第七部 第九章 第五話 プリエール


 異国の調味料にて舌鼓みを打ったロクスとルーヴェストは再び移動を開始した。


 洞穴を抜け外へと出ればまたもや雪と風……先程よりも勢いは無いとはいえやはり過酷な環境である。


「まだ吹雪いてやがる……天の底でも抜けてんのか?」

「ハハハ。初めて見るとそう思うよな。だが、冬のウォント大山脈は春になるまでずっとこんな感じだ」


 月に一、ニ度薄日が差す以外、常に曇天で雪が降りしきる冬の大山脈。トォン国の冬が長いのは山に積もった雪が簡単に解けぬのが理由だった。山から雪の冷気を以て吹き下ろす風、そして氷の様な雪解け水が土地の空気を低温に保つのである。

 しかし、雪解け水は地中に染み込み川となり各地に恵みを与える。広大な土地が自然に恵まれているのはウォント大山脈あってのことだと民も理解していた。


 その大山脈は奥に行く程に気温が低下する。険しい永久凍土の土地こそ氷竜達にとっての安住の地。ウォント大山脈は只人の身では踏破できぬ竜の山──故にトォン国では氷竜を神と祀るのだろう。


「さて……目的地までまだ二割といったところか。腹も膨れたし少しズルをして距離を稼ごう」

「ズル……?」

「ああ。あまり時間を取られると日が沈んで俺達でも進めなくなる。次の休憩地まで一気に行こう」


 腰の後ろ側で交差させていた二本の魔剣のうち曲刀の長剣を抜き放ったロクスは、積もった雪を散らすように下方から上方へと斬り上げた。その衝撃波は雪を舞いあげ渦の道を描く。

 次の瞬間、雪の渦が凍結し視界の先まで続く氷の回廊となった。


「おぉ〜……こりゃ良いな。風も雪も煩わしくねぇ」

「これで距離も稼げるし時間も短縮できる。と言っても、結構力を消費するから何度も使えないがな」

「どっちにしろありがてぇよ。命纏装のみじゃ限界があるしな」

「防寒具破らなくて良かっただろ?」

「フフン。俺の筋肉が本気を出せば雪さえ溶かすぜ?」

「なら、俺が限界の時は前に出て貰うさ」


 氷の回廊は実質雪洞なのでかなり寒さを抑えられていた。足場は滑らぬよう細かな突起で整えられ、勾配がある部分は階段となっているので力の温存が可能だった。

 それから二人は尾根が挟む谷部分を快調に進んだ。周囲こそ見えないが勾配で尾根を一つ分は越えたことが判る。


 ロクスは時折感知纏装を伸ばし周囲の確認を怠らない。既に通常の生物は生存することも困難な地ではあるが、脅威となるものは存在する。ロクスはポツリと語り始めた。


「この回廊は雪崩にも耐えられる。が、例外もある」

「まぁ想像は付くぜ。精霊だろ?」

「ああ。アイツらは自然としての役目を果たしてるだけなんだろうけど……時折、得体のしれないヤツが出る」


 精霊としては只の興味本位なのだろう。殆どの生物が生きられぬ環境……そんな中でも活動する者にちょっかいを出したがるのは上位精霊の証……。


「俺は一度だけ出会でくわしたことがあるが人の姿だった」

「おいおい。まさか怪談話か?」

「いや。精霊が人の姿を取ることは稀にあるらしい。恐らくそれが『恋雪娘』なんだろう。ただ、昔から語られているなら存在時間が長い。ということは……」

「力を増している可能性がある……か。フゥム……普段ならそれでも何とかなるが、この環境と『結界装置を壊せない』縛りがあるのはキツイな」

「まぁ本当は出会さなければ済む話ではあるんだがな。実は今この話をしたのは気配があるからだ。いや……気配というかか?」


 周囲の極寒の中に違和感を感じる空間がポツリと存在していることにロクスは気付いていた。現時点でそれが害を為している訳ではないが、観察されているようであまり良い気配ではない。

 それでもわざわざロクス達から仕掛ける必要もない。なので様子見を行っている状況だ。


「お前としてはどう思ってんだ、ロクス?」

「このまま何もなければ良い。仕掛けられる位置によっては大きな雪崩が起こる。それが里に向かないかは心配だ」

「だから様子見か……。俺らが死ぬこたぁねぇにしても結界装置が壊れたらヤバイからな」

「そういうことだ。どちらにせよ先へは行かねばならないからな……とにかく進もう」

「あいよ」


 慎重に、かつ足早に進む二人。結局、精霊らしきものは回廊を抜けても二人に何かを仕掛けることは無かった。


 だが……。


「………」

「………」


 ロクスが予定していた休憩地点は岩の切れ間。雪が上手く上部を塞ぎ雪洞同様の空間が生まれていた。

 しかし、風雪を避けられる避難地のそこには一人の女が退屈そうに待っていた。


「あ、ようやく来た。遅いよ〜」


 歳の頃は二十歳前……薄紅色の外套を纏っている女は黒髪をサイドテールにした街娘といった姿だ。ただ、それが逆に違和感を引き立たせていることに当人は気付いていないらしい。


「………。お前、『恋雪娘』か?」

「え? 私? プリエールだけど?」

「そういう意味じゃねぇんだが……なぁ、ロクス。コイツ、本当に精霊か?」

「いや……多分違う。俺が見たのはもっと子供だった」


 吹雪く山岳に何の装備も無く単身行動している時点で人間ではないことは確定だ。だが、その受け応えの表情から感情の豊かさが読み取れる。精霊ではこうはなるまいとロクスは答えた。

 ともなれば聖獣の可能性もある。プリエールと名乗った女の気配は確かに聖獣に近い。しかしロクスはウォント大山脈に存在する聖獣と全て面識があるので、もし人の姿になっても対話の際に相手側から名乗るだろう。


 悩んでも仕方がないと判断したロクスは敵意を感じないのならば対話が可能だろうと問い掛ける。


「もしかして俺達の様子を見ていたか?」

「うん。頼れるかどうかをね」

「君は……聖獣ではないのか?」

「えっ? う〜ん……血の半分は聖獣かな」

「半分……?」

「私は精霊人なの。知らない? 精霊人」

「??」

「聖獣と人間の間に生まれる子は『精霊人』っていうのよ。でも、今の人間は確かに知らないのかも」


 その存在自体が非常に稀であり、また人と交われる聖獣も少ないことから世間から認識されていない存在。人の姿に『精霊格』の力を宿す【精霊人】──。それなりに博識であるロクスも初めて耳にした存在だった。

 と……ここでルーヴェストがはたと何かを思い出した。


「あ〜……成る程。そういやライから聞いてたわ」

「知ってるのか、ルーヴェスト?」

「ああ。ライの城にも居たんだよ、凄ぇ魔力の女が。確か……争いが本質的に駄目で戦えねぇんだっけ?」


 プリエールはルーヴェストの言葉に爛々と目を輝かせ頷いた。


「えっ? 精霊人って隠さないで人間と暮らしてるが居るの?」

「ああ。まぁ生物としては人間と言って良いかは分からんが、人里で一緒に暮らしてるぜ?」

「え〜! 良いなぁ」


 何度もいう様だがプリエールの素振りは普通の街娘である。ロクスとルーヴェストは一気に肩の力が抜けた。


「……。そんで、『精霊人』のお前は何で俺らを待ってたんだ?」

「あ、そうだった! 実は困ってたのよ。ここから少し離れたところに人間が居てね? 何とか助けられないかなぁと思って」

「はぁ? こんな時期に本当に人間が居るのか?」


 ルーヴェストとロクスは視線を合わせるが互いに肩を竦め懐疑的だ。


「嘘なんて言わないよ。アッチの方に大きく反った崖があって、その近くに五人くらい男の人が凍えてたの。でも、私を見ると興奮して物を投げてくるから近付けなくて」


 吹雪く山奥に着の身着のままの女の姿──『恋雪娘』の伝承を知っている者からすれば当然の反応とロクスは思った。


「確かにそちらには崖があるな」

「一応、小さな結界を張ってあげたんだけどどうしたら良いか分からなくて……。そうしたらあなた達の姿が見えたから」

「手助けして貰えるか俺達の力を確認していたのか……成る程、納得したよ。それに争いが苦手だから無理に助けられなかったんだな。しかし……」

「どうしたの?」

「いや……。その人間達はどんな姿だった?」

「え〜と……全員白い防寒具で凄く大きな荷物を持ってたよ? リュックの中から魔力を感じたから魔導具か何かかな……」

「………」


 ロクスは相手が魔石盗掘者であることをすぐに理解した。


(本来なら放置しておけば獣や魔物が始末してくれるんだが……)


 チラリと見たプリエールは心からの善意だったのだろう。落ち着かない様子で返事を待っている。

 争いを苦手とするならば心優しき存在……ここで放置して盗掘者を見殺しにすれば少なからず心に傷を負わせ兼ねない。そう判断したロクスは小さく溜め息を吐き手を伸ばす。


「ルーヴェスト。空間収納神具を貸してくれ」

「ん……? そりゃあ構わんが……助けてくんのか? ソイツら十中八九、盗く……」

「分かってるよ」


 ロクスが目配せでプリエールを示すとルーヴェストも意図を理解した。


「……。だが、収納庫の中にゃ人間は入れられねぇって聞いてるぞ? 精神が持たんらしい」

「それも問題ない」


 腰の長刀の柄頭に手を置いたロクスは僅かに口角を上げた。


 ロクスの持つ魔剣の一つ【凍結剣】はバベルの遺産にして事象神具である。概念の力を宿すその剣は単なる物質凍結のみならず多様な効果を備えており、人間の精神を凍結させることも可能だった。


「そういう訳でちょっと待っていてくれ」

「それは構わねぇが……」

「どのみち今日はもう日が沈む。食材を置いていくから飯の準備でも頼む」

「おう。油断すんなよ、ロクス?」

「俺が油断したことがあったか?」

「ハッハ。余計な世話だったな」

「じゃあ、プリエール。案内してくれ」

「うん。こっちだよ」

 

 プリエールは精霊人としての力を展開。その背に鮮やかな赤い翼が出現し浮遊状態となる。そしてロクスが見失わないよう低空で移動を始めた。


「あ〜……っと。そうだ、ロクス。俺は使ったことねぇんで忘れてたが、その空間収納は転移もできるらしいから帰りは楽だぜ?」

「わかった。じゃあ行ってくる」


 ロクスはプリエールを見失わぬよう深い雪の上を走り始めた。



「そう言えばプリエール……君はこの山に住む聖獣の子なのか?」


 並走しつつ会話するロクスはもう少しプリエールのことを知ろうと思った。


「違うよ? お母さんが聖獣なんだけどペルルス国で一緒に暮らしてたの。で、お父さんがトォンに居るって聞いて会いに来たんだ」

「一人で旅をしてきたのか?」

「うん。私、小さい頃からお母さんに『人間の行動を覚えなさい』って言われてたから色んな場所に立ち寄りながらね」

「それは大変だったな。因みに父親は?」

「イマートックっていう港町に居るって聞いてる」

「それなら山脈の反対側だな。普通は迂回して行く街だが飛べるなら問題ないか……。会えると良いな」

「うん。ありがと。え〜っと……」

「ロクスだ。ロクス・ランザニール。ロクスで良い」

「ありがとう、ロクス。私の話、信じてくれて」

「礼を言うのはこちらの方だな。人間を救おうとしてくれてありがとう」


 ロクスの言葉にプリエールははにかんだ笑顔を見せる。純粋さが伝わってくる可愛らしいその表情はロクスの心に感情の種を落とした。が、朴念仁故か自分ではそれが何か気付くことはなかった……。


 

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