第七部 第九章 第十四話 氷竜の里
先に氷竜の里へと向かったロクス達はそれから程無く目的地へと到着を果たした。
氷竜の里は本来人間を寄せ付けぬ地……とはいうものの、トォン国との関係は良好であり他のドラゴン達に比べ人間と親しい立場にある。
それはトォン国が礼節を以て接しているからこそのこと。故に氷竜達は王の使者たるロクス達を丁重に受け入れた。
そうは言っても、氷竜の里へ頻繁に来れる使者などロクスくらいのものである。時折王命で来訪するので既に警戒はされていなかった。
「ロクス、久し振りだな。またトォン王からの依頼か?」
「ああ、そうだ。一年振りだな、ゲルー、スティーリア」
ロクス達を迎えたのはゲルーとスティーリアという二体の氷竜。里の入り口を守る門番というべき彼等は比較的若い竜でロクスとも当然知己である。
「今回は長老に聞きたいことがあってね。これが王からの親書だ……どうかお目通り願いたい」
「アンタだけなら親書が無くても問題はないんだが……」
そう言った氷竜ゲルーはロクスの同行者達へと視線を向けた。一応、初見の相手となれば身元の確認を行わねばならないらしい。
「二人共、挨拶を」
「私はプリエール……精霊人よ」
「精霊人なのは感覚で判る。素性を述べよ」
「素性って……何を言えば良いの、ロクス?」
「簡単だ。……ゲルー。この娘は聖獣ベンヌと剣聖カラナータの娘だ」
それを聞いたゲルーは目を丸くした。
「カラナータだって? 驚いた……まさかあの男に娘が居たとは」
「カラナータ殿を知ってるのか?」
「ああ。最後に来たのは四十年程前になるかな……。長とは友人らしいが」
「それは初耳だ……」
「お前は要件が終わると殆ど滞在しないからな。話す機会もなかったのさ」
ロクスとしては迷惑を掛けるかと思い早々に立ち去っていたのだが、その配慮が裏目に出たらしい。実在さえ疑っていた剣聖が氷竜の長と知己だと知っていたならばもっと早くカラナータの弟子になれたかもしれないのだ。
しかし、過ぎたことを悔やんでも仕方がないと気を取り直し話を続ける。
「そのカラナータ殿は遅れて来訪する。我が国の勇者も一緒だ。済まないが手土産はそちらに預けている。受け入れの際に受け取ってくれ」
「ほぉ〜。カラナータはともかくこの地に来るとは……その勇者、かなりのものだな」
「トォン国最強の男だよ。力の勇者ルーヴェストだ」
ロクスの説明に今度はスティーリアが目を丸くした。
「力の勇者? あのルーヴェスト・レクサムか?」
「そうか……スティーリアは一度王都の武闘会に参加したんだったか?」
「ああ……。たまたまルーヴェストと戦ったが……フフフ、あれはバケモノだったな」
トォン国では毎年春に武闘会を行っている。山開きを行い恵みを分けて貰う為、神である竜へ供物と娯楽を奉納する神事とされていた。
氷竜達は人間社会と距離は置いているが世情というものは知らねばならない。そこで代表者が文化や政治情勢も含め人の社会を確認に訪れていた。
そして竜もまた意思ある存在。中には腕試しとして人間の強さを測りたくなる者も居る。その年、視察代表となったスティーリアは素性を隠し武闘会に参加した。
通常ならば人型といえど竜の相手になる者は先ず存在しない。当然、手加減で戦うことになるのだが……その年は偶然ルーヴェストが王の命令で参加していた。結果スティーリアは人型とはいえ全力で戦うこととなり、その上で負けたのである。
「あの時で八年程前……今は更に強くなったのだろうな」
「お察しの通りだ。俺なんて遠く及ばんよ」
「何……お前も会う度に強さが増していることは分かる。成長の速度は人それぞれだ」
「ああ。分かってるさ」
「ならば良い。それで、もう一人の同行者は……魔人か?」
スティーリアの問いにエマルシアは礼儀正しく頭を下げた。
「私は……今は無きデルセット国の第一王女、エマルシア・マーニー・デルセットと申します。お察しの通り『先祖返り』の身ですが……村には入れませんか?」
「そんなことはない。飽くまで身元の確認だ。デルセットの王女ともなれば問題はない。無論、真実であった場合だが……」
ここでロクスは素早く補足を加えた。身の証の為に滅んだ故国を語らせるのは酷と考えたのだ。
「彼女の身元は確かだ。保護したのはカラナータ殿……そして彼女は今、剣聖の弟子でもある」
「成る程。ロクスとカラナータ、二人の証明となれば疑いようはあるまいさ。済まなかったな、エマルシアよ。ようこそ参られた」
「いえ……認めて頂き感謝致します」
「では氷竜の里の守り手・ゲルーとスティーリアが、ロクス、プリエール、エマルシアの三名の受け入れを認める。これによりお前達は客人となった。遠慮なく休んでくれ……と言っても大したもてなしはできんが」
「受け入れ、感謝する」
ロクスが改めて頭を下げるとプリエールとエマルシアもそれに続く。小さく頷いたゲルーは受け取っていた親書をスティーリアへと手渡した。
「スティーリア、親書を長老の元へ。ここは俺だけで良い」
「分かった」
スティーリアは竜の姿から人型へと変化した。現れたのは剣を腰に携えた二十歳程の凛々しい顔付きをした青髪の女性。防具は身に付けていないが丁寧な刺繍の施された服を纏っている。
「スティーリアさん、女性だったんですね……」
「ハハハ。私の声は少し低いから竜の姿だと判断が付きづらい様だ。さあ、付いて来てくれ」
四方を積雪が囲い結界に包まれた氷竜の里はあらゆるものが氷で形成されている。足元はまるで石畳の様に氷が組まれ、平坦化されているものの滑って足を取られる事無い不思議な構造だった。
人間の街と違い明確な建築物はかなり少なく、代わりに至る所に見える半球型の氷の繭が竜達の住まいとなっていた。里の中央には岩壁や煉瓦造りの屋敷が数軒存在しているが、これは飽くまで来客用の建物とのことだ。
氷竜達にも文化はあり所々に氷柱型の彫像が見て取れた。氷柱には編んだ糸を模した渦模様が
良く見れば氷竜達の住まいにも似たような模様が描かれていることにプリエールも感動している様だった。
「竜の里ってこんなに芸術的なんだね」
「他の竜達と比べれば人に近い分発展はしているかもしれない。だが、人間程凝ったものではないだろう」
「そんなことないよ。十分凄いわ」
興味深そうに周囲を見ているプリエールとエマルシア。特にエマルシアは故郷とは全く違う文化体系に関心頻りである。
そこでロクスはスティーリアにある提案を申し出た。
「プリエールとエマルシアは竜の里に興味があって来たんだ。スティーリアがこのまま案内してやってくれないか?」
「いや、しかし……」
「俺なら里を自由に歩いても問題ないのだろう? 長の住まいは分かっているから直接親書を渡す。だから頼めないか?」
いつも冷静なロクスが真剣に頼むのでスティーリアも拒むことはできなくなった。
「そこまで言うなら引き受けよう。……長はこのところ巣に籠もっている。しかし、お前ならすぐに会ってくれるだろう」
「感謝する。そういう訳だから二人は里を見ていてくれ。俺は長と話をしてくる」
「ありがとう、ロクス!」
「あ、ありがとうございます」
「良いさ。スティーリア、任せたよ」
微笑みを浮かべたロクスは里で一番大きな氷の繭の方角へと去っていった。
「……。ロクス、少し変わったな。さて……では、里を案内しよう。知りたいことがあれば遠慮なく聞いてくれ」
「よろしくね、スティーリアさん」
「スティーリアで良い。私にも外の話を聞かせてくれると嬉しい」
実はこの時、ドラゴン種全てに慈母竜エルモースからの依頼が伝わっていた。それは自らの種族に脅威が迫らぬ限り人間との共存を目指して欲しいというものだ。
迫る闘神の脅威はロウド世界が一つに纏まらねば乗り越えられないという考えは慈母竜エルモース、そして大天使ティアモントの共通の考えである。つまり天界は既に意思統一され人間社会の安寧を待つばかりだった。
しかし、今の混迷の状況ではいつそれが成されるかは分からない。いや……混迷の状況だからこそ真なる信頼関係を築けると判断し先ずドラゴン族が動いたのだ。
しかしながら、スティーリア自身はその伝達に従った……という訳でもない。彼女は元々人間に対しても平等な視線で物事を見ていたのである。ロクスが信頼できる男であることはこれまでの交流で理解しており、トォンという国の竜への敬意には驕ることなく感謝もしていた。
そしてロクスが我儘と理解しつつ
竜と人間の友好にはまだ課題も多い。だが個としての力が竜に引けを取らず、かつ純粋なプリエール達との出会いはきっと良い方向へと向うだろう。
一方、ロクスが向かった氷竜の長の住まいは里の最奥にあった。一際大きな巣の入り口に立派な氷の彫像が二つ。その前にはニ体の竜が居た。
但し、今度は門番という訳ではない。一体は他の氷竜より一回り大きい体を持つ『次代の長』候補となる里のまとめ役。もう一体は長の世話を任された若者である。
ロクスはまとめ役の竜の前に立ち声を掛けた。
「アルゼンタム。長にお目通り願えるか?」
「ロクスか……久しいな。しかし、長はここしばらく瞑想中でな。待って貰うしかあるまい」
すると突然、脳裏に念話が響く。
『構わん。ロクスよ、入れ』
「……分かりました」
長に導かれたロクスはそのまま巣の中へと入って行った。
氷の球体の中央にはアルゼンタムよりも更に二回り程大きい竜が居た。角の数も通常の二本ではなく四本、顎には髭の様な長い体毛があり、深い蒼の鱗が輝いている。
「瞑想中に失礼しました」
「構わぬ。良くぞ参ったな、ロクスよ。来訪の理由は地脈のことだろう?」
「お見通しですか……流石ですね、マグナ殿」
「いや……。ワシも気付くのが遅れマニシド王に伝えることが出来なんだ。済まぬな」
氷竜の長マグナは人型へと姿を変える。立派な顎髭を蓄えた、人間であれば六十歳程の体格の良い大男の姿──マグナはロクスと向き合うように腰を下ろす。ロクスは一礼した後、同じ様に腰を下ろし
「さて……。結論から言えば地脈の異常は魔獣の影響だ」
「魔獣が地下に……?」
「うむ。正確には地下に逃げた魔獣が進化し地脈の流れに影響を与えた。枯渇する地がある反面、過剰に流れる地も生まれた様だ。トォン国は過多になっていたが……つい今し方、その地脈の正常化を終えた。これで影響を受ける者も減るだろう」
「感謝します、長」
「礼には早い。肝心の魔獣が排除されぬ限り再び異常は起こる。何より、魔獣が強大になっていることが問題だ」
地に逃げた魔獣アバドンは進化を果たし更なる脅威となり戻ってくる……その事実にロクスは眉間に皺を寄せた。
「手は……無いのですか?」
「現在、神聖国が策を講じている様だ。それともう一人、勇者もな」
「勇者……ですか?」
「うむ。どのみちそちらは任せるしかない。我々ドラゴンは各地にて地脈の正常化を続けている。マニシド王にはその旨知らせて欲しい」
「……承知しました」
ロクスは自分の知らぬところで続く脅威の連続に歯噛みする思いだった。
確かに自分は勇者ではない。しかし、こうも蚊帳の外というのは非力さを嫌でも感じさせられる。この体たらくでは護るべき者さえも護れないのではないか……そんな不安が過ぎったのだ。
ロクスはこの後、否応なしに事態に巻き込まれ当事者の一人になることをまだ知らない……。
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