り口で世界の法則への干渉を果たした。

 結果アバドンは、超えられぬ筈の波動魔法の壁を超える魔法を編み出した。思考を失わず、魔力操作に長け膨大な並列思考を可能とするアバドンなればこそ果たした悪夢でもある。



 如意顕界法・《無空輪明渠むくうりんめいきょ


 アバドンが魔法を発動した直後、瀑氷壁の外側上空に五つの金環が出現。そこからなだれ落ちる様に現れたのはアバドンの分体だった……。


「なっ……!?」

『フフフ。ライ・フェンリーヴ……お前に感謝しよう。私はまた一つ、ラール様へ献身するに有用な力を手に入れた。そして問おう。私を閉じ込めてはいるが、お前は誰かを救えるのか?』


 その問いに答えるよりも早く《瀑氷壁》の外側に展開していた分身体ライ達が動く。


 アバドン分体はそこまで強力な力を宿している訳では無い。ライの分身達は《雷蛇弓》や《金烏滅己》などの魔法を駆使しアバドン分体の一撃殲滅を開始。各地へと拡散するのを食い止めに入る。

 しかし、アバドン分体の勢いは強く討滅する端から増加が続いていた。五つの金環に対して五人の分身……だがそれは拮抗を保てるというものではなかった。


 数の力は覆すのが難しい。ライ自身も分身を用いて数で押し切ることもある。今回はその逆……そして数に於いてアバドン程の優位性を持つ者は居ない。

 無限とも思える勢いで現れるアバドン分体に対しライは選択を強いられる。


「本っ当に厄介な奴だな、お前……」

『…………。こちらとしてはお前こそが厄介な相手だ。分体とはいえ私を押し止める者……ましてや天威までも扱うなど到底許させるものではない。だから弱みを突かせて貰った。どうする、勇者よ?』

「チッ……」


 一瞬でも討滅しそこなえばそこからは数の暴力による蹂躙が始まる。分身を使い空に浮かぶ金環にも魔法を当てては居るが魔法が止まる気配もない。

 圧倒的魔力を元にした如意顕界法は圧縮魔法といえど打ち破るのが困難な様だ。


 そこでライは金環に流れ出ているアバドン分体の出どころを確認する。《無空輪明渠》は創生魔法ではなく転移魔法であることは発動の際の魔法式から分かっている。出口があるなら入口も存在する筈なのだ。

 そして予想通り金環は《瀑氷壁》内部にも存在した。但し、金環はアバドンに密着し固定されている。


「なら……」


 波動氣吼を展開し一気に飛翔しつつ《天網斬り》で金環を破壊しようとするが、それも読んでいたアバドンは素早く回避。それところかカウンターで大鎌を放つ。咄嗟に回避はしたものの迂闊には飛び込めない。

 何度か繰り返すがアバドンは守りを固めカウンターを放つ以外を行わなかった。


 完全なる消耗戦の構え……という訳でもない。アバドンは今、外へ攻撃の目を向けているのだ。


 外側では辛うじて侵攻を抑えているもののライの分身の消費は続いていた。時折アバドン分体から魔力を奪いつつ魔法を放ってはいるものの、分身ライの元となるのもまた魔力。本体と違い消耗は多く、魔法を使えば使うほどその維持が困難になってくる。

 何より数が圧倒的に違うのが大きい。身に付けた技量で捌き切るにも限界がある。それでも、いつものライならば抑え込めたのだ。


 そう……いつものライならば、である。


 間の悪いことにサポート役のアトラは不在……それは制限を掛ける者が居ないことをも意味する。迷った挙げ句、ライは悪手に出た。

 選んだのは分身体の数の増加。アトラが制約としていた五体を超え総勢二十で対応する。


 そうせざるを得なかった理由はあった。戦闘を行っていた地には新たなトシューラ戦力が迫っていたことに気付いた故である。


 敵地に於いてもまた犠牲を避ける……それは無意識に行ったライの性分。しかし、時に感情は正しさを惑わせる。分身体の増加は《瀑氷壁》外の戦況こそ持ち直すものの疲弊は加速した。


 既にライの魔力は大幅に減ってしまっている。対してアバドンは半分以上余裕があると見て良いだろう。魔力が戦いの全てではないが、規格外の意志ある魔獣は次々に思考を変えライを苦しめるのだ。


 そして……運命はアバドン側へ少し傾いた。


「ぐっ……!」


 分身展開の増加による負担が反動となり僅かにライの身体に激痛が走った。それは以前の様な意識さえ抗えぬ痛みではないものの、一瞬とはいえライの動きを止めるに十分なものだった。

 そしてアバドンはその隙を見逃さなかった。


 振るわれる大鎌を波動氣吼で防ごうとしたが激痛のせいで反応が遅れたライは、そのまま《瀑氷壁》まで弾き飛ばされ激突した。


「グハッ……!?」


 強固な波動魔法の防壁に激突したライは波動氣吼までも破損し消滅。口から吐血するも辛うじて飛翔を続けている。

 アバドンがそれを見逃す訳もなく追加の一撃が迫る。が……これは《天網斬り》にて迎撃し事なきを得た。


 ライは即座に転移を行いアバドンとの距離を空けた。


(……ハァ……ハァ……。グッ……怪我の回復がいつもより遅い。アトラとの約束破ったからバチが当たったかな……)


 口元の血を拭い苦笑いを浮かべるも状況は最悪と言って良い。このまま戦いが続けばアバドンを解き放ってしまう恐れもある。


 そんな危機に至ってもライは笑う。勝算がある訳では無い。自分がこの状況に陥った理由を理解しているからだ。


「ハハハ……。今回ばっかしは一人でやろうとし過ぎたかな……。でもなぁ……誰かが傷付くのはもっと痛いんだよ、心がさ」


 深く静かに深呼吸を行い視線の先のアバドンを捉える。そして今度は不敵に笑った。


「この程度の苦難越えなきゃ闘神となんて戦えないよなぁ……。さぁて、続きをやるかね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る