第七部 第九章 第三話 雪山を往く


 マニシドから依頼を受けたルーヴェストとロクス。二人は先ず国営魔導院へ向かい結界装置を受け取った。

 装置は円筒形の金属で酒樽程の大きさ。運搬用に誂えた大型の背嚢に収められていた。


 重量は成人男子一人分程。それを背負い吹雪く山脈を往くのは鍛えている者でも困難。そんなものを軽々と背負うルーヴェストは確かに適任と言えた。


「さってと。一気に行くか」

「お待ち下さい、ルーヴェスト様。結界装置はある程度の魔力を流すと起動します。本来ある部位に触れ魔力を流すのですが、ルーヴェスト様の覇王纏衣にも反応してしまうと思われます。なので御自身はともかく装置を魔力で包むことは避けて下さい」

「てことは、魔力の満ちる空間収納も無理だな。うぅむ……。もしかして俺の苦手なヤツか?」


 ルーヴェストは配慮ができない男ではない。人々と共にあり助力を忘れず、政治に口は出さぬが世情も理解し、行動すべきを見極める目もある。

 しかし、対象が物となると少々雑になるきらいがある。人間相手ならば注意を払うのだが物品の場合扱いに繊細さを欠くのだ。


 何せ『力の勇者』──その膂力りょりょくは素の状態でも尋常ならざるもの。本人が軽く握ったつもりでも圧砕されていることも多々あった。

 故に、ルーヴェストは普段ライ同様に黒身套にて自らの制御を行っている。


 しかし……今回用意された結界装置は急拵えで誤作動対策が甘い。もし黒身套で包んだ場合、含まれる魔力に反応し結界装置が起動する恐れがある。そうなれば必然的に使用できるのは命纏装……。だが、一気にウォント大山脈を踏破するには出力不足と言えた。


 それでも険しい山を登ること自体はルーヴェストにとっては労力という程でもない。問題は荷物。壊さぬようにとなると少々苦手な分野である。


 と……ここでロクスはずっと気になっていたことがあった。


「ルーヴェスト。お前、竜鱗装甲はどうしたんだ?」


 『力の竜鱗装甲』には飛翔機能がある。それを使用すれば一気に目的地への移動も可能な筈。飛翔による短時間であれば流石に集中し装置の破損も無いとロクスは考えた。


「ん……? ああ。実はエクレトルから連絡があってな。竜鱗装甲の強化をするから一度預けろってよ」

「間の悪いことだな。斧はどうした?」

「スレイルティオは空間収納の中だ。本当は嫌なんだが運ぶ荷物がデカいからな……邪魔になりかねん」

「空間収納型神具か……。良いな、ソレ」

「後で貰ってきてやろうか? いや……お前自身で貰った方が良いな。頼みゃくれるぜ?」

「例の『白髪の勇者』か?」

「ああ。ライってんだ」


 本来、至宝とも言える空間収納道具。それをホイホイと渡す勇者と聞きロクスは肩を竦めた。


「その前に先ずは王からの依頼を果たさねば」

「つっても、こうなると歩きだぜ?」

「俺は元々飛べんよ」

「そうだっけ……? お前、魔法自体は得意だろ? 今後を考えりゃあ空間収納神具を貰う時に飛翔魔法も学んで来いよ。あそこには猛者も魔術師も居る。大体の奴ぁ飛べるし」

「……。考えておく」


 “大体の奴が飛べる”とはどんな環境なのか……ロクスはあまり深く考えないことにした。



 ともかく、結界装置を受け取った二人は早速行動を開始。先ずはウォント大山脈の麓にある街・ソイルを目指す。そこはロクスが拠点として暮らしている街でもあった。

 移動の間、山脈を往く為の打ち合わせを行った。トォン国に暮らす者でも冬に立ち入ることを避ける大山脈である。準備する備えは多い。


「今更の話だが準備は念入りにしろよ、ルーヴェスト?」

「わ〜ってるよ。トォンに住んでりゃ雪山のヤバさを子供の頃から聞かされてるからな。特に『恋雪娘こゆきむすめ』と『雪狼せつろう』は」


 『恋雪娘』は昔からトォン国に伝わる民話で、雪山に登ると幼い小娘が現れて付いてくるという話である。何もせずただ付いて来るのだが、振り返って確認する度に吹雪が強くなりやがて氷漬けにされるという結末だ。

 現在では物語の考証がされていて、“娘は子供の氷竜が人に変化している”、または“氷雪精霊が姿を人に似せている”、が有力説だという。


 『雪狼』は体重を軽くする能力で音もなく自在に雪の上を駆け回れると言われている魔物だ。雪も操れるだけでなく、狼特有の群れの連携で獲物を狩ることで恐れられている。冬以外は洞の中で冬眠ならぬ夏眠している為に冬限定の魔物と認識されていた。


 といってもその程度ではルーヴェストの足止めにもならないことはロクスも理解している。しかし、自然を軽視することが一番危険であることを改めてルーヴェストに伝えた。


「一番危険なのは食えないことだ。吹雪は雪洞せつどうで耐えて水は雪を溶かせば済む。だが食料はそうはいかない。鍛えている奴程バカ食いするが、逆に言えば食えないと力が出せんだろ?」

「成る程な。結局、食えなきゃ死ぬのが人間てか」


 竜人のルーヴェストは半精霊体や精霊体の様に魔力で生命維持を行えない。確かに食料が尽きることは死に直結する。


「ま、俺はそんなに日数掛ける気はねぇけどよ」

「確かにお前の場合、その気になれば力で押し切れるだろうが……その結果が大雪崩となって人里に押し寄せる可能性もある。だから着実に確実に頼むぞ」

「おう。補助は頼むぜ、兄弟」


 王都から馬で一刻……森の中を走り続ける。曇天故に森は暗かったが街道沿いには仄かに自然発光する魔石が一定間隔で置かれているので支障は無かった。

 やがて森を抜けた先に広がったのは一面の銀世界だった。


「もう積もってやがるのかよ」

「俺がソイルの街を出た時にはチラついている程度だったが……本格的に冬が来たようだな」

「やれやれ。そんな中を山登りとはな」

「修行とでも思えよ。お前好きだろ、修行?」

「へいへい。そうするよ」


 ソイルの街は石壁で囲まれた城塞型。門は閉ざされていたが壁の上に見張りが居るらしく、馬が辿り着く前に開門され止まらずに街中へ入ることができた。

 門の内側には警備兵が二人待っていた。ソイルは騎士団所属ではなく街の者が民兵として護っている。ロクスは彼等に硬貨を渡し馬を預けた。


「やっぱりロクスさんか……。それで王の呼び出しって何だったんだい?」

「それなんだが、すぐに『竜仙岳りゅうぜんだけ』の氷竜達に会いに行くことになった」

「し、正気か? よりによってこの時期に……」

「だから王は俺を呼んだんだよ。とにかく、急いで支度しなければならない。済まないが戻るまで馬を頼む」

「分かったよ。気を付けてな」


 それからロクスは自分の家にルーヴェストを連れて行った。


「一通りの道具は揃っているが足りないものもある。俺はそれを用意してくるからお前は街で食糧を買ってきてくれ」

「店はどこでも良いのか?」

「この時期開いてる食糧屋は一件だけだから直ぐに分かる。あっと……あと酒も」

「酒……?」

「氷竜への手土産だよ。金は王から貰ってる。一番良い奴を樽で用意してくれ」

「空間収納なかったら大荷物だったな」

「王はお前が空間収納神具を持っていることを知ってたんだろうさ。結界装置の仕事を振ったのはどちらかというと俺の手助けの意味合いもあると思うぞ」


 氷竜の里訪問はロクス単身でも熟せる任務とマニシドも思ってはいる。が、今はどうも世の流れがキナ臭い。故に念には念を込めた実力者二名によるウォント大山脈踏破。有り体に言えばルーヴェストはロクスを失わぬ為の保険なのだ。

 それがトォン国最強と次点の違い……。だが、ロクスは嫉妬など持ち合わせていない。ルーヴェストの異常さを幼い頃から知っているからこそ自分なりの強さを探しているのである。


「……もしそうだとしたらマニシド爺もまだまだ甘ぇな。ロクス。お前は俺と違う方法ってだけで実力はあるだろ? 条件さえ揃えば俺でも危うい筈だぜ?」

「そのつもりではあるよ。というか、俺はともかくお前は偏りすぎだな。搦め手で来られても対応できるようにしておけよ?」

「分かっちゃいるんだがな……。大体の奴はそれを考える前に蹴散らしちまうんで面倒でな」


 真顔でそう答えたルーヴェストにロクスは深い溜息を吐いた。


「だが、例の邪教騒ぎの時は白髪の勇者に遅れを取ったんだろ?」

「むぅ……」

「例えばだ。お前と同じくらい強い奴が不意打ちとかしてきた場合、防げる自信はあるか?」

「それくらいは何とかな。だが、やっぱ相性ってのはある。俺がヤバいと思うのは事象神具と存在特性、それと【神衣】。特に幻覚系のヤツはちっと苦手だ。だが、対抗するにゃ俺も何かを手に入れにゃあならん。だから修行して存在特性手に入れたかったんだが……」

「分かった、分かった。なら早く終わらせて修行に専念させてやる。ともかく、食糧の買い出しは任せた。最低でも五日分だ」

「了解だ」


 準備は僅かな時間で整った。それはロクスが普段から必要な物の取り置きを依頼していることが大きい。


 

 それから防寒具に身を包んだ二人は街を出て徒歩にて山脈へと向かう。馬ではもう移動できず連れて行っても凍死させてしまうからだ。

 代わりに使用したのは板型の魔導具。上に乗り起動すると雪の上を滑って行く謂わばスノーボードである。


 行けるところまで移動したものの途中からは岩肌や茂みにより回避が難しくなる。特に登りの傾斜ではその意味を為さない程に遅い。なので登りは魔導具を空間収納し人力、下りを魔導具という流れで移動を続けた。


「成る程……。冬に来るのは初めてだがこりゃあ面倒い」

「俺は良く魔物を間引きに来るが……今年は雪が重いな」


 登山に選んだルートは既に険しく二人は木々に手を掛け登っている。まだ山脈の下部で乗り越える峰も複数ある。しかし、雪が思いの外深く積もっていた。

 しかもその年の雪は水気を含んでいるらしく掻き分けるのが労力となっていた。


「こりゃあ確かに修行にもなりそうだが……ちっと物足りんな」

「フム……。なら、一つ技法を教えてやるよ。お前に丁度良い修行になるかもしれない」

「おっ? 面白れぇ。教えてくれ」

「良く見てろ?」


 ロクスは傾斜で傾いて伸びる木の上に立つと足の底にのみ纏装を展開。そのまま雪の上に足を下ろすと沈まずに立ち上がっていた。


「おお……!」

「コイツは例の『雪狼』の能力から学んだ。理屈はこうだ」


 実は足に三種の纏装が展開していて、雪に接地する面を氷、足側には風、その間に水属性という構築である。氷の上に水の張力を生み微弱な風属性で軽くした体重を乗せる……という纏装ならではの効果とも言えるものだ。


「これを誰にも学ばずやってる雪狼は凄いと改めて思うよ」

「自然から学ぶことはまだある……か」

「そういうことだ。緻密な纏装操作は必要だがお前なら割と直ぐ……」

「おっ? 出来たぜ?」

「……………」


 そういえばコイツは天才だった……とロクスは溜め息を吐いた。努力の男、ロクスはそれでも動じない。


「どうやらお前に足りないのは繊細さじゃない様だな」

「当たり前だろ。俺を何だと思ってる?」

「雑な筋肉男」

「何ぃ? 筋肉が見たいだと!?」

「言っとくが、今着てる防寒具は高いぞ? 破ったら弁償だからな?」

「………。ちぇっ」


 トォン国の最強とそれに次ぐ実力者は再び険しい山を登り始めた。


 

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