第七部 第十章 第七話 喋る魔獣
その身体は本来、無垢なる色であったという──。
世界の管理を目的とし創世神が生み出した最初の聖獣は、生命を守る象徴として堅牢なる甲殻を纏い困難を切り払う刃の如き鎌を与えられた。
しかし、その心は温厚で普段はただ世界に寄り添うように暮らしていた。
この時、創世神はある見落としをしていた。
魔力という万能とも言える根源を世界の法則に組み込み創り上げたロウド世界。魂が循環し生命の螺旋が進化を促すこの世界に於いて、魔力との調和は非常に繊細なもの。
魔力は魂や生命に影響を受け万化し変遷する。だからこそ創世神は見落とした。いや……信じていたのだ。生命は決して負に偏りすぎぬのだと。
事実、個の単位であれば聖獣を狂わせる程の負担は無かったのだろう。だが、聖獣は霊脈にて『集まった魔力』を浄化する役割を持つ。その役割を最初に与えられたアバドンは単身で多くの魔力浄化を負担することとなった。
魔獣へと変化した最たる原因は聖獣としての献身……アバドンは神の望みをより叶えるべく一身に魔力を集め過ぎたのである。
生態系に人が存在しない場合、動物の輪廻循環が増える。寿命は短く子孫の数は多い。生態系の頂点が本能のままに捕食を行えば負の感情は大きく増える。それは自然現象と同義である為に大聖霊達も干渉はせずあるがままに命は輪廻を繰り返した。
微弱でも膨大な負を受けアバドンはその身を黒く染めてゆく。少しづつ【毒】に蝕まれ遂には漆黒の獣へと変化したのである。
創世神はその事実を嘆いたが多くのことを学んだ。結果として以降の聖獣はより耐性を与えられ世界の法則との調和も洗練されることとなった。
創世神ラールはアバドンの功績に感謝しつつ、いつか魔獣から聖獣に戻すと誓い封印を施すこととなった。
(虹蛇……エイダからはそう聞いたんだよな。でも……これは想定外だ)
確かにライも《千里眼》にてアバドン本体を確認している。漆黒の甲殻を持つ魔獣なのは間違いないなかったのだ。
しかし今、地より這い出た姿は漆黒ではない。確かに黒の気色も孕んではいるがまるで別物。
その身は
アバドンに基礎となる生物は存在しない。同じようにアバドンを模倣した生物も存在しない。昆虫型と形容をしてはいるが、それは構造的に近い為である。
敢えて言うならば蟷螂とかみきり虫を融合した姿、といえば近いかもしれない。
身体を覆う硬質な甲殻は鉱石のように無骨であり、鎌も含め全ての脚は鋭利なトゲの様に鋭い。背には結晶の柱の如きものが四つ後方へと伸びている。
鎧兜の様な頭部も当然甲殻に覆われていた。伸びる二本の触覚もまた硬質であり金属の鞭と表現するのが相応しいものだった。大きな目に加え四つの小さな複眼はまるで全てを捉えているかのように赤く輝いている。
今のアバドンの姿は一言で語るなら【金属の巨大昆虫】。だが、当然それだけでは無いことをライは肌で感じている。
「…………」
アバドン分体も含めた今までの魔獣とは一線を画す圧力と雰囲気。地中に居た時からライに
これまで出会った存在の中で最大級の魔力保有量……神の眷族であるプレヴァインやデミオスとまではいかないまでも、【神衣】に覚醒しライの魔力量を超えたエイルより更に大容量の魔力。
恐らくロウド世界に誕生したものの中で最大──それ自体が異例中の異例と言える事態だった。
更に……。
(何だよ、コレ……。まるで【神衣】じゃないか……)
アバドンは確かに魔力を展開してはいる。しかし、その身から感じるのは神格である【神衣】と同等の圧力……。
ただ、それは感覚が似ているだけであって【神衣】とは何かが違っていた。
ライはアバドンの身体を《解析》にて確認……その結果こそが怖気の原因であると理解するに至る。
「マジか……」
アバドンの甲殻は……ラール神鋼で構築されていたのだ。
ロウド世界最硬の金属・ラール神鋼。破壊は不可能とされる超常物質は不変とされている。それは魔法も斬撃も通じないことを意味する。つまり、アバドンの討伐はほぼ不可能とも言い換えられる。
それでもライが諦めることはない。魔獣となろうが世界に存在していることには変わらないのだ。魔力を感じていることから『神の領域』にはまだ踏み込んでいない……ならば手はある筈。
「……。地上に出てきちまったものは仕方ないか。やることはどうせ変わらないんだしな」
大国の城程もある光沢無き銀の巨躯。そんなアバドンは地上に這い出て以降、ライに視点を定めている様だった。
無視されるよりは好都合と考えたライは飛翔を行いアバドンの眼前へ移動する。アバドンはライが語り掛けるまでただじっと待っていた。
「初めましてってことになるのかな……お前、アバドンだよな?」
ライの問い掛けに反応はない。
魔獣は言葉を発さない……というのが通説である。事実、ライも魔獣の反応は読めても言葉そのものを聞いたことはない。魔獣になった経験のある聖獣達から聞いた話では、負の感情に飲み込まれその意識は朦朧としているのだという。その間は二重人格のようなもので聖獣のとは別の意識が身体を支配している状態だった。
そういった知識があったライはそれでも呼び掛けを続けた。『黒獅子』達に話した様に、呼び掛けに対し魔獣の内に眠る聖獣の意識は微かながら反応を示す。そしてその反応は聖獣転化を起こす際の大きな鍵となることを知っていた故である。
「他の聖獣から聞いた。お前……神様の為に頑張りすぎたんだよな。そのせいで魔獣になった……。だからさ? 俺はお前を元に戻してやりたいんだ」
やはり問い掛けへの反応は無かった。
が……ライはここで違和感に気付く。無反応なのは予測はしていた。しかし、それを踏まえても余りに反応が凪いでいたのである。
本来魔獣は怒りの感情に飲まれている。故にその魔力は炎の如き揺らめきがあり、近付けば更に燃え盛る如き反応を示す。
だが、アバドンはそうではない。ただそこにあるかの様に静かに
ライの呼び掛けへの反応もまた同じだ。いつもならば聖獣の心が反応し僅かに揺らぎを見せるものがアバドンにはそれがない。こんなことは初めてだった。
(……。個体の問題なのか? 長く魔獣になっていたから……いや……事象封印具は大抵対象の時間を止めている筈だよな。じゃあ、何でこんなに……)
ライは思考を巡らせ警戒を続けつつ様子を窺う。『最初の創世神の獣』としての特異性も否定はできない。どのみち更なる情報は必要だと考えた。
ここでライは大聖霊契約印を用いクローダーの【情報】を引き出すべきか迷った。現在のライには大聖霊概念力を引き出すことは大きな負担に繋がる。だが、このままではただ戦うこととなるだろう。
理由も分からず戦うことを好まないライは、だからこそ意を決して大聖霊紋章を使おうとした。
その直前──真に驚くべき事態が発生する。
『愚かなるかな、ロウドの民よ……』
「なっ!?」
その声は静かでありながら地の獄から響くような闇を宿していた。
『我が名はアバドン。創世神ラールに生み出されし原初の獣である。そして同時に私はこの世界を憂う者──』
「ま、まさか……お前、話せるのか?」
『言葉を介することを驚くか……。確かに私が封印されて星霜の時は過ぎているだろう。しかし、その程度のことは支障にもならぬ』
「……そうじゃない。お前、魔獣化してるんだろ? 何で意識を保てているんだ……?」
『ククク! ハハハハハハ!』
それは愉悦ではなく嘲りの笑いだった。
アバドンは大きな顔をライに近付け更に凝視すると小さく首を傾げた。
『お前は勇者ライ・フェンリーヴだったな』
「俺の名前を知ってるのか……?」
『私の《吸収》の力で今の世界の知識は全て得ている。ロウド世界の歴史から現状に至るまでも当然把握した。愚かなる者よ……お前に問うてやろう。魔獣という概念は何時から生まれたのだ?』
「……! まさか……そういうことなのか?」
『理解したようだな』
魔獣化というシステムは創世神が人を戒める為に考案されたと虹蛇エイダは述べていた。つまり、聖獣という存在が本格的に役割を与えられる際のものである。
ならば……人が誕生する以前の試作であったアバドンにそのシステムが当て嵌まるのか……。これは大きな見落としであった。
恐らく聖獣が魔獣化した際に意識を保てないのは狡猾な智略を巡らせぬ為の創世神の保険なのだろう。もし魔獣が聖獣の知識と視野を維持していた場合、最優先で仲間を増やすことを目指す筈なのだ。
只でさえ魔獣は様々な事態に対応し攻撃も巧妙になる。冷静な意識などが加わった場合、ロウド世界は既に滅びていた可能性は高い。
だからこそ創世神はアバドンを封印した。自我を保ち全ての聖獣の祖でもあるアバドンを放置すれば瞬く間に魔獣の世界となる。つまりアバドンへの封印は世界の滅亡を回避する為の封印でもあるのだろう。
ただ……ライには疑問も残る。それ程に危険な存在ならば何故簡単に封印が解かれたのか。もっと厳重に封印し人の手の届かぬ海底にでも沈めておけばアバドン復活による犠牲も起こらなかった筈だ。
「何考えてやがるんだ、創世神は……」
ライが憤りを漏らした途端、アバドンは怒りの咆哮を上げる。空気を伝い地を揺らしたことにより離れて様子を見ていた周囲の生命達は一斉に逃げ始めた。
『ラール様への不遜……お前は万死に値する』
「……魔獣になっても創世神への献身は忘れないってか。だけどな、アバドン。今のお前の状態も創世神は知っていた筈なんだ。どうしてそんなに信じ抜けるんだ?」
『あの方のお考えを下等な者達が理解できる訳も無い。お前は犠牲を望まぬのだったな……ならば、何故人を殺している?』
「…………」
『ならば代わりに答えてやろう。それ以外の術を持たぬからだ。話で通じぬならば力で押し通る……実に下等な生物らしき考えだと思わぬか?』
「お前だって似たようなモンだろ。下等とか見下してるけど、弱い相手に力を振り翳しているだけにしか見えないぜ」
『当然、私もまた下等な存在……しかし、私には崇高な役割がある』
「何……?」
『ラール様は私に世界の浄化を願った。だから私は……』
それこそがアバドンの行動原理。
聖獣を用いても世界は未だ災いの種が消えない。いや……人間という存在が生まれて以降、争いは加速するばかりで世界には魔獣が増えている。
今の世は創世神ラールが望んだ世界ではない。ならば不要なものは全て排除しやり直せば良い……アバドンはそう考えた。
創世神がこの世界に戻る為に必要な浄化──それは即ち【世界のリセット】。
『私はこの世界を滅ぼしラール様をお迎えするのだ!』
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