第七部 第十章 第五話 迫る厄災


「使い方は今教えた通りだ。ウィステルト、少しづつ速くなるよう走ってみてくれ」

『わかった』


 再び走り始めたウィステルトは言われるままに速度を上げた。少しづつ景色が流れやがては猛烈な勢いで過ぎてゆく。

 やがて音が遠退き始めた頃、ウィステルトは自分を包む皮膜をイメージする。いつもならば広がる力場は内側に収束するように封じられている。


「……上手く行ったみたいだな。良し。ウィステルト……全力で行けるぞ」


 耳をピクリと動かし応えたウィステルトは更に加速を始めた。心なしかその足取りは弾むようだった。


 視界に迫る木々や草花がウィステルトの動きに合わせて避けてゆく。その色彩は加速により輪郭を失い融け朧気だった。だが、ウィステルトの加速はまだ続いた。音の壁を超え加速を続けたその速さにライも蟲皇も唸っていた。


『……まさかこれ程までとは思わなんだな。気付いたか、ライよ?』

「ええ……。魔纏装ですよね、コレ?」

『魔物は魔力を宿すが故にそれを本能で理解し使い熟す。が……ウィステルトのソレは人の手により完成された纏装だ。恐らくモーリスという者は使い手だったと見るべきだな』

「そうですね」


 モーリスは幼いウィステルトを鍛えようとしたのだろう。魔物であれば魔力操作は可能なのだ。知能もあるので纏装という形で習得させられれば生きる上でこの上ない助けになる。

 そしてウィステルトはそれを確実に学んだ。それ故か走る技能も飛躍したのかもしれない。


 教えた当人のモーリスもまさかここまでの巨体となるとは考えもしなかっただろうが……。


「もう一つ、驚くところがありますね」

『うむ。確かに速さは全力のお主よりも劣るだろう。しかし、驚くべきは持久力……』

「はい。これは俺も真似できないですね」


 瞬間的な速度であればライの方が上なのは間違いない。それは空を飛べるクレニエスも同じだろう。しかし、ウィステルトは僅かに及ばぬながら高速を持続し続ける体力がある。


 恐らくウィステルトはロウド世界の生物に於いて最高の脚力を持つ。そしてその過去を見たライはウィステルトがまだ成長の途中であることも理解していた。


『更なる成長を果たせばこの地上に於いて最速の魔物と成り得るか……』

「空皇は……?」

『アレは元は魔物だが半精霊体。生物の括りを当て嵌めるべきではなかろう』

「へ、へぇ〜…………」

『因みに空皇は我の知己である。同じ神の元で友として過ごしたこともあるのだ。今後、お主も一度逢うべき相手よな」


 確かにこの先、闘神復活への備えとして空皇との協力も不可欠となるだろう。だが、ライはまだ知らない……。空皇レムペオルは既にホオズキの“お友達”になっていることを。


『……ともかく、順調に育てばウィステルトは初の【陸王】ということになるか』

「ん〜……。まだ子供だから【陸王子りくおうじ】ってトコですかね〜」

『……お主にはホトホト呆れさせられるわ』

「え、え〜! ……な、何ですか、いきなり……」

『分からんならば良い』


 人に育てられたウィステルトではあるが、もしあのままルチアとの再会が叶わず孤独であった場合その気性は野生寄りになっていただろう。ともなれば【脅威存在】の魔物として名を馳せていたことは否定できない。

 またはそこに至る前に討伐されることになったか……或いはトシューラ国に捕縛され魔導実験の材料とされた可能性もある。


 しかし、実際にウィステルトの身に起こったことは全くの逆……。


 ライとの出逢いにより発生したのは救済と擁護。危険に晒される前にライと出会ったことでその身は安全となり、失う筈だったルチアとの関係も復縁の希望となった。何より、この先永きを生きるウィステルトにとって寄り添える者が増える意味は大きいのだ。


(これもまた【幸運】か……。しかし……)


 幸運竜の存在特性である【幸運】は本来、〘因果干渉型〙ではあるもののそれ程強力な力ではない。出逢った者の幸運を願った際に発動しその先行きがほんの少し恵まれるようになる程度である。

 少し変わっているのが、幸運はウィトが願った者の関係者にも波及することである。幸運は因果の流れであり波のように伝播し次の相手へ幸運を与える。


 それが巡って最初に幸運を受けた者へ再び還り一つの循環となる。この時にはウィトの幸運だけではない“因果の流れ”が関わった者に宿る。幸運は一人の身に宿っても周囲に及ばねば成り立たないのである。


 とはいえ、存在特性【幸運】は巨万の富や強固な権力などが手に入る様なものではない。飽くまで切っ掛けを生み出すに過ぎず、本当の幸運に至るには当人の努力や心持ちが重要となるのである。


 つまり……ライの【幸運】はまた別物。確かに普段はウィトの幸運と同様なのだろう。だが、迫る危機に対しては引き寄せられるかの様に対峙している。それは悪運とも言い換えられる。

 とはいえ、結果だけを見れば親しき者達への被害が最低限となっている事実は無視できない。


(幸運がを主軸として回る時点でウィトのソレと全く同じではない……か。加えて、先を見通したかの様に引き寄せる力……ライには何かがあるのは間違い無かろう)


 『要柱』という存在が何を意味するのかまだ分からない。だが、蟲皇はライが起こす【引力】を何となく感じていた。



 蟲皇がそんな思考を巡らせていた間に一同は目的地に着いていた。時間にして僅か四半刻足らず……確かにウィステルトによる移動は非常に有効である。

 ライの神具による周囲被害抑制と気配の隠蔽は飛翔魔法や転移と違い限定的な空間で起こっている。故に騎士団等はその痕跡からの追撃が困難となった。結果としてライは紫穏石の設置が容易になったのだ。


「ウィステルト。疲れてないか?」

『全然平気。もっと走りたい』

「ハハハ。本当に凄いな」


 目的地の大地に降り立ち大地に手を添えたライはそのまま地中へ魔法を放つ。《物質変換》により地下地盤は紫穏石を含む鉱石へと変化した。


「良し。大体あと七箇所で終わる。そしたらとっととトシューラから逃げよう」

『ライは何してるの?』

「これは魔獣が来ないようにしてるんだよ。お前も前に怖さを感じて逃げただろ?」

『あの変な虫……?』

「そう。これが終わればルチアさんも安心だと思う。だからもう少し手伝ってくれるか?」

『うん。手伝うよ』


 ウィステルトの協力により紫穏石の配置は大きく捗った。流石に転移よりも時間は費やすがトシューラ内の様子を確認できることには今後の為にも大きな意味があった。

 何より、ライは力の使用が減らせたことは大きい。


 神格魔法の中でも《転移》は魔力を大量に必要とする。ライの膨大な魔力では然程の問題は無いものの、魔法自体には精神力を必要とすることには変わらない。精神摩耗と魔力消費を抑えられたことはつまりは肉体疲弊の回避にも繋がる。存在力にダメージがあるライにとってはこの上ない休息にもなる。


 柔らかなウィステルトの体毛に触れていることも大きな安らぎを与えた。移動の際の振動さえ優しいその背は安楽椅子を感じさせる心地よさ……。

 それら自体が身を癒やす明確な効果がある訳では無い。だが現状、力の消費を抑えられたことこそが大きな意味を持った。


 ここ最近常に何かの力を使用し続けていたライが消費を抑える……つまりは余剰の魔力がその身を満たす機会を与えた。精霊格には“魔力が肉体再生へ影響する”……という能力がある。ウィステルトとの出会いは意図せずライに回復の時間を与えたことになる。



 紫穏石配置の旅路は驚く程順調だった。トシューラ各領地にも事情があったらしく、領主の怠慢で紫穏石の配置が為されていない……という訳では無いことも分かってきた。

 地盤が硬く地中へ干渉できない場所、アバドンによる破壊で落とされた大橋が修復されていない土地、そして紫穏石不足──。中には領主が私財をなげうち国外から紫穏石を買い取っていた為にようやく着工という領地まである。


 ライはトシューラの諸侯も悪人より善人の方が多いと改めて理解した。それもそうである。侵略国家とはいえ民をまとめるのが恐怖のみならばとうに瓦解している筈だ。


(寧ろ厄介なのは王家のやり方だな……)


 良き領主を多く据え民と共に栄えさせる。その後、信頼関係を築かせ強固な騎士団を構築……これで領主は民をに取られる。

 “従えば領民の安全と利益は保証する”という王家の脅しから領主は民を守らねばならない。事実、王家は従順な領主には対価として侵略地をそのまま任せている。そうして発展させることでトシューラ国の利益に繋がっていた。


 そして領主には王家の息の掛かった者が幾人か存在している。隣接領地を監視させ反乱を起こせぬような状態となっていた。


「結局、トシューラ王家を変えなくちゃ駄目ってことか……。できればパーシンの妹……ルルクシアって言ったっけ。戦いたくないんだけど……」


 五箇所目の紫穏石配置を終えたライはトシューラ国の抱える闇にウンザリしていた。王家は大抵何かしらの闇を抱えている。だが、トシューラ国のソレは他国よりも尚深く暗いとライも感じていた。


 特に現女王ルルクシアにはライでさえ身構える程の奇妙な違和感を感じていた。


『ならば、この国など捨て置けば良かろう』

「そうはいかないですよ。この国には友達が居て、親友の故郷でもあるんですから。どのみち対峙は避けられないんです。大体、来なければウィステルトとも出会えなかったでしょう?」

『…………』

「とにかく、あと二箇所配置し終えたらラヴェリントへ向かいましょう。そろそろディルムさんが試練を終えるんじゃないかと」


 そこにまるで申し合わせた様に蟲皇が反応を示す。


『……。お主の見立て通りディルムとやらが試練の間に入った様だ』

「あらぁ〜……タイミング、バッチリッスね」

『どうする? まだ配置が終わっていない以上試練は後回しにすることも可能だが?』

「……。いえ……行って下さい。ディルムさんも一刻も早く試練終えたい筈ですから」


 だが、この時蟲皇には少しばかり胸騒ぎがありライの傍らを離れることを躊躇する。


『……。妙な感じがする。今、お主と離れると良からぬことが起こる……そんな気がするのだ』

「だったら尚更行って下さい。その勘が当たってた場合ウィステルトを危険に巻き込みたくないので……」

『…………』

「大丈夫ですよ。ウィステルトのお陰で結構休めた。それと蜜精の森の皆へ事情説明は任せました。移動は……クロカナ、頼む」


 遠隔能力使用にて黒い穴を出現させたライはクロカナを呼び寄せた。


「クロカナ。これは俺からの頼みだ。カブト先輩とこの魔物を一度蜜精の森へ運んでくれ。それからカブト先輩をラヴェリントに」

『承知しました』

「カブト先輩。クロカナと喧嘩しないで下さいね〜。ウィステルト……向こうには俺よりも優しい人達、それにお前の仲間達が居る。安心して良いからな?」

『ライは行かないの?』

「大丈夫……後から行くからさ。待っててくれ」

『分かった』


 蟲皇達は空間の穴に飛び込み姿を消したすぐ後、ライは思わず膝を突いた。


「………っ!」


 実は蟲皇の予感は当たっていた。


 蟲皇がディルムの試練の間入りを感じたその時……ライもある気配を感じていた。頭の中に芽生える猛烈な危機感……警鐘とも取れる怖気は背筋にまで伝わって行く。


「クッソ、ここに来てかよ。あと二箇所だってのに……頼むから間に合ってくれよ?」


 最早時間との勝負と割り切ったライは全力で駆ける。目指すは残りの紫穏石配置場所……。



 その頃……遥か地中からは最凶の魔獣が迫っていた──。

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