第七部 第十章 第一話 再びトシューラへ


 アステ国にて兄と分かれたライは、その足で遂に因縁のトシューラ国へと踏み込んだ。


 予想通りトシューラ国はその全土を結界で覆っていた。しかし、それが然程強固なものではないことを結界の届かぬ遥か上空にてライは感じ取っていた。


「…………」

『どうした?』

「いえ……想像と違ったので……。宣戦布告した手前、トシューラ国はもっと守りを徹底しているかと思ってました」


 恐らく“他国がトシューラへ攻め込むことはない”と見越しての対応……なのだろうが、それでも手を抜き過ぎている。これでは侵入してくれと言っている様なものである。


「もしかして……罠?」

『有り得る話ではあるな。そういう国なのだろう?』

「う〜ん……。そう見せ掛けて労力を他に割いている可能性もあるんですよね……」

『…………?』

「ホラ……カブト先輩も言ってたでしょ? 邪精霊は人工的にしか生まれないって。アレ、実はトシューラの技術なのかなって」

『つまり、トシューラもまた邪精霊を生み出そうとしている可能性があるとお主は考えたのだな?』

「飽くまで可能性ですけどね……」


 ベルフラガがベリドとして研究していたものの中にそういったものが無かったとは言い切れない。魔獣と人間を融合させる研究がそのまま流用されていることはトシューラ王都・ピオネアムンド潜入の折に確認している。他に何か行っていても不思議ではない。

 もし邪精霊を生み出そうとした場合、暴走を抑える為に兵力が必要となる。王都付近で研究を行っていたならばそちらに戦力が集まっている可能性は否定はできない。


『《千里眼》で確認を行ったか?』

「それが、分かる範囲では何もないんですよ……。ただ、王都辺りは良く見えなくて」

『事象神具による阻害、か。フム……。ともかく、結界の中に入らねば我も感知することができぬな。どのみち踏み込むことには変わらぬのだろう?』

「……そうですね」


 ここで躊躇していてはアバドンが動き始めた際に大きな被害を見過ごすことにもなる。ライの答えは決まっていた。


 結界の及ばぬ高度から更に上空へと飛翔したライは分身体を生み出し地上目掛けて降下させた。分身は派手に結界を蹴り破り地上にも穴を空けた。同時に本体側のライは精霊クロカナの能力を遠隔使用し離れた地へと転移した。

 位置は人目の付かない田舎街付近の森。高高度の上空から見えるギリギリの地点であった。


 そこでしばらくじっとしていたライは分身体側の目を通し様子見を行う。


「………反応無し。おかしいですね……あれだけ派手にやったんだから、普通兵位は確認に来ると思うんですが……」

『我も感知を行ってみたが、邪精霊の気配は無い。が……どうにもキナ臭い』

「ですよね……。何だろ、コレ……」


 結界を破られても対処を行わないトシューラ軍。流石に異常だと感じ始めた時、ようやく動きがあった。


 分身体ライが着地した地点へと迫るのは馬に乗った騎士団……。それを遠方に確認したライは分身を老いた行商人の姿に変えその場に仰向けに倒れる。


 やがて到着した騎士団は馬を止めるなり大声でがなり立てた。


「貴様! この緊急時に何をした!?」


 明らかに余裕の無い表情の騎士。ライはここで情報を得ることにした。


「ふぇっ? ワ、ワッシが何か……?」

「恍けるな! 先程結界が破られた。原因がこの付近にあるのは調べが付いて居る。貴様、只の商人ではあるまい!」

「そ、そう言われやしても……。あ、ああ! そうだ! 地面に穴を開けたのは燃える石でごぜぇやすよ?」

「石だとぉ?」


 隊長らしき者が視線で指示を出し配下が確認に向う。街道脇に空いた窪みの中心には確かに赤黒い石が煙を上げていた。

 無論、それはライの仕込みである。最初に駆け付けた者へは同じ言い訳を行い情報を得るつもりだったのだ。


「隊長。確かに魔石らしきものが穴の中に……」

「むむ。ということは箒星が原因か……」


 稀にロウド世界にも空の果てより隕石が落る時がある。大概は大気で燃え尽きるが、魔力を含んだ石が落ちてきた場合甚大な被害を齎すこともある。

 今回は隕石が結界を撃ち破り地に穴を空けた……そう判断した騎士は安堵の表情を浮かべていた。


「疑って済まなかったな、御老体よ。しかし、良く無事だったものだ」


 馬から降り手を差し伸べた隊長騎士は老体ライを助け起こすと埃を払ってくれた。


「いんやぁ……たまたまそこの木陰で一休みして、さて歩くかと言う時にドカンと。近付いて見ようとしたら焼けた石が突然爆ぜやして……」

「それで腰を抜かしておった訳か。それにしても御老体よ……行商とはいえ護衛も付けず歩くのは危険だぞ?」

「馬は連れていたんですがね? 先程の箒星で驚いて荷物ごと逃げられちまいやして……。ワッシは馬を走らせるにゃ自信があって盗賊程度なら逃げられたんでやすが……」

「それは災難だったな。が、やはり今は危険だ」

「……? 何かごぜぇやんしたか?」


 惚ける老人に呆れたのか隊長騎士は溜息を吐いた。


「何だ、知らぬのか? ……御老体は何処から来た?」

「ドレンプレル領からの行商でギルデリス領を通って来やした。ただ、ワッシも歳で途中から裏道を通って数日休みながら来たもんですからね……」

「ということは『翠真珠すいしんじゅの湖』沿いで来たのだな……。それなら無事だったのも事情を知らぬのも頷ける」


 『翠真珠の湖』はトシューラ国に残された数少ない聖域の一つである。湖の中には池蝶貝が存在し真珠の産地としても有名だった。しかし、乱獲され現在はその数を減らしている。

 残った貝があるのは水深深く……採れる量も少ないので現在では貴重とされていた。


 湖の底には巨大な蟹の聖獣が居て湖を浄化しており、周囲に流れる湧き水は大切な水源ともなっている。湖の聖獣を失えば農作物の生産に打撃を与え食糧問題になる為、トシューラ王家の【強欲】から難を逃れることができていた。


 稀に採れる池蝶貝の真珠は不思議なことに翡翠に似た色をしているので『翠真珠』と呼ばれている。地名はそれに因んでのものだった。


「実は数日程前に魔獣が出た。そのせいで国内はテンヤワンヤだ」

「ま、また魔獣でやすか? まさかこの間と同じ?」

「それが別口でな……その魔獣は新種で物凄く素早いらしい。半刻で五つもの領地で目撃されていて被害も出ているのだ」

「そ、そんなものが……」

「という訳だ。そんな状況で国内全土で警戒令が出ていたが……結界が破れたのは期に乗じて他国が攻めてきたのかと思ったのだ。疑って済まなかったな」

「いえいえ。偶然とはいえワッシも紛らわしかったのも事実でやすから……」

「うむ。詫び……という訳では無いが街まで送ろう。馬に逃げられた老体の身では危険だろう」

「お心遣い、感謝致しやす」


 騎士達の好意に甘え荷車の隅に乗せてもらった分体ライはそのまま情報収集を続けた。


 分かったことは二つ。一つは魔獣が発生したのはかつてデルセット国があった土地からだという。恐らく侵略後の土地開発で封印が解けたのが原因だろうと騎士達は話していた。

 そしてもう一つ……トシューラ国民はアバドンに対して警戒が無いということ。アバドン対策は既に為されており警戒の必要は無い……というのが王家からの通達であった。


 この情報を耳にしたライは直ぐ様本体側の 《千里眼》にて地中の状況を確認……。しかし、トシューラ国全域にてアバドンを防げるのは凡そ三分の二と言ったところだった。


「くっ……超絶嘘じゃねぇか……。国民何だと思ってんだ」

『落ち着け。そういう国だと理解していたからこそ来訪し手助けを考えたのだろう?』

「ま、まぁ、そうなんですが……」


 蟲皇に諭され冷静にはなったものの想像以上に労力が必要と改めて理解したライはウンザリした表情だ。


 その後、分身ライは騎士団と分かれて街の中にて情報を集める。半刻程過ぎた辺りで十分と判断し分身体を一度消すことにした。



「う〜む……それにしても、また魔獣か……。このところ多い気が……」

『それは逆だろう』

「逆……?」

『そうだ。お主が目に付く端から魔獣を聖獣に変えるのでそう感じるのだろう。本来、魔獣は倒されてもその土地の浄化が為されない場合魔獣として復活する。故に魔獣の総量は増えることはあってもそうそう減らぬのだが……』


 蟲皇の話では、魔獣討伐の地ではかなり大規模な浄化儀式が必要なのだという。その行為により魔獣の魂が少しづつ浄化され『魂の大河』を通り星へ……やがて聖獣として復活を果たすのだと。

 しかし、世界各地全て浄化することは不可能に近い。故にある意味では均衡とも取れる聖獣・魔獣の数が決まっている。だからライが台頭する以前は魔獣の数が圧倒的に多かったのだ。


 だが、現在のロウド世界では聖獣の『裏返り』はほぼ起こっていない。理由としては邪教討伐作戦前にライが各地の浄化を行った為である。


 結果、既に倒されていた魔獣は聖獣として復活することは間違いない。また、これまでライが聖獣へと変えた魔獣の数も多く、同時にそれが再び『裏返る』ことのないよう配慮もしている。これもまた前例の無い事態だと蟲皇は語った。


『【月光郷】と【蜜精の森】、それと【氷竜の森】……だったか? やはり減っていた聖地が確保できたのは聖獣達にとっては救いだった様だ。世界単位で見れば現状存在する上位魔獣は手の指の数程しかおらぬだろう』

「マジすか……」

『更に邪教討伐の折に集められていた魔獣を聖獣へと変えたのは数的な意味で大きい。人と融け合った聖獣達も含めてな』

「…………」


 多大な犠牲を出してしまったトゥルク国の邪教騒動が聖獣達の安寧に繋がっている……ライとしてはかなり複雑な心境である。


『それでも厄介事は残されているがな。今回の様に封印されていた、または封印されている魔獣は数の把握が困難だ。が……恐らくそれなりに数も居る』

「確かに……。流石に封印されてるのまでは見付けるのが難しいですからね」


 封印される魔獣はその多くが事象神具によって行われたものだとライはメトラペトラから学んでいる。通常の魔導具では魔獣を抑えきれないのが理由だった。

 そして現在、封印神具の多くは所在不明。《千里眼》でさえも見付からぬそれは古い伝承を辿り探す以外手がない。


 だが、蟲皇はこれにもある可能性を示唆した。


『そう悲観する必要もない。現状、浄化されぬ【創世神の獣】はアバドンのみだ。〘黒蜘蛛〙とやらが魔獣化し事象神具に封印されているとしてもアバドンを抑え込めば危機は大きく下がる。それに、その他の魔獣を封印した事象神具を持つ者……お主にも心当たりはあるだろう?』

「心当たり……? …………。あ〜……」

『気付いた様だな。災いに伴う僅かな希望……通常ならば敵対のみの存在であるが、お主は経緯はどうあれ対話を選んだ。その意味が生まれたのだ。無謀とも思える行動がそれを手繰り寄せた』

「…………」


 魔王アムドは複数の魔獣をエネルギーとして保持している。封じているのは事象神具で間違いは無いだろう。

 少なくともアムドは世界に魔獣を解き放ち混乱を齎そうとは考えていない様だった。この先、約束通り戦うことにはなるだろうが協力を取り付けられれば魔獣による危機は大きく取り覗かれる。


 その可能性もまたアムドに対し敵対以外の道を模索した結果……。お人好しと言われ戦いを極力避けるライの行動はここに来て少しづつ意味を成し始めたのである。

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