第七部 第十章 第九話 綱渡りの均衡
《瀑氷壁》内部に展開されている超重力の中、アバドンはライへの攻撃を始める。
《天落》の超重力は限定空間ではなく周囲全体へ影響している。当然アバドンにも負荷が掛かっている筈だった。いや……本来ならば巨体である分ライよりも負荷があって然るべきだ。
しかし、アバドンは先程までと同様の驚くべき機敏さを見せる。ライはその理由を直ぐ様看破した。
「吸収属性で重力効果を打ち消してるのか……。それなら俺も……」
即座に展開していた波動氣吼を吸収属性へと変化させるライ。これにより受ける負荷は減り魔力の回復も行える。
しかし、対等という訳ではない。状況は予想より悪くなり始めていると感じていた。
(コイツ、只の魔獣じゃないとは思ってたけど考えていたよりも遥かにヤバい……)
魔獣にも拘らず神格魔法を使用し、更には魔纏装を展開し吸収を行っている。その身は巨体でありながら俊敏だ。何より厄介なのは体を覆っているラール神鋼の守りである。
破壊不可能のラール神鋼の甲殻。それが纏装を纏い攻撃に用いられるとすればやはり神格魔法に匹敵する威力を誇るだろう。
纏装はアバドンが居た時代には無かった技術だが、元が聖獣である為に魔力操作にも長けている様だ。今は均衡を保っているものの魔力量でライを上回る以上油断できる状況でもない。
アバドンの攻撃は鎌のみに限ったものではなかった。脚の全ては刃にも棍にも成り得て、咆哮による衝撃波と魔力光が絶え間無く襲ってくる。巨体であるがその狙いは針の穴を通すほどに正確であり、一撃を受ければライの纏装を打ち破るだろうことも想像に易い。
そんな脅威に対してライは技を以て対応した。ディルナーチ大陸で自ら研鑽を重ね手に入れた確かな技術……それこそが人の存在意義だと示すべく、小太刀一本で巨岩の様な攻撃を往なし逸らし躱すを繰り返した。
たが……やがてライは少しづつ不利となってゆく。理由はアバドンが使用する魔法──。
(クソッ! コイツ……!)
アバドンは重力魔法 《天落》に続き《
氷の檻の天井一杯に広がった黒色の針が重力の加速も加え一斉に降り注ぐ。それはさながら黒き雨。命名するならば《
高圧縮の黒き針はライの吸収属性纏装でも受け切れない。対抗する為に重力属性纏装へと変化させ守りを固めるも一撃がとてつもなく重いのだ。負担やダメージを考慮し《天網斬り》を使用し片っ端から斬り伏せるも《黒蝕雨》は止む気配はない。
対してアバドンは吸収属性纏装を展開したままである。黒蝕針であってもラール神鋼は貫けないことを利用し甲殻に当たり散った魔力を吸収しているので、アバドンにとっては負担もほぼ無いままだ。
戦闘開始早々に明らかな不利へと追い込まれたライは、即座にアバドンの下へと滑り込み魔法を回避した。
初めに気付くべきだったのはアバドンが魔法を使ったという『事の重大さ』だろう。今ロウド世界に根付く魔法はメトラペトラが人に技法を授けたことから始まる。つまりアバドンは元々は魔法を使用できなかった。
しかし現在、アバドンは神格魔法さえ使用している。膨大な魔力で緻密な魔法を操作し最適な状況で最良の魔法を使用しているのである。
ラール神鋼と魔法という組み合せはここに来てライを更なる危機を齎したのだ。
そしてもう一つ……ライが失念していたことがある。それは自分自身の今の状況だ。
存在崩壊を抑えることを念頭に置いた現状、使用できる力は半精霊体以下という縛りがある。ライはそれでも充分戦えると考えていた。
事実、それは正しかった。通常ならばそれでも余りある力にて相手が魔王級でも渡り合うことが可能だった。
しかし……相手が魔獣アバドンとなれば話は別である。精霊達は相性が悪い為に召喚することは避けねばならない。同様に聖獣達はライとの契約により属性反転は起こらぬものの能力的に相性が良いとは言えないのだ。
そもそもアバドンはその魔力量も質量も尋常ではない。一撃で致命的なダメージを受けることを考えると契約している者達の召喚は避けるべきと判断した。
辛うじて戦えそうなのは翼神蛇アグナと火鳳セイエイ、鱗輝甲リンキの三体。しかし、アグナの高出力魔力とセイエイの無尽蔵の魔力はアバドンの【吸収】と相性が悪く相手に力を与えライを更なる窮地に立たせる恐れもある。リンキは守りにこそ真価を発揮するもののラール神鋼による攻撃となれば流石に分が悪い。
何よりライは聖獣達が傷付くことも嫌なのだ。やはり召喚は回避が選択肢となる。
そして最も大きな痛手……それは竜鱗装甲アトラの不在──。ライの相棒にして最大の護り手が居ないことはどうあっても戦力・戦略に影響を及ぼすことは明白だ。
(アトラには無理させ過ぎちまったからね。休める時はと思ってエルドナに預けたけど……やれやれだな。ここに来てまた幸運が何処かへ行っちゃったか?)
詰まるところライは久方振りに己の身一つで戦わねばならなかった。
相手は最強の魔獣……。頼れるのは己の身と練り上げた技、そして愛刀・頼政。少なくとも
「ちょ〜っと心細いけどね。んじゃ、まぁ……取り敢えずやってみるか」
纏装を解いたライは波動氣吼法を発動。するとアバドンは素早く、かつ大きく飛び退いた。
「…………。随分と警戒してるな」
同時にアバドンを傘代わりに避けていた《黒蝕針》の雨が降り注ぐが、ライはその全てをものともせずに立っている。アバドンはその様子を凝視している。
それはまるで観察するかの様に静かに、そして執拗な視線。ライと言えど不気味さを感じずには居られない。
「はぁ〜……そんなに見たきゃ好きなだけ見ると良いぜ」
爆ぜる様に踏み込んだライは一気にアバドンとの距離を詰める。対するアバドンも距離を置こうとするが《瀑氷壁》内の空間は巨体を持つ者には狭い。回避行動も即座にライが追尾するので瞬く間に距離は近くなってゆく。
アバドンは波動氣吼法を余程警戒しているのか接近を拒むかの様に咆哮による衝撃波と魔力光を放つ。更には神格魔法 《断絶の
《断絶の帳》は薄布の様な状態を展開し空間を捻じ曲げる魔法だ。一例として進行方向を歪め直進しても遠退くという行動妨害も起こせる。
だが……それら全てはライの腕に展開した波動氣吼法が逸し往なし、《天網斬り》が引き裂いた。空より降る《黒蝕針》は何かを滑るように逸れ一つも当たらず、進行を妨げることも儘ならない。
アバドンは怒りからか更なる咆哮を上げた。
「……。恐怖を感じたか? 以前お前に襲われた相手はもっと恐い思いをしたんだよ、馬鹿野郎が。この程度でビクついてんじゃねぇ」
とうとうアバドンに追いついたライは飛翔しつつ波動氣吼法を纏った拳でアバドンの頭部を思い切り殴り付けた。その威力で大きく体勢を崩したアバドンは地響きと共に巨体を横たえる。
人の姿をした者の一撃が山の如き魔獣を叩き伏せる──目撃者が居ればそれは御伽噺として語り継がれたかもしれない。
だが、ここ居るのは誰の賛辞も求めずただ犠牲を望まぬ勇者──。だからこそ犠牲は生じていないとも言えるのだが……。
波動氣吼による一撃はアバドンに通じる……ライは今それを確認した。そして確信した。ラール神鋼の甲殻が絶対的に強固であったとしてもアバドン自身はロウド世界の生命体には変わらない。完全な不死身では無い以上打ち倒すことは可能なのだ。
その事実を踏まえライにはもう一つ試したい事があった。
「今のは小手調べだってのは分かってんだろ? 余力はお前の方がある筈だからな……寝た振りしてる様なら遠慮なく続き行くぞ」
その言葉に反応してか、跳ねるように体を起こすアバドン。対するライが一気に間を詰めたその瞬間、即座にラール神鋼の大鎌が襲い来る。今回は細かい刃は出さず完全な一つの大鎌として振るわれた。但し、その速度はウィステルトが駆けるが如き疾風の一撃だ。
鎌と呼ぶにはあまりに巨大なその前脚は膨大な
しかし、そうはならなかった。
アバドンの一撃は空中に飛翔するライへ確実に届いた。だが、山さえも両断するラール神鋼の鎌は小太刀一本で止められていたのだ。
ライが使用したのは《天網斬り》。万物両断の御技はアバドンが発した魔力も生命力も、余波の衝撃さえも全て断ち斬ったのである。
同時に分かったことは、アバドンのラール神鋼製の前脚は無事だということだ。創世神が造り出した不変の物質は《天網斬り》でも傷を付けることが敵わなかった。
「…………。成る程」
ライが試したのはそのままラール神鋼の破壊である。両断することができるならアバドンの無力化に目処が付くところだったが、《天網斬り》でさえ不可能となるとかなりの労力が必要となるのは間違いはない。
(ラール神鋼の『不変の性質』ってのが霊位格の何に当たるのか知りたかったけど……良く分からないな。クローダーの【情報】でも確認できなかったし……。ただ、天網斬りじゃラール神鋼は破壊できないってことは理解した)
力を抑えているとはいえライは半精霊格。それでも斬れぬならばやはり神格に近い性質を持つと思われる。
考えてみればロウド世界に来訪した狂乱神ネモニーヴァはラール神鋼製の星杖達を破壊していないのだ。意図的にそうしなかったのか、それともできなかったのか……少なくとも容易に破壊することはできないと見るべきだろう。
(ま、やりようはあるけどね……。その前に、トシューラ国に居るままだと想定外なことが起こった場合が心配だな。策の準備が整うまでは気付かれないようにしないと……)
ライの思考の間にもアバドンの攻撃は続いている。大鎌による連撃と衝撃波、魔力光……そして神格魔法。厄介なことに、そのどれを使用してもアバドンは殆ど消耗している気配はない。
対するライは、魔力こそ奪い合いの要領で一定を維持しているものの消耗は増してゆく。
一番の不安要素は《天網斬り》だ。アバドンの攻撃をまともに受ければ波動氣吼でさえもやがて破られる。受けるダメージを最小に抑える為にと使用しているが、展開の時間や回数にも制限があり無造作に使い続けることは躊躇われる。《天網斬り》がここぞという時に疲弊で使えぬとあっては笑い話にさえならない。
ライは有利に立っている様でジリジリと迫る危機を改めて感じていた……。
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