第七部 第十章 第六話 アバドン、出現!


 一人トシューラ国に残ったライは目的地へとひた走る。



 未踏の地への転移は《千里眼》を使用すれば行けぬことも無いが座標固定に時間が掛かり過ぎる。距離的には直接向かった方が早く着くと判断したのだ。


 『創世神の獣』にしてロウド世界最初の聖獣……そして同時に最初の魔獣アバドン。一度は退けた相手ではあるがそれらは全て分体。対して今迫っている本体であり脅威度は比べるべくもない。

 そんな存在が真っ直ぐトシューラ国内へと向かって来ている。生み出される被害は尋常ならざるものとなるだろう。



「考えてみりゃ、あれから力を貯めてたんだったよな。そんなヤツが追い払われたからってトシューラ国を回避する訳ないか……」


 ライが怖気を感じる程の進化……その能力の程は未知数。だからこそライは蟲皇とウィステルトを離脱させたのである。


「ウィステルトはまだ子供だからね……。それにカブト先輩は精霊だ。アバドンとの相性が悪すぎる」


 アバドンはあらゆるものを魔力に変換し吸収する。そして精霊は魔力体……アバドンは天敵とも言える相手だ。

 或いは蟲皇ならば何か術は持ち得ている可能性はある。だが、万が一魔力を全て奪われでもすれば蟲皇は消滅してしまうのだ。


 やはり共闘は避けるべき……という結論に至り

ライは単身での戦いを覚悟した。


(せめてエクレトル側に行ってくれれば時間も稼げたんだけどね……。そう都合良くは行かないか)


 ライは最近己の幸運を過信しすぎていたと改めて痛感した。それでも、やはり民の被害を抑えねばならない。たとえ今は敵国だとしても闘神来訪に備えるには世界が纏まる必要がある……そう感じていた。



 それから僅かの間に目的地へ辿り着き即座に紫穏石を配置。これによりアバドンの動きが僅かに鈍ったが移動が止まることはない。真っ直ぐに防壁の穴へと向かっている。


「……。温存してる場合じゃないか」


 移動方法を走行から飛翔魔法へと切り替え最後の紫穏石配置場所へ……。


 恐らく周囲からは目撃されるが犠牲が出るより遥かにマシと考えての行動だった。しかし不安要素もある。外敵への対策として騎士団などが現れた場合、アバドンとの戦いに巻き込まれ犠牲が生まれてしまう。それは避けたいところだ。


「こうなったら時間との勝負だな……。頼みの綱はエクレトルなんだけど、アスラバルスさんはまだ謹慎させられてるのかな」


 ライは協力要請の為にエクレトルのアスラバルスへ念話を繋ごうとするも届かない。原因はトシューラ国を覆う結界……。

 どうやらこの結界は防御よりも連絡妨害に特化した事象神具であるらしく、ライの力を以ってしても念話を繋ぐことはできないらしい。


「クッソ……じゃあ良いや。どうせ結界は壊さなきゃならないんだし、せいぜい有意義に使わせて貰う」


 飛翔高度を上げ結界に触れたライはトシューラ全土を覆う魔力を一気に吸収した。魔力の回復と当時に通信の回復……。多少無防備にはなるだろうがアバドンの被害よりマシだと割り切るしかない。

 幸いだったのはアスラバルスの謹慎が解かれていたことだ。


 この時、総指揮権は至光天ペスカーにあるもののアスラバルスにもある程度の権限が戻されていた。ライの提言を全て受け入れることは無くとも元からあった計画に添うならば無碍にはしない環境だった。


 ライは飛翔を続けつつ急ぎアスラバルスへの念話を繋ぐ。


『アスラバルスさん』

『……! 勇者ライか。は貴公の仕業か?』

『そちらでもアバドンを感知できたんですね?』

『うむ。だが、まさかトシューラ国からとはな……』


 エクレトルの監視の目も届かなかったアバドン本体。本来なら地上に近付いた時点で即座に気付くのだが、トシューラ国の結界は情報隠蔽型だった為に探りきれずにいた。その結界をライが打ち破ったことでアバドンの位置を捕捉したエクレトルは現在、大慌てで対策を検討しているという。

 そこへライの念話が届いたことによりアスラバルスは凡その理由を理解した。


『敵国に侵入してまで人助けとは感嘆に値するが……』

『ハ、ハハ……。そ、それよりこの先のことです。今アバドンがトシューラ国に迫ってて穴を塞ぐのが間に合うか微妙でして……。もしトシューラに出現してしまった場合、エクレトルの支援は期待できませんか?』

『う、む……』


 少し言い淀んだアスラバルスは小さく嘆息しライの問いに答えた。


『……大陸会議では神聖機構もトシューラ女王ルルクシアにより被害を受けた。故にトシューラは国家自体がエクレトルにとっての脅威と認識されている。これを今解くことは出来まい』

『そう……ですか……』


 一度目のアバドン襲来の際にエクレトルはトシューラ国へ手を差し伸べ支援を行っている。しかし、ペトランズ大陸会議ではエクレトルに対し敵対を宣言した。ルルクシアの意図はどうあれ支援の恩を仇で返したのだ。天使の国とはいえ……いや、天使の国だからこそ厳格な対応が必要となるのだとアスラバルスは告げた。


『……。……ここからは私の独り言だ』

『……はい?』

『現時点でエクレトルはトシューラ国への一切の干渉はしない旨を通達している。が、それは飽くまで国への干渉だ。アバドンに対してではない。意味は分かるか?』

『つまり……アバドンをトシューラ国から追い出せば良い、と?』

『それが最善ではある。危険だが追い立ててエクレトルまで誘導できれば受け入れることは出来よう。だが、それとて容易ではあるまい』


 例えばアバドン出現と同時に紫穏石を使い追い立てたとしてもエクレトル国境までには相当の距離がある。その間、土地や民に被害を出さぬことはほぼ不可能だ。

 そもそも紫穏石自体には忌避効果はあるが撃退出来る程の有効性は無い。アバドンが地上に出てきてしまった場合、誘導に使えるかさえ保証は無いのだ。


 或いはライならば強引な手法にてエクレトルまで移動させられる……アスラバルスはその可能性も含めて神聖機構として何ができるのか提示した。


『だが……アバドンをエクレトルに誘導できたならばこちらで引き受ける準備を進めておこう。上手くゆけば他国への被害は抑えられる故な。それもまた相当な難関やもしれぬが……』

『…………。アスラバルスさん、聞きたいことがあるんですが』

『何だ……?』

『タイミングに併せて結界を開くことは出来ますか? 一瞬で良いので』

『私の権限で準備はやれぬことも無いが……何をするつもりなのだ?』

『上手くいくか分かりませんが、アバドンをそちらの決戦地まで転移させます。だから転移座標を教えて下さい』

『むぅ……。貴公といえどそれは流石にな……』


 ライの言葉にアスラバルスは難色を示した。結界を解く行為に否定的だった訳ではない。ライの提案が非現実的だった為だ。


 アバドンは魔力吸収能力を持つ。それ故に魔法式に展開された魔力をも奪い魔法を無効化する。圧縮魔法の様に高密度魔力を一気に撃ち込む等は可能ではあるが、それさえ核を貫けねば吸収され相手の糧となってしまう。

 そして転移魔法は他の魔法とは違い緻密である。圧縮の様な真似は叶わず対象を魔法式で指定する必要もあるのだ。


 前回のアバドン出現の際エクレトルは転移神具にてアバドンを集めて殲滅する計画も立てていたが、前述の理由で頓挫した経緯がある。今回のアバドンが前回よりも弱体ということが考えられない以上、転移による移動は不可能というのが結論だった。


 だが……ライがその辺りの情報を見落とすとは思えない。何らかの策があるのだろうことは想像が付く。


『……何か考えがあるならば良いが、詳細を聞かねばやはり対応には限界があるぞ』

『分かってます。今回は助けを総動員してみようかと。具体的にはアバドンを……』


 ライの案を聞いたアスラバルスは流石に呆れるしかなかった。それはこのロウド世界に於いてライのみが可能な力技だったのだ。


『……という考えなんですけど』

『それは……いや、或いは貴公ならば可能か……。だが、事前に試したのか?』

『完全にぶっつけ本番になっちゃいますね。何せ魔力消費が尋常じゃなさそうですから。何より、最近分かったことから思い付いた部分もあるので』

『…………。賭けになる、か。しかしな……貴公の負担を考えれば安易に賛同はできぬ』


 毎度のことながらライの策は己の身の危険が度外視されている。只でさえ脅威対策に尽力していることを考えれば心の負担も含め心配になるのは当然だった。

 だが、ライはそんなアスラバルスを杞憂だと諭す。


『大丈夫ですよ〜。今日は半日程ですが休めたので』

『僅か半日ではないか……。貴公は自分の価値をもっと知るべきなのだがな。いや……頼りきりでこんな話をするのは卑怯だな。済まぬ』

『謝らないで下さいよ。確かに大変ですがその分、後から楽になる筈です。そしたらウチで宴会でも開きましょう』

『……大陸が大戦になろうというこの時にか?』

『ハハハ。不謹慎ですかね?』

『いや……。フフフ、全く貴公は変わらぬな』


 世の脅威を退け人々の救いとなる……それは確かに勇者の役割でもある。しかし、まさか世界の管理を自認する天使をも助ける者が現れるとは誰が想像しただろうか。


『頼ってばかりだがその策に乗るとしよう。結界は貴公の合図で解く。転移座標は──』

『わかりました。……。もし俺のやり方が上手く行ったとしても相当ヤバイ戦いになると思いますから、準備は徹底して下さい』

『うむ……万全を心掛ける。貴公こそ忘れてくれるな。その命を失うようなことがあれば悲しむ者は多い。無論、私も含めてな』

『……ありがとうございます』

『では、貴公の合図を待っているぞ』

『お願いします』


 エクレトルとの念話を切った後、ライはそのまま一気に降下した。アバドンが向かっているのは明らかに紫穏石配置の穴──しかもアチラも加速して這い出でようとしている。


 現在の最善手は地中から出ぬよう通り道を塞ぐこと。そうすれば予定通りエクレトル側の穴へ向かい結界内に閉じ込めることが可能となる。

 しかし、これもまたギリギリのタイミングである。


 トシューラ国から出現された場合は不安要素に事欠かない。騎士団による妨害、周囲の民の犠牲、それらを避ける為の労力は恐らくライだけでは手が足りない。敵国というのもまた不都合を増やす要因である。ライが呼び掛けを行っても信用などされないだろう。


「……ちっ! せめてもう一箇所紫穏石が配置されてたなら……」


 口にしても何も変わらないと知りつつも不満は募るばかりだ。ルルクシアの対応は明らかに自国民を蔑ろにしている。それがまたライの焦りを増長させた。


 そして……ようやく目的地が見えたその時──無情にも地中から魔獣が這い出る姿が見えた。


「間に合わなかった……ちっくしょおぉぉぉ━━━っ!」


 魔獣アバドン、出現──。


 創世神の獣との戦いは想像を超え厳しいものとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る