第七部 第十章 第八話 アバドンの矛盾


 咆哮を上げたアバドンはその巨大な鎌を振り上げる。そして巨体とは思えぬ速度でライへの一撃を振り下ろした。警戒をしていたライは即座に愛刀・頼正を抜き放ち攻撃をなす。


 しかし……ライから逸れた攻撃は衝撃波を伴い森を斬り裂き大きな一筋の荒土を残した。遅れて地響きが伝わり巻き上げられた木々と岩土が大地へと降り注ぐ。


(………。攻撃の威力が分体の比じゃないな。流石にこのままじゃ不味いか)


 アバドンの目的はロウド世界の生命を滅ぼすことだと言っていた。ならば最早加減などという思考は持ち得ていないだろう。

 万全に備えたエクレトルと違いトシューラ国はアバドンに対して無防備と言って良い状態である。街や集落に攻撃が届いた場合、その被害の程は計り知れない。


 敵国かどうかはライにとっては問題ではない。現時点での最優先は民の犠牲を出さないこと……それは確定事項である。


(普通の魔法結界だとアバドンの吸収能力であっさり破られるな……。疲弊を抑えたかったけどそんなこと言ってる場合じゃない、か)


 ライは改めて蟲皇とウィステルトに感謝した。


 僅かな間ではあるが蟲皇の忠言により確かに疲弊を抑えることができた。そしてそれはウィステルトという存在があったからこそ成り立ったとも言える。

 誰かに頼ることが結果として危機対応の助けになった。それは現在のシウト国内紛にも通じることだ。


「頼るべき時には頼る……少し真面目に考えておこうかな」


 そう呟き終えたライは波動魔法を展開。使用したのは氷結魔法 《瀑氷壁ばくひょうへき》──アバドンを中心に一辺半里の立方体型氷壁が出現した。氷の牢獄に閉じ込められたアバドンは即座に地中へ逃れようとするも当然大地も魔法の対象となっている。前脚の大鎌は鈍い音を立て突き刺さることはなかった。


「逃さないよ。ましてや行動の理由を聞いた以上はね」

『……。やはりお前は我が障害の様だ。フフフ……』

「何がおかしい?」

『お前は自身が異常であることに気付かぬか……。この世界に於いて私を阻めるものなどお前を除けば大聖霊達だろう。その意味は分かるか?』

「いんや……さっぱり?」

『……。まぁ良い。くだらぬ話は不要……』


 閉じ込められたとはいえアバドンは冷静だった。憤慨の様子もなくライへ狙いを定めると再び大鎌を振り下ろした。

 対するライも再びその刀で往なそうとした。だが、刃が接触する瞬間に攻撃に変化が起こった。アバドンの大鎌がノコギリの如く細かな刃を立て伸びたのである。


 千を超える刃はそれぞれが自在に動きライへと迫る。流石に捌き切れぬと判断し最初の一太刀を受けた勢いを利用し大きく距離を空ける。しかし、アバドンもそれを予測していたらしく追撃の姿勢を見せた。


「この巨体でウィステルト並の瞬発力かよ……」


 跳躍による追撃を行い今度は挟むように両の鎌を振るうアバドン。更に、体内に溜め込んでいた魔力を口に集め高圧縮の魔力を放とうとしていた。

 左右からは刃の壁……ライは流石にまともに受けては不味いと判断。攻撃をギリギリまで引き付けて転移にて難を逃れた。


 直後──赤き閃光がほとぼしる。瀑氷壁に放たれた魔力光は威力を相殺されその光量のみが周囲へと広がる。一瞬夜と昼が入れ替わったかのように空を暗く染め赤き光の収束と共に元へ戻った。

 地響きは無いので衝撃は上手く防げたらしい。ただ、あれだけの光となれば確実に周囲に察知されているだろう。


 とはいえ、波動魔法を使用し防いでいなければ魔力光の射線上は消滅していたのは間違いない。実際に光の遥か先には大きな街も存在していたことをライは知っていた。


(真っ先に《瀑氷壁》で囲んだのは正解だったな……。それにしたって馬鹿げた威力だろ、今のは……)


 外側への被害は確かに封じた。しかし、瀑氷壁に閉じ込めた内側……魔力光が放たれた周辺に残されていた植物は全て塵と化していた。大地さえも砂となっているのだ。

 それは放たれたのが只の魔力光ではなかったことを意味する。


 アバドンが放ったのは分解の光……。光線を受けた者は存在が粒子に分解され魔力として還元、吸収される攻撃だとライは判断した。

 実際にアバドンの魔力量は全く減っていない。放った攻撃をそのまま再吸収しても減少が起こるのが普通である。


 エネルギーというのは還元率や効率が存在する。それはロウド世界であっても同様だ。


 例えば魔法を一つ放ち自ら吸収できたとしても取り込めるのは六割といったところである。魔法式の構築、魔力回路の消費、使用者自身が魔力を使用する際の浪費、魔法発動までに最低でも一割は削られてしまう。魔力に長けたメトラペトラでさえ多少効率が変わるだけで基本は同じである。

 魔法式ではなく魔力そのものを使用する場合でも同じ。魔力を使用するまでにそれを練り上げる体内にも魔力は使用されるので消費は起こる。魔獣アバドンであってもそれは同様であり、使用した力が大きい程何らかの消費は起こるのだ。


 それを踏まえ、現在のアバドンの魔力はほぼ全快状態。つまりは何らかの補給が行われたことを意味する。それがライの推測の根拠となっていた。


『…………。私の魔力光を遮るとは……それが波動魔法というものか』

「波動魔法の知識まで吸収したのか……。いや……その前にお前、創世神の魔法は見たことなかったのか?」

『あのお方に魔法など必要はない。ただあのお方の意志があるだけで世界は成り立った』

「それが創世神たる由縁てヤツか……」

『そうだ。だからこそあのお方に間違いないなど存在しない。全て必然として成り立っている。未来永劫までも』

「……ふざけんなよ?」


 ここでライは感情の昂りを見せる。


「そりゃあ創世神様ともなれば《未来視》の一つや二つ使えるだろうよ。だけどな……テメェが生み出した存在を放置して何処かに行くなんざ甚だ迷惑だ」

『何……?』

「だってそうだろうが。大聖霊達にさえ何も言わず消えて、不完全なままの世界を残して行く。これの何処が完璧なんだ?」

『再度の不敬……赦すま』

「うるさい!!」


 ライの大気を震わす程の怒号に流石のアバドンも言葉を切った。


「お前もそうだけどな……厄ネタ撒き過ぎなんだよ、創世神は。先ず『真なる神』への対策がまるでなってねぇ……。いい加減にしろと言いたくなるよ、全く」


 そう……創世神が《未来視》を使用して遥か未来まで見据えられたとして、それでもロウドは過酷な世界なのだ。


 聖獣が魔獣化し人を戒めるというシステムは飽くまで星の内での話。先ず魔獣化の仕組みを考えるなら浄化役の聖獣・火鳳の役割はもっと強くなければならない。

 同様に、不変である筈のラール神鋼から構築される星具達。彼らこそが星の外側の存在に対する切り札なのかと思いきや、狂乱神の力で魔王という存在にさえ変化してしまっている。


 大聖霊は理を司るとあり過干渉は行わないという。外敵に対しても個の判断での対応も多くどうにも不安定だ。


 そして何より、異界の神……。僅か十万年というロウド世界の歴史に三度の来訪というのは些か異常だとライは不満を口にした。


「試練を与える【終末の三神】にこの世界の存在の力だけで立ち向かうのは分かるさ。でも、何だよ残りの神々は? 対して創世神は何を遺したんだ?」

『…………』

「一度目の闘神との戦いで創世神の遺した神具は破壊されたって聞いたぜ? だけど、復活する闘神はその頃より力を貯めてるって話だ。対抗する力を遺すなら数を遺すかもっと強い神具にすべきだ。違うか?」


 アバドンは答えない。気圧されているというより捲し立てるようなライの言葉に思考を回している、といった様子だ。


「それにな……人間創ったのだって創世神なんだよ。封印されてたお前は知らないんだろうけどな……人間てのは複雑なんだ。確かに世界の腐敗を推進してるかもしれないけどその逆……世界を維持する為に必要だってのは創世神だって分かってる筈なんだ。だから聞くぜ、アバドン……じゃあ、何で人は存在するんだ?」

『…………』

「言い方を変えようか……お前の言葉を借りるなら“創世神は全てお見通しで人間を生み出した”んだろう? なら、存在の意味を言ってみろよ」


 そう……それはジレンマである。


 アバドンは最初の言葉に既に矛盾を抱えていた。創世神が間違いを犯さないのであれば創生された存在にはそれぞれ役割がある。大聖霊がロウド世界の概念を司る様に、聖獣が世界の浄化を役割とするように、竜が地脈の魔力を管理する様に、精霊が自然法則を司る様に。

 ならば人間は何故生み出されたのか。弱く儚く、個の力では魔物にさえ打ち勝てぬものが大多数の厳しいロウド世界で、不確定な思考を宿す人間が何故生まれたのか……。


 アバドンが答えられぬと知りつつライは敢えて問答したのである。


『…………』

「答えられないか?」

『……答える必要はない。不要なものは滅ぼすのみだ』

「逃げだろ、それは。お前から言い出したんだぜ? 『創世神は全てを見通している』『創世神に間違いはない』ってな。だけどお前の行動はその創世神の間違いをなかったことにしようってんだ。矛盾してるんだよ」

『…………』

「ま、良いさ。話せるとは言っても魔獣化してる奴がまともな理屈を捏ねる訳が無いからな。だから……」


 ここでライはいよいよ本腰を入れてアバドンと対峙することにした。刀を構えると大きく息を吐き出す。


「お前を叩きのめして元に戻してやる。話はそれからだ」

『愚かな……お前は全て気に入らぬ。確信したぞ。やはり真っ先にたおすべき相手だ。お前の死を以て世界浄化の皮切りとしよう』

「……そうかい。でも、一つ言っておくぜ? 俺だけに気を取られてると足元掬われても知らねぇからな?」

『全て……下らぬ』


 動いたのはアバドン……その背に伸びる結晶型の巨柱が輝きを放った。すると結晶は瞬く間に虫羽根へと変化する。四枚の虫羽根は太陽の光を受け虹色の輝きを見せた。

 直後──巨大な魔法陣が発生。高速言語により構築されたのは広範囲超重力魔法 《天落》。瀑氷壁の内側には通常の数十倍となった重力がのし掛かった。


「うぐぐぅっ!?」


 重力の高圧力により大地へと落とされたライは辛うじて着地した。その身体にはミシミシと重みが掛かっているが立てない程ではない。が、やはり動きは制限されてしまっている。


 だが……魔法はアバドン自身にも影響していた。《天落》は範囲内全てを対象とした魔法である。当然ながら木々も岩も押し潰され粉砕し、大地も圧縮され硬化していた。


(自分ごと魔法を……。てか、魔獣が神格魔法使いやがった!)


 魔獣は基本、魔法を使わない。使えない訳では無い。中位以下の魔法であれば使用が可能だが、感情が落ち着かず魔法展開よりも概念力や属性変化させた魔力操作、または個別能力を選ぶ傾向にある。

 但し、神格魔法は複雑な魔法式構築となる為に魔獣状態では展開が行えないと聖獣達から聞かされていた。


 しかし、アバドンは言葉を介する魔獣である。魔獣特有の精神のムラっ気は無く正確に魔法式を展開してくる。


 ライはアバドンがこれまでにない脅威であることを改めて理解させられた。


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