第七部 第十章 第十一話 正しさが齎した不運
刀を構えたライに対しアバドンは分体の増殖を続けた。
それは数による圧倒の優位性を理解した故の行動──。《瀑氷壁》内部を埋め尽くす如き勢いでアバドン分体はその数を増してゆく。
アバドンはライの魔法を警戒していたが《吸収》でそれを打ち消すつもりだった。波動魔法であっても分体を盾にすれば本体まで届くことはないと踏んでもいた。ライは神格魔法を波動魔法化できない……というのがアバドンの推測である。
何より……たとえ波動魔法を使用できてもライはアバドンを殺せない。何処までも甘いライは最初に宣言したことを守ろうとする……それもまたアバドンが《吸収》にて得た【情報】である。
つまり、分体を犠牲にしてもライの方が負担は多くなる。それを計算しての分体増殖。数の力で押しても良し、力を使わせて疲弊を与えるも良し、という狙いからの行動だった。
だが──。
そんなアバドンの目論見をライはあっさり打ち破る。アバドンの思考を読んでいた訳ではなく偶然……使用したのは己の研鑽を以って得た力であり、人間が可能性から得た力でもある。
「今から使うのは俺だけが使える力じゃない。アバドン……その意味を良く考えろ」
小太刀頼正を振り被った状態から飛翔にて突進したライはアバドンの間近に華月神鳴流の【裏奥義】を放った。
華月神鳴流・《裂空閃》
奥義である《天網斬り》を利用し空間を断絶するその技は、裂いた空間が塞がろうする力により猛烈な乱気流を発生させる。そう……アバドン分体でさえ飲み込まれる勢いで空間の亀裂へと引き込むのだ。
無論、《天網斬り》を使える者全てが使用できるものではない。加えて、その空間断裂の大きさも技量に左右される。しかし、ライは未確定ながら本来は極位伝の技量を持つ。技の威力だけならば歴代でも一、二を誇る。
故に全力で裂かれた空間もまた広範囲……膨大な力の渦はアバドン分体を飲み込んでいった。
流石に本体アバドンの巨体は無理とはいえ大半が空間の亀裂へと引き寄せられた。そして……空間が閉じるその瞬間が訪れる。
耳が痛くなる程の静寂……そして反転したエネルギーによる暴発。空間維持の暴力は《瀑氷壁》内部に高圧を齎しライにさえ負担を与える。
「ぐっ……。閉鎖空間で使うとここまでになるのか……。今後気を付けないとな」
《瀑氷壁》内部は何もかもが破壊されていた。植物も岩も土も細かな塵となり黒き絨毯の様だ。
そこに残っているのは鈍い銀色を放つ巨大な魔獣と黒い衣装を纏う白髪の男のみ。アバドン分体はその尽くが殲滅されていた。
『…………』
アバドン本体にもダメージがあるらしくやや動きは鈍い。だが、どちらかというとその動きは現状把握に思考を回していると思われる。
《裂空閃》は使用者が二度続けて天網斬りを使用する技であり、一度目の空間断裂とは別に自分の周囲を守る為に威力を相殺する二度目を放つ。故にライは無傷であるが疲弊も重なっている。
ここでのアバドンの失敗は分体が破壊されても再吸収できると考えていたことだ。だが、《裂空閃》は空間の向こう側に多くのものを飲み込む。空間が塞がるその瞬間のエネルギーは特殊であり《吸収》では取り込めない類のもの……結果としてアバドンは分体の多くを失い浪費することとなった。
「……どうだ? 人間の研鑽も馬鹿にはできないだろ?」
『…………』
「お前が創世神を心から愛していることは分かるぜ、アバドン。でも、それ以外のことは押し付けだ。お前の言う通り創世神が全てを見通せたとして何でお前を封じたと思う?」
『…………』
アバドンは答えない。しかしライは構わず言葉を続けた。
「お前の後に誕生した『創世神の獣』は言ってたよ。ラール神はお前に感謝してた……だからお前をまた聖獣に戻したかったんだってな。それまでの休養として封印した。なら、創世神の願いは世界の破壊や滅亡じゃない筈だ」
『……下らぬな。ラール様のお言葉とお心は直接与えられたものが全て』
「世界を浄化しろってヤツか? なら、今世界の生命を滅ぼせばどうなるか……お前だって気付いてるんだろ?」
急激な生命の死は魂の循環に負荷を掛ける。星の核へ還る魂の浄化は間に合わず、地脈を管理し浄化する聖獣達にも影響が出るだろう。
それは即ち、第二第三のアバドンを生むことに他ならない。
だが魔獣へ転化した聖獣達は最早意思を破壊にしか向けない。それでは大聖霊達が管理する法則さえも乱しかねないのである。
ロウド世界の法則管理は大聖霊達の役割。それを壊すことは創世神への反抗にも値する……ここにもアバドンの矛盾が生まれる。
この問い掛けの狙いは説得ではない。他の魔獣に対してと同様に少しでも感情を揺り動かす必要があるとライは考えていた。
「アバドン。思考を放棄するな。お前が意思を宿していることも必然なら、その意志で何が本当に正しいのか考えろ」
『生を受け僅か二十年足らずの矮小な人間如きに私の何が分かる。不快……不快なり!』
「この分からず屋め……」
ライとアバドンはそれから幾度も切り結んだ。魔力は互いに奪い合いを続けていて拮抗状態。疲弊はライの方が多いが、【裂空閃】を警戒してか分体による数の圧倒をアバドンは行わなかった。
一方のライはアバドンの行動に合わせた形での戦いに戻った。纏装、波動氣吼、天網斬り……若干の疲弊はあるものの順調に渡り合いアバドンを消耗させてゆく。
そのまま順調であったならばトシューラという敵地にも拘わらずアバドンを抑え込むことができたのだろう。
しかし……物事はそう上手く運ばない。想定外は一度とは限らないことをライは失念していた。
事態の始まりは《瀑氷壁》の外から訪れた。
「な、何だ……! このバカでかい塊は……!」
ライとアバドンが戦い始めて半刻程過ぎたその地に訪れたのは所領地の騎士団だった。
アバドン出現の振動から始まり、爆音と魔力光による閃光……そもそもライは結界を引き裂いている。異変と感じられれば領主としては当然対応をせねばならない。
恐らく領地の魔導師による魔力感知が行われていたのだろう。騎士団は原因を探るべく調査を始め辿り着いたのだ。
そしてそれは、民を守るものとしては正しい。
たが……。
「これは……氷か? こんな巨大なものをどうやって……」
「そ、それより氷の中を見ろ。あ、アレは何だ……?」
「ま、まさか……。アレは魔獣……なのか?」
アバドンの姿を確認しあまりの巨大さに混乱を始める騎士団。やがて騎士の一人がある可能性を口にした。
「な、なぁ……。アレ、アバドンに似てないか?」
「馬鹿な……。アバドンは対策済みだと王都からの御達しが……」
「いや……。色こそ違うが、アレは以前戦ったアバドンと形が似ている。まさか……また、あの時みたいなことに……」
「そんな……。こ、今度は神聖国は助けてくれないぞ……」
【恐怖】は──鍛えた者にさえも伝染する。その不安は静かなさざなみの様に拡がりやがて大きな
怖気付き逃げることもまた生きる為の選択肢。しかし、彼等は騎士である。護るものがあることを誇りとした存在である為に逃げる選択肢を懸命に排除してしまった。
時に正義感は望んだ結果に繋がらない。彼等が悪い訳ではない。それはただ不運だった──それだけの話である。
「気をしっかりと持て! もしアレがアバドンであるならば民を守る為にも討ち果たさねばならぬ! 幸い我らは先の魔獣騒動でもアバドンを倒しているのだ! 被害が拡がらぬ内にここで仕留めるぞ!」
騎士団長の号令に気を取り直した騎士達は気力を取り戻した。
「先ずは氷を破壊し中へ! 魔導師隊との連携配置を取れ! 領主様への報告も忘れるな!」
「ハッ!」
「行くぞ!」
氷の壁に一斉攻撃を始める騎士団。当然、ライの波動魔法によるものを撃ち破れる訳もなくその行動は徒労に終わる。
だが、彼等の行動は音として伝わった。剣で斬り付け、槌で叩き、魔法を炸裂させる音と振動が《瀑氷壁》内で戦うライとアバドンの意識に一瞬の介入を起こしたのだ。
アバドンにとって取るに足らない存在である騎士達は本来ならば歯牙にもかけず一瞥されて終わる筈だった。しかし、魔獣化し思考を巡らせるアバドンにとって騎士団の来訪こそが形勢を有利に導く悪意の矛先となる。
『……フフフ。ライ・フェンリーヴ……お前は【幸運】の力を扱うのだったな。だが、それは今も使えているのか?』
「……。何を言ってる?」
『知っているぞ……。お前は自らよりも他者を
「……?」
アバドンは再度その背に虫羽根を展開。だが今回はそれだけではない。銀に輝くその甲殻もまた仄かに光を帯び始めている。
(何をする気だ……。魔力は外へ出せない筈だぞ……?)
アバドンが使用したのは神格魔法……但しそれは、通常のものとは少し違う精神干渉系魔法だった。
精神系神格魔法・【
聴いた者の心に猜疑心を焼き付け混乱を起こさせる幻覚魔法──。
多数の相手に対しての同士討ちや騒動を起こすことを目的として編み出されたそれは、本来は群れる動物に対して狩猟目的で使用されていた。魔法王国時代では反乱勢力の鎮圧にも用いられた前列もある。
この魔法の厄介なところは発動し魔法として曲を編むまでは魔力を必要とするが、音自体に効果を持たせる為に防御神具や結界の種類によっては防げないことだろう。音として耳に入りさえすればそこから相手の魔力を利用し精神を掻き乱すのである。
空間遮断結界の類や遮音効果、対象自体の精神防御を高める護りでない場合、確実に影響は通ってしまう。たとえ騒音を用いて曲が分からなくとも音が相手に届いてしまえば効果は発動してしまうのだ。
ライの波動魔法 《瀑氷壁》は魔力を遮断する効果を持たせてはいるが音や振動までは防ぐことを前提としていない。完全に盲点を付かれた形となってしまった。
結果……騎士達は最悪の幻覚に踊らされ始める。
「貴様! アバドンに乗っ取られたか!?」
「団長こそアバドンが口から入っていったのが見えましたぞ! 最早、化け物に成り果てたか!」
「うわぁぁぁ! 虫に……虫人間に囲まれた!」
互いが互いをアバドンに乗っ取られたと錯覚させられた騎士達は睨み合いを始めた。更に恐怖から仲間へ斬り掛かる者さえも現れた。
正義感と責務から民を護ろうとした騎士達は……既に無秩序の乱戦を始めてしまった。その様子にライは歯噛みしアバドンを睨み付ける。
「テメェ……!」
『クク……。さぁ、どうする……ライ・フェンリーヴよ?』
「クソッ! フザケやがって……!」
敵地とはいえ心ある者達の犠牲はライも望まない。即座に分身体を《瀑氷壁》の外側に展開し混乱する騎士達の鎮圧を始めた。
だが……アバドンの狙いは更に別にあったことにライは気付かない。
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