第七部 第九章 第十三話 不謹慎な勝負
「ハッハッハ〜! うむ! やはり俺の筋肉は最高ということがまた証明されたな!」
ウォント大山脈の最難所とも言える『拒絶の断崖』を最初に登りきったのはルーヴェストだった。
トォン国の練達登山家でさえ数日掛かる断崖を僅か一刻半程……要した時間もそうだが、使用したのは己の腕力のみという事実は驚愕と言わざるを得ない。
氷の足場を造る脇を命纏装で保護した結界装置を背負いひたすらに登るルーヴェスト……その姿を目撃したロクスは、親類ながら実は別の生物なのではないかと思った程だ。
休みなく、かつ素早く……それでもまだ余裕綽々。これこそが『力の勇者』を冠する者の実力。
「ルーヴェスト、凄いね〜!」
「だろ? とはいえ、中々の鍛錬になったな。俺の筋肉が喜びで打ち震えるてるぜ」
「筋肉が喜ぶの?」
「何ぃ!? 筋肉の喜びを知らんのか? 仕方ない……特別に見せてやろう!」
未だ吹雪く中、ルーヴェストは結界装置を下ろしバッ!と服を脱ぐとリズミカルに身体中の筋肉を躍動させポーズを取り始める。迫る筋肉にプリエールは悲鳴を上げ逃げ出した。
しかし、そこは筋肉男……“筋肉の喜び”とやらを布教する為に追い回す。
「さぁ、たぁんと見ろ! 俺のこの筋肉が喜ぶ様をな!?」
「い〜や〜! 気持ち悪い〜!」
「気持ち悪いとは何だ! 筋肉は正義! 堪能しろ……そして子々孫々まで正義の筋肉を語り継げ!」
『拒絶の断崖』に響く悲鳴と怒声は慌てて登頂したロクスが止めるまで続いたという……。
「……。お前、その内マニシド王から変態認定のお触れが出されるぞ」
「いや、プリエールがどうしても見たいっつうからよ……」
「言ってないよ!」
「アレ? そうだったか? ハッハッハ! スマン、スマン!」
言葉とは裏腹にまるで反省の様子がないルーヴェストだが、ロクスはいつものことと諦めた。
残るはカラナータとその弟子の到着を待つのみ……三人は吹雪で視界を遮られている崖下を覗き込んだ。
「……良く見えないね」
「俺らが上がったらすぐに来るっつってたが……お、来た来た」
「スマンな。少し遅れたか?」
「いえ……。それより師しょ……カラナータ殿。もしかして、ずっとそうやって?」
「うむ。ちょっとしたコツが必要だが慣れればどこでも足場になる」
ルーヴェストに負けず劣らずの修行馬鹿であるカラナータは、足に複雑な纏装を展開し絶壁から垂直に立っている。纏装の緻密な操作のみならず重力に負けず態勢を維持する筋力も必要なのだが、当のカラナータはまるで疲弊の様子はない。
「時間が掛かるようならば
登頂部ギリギリのところでカラナータは背後……つまり崖下へと視線を向ける。するとロクスの造った氷の足場を遅れて登る防寒着姿の少女が現れた。
そして少女が最後の一段を跳躍し登り切ったことでカラナータもその身を断崖から踏み出し登頂完了となる。
「良くやった、エマルシア。これでお前さんが一回り成長したのは間違いあるまい」
「ハァハァ……。あ、ありがとう……ございます……」
とはいえ、過酷な断崖を登頂したことでエマルシアは疲労困憊……。肩で息をする姿を見兼ねたプリエールが魔法にて回復することになった。
「はい。これで大丈夫?」
「あ、ありがとうございました。……あなたが師匠の娘さんですね?」
「そうよ。あなたがお父さんの御弟子さんね。実は着替えさせた時に会ってるんだけど」
「はい、師匠から聞いてます。お世話になりました。それで、この服なのですが……」
プリエールの視線を受けたロクスはエマルシアに近付き挨拶を行う。
「俺の名はロクスだ。その服は進呈するから遠慮しなくて良い。それと俺もカラナータ殿の弟子入りを許可された。君は姉弟子ということになる。宜しく頼む」
「エマルシアです。宜しくお願い致します。服も……感謝します」
と……ここでエマルシアは警戒の様子を見せた。視線の先のルーヴェストは未だ上半身裸のままだった。
「んん〜、何だぁ? ………。そうか! 俺の筋肉に見惚れたのか!」
「い、いえ……。プリエールさんにロクスさん、ということはあなたが三大勇者の……」
「ああ。俺はルーヴェスト・レクサム。『力の勇者』とも言われてるぜ」
「………。何で裸なんですか?」
「そりゃあ筋肉の猛りを鎮める為だ」
「筋肉の……猛り?」
「何ぃ!? 筋肉の猛りが見たいだと!? 仕方無ぇ……今日は特別だ! さぁ、見ろ! 我が猛りを!」
「キャ━━━━ァッ!」
再びポーズを取りながら筋肉を躍動させたルーヴェストはエマルシアへと迫る。堪らず逃げるも吹雪の中を追い回されることとなった。
「うむ、うむ。打ち解けた様で何よりだ」
「お父さん……アレは“打ち解けてる”とは言わないと思うの」
「む? そうなのか、ロクス?」
「え、ええ。……とにかく止めてきます」
ロクスによる制止が入るまで逃げ回ったエマルシアが再び息を切らすことになったのは言うまでもない。
ともかく、最難所である断崖は無事に乗り切った。ここでロクスは『凍結剣』により雪濠が作り出し小休止を提案。軽食を摂りつつ行動を決めることとなった。
「後は比較的移動は楽だから目的地に向かうのみ……そこで二手に分かれようと思う。俺は氷竜の里に先に向かい色々と聞いておこう。ルーヴェストは結界装置の設置に向かってくれ」
「あいよ」
「設置が終わったら里へ迎えに来てくれ。それから神具による転移で全員蜜精の森へ向かい【妖精の妙薬】を依頼する……それで良いか?」
「おう。マニシド爺からの依頼も二つ片付くしな」
「マニシド王へ報告に戻る必要はあるが予定より早い分お前の念願の手合わせもできるだろ。カラナータ殿やプリエール、エマルシアもそれで良いだろうか?」
「うむ。それならばワシらにとっても都合は良い。それで……結界装置とやらはどこへ設置する予定なのだ?」
「やはり『
『皚皚の天島』はウォント大山脈最高峰を指す。冬の間中ほぼ休みなく吹雪いているウォント大山脈に於いてその場所は雲の上に存在する為に雪が殆ど存在しない。一面雲の景色が白き海原に浮かぶ島のようなのでそう名付けられた。
また皚皚の天島は風雪による装置劣化も幾分抑えられるので地理的にもトォン全土を覆う結界設置に適していた。
「成る程。ならばワシは結界装置設置に同行しよう。氷竜の長とは知己で里の位置は知っておるから後からの合流も容易かろう。それで良いな、ルーヴェストよ?」
「道案内してくれるって訳か……この吹雪に土地勘も無い俺としちゃあ助かるぜ」
周辺知識のあるカラナータならば迷うことはないだろう。移動に際してもこの二人ならばどちらかの足を引っ張ることはない筈……と、ロクスも納得した。
「では、お任せします。それで……プリエールとエマルシアはどうする?」
「私は氷竜の里を見たいからロクスと一緒。エマルシアはどうするの?」
「私は……」
エマルシアは助けを求めるように視線を移す。それに気付いたカラナータは微笑みを浮かべた。
「言ったであろう、エマルシアよ。ワシと居る時は己を偽る必要はない。氷竜の里が見たいのだろう?」
「……はい」
「良し。という訳でロクス……済まぬがプリエールとエマルシアを頼む。と言っても足手纏いにはならんだろうが」
「そうですね。では氷竜の里でお待ちしております。ルーヴェストもあまり無茶するなよ?」
「わ〜ってるよ。んじゃ、行くとするか」
氷竜の里を目指すロクス達は凍結剣による氷の回廊を進んで行った。一方のルーヴェストとカラナータは……。
「さて……ルーヴェストよ。ちと勝負してみんか?」
この提案に勝負好きの『力の勇者』が応えぬ訳も無く嬉々とした笑顔を見せる。
「良いねぇ。で……何の勝負だ?」
「なぁに、目的地までの競争よ。『皚皚の天島』は此処から北東の方角……要はあちらへ真っ直ぐ進めば辿り着く。途中、多少の地形の難はあるがワシらならば問題あるまい」
「フムフム。つまり、真っ直ぐ進んで早い方が勝ちか。乗ったぜ、その勝負……、いや、タンマだ」
ルーヴェストは自らの背に背負った物を思い出した。そもそもこれまでの手間は結界装置を壊さぬ為の労力である。勝負に乗って破壊しては元も子もない。
が……無論、カラナータはその辺りも理解しての提案である。
「結界装置に関しては一つ面白いものを見せてやろう。貸してみよ」
「何か手があんのか?」
「ま、年の功というヤツだ。長く纏装を使っていると用途を色々と試したくなる。で、こんなことも思い付いた」
酒樽程の大きさもある結界装置を片手で持ち上げたカラナータはそれを球状の命纏装で包んだ。それを軽く放ると足で何度か蹴り上げる。命纏装は僅かに歪むがそれが弾力を生み軽やかに跳ねた。
「ほぉ〜……ゴム鞠みてぇになってんのか」
「通常、命纏装は手元から離れると消えるがこうして球状に閉じ込めると霧散が遅くなる。後は密度の違いだな」
命纏装自体が衝撃吸収を行い、かつ装置も中で揺れを抑えてある状態。これは対象が生物の場合命纏装が吸収され霧散が早まるが、無機物の場合長時間の維持が可能なのだとカラナータは言う。
「俺は弟子じゃねぇのに教えて良かったのか?」
「お前さんも命纏装の弾力調整には気付いておっただろ? この程度は時間さえあれば思い付いた筈だ」
「……ま、そういうことにしとくさ。で、ソレをぶん投げて蹴って目的地まで向うと」
「そうだ。交互にこの球体を飛ばし目的地を目指す。但し、雪に落とすと埋もれて取り出すのが面倒だ。だから
「ああ。確かに面白れぇ」
二人は楽しげだが、そう単純な話ではない。球状の命纏装は風の影響も受ける。気流は不安定で雪の重みも加わるのだ。その上視界の利かぬ中で結界装置の行き先を見逃さず、かつ足元の地形にも対処せねばならない。《雪狼浮脚》を雪上以外の場の岩場などで使えば滑り、結界装置を包んだ球状命纏装にも耐久力があり力加減も必要だ。
それが競争となれば更に移動速度も増す。咄嗟の判断力は必須となる。
だがルーヴェストはそれを理解した上で提案に乗っている。勿論、カラナータもルーヴェストが対応できると実力を見抜いてのこと。
「良し。なら、俺からも一つ条件を付けるぜ?」
「ほぉ……何だ?」
「半精霊状態でやろうぜ。但し、飛翔は無し。その方が修行になる」
半精霊状態では更に力加減が難しくなる。ルーヴェストはわざわざ自らへの難易度を上げた。
「クックック。お前さんももの好きだのぅ。それでは半精霊格のワシの方が有利になるだろうに」
「分かってねぇな。勝負ってのは難しい方が面白ぇだろ?」
「いやいや、全くその通りだな。だが、それではワシがつまらんのだが……」
「なら縛りを付けりゃ良いだろ。足だけとか」
「おお。ソレは採用だ」
「ま、俺もそうするけどな」
「クックッ。負けず嫌いめ」
カラナータは至極楽しげに笑った。長らく己と張り合える者が居なかった【剣聖】にとってルーヴェストとの出会いは近年最高の出会いだったと言って良いだろう。
こうして、二人の実力者による
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