第七部 第十章 第二話 風斑(かぜまだら)


『しかし、ライよ……。アバドンも厄介ではあるが今回の魔獣は問題だぞ』

「それは俺も思いました。何で感知できないんでしょう?」


 ライの《千里眼》や蟲皇の感知に引っ掛からなかった新たな魔獣ともなればそれはそれで脅威である。只でさえトシューラ国の聖獣は安全な保護ができていないのだ。魔獣に『裏返り』されると更に問題が増えてしまう。


『さて……。隠蔽を行う概念力を宿す存在か、または本当に邪気を周囲に振り撒かぬ新種か……』

「それって霊獣ではないんですか?」

『その可能性もあるが……』


 これまで例は無いが、もし存在を隠蔽する新種の魔獣が誕生したとなればアバドンと並ぶ程の尋常ならざる脅威となる。対して邪気を振り撒かぬ魔獣……というのは蟲皇の単なる想像らしい。

 霊獣の場合、魔獣寄りに傾くことでその行動が変化する。凶暴という程ではなく邪気も撒かぬものの、行動の倫理観が薄れるので危険性は少なからず生まれてしまうのだ。


 それでもライや蟲皇が感知できないということは無い筈……益々謎の存在である。


「う〜む……。アバドン対策よりソッチを先にやらないと駄目ですかね……」

『フム……。一つ、試してみたいことがある』

「……? 何ですか?」

『《千里眼》の捜索条件を“トシューラ国内で最速で動く者”としてみよ』

「成る程……やってみます」


 言われた条件で《千里眼》を発動してみた結果……ライの顔が映った。


「…………」

『…………』

「イェイ! 俺、最速ぅ!」

『戯けめ!』

「ぐぼはぁッ!」


 蟲皇のツノによるボディブロー炸裂。ライの体は“くの字”に曲がった。膝はガクガクと笑っている。


「ぐお、お……。ツ、ツノがエゲツねぇ……」

『フン……。お主を条件から外すのは当然であろう』

「な、なら初めにそう……」

『もう一度だ!』

(……。誤魔化しやがったな……)


 気を取り直して自分を対象外とした条件で《千里眼》を発動。すると映ったのは……クレニエスだった。


「クレニエスが実質トシューラ最速か……。修行、頑張ってるみたいだな」

『…………』

「カブト先輩が疑ってるのって、もしかして精霊か魔物?」

『うむ。しかし、精霊ならば我に分からぬのは不可解である。故に見立てでは魔物……だったのだが、お主が聖属性の精霊を生み出すのを見た為に精霊の可能性も排除出来なくなった。デミオスやプレヴァインの様な【神の眷族】が他に居らぬとも言えぬ現状、正体が割れぬよう魔物や精霊に何か細工する可能性もある」

「…………」

「……。しかし、《千里眼》は便利な様で存外扱いづらいものよな』

「そうなんですよねぇ……。条件細かくしないと明確に映らないんですよ。仕方無いから面倒でも『魔物』に絞って調べましょう」


 魔物ならば本能の行動であることが考えられる。邪気が無いのでライや蟲皇の感知にも掛からないことも説明が付く。

 ただ、それ程高速で動く魔物となればかなり強力な存在と考えても良い。実際、魔獣と区別が付かぬこと、騎士達が対処ができていないことを考えれば並の魔物ではないと思われた。


 そうして《千里眼》にて再度の捜索を行った結果、ライはある魔物の姿を捉えた。


「カブト先輩……当たりっス」

『やはり魔物か。前例はあったのでな。もしやと思ったが……』


 【海王】や【空皇】も始めは魔獣だと思われていた。しかし縄張り外での行動は比較的大人しく、周辺の地にも魔力影響が少ないことから違うのではないかと議論になった経緯がある。

 決定的だったのは捕食行動。魔力にて巨体を維持してはいるが時折獲物を捕らえ喰らう……それは動物だった頃の名残りなのだろう。


 そして似たようなことはディルナーチ大陸でも起きていた。巨大な猪が出現し各地を荒らした事件は割と近年の話だった。


 ディルナーチ大陸での魔獣判定は隠密の役割……そしてその判断方法は『方術』である。

 方術は元々百鬼一族が渡ってきた異界の霊術。魔力の無い世界では【霊力】を元に使用していたものの、魔力世界のロウドでは世界の法則が違う為に扱いが困難となった。


 方術は人の霊力……つまりはくを使用した術である。しかし、魔力という力が存在すると術の行使に不具合が生まれた。これは魂由来の『存在特性』と魔力由来の『纏装』が反発するのと同じ理由だった。

 故に現在の方術は人体ではなく自然魔力に含まれる霊力を元に発動している。人体の魄でなければ反発は起こらぬのが理由である。


 そんな方術による調査の結果、巨大猪は魔物と判定。魔獣程ではないものの危険と判断され豪独楽たけこま領主ジゲンにより拿捕された。

 因みに猪は現在もジゲンにより飼育されている。魔物化しているので知能があり躾けにより暴れることは無くなったという。蟲皇の話では豪独楽領の山中に住まいがあるらしい。


「………。た、豪独楽にそんなのが……」

『今はその話は良い。それより、トシューラの魔物についてだ』

「そ、そっスね。え〜っと……簡単に言うと、デカイ豹?」

『フム……風斑か』


 豹が魔物化したものは『風斑かぜまだら』と呼ばれている。元が肉食獣なので討伐対象とされるが、その素早さから難敵とされていた。

 しかし、『風斑』は素早さを重視した進化を行う為殆ど巨体化は確認されていない。大きくても牛程……だが、ライが確認したそれは通常の三倍はあろうかという大きさだった。


 余談だが、『風斑』の名の由来は斑模様の身体に加え風属性魔力を使用する為。そしてもう一つ……“突風が吹いた後、斑に食い千切られた死体が残る”という伝聞に由るもの……それ程に素早い魔物だと言われていたのだ。


『巨体にも拘らず素早い個体……突然変異の可能性がある、か』

「う〜ん……。可能性で言うと他にもありますが……」

『トシューラ魔導師による実験体か。しかし、確証は無い。そもそもそうだった場合はトシューラという国の怠慢、若しくは傲慢の結果だ。自業自得でしかあるまい』

「そうなんですけどね……。それって国民にとっても魔物にとっても只々不幸なだけな気がします」


 先程の騎士団は老人に扮したライを護衛し街まで送り届けてくれたのである。たった一人の為に気遣いができる者が隊長でならば、この地の領主は恐らく善なる者なのだろう。

 トシューラ全てが悪ではない……それを知るからこそライは敢えて敵地へ助力に踏み込んだのだ。放置という選択肢は無い。


『…………。決めるのはお主だ。好きにするが良い』

「ありがとうございます、カブト先輩」

『だが、どうするつもりだ?』

「先ずはソイツに会わないと。わざわざ各地へ移動しているなら何か目的があってのことなのかもしれませんし」

『魔物ならば知能も増している……か。巨体化しているならば人語を介するやもしれぬ。しかし、人の道理を理解するかはまた別……説得に応じぬかは分からぬぞ?』

「……とにかく行きましょう」


 トシューラの空を覆っていた結界はいつの間にか修復されていた。強度はともかく自動再生型の様なので魔物程度なら防ぐのに役立つのかもしれない。



 結界内ならば転移魔法も問題無いと判断したライは、『風斑』を確認した地の最寄りとなるドレンプレル領・リーブラ特区へと移動する。以前、強制収容所だった地は既に整地され街が建設されていた。


 メルマー家はあの後リーブラ国跡地をできる限り元に戻した。それはリーブラ国民へのせめてもの謝罪……。いつかトシューラ国が生まれ変わった際、定住せずとも来訪し懐かしむことができるようにという判断からだ。

 無論、街として機能せねば意味がないのでしっかりと経済を考えた街づくりをしている。かつて妖精が住んでいたリーブラ国跡地は珍しい薬草や植物が採取できるので、その量産を目指している……というのはボナート・メルマーの言葉だった。


「ドレンプレル領はアバドン対策もバッチリだな……」


 以前アバドンか排除された直ぐ後、ドレンプレル領は他の何処より早く紫穏石の配備を行った。その効果を更に魔法で強化する手法まで使用している。これは魔導師でもあったイポリットの手記に残されていたものを活用している。

 そしてメルマー家はその知識を惜しまず公開している。トシューラ国内で対策ができている領地はその恩恵がかなり大きい。


「問題は他の領地か……。ともかく、アバドン対策は『風斑』の件が終わってからだな」


 何せ肉食獣の魔物ともなれば人を襲わぬとは限らない。幸いアバドンはトシューラの地に踏み込むことを警戒しているらしく侵攻は止まっている。手早く済ませれば問題はないだろう。


「ここからはクロカナの力を使って……」


 行ったことのない地の座標特定は労力を要する。消費を抑える為にもクロカナの短距離転移の連続移動は有効な手段だった。



 そうして《千里眼》にて『風斑』の位置を把握しつつ追跡となるのだが……これが存外に速い。何より俊敏で不規則に移動するので近付く程に捉えづらくなる。成る程、その脚ならば広大なペトランズ大陸を半日掛からず横断できそうな勢いだ。

 それでも追い付き上空から様子を窺うライと蟲皇。改めて肉眼で見ると『風斑』は尋常な速さではない。


「速っえぇ……。地上であの速さじゃ確かにヤバいッスね」


 クレニエスのトシューラ国最速は飛翔にてのものなのだろう。対して大型の『風斑』は地に接しての移動では最速……。


『通った後が衝撃で薙ぎ倒されておるな。成る程、これでは魔獣と見分けが付かぬのも無理はあるまい』

「……。でも、何か変じゃないですか?」

『……その違和感は間違いではなかろう。アレは人里を避けておるのだ。恐らくは……』

「人に危害が及ばない様にですね」


 周辺環境のことにまでは配慮していないものの直接人に被害を与えることを避けている様な動き……。更には時折人里付近で脚を止め何かを確認している様子もある。

 ともなれば、或いは対話が可能かもしれない。


「良し。それじゃ、ここからは俺も足で行きます」


 ライの提案に蟲皇は溜息した。


『また無駄な労力を……』

「いやいや。やっぱり同じ土俵に立つのは大事なことですよ? それに……何かアイツ、焦ってる様な気がしますしいきなり空からだと警戒されるかなと」

『確かに、あの動きは何かを探している様だが……』

「という訳で……いざ!」


 大地に着地したライはその場で軽く屈伸を行った後、一気に加速──。追っている『風斑』に劣らぬ速度で駆け抜ける。

 但し、ライの走行は土煙こそ上がるが衝撃波は発生しない。周囲へ及ぶ力の派生は大きめに展開した纏装にて相殺していたのだ。


 凡そ人の走行とは思えぬ残影がそのまま前方を進む脅威を追う。不規則に行う『風斑』の方向変更にやや苦労しつつ少しづつその距離を詰めていった。



 後にその追跡劇はトシューラ国『大地の嵐事件』として語られることになる。


 

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