第七部 第九章 第十二話 剣聖の望み


「さて……俺も行くとするか。つっても、ただ登るんじゃつまらんから軽い修行でもするか。ほっ!」


 掛け声と共に思い切り跳び上がるルーヴェストは、跳躍の頂点から落下する前に岩壁の窪みに手を掛けた。そしてそのまま腕の力だけで登って行く。


「……。力まかせの男……かと思いきや中々どうして頭も切れる様だな。では、ワシも行くとするか」


 神具の腕輪を掲げたカラナータは異空間側にて休んでいた弟子を呼び出した。突然極寒の中に放り出された少女は一瞬で目覚めることとなった。


「ひぃ━━━やぁ━━━っ! つつつ冷たい!」

「いつまで寝とる、エマルシア」

「し、ししし師匠! さ、寒い! というより痛い!!」

「……。お前さん、ワシの教えを忘れとるようだな」

「そ、そそ、そうでした!」


 常時の纏装展開──慌てて火属性魔纏装を纏った少女はようやく落ち着いた様だ。


 エマルシアと呼ばれた少女は目鼻立ちは整っているが少年のようなざんばら髪をしていた。肌は浅褐色で瞳は燃えるような紅、睫毛も眉毛も白い。見た目は十三、四の歳相応の身長をしている。

 簡素な服の上に魔物の毛皮製防寒着を着ているが、ロクスの予備装備なのでかなり大きくダブついている印象を受ける。


 カラナータの弟子である故かその腰には手の込んだ造形の鞘に納められた曲刀を携えていた。


「ふぅ〜……。まさか目覚めたら吹雪に晒されるとは思いませんでしたよ……」

「だから言っておっただろう……“常日頃から備えよ”、とな。もし目覚めたのが溶岩地帯だったらお前さんは死んどるぞ?」

「溶岩地帯なんていきなり放り出されたら纏装使っても死にますよ」

「それは修行が足らんからだ。現にワシは溶岩なんぞ屁でもないぞ」

「……それは師匠がおかしいんですよ」


 そもそも目覚めたら先がいきなり極寒や溶岩などということが日常から乖離しているのだが、剣聖様にとっては想定内らしい……。


「それで師匠……何故雪山に? 五日前はイマートックの街に居ましたよね?」

「うむ。場所はそれ程離れとらんよ。現在地はウォント大山脈の最高峰付近だ」

「へぇ〜……。って、世界有数の難所じゃないですか!? な、何でそんなところに……」

「ちょっとした成り行きでな」

「成り行き……。そういえば私、こんな服着てませんでしたよね? 師匠……まさか私を裸にして……」

「フン……安心せい。お前を着替えさせたのはワシの娘だ」

「???」

「まぁ経緯は道すがら聞かせてやろう。ホレ、修行だぞ。手段は問わんから先ずはこの崖を登れ」


 カラナータが顎で指し示した方向へ視線を向けるエマルシア。そこには見上げても先が分からない断崖がそそり立っていた。


「…………」

「何だ……?」

「この吹雪の中で人が登れるんですか?」

「既に登っている者がおるよ。上で待ち合わせの予定だ」

「……。無理です」


 即答したエマルシアにカラナータは深い溜息を吐いた。


「ヤレヤレ……。エマルシアよ……やる前から決めて掛かるのは愚かなことだ。先に登っている者の一人はまだ魔人にも至っておらん。生まれ付き魔人であるお前さんが遅れを取る理由はない筈だが?」

「でも、無理です。私、まだ十四歳ですよ?」

「だから何だ? ならば問うが、幾つになれば登れるのだ?」

「それは……十六歳になったら?」


 エマルシアがやけに具体的な年齢を提示したのでカラナータは呆れている。


「はぁ〜……。のぅ、エマルシアよ。お前さんは親の仇が目の前に居てもまだ若いから無理だと諦めるのか?」

「それは……」

「ふむ……これも機会だ。少し弟子との対話をしようかの」


 腕輪の神具により二人は異空間へと移動する。外では雪と風が煩わしく静かに語れないと考えたのだ。

 外と違い心音さえ聴こえそうな静寂の中、師弟は向かい合う腰を下ろした。


「実はな……ワシは出会った頃からのお前さんのその性格は偽りだと知っとるのだ。本当の感情や意志を隠しとるのは復讐の為だろうということも想像が付く」

「…………」

「デルセット再興の為か、それとも復讐の為かは流石に分からんが、ワシの元で修行を続け強くなる為の偽り……違うか?」

「……その……通りです」

「不純な動機だとワシに破門されると思っておるのだろう。そうならぬよう振る舞っているのが今のお前さんだな。だが、ワシに対して偽りで飾るのはやめよ。それは修行の邪魔にしかならん」


 この言葉を聞いたエマルシアは少しだけ目を見開いた。そして、それまでのどこかとぼけた態度をやめた。


「……流石は剣聖様です。これまでの無礼、どうかお赦し下さい」

「構わんよ。そもそもお前さん……氣力も魔力も嘘の度に僅かに揺らぐ。そんな程度でワシを欺けるなどヘソで茶が沸くわ」

「……。難しいですね、自分を偽るのは」


 エマルシアはそれこそ年齢に似つかわしくない自嘲の笑みを浮べた。


 やはり一国の王女ともなればその覚悟は民草とは違うべく育てられたのだろう。だが、既に亡国となった故郷を考えれば王女として振る舞い続けることにも抵抗があったのかもしれない。


「ま、本当のところ復讐心を恥じたのか、それとも破門を恐れたのかは知らん。しかしな? 生きていれば感情は必ず付き纏うものだ。ワシはそれを咎めはせんよ」

「…………復讐心でも、ですか?」

「うむ。寧ろそういった感情の濃い者の方が化ける傾向にある。ワシはそれを何度も見てきた。心は身体にも影響するのだよ」


 感情とはエネルギーである。そのエネルギーを高め爆発させることは思いもよらぬ成長を生むこともある。それが人というものの強みでもあるとカラナータは訥々とつとつと語った。


「ワシもな……昔は血気盛んだった。最早友と呼べる者も減ったので剣聖などと言われておるが実質はその辺の傭兵どもとそう変わらんさ。ワシとて所詮は人から生まれた者に過ぎん。が、それを知ることもまた大事なことなのだ」

「そう……ですか……」

「だから先人として言わせて貰おう。お前さんが今やるべきことはただ直向ひたむきに強くなることだ。剣でも魔法でも良いのだ。その為に使えるものはワシとて利用すれば良い」

「師匠……」

「フフフ。大層なことを言ったがワシも未だ“真の強さ”を理解できておらんのだ。ただ、強さの意味は人それぞれだということは知っておる。いつかお前さんが自分にとって必要な【強さ】に気付いた時、不要と思うものは削ぎ落せば良い。だからそれまではただ強さを求めよ」


 そう述べたカラナータは手を伸ばし若き弟子の頭を撫でる。ゴツゴツとした手はそれでも不器用なりに優しさが籠もっていた。

 その温もりを感じたエマルシアは気付かぬ内に大粒の涙を流していた。これまで心に隠していたものを看破され感情が溢れ出したのだ。


 今は亡き故国への郷愁、喪った家族や臣下、背負わねばならぬと思っていた責務、守れなかった国民への贖罪……カラナータはそれらを一切省き強きを求めることへ誘導したのである。



 そしてこれはカラナータにとっても初めての対応だった。先程愛娘に指摘された女子の扱いを自分なりに考えた結果は良い方向へと働いた様だ。


 これまでカラナータの指導を受けた者はひたすらに厳しい修行を課されても反論など行わなかった。それは即ち、己を高めることが目的である武人故のこと。

 しかし、エマルシアは未来に何者となるかも定まらぬ若輩。これまでの様に過酷な修練を積ませるだけでは意味がないとカラナータ自身も理解したのだろう。


(未熟な雛を育てることで見えることもある……か。フッ……ワシもまだまだだな)


 そしてこの時点で一つ、カラナータは心に決めたことがある。


「さて……。これでお前さんも気兼ねなく修行に打ち込めるだろうが……一つ選択肢をやろう。実はワシの弟子はそれなりに数が居るが、其奴らは『カラナータの弟子』であって『剣の弟子』ではない」

「……? どういう意味ですか?」

「ワシは指導こそしてやってはいるが其奴の才覚を伸ばしていたに過ぎぬ」


 かつての弟子達は既に武術を修得している、または戦いの方向性を確立している者が殆どだった。カラナータはその才覚を伸ばす為に適した修行方法、そして更なる高みを目指せる武具等を譲渡している。

 無論、僅かながら技の伝授も行ってはいる。しかし、それらは飽くまで助力の範囲──つまり、カラナータの真の剣技を継承した訳ではない。


 真の剣技を授けることで弟子がこれまで培ったものを壊す恐れもある。だからこそカラナータはこれまで己の流派の正当伝承を行っていない。これは弟子となる者が実力者であるが故の矛盾だった。


「だが、お前さんの素養はほぼ白紙……真っ更な状態だ。ならばワシの剣を授けることも可能だろう。その意味では本当の弟子ということになる」

「師匠の本当の弟子……」

「うむ。だが、飽くまでお前さんがそれに足るだけの心身を得られた場合の話だ。どうだ、やってみたいか?」


 伝説の剣聖の技を正当継承できる……カラナータの提案にエマルシアは心が踊った。その一瞬は復讐ではなく純粋に剣に打ち込んでみたいと思ったのだ。


 出会いは【数奇なえにし】である──。


 剣聖と持て囃される煩わしさから人に認識されない術を使用するカラナータは、小国とはいえ王女だったエマルシアの師となることなど通常では有り得ない話である。

 だが、トシューラの侵略による王国滅亡が伝説の剣聖との出会いを呼びその弟子となる道が生まれた。この縁が闇に飲まれかけたエマルシアの道を照らしたのもまた運命か……。


「お前さんにその気があるならば兎にも角にも修行あるのみだ。少し考える時間をやろう。覚悟が決まったならば……」

「いえ……是非、お願い致します」

「うむ、良かろう。ならば先ずはあの断崖を登ることから始めるのだ。手段は問わぬ。とにかく挑め。もし独力のみで登り切ることができたならばお前さんは確実に強さを手に入れるだろう。では行くぞ」


 異空間から再び吹雪の中へ姿を現したカラナータとエマルシア。二人は躊躇うことなく断崖へと近付いて行く。

 偽りの心の仮面を外したエマルシアは真剣な眼差しで断崖に手を掛けた。そこから纏装を纏った手を凍った岩壁の隙間に差し込み身一つで登って行く。


 天然魔人であることの優位性は魔力量と高い身体能力。飛翔魔法を使えず魔導具・神具の扱いに長けていないこの時点に於いて、最も有効にして確実な手段をエマルシアは選んだのである。


 瞬く間に上方へと移動する愛弟子を見送るカラナータは満足気にそれを見守っていた。


「どうやら吹っ切れた様だな。どれ……ワシも」


 カラナータは断崖に足の底を付けると重力など無いかの様に大地に背を向け歩き始めた。それはロクスが使用していた《雪狼浮脚》と同様原理の纏装技法。しかし、その難易度は比べるべくもなく高い。


「そう言えばあのロクスという剣士……不思議な身の熟しをしておったな。アレもまた師を持たぬと見た。ならば……」


 ロクスにも流派の継承が可能……そう考えるとカラナータは自然と笑みが浮かんだ。

 弟子を取る目的は自らを高める為の好敵手を育てること。これは最初から変わらぬ大原則である。


 己の剣術流派と対峙するのもまた一興……カラナータの愉悦の笑いは吹雪に掻き消された。


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