第七部 第八章 第二十六話 兄の道 弟の道


「次は戦場で……か。兄さんともそうなるのかな……」


 王子であるクラウドの言葉もまた実質的には宣戦布告──つまりアステ国の大領主のなったシンとの敵対も可能性としては否定はできない。

 それはシン自身も立場として理解している。しかし、いま目の前に居るのは弟……そういったしがらみを絡めたくなかった。


「お前はアステに攻め込む意思は無いんだろう?」

「当たり前だよ。ていうか、俺は元々何処の国とも争うつもりはないんだ。兄さんも闘神の話は聞いてるんだろ?」

「ああ……。三百年前にそんな危機が起こっていたとは驚きだったよ」

「闘神は人間同士の【闘争】から力を得て封印を破ろうとしてる。今は国家間で戦ってる場合じゃないんだ。なのに……」

「そうだな……」


 本質は変わっていない弟は先ず友好を選ぶことはシンにも分かっていた。戦いを好まないライが先陣に立つ今の世界のほうが歪んでいるのだとも理解している。


「お前は優しいからな……。そのままのお前ならば私と敵対することは恐らく無い。ただ、私にも通すべき道理はあるんだ」

「道理……?」

「私はアステ王家に仕える身だ。そして今は実質クラウド王子が王家代表……その意志に従わねばならない」

「兄さん……」

「あの方の意志が何処に向かっているのか私にも読めない。しかし、新しいトシューラ女王と違い破滅願望がある訳では無いことはアステ国を見れば分かるだろう?」


 凶暴な魔物による環境の大変さはあるもののアステ自体の生活水準は高いと言って良い。かつてレフ族から手に入れた神具や知識はアステ国の発展にも影響していることがその理由だ。

 しかしながら、生活水準の上昇は倫理や社会性の発展にも繋がる。故に現在のアステ国民の性格は比較的温厚である。


「アステは良い国だとは思うよ。でも……」

「分かっている。だが、王子の選択は何か理由があるのかもしれないんだ。それを知らねば無碍むげに否定はできない。あの方は王族として何らかの闇を抱えているのだろう。しかし、それはアステ国民に向けられていないのも事実。ならば領主として支えるのは当然でもある。違うか?」

「…………」


 道理としてはその通りなのだろう。実質丸投げとはいえアステ領主は皆優秀で魔物対策、経済対策共に国民からの不満は殆ど出ていない。そして現体制を容認している点は王家の器量とも捉えることができる。

 更に、現在のトシューラ・アステ両国の関係は隷属ではなく対等……。クラウドとルルクシアの間でどのようなやり取りがあったのかは不明ながら理不尽な要求は大きく減り安定しているのも確かである。


「兄さんは……やっぱり真面目だよね」

「ハハハ。それは性分だ。中々変わるものじゃないよ」

「性分か……。まぁ確かにね」


 メトラペトラに『御人好し』と何度指摘されても自分の性分が変わらぬ様に、シンの生真面目さもまた変えられぬのかもしれないとライは自嘲した。


「とはいえ、私もただ従うだけではないさ。民あっての国なんだ。クラウド王子が暴走しないよう忠言しつつ傍らで見守る。それが領主としての私の戦い方だ」

「そっか……」


 或いはシンの実直さならばクラウド王子を変えられるかもしれないとライは思った。


「なら、アステに関しては兄さんを信じるとするかな。とにかくアバドン対策はできたからソッチは安心して良いと思う。それと……もう一つ問題を減らして行くよ」

「問題を減らす……?」

「うん。アステ国内の魔物をある程度連れて行く。それで魔物の脅威は減る筈だからね」

「……。しかし、どうやって……」

「まぁ見てて」


 上空にて【チャクラ】を使用した後、ライは魔法陣を展開。アステの空の果てまで広がったのは最上位幻覚魔法の《迷宮回廊》──これにより国内の凡そ半数の魔物が各地に集結を始める。

 それを確認したライは続けて聖獣・聖刻兎せいこくとの召喚を行った。


『何でおじゃるか、主?』

『御用であるか?』

「ああ。度々悪いね、シロマリ。クロマリ。今から教える場所の魔物をカジーム、シウト、ノーマティン、それとディルナーチ大陸に分割して送れる?」

『種族分けは必要であるか?』

「できれば頼むよ」

『お安い御用である』

『おじゃる』


 ほんの一瞬白と黒の兎が光ると二体は誇らしげに宣う。


『終わったでおじゃる!』

「おお……流石はクロマリとシロマリ」

『我々はあの魔物になんか負けないである!』

「ハハ……ナーシフのことか。うん。お前達はこれから更に成長するんだ。期待してるよ」

『フフン! 流石は主、分かっているのである!』

『麻呂達の成長方法を考える約束、忘れないで欲しいでおじゃるよ?』


 聖刻兎は契約印を通り帰還して行った……。


「い、今のは……」

「聖獣だよ。兄さんも契約してたでしょ? クリスティーナの契約聖獣メルレインから聞いたよ」

「そ、そうか……。だが……」


 シンがメルレインと契約していたのは飽くまで間接的な補助や支援をして貰う為。つまり聖獣そのものの力を自在に扱うことはできない。

 これは従属契約か協調契約かの違いである。本来、聖獣はその力を悪用されるのを避ける為に従属契約を拒むからだ。


 シンはまた一つ、弟の異常さを理解させられた。


 更に……。


『痴れ者が!』

「グハッ!?」


 蟲皇、おかんむりの体当たり! ライは頬を打ち抜かれ宙で横回転している!!


『隠せと言った端から力を使う馬鹿が居るか! この阿呆め!』

「えっ? 此処に居ますが?」

『戯け━━━━━っ!!』

「ぐぼぼぼら━━━っ!」


 蟲皇、怒りの《ドリルスピン・ホーン》炸裂!ライは横回転に加え頬を軸に縦回転も始めた。


 実の兄、白目……。流石にここまでの騒々しさを見たのは初めてのことである。シンは弟の変わりようをまだ理解できていなかったのだ……。


 しばし回転が続き蟲皇の溜飲が下がったところでシンは我に返る。そしておずおずと質問を投げ掛けた。


「お、お前……やはりライじゃないのでは?」

「ラ、ライですよ〜? あなたの弟ですよ〜?」

「………」


 シンの向ける疑わしげな視線にライの笑顔が引き攣っているのは仕方無きこと。


「い、色々あったんだよ、俺も。疑うなら後で母さんかマーナにでも連絡して聞いてよ」

「そ、そうか……。そうだな」

「それより、魔物は減らしたけど残りの魔物が穏やかになった訳じゃないからね? それと、できるだけ共存して欲しい。ここぞとばかりに根絶やしとかはやめてね」

「分かった。各領主に伝えておくよ。……。ところで……」


 シンの視線は宙に浮く金色のカブトムシに向いている。


「ああ。カブト先輩のこと? 契約精霊なんだよ」

『くっ……。ペラペラと……』

「まぁ兄さんですからね〜。そこは大丈夫かと思って。どのみち、俺の力だけじゃ魔物を移住させられなかったので已む無しですよ」

『……。フン……怒る気も失せたわ』


 蟲皇はライの胸元に張り付き沈黙した。


「聖獣だけじゃなく精霊とも契約しているのか……」

「ま、まぁなるべく内緒ということで。………。兄さんは……こんな俺を化け物と思うかい?」

「まぁ驚きはしたけどな。お前はやはりライだよ」


 ライの頭に手を伸ばし手荒く撫でたシンは弟の成長が誇らしくもあるらしく微笑んでいた。


「ありがとう。……。兄さん、忠告をしておくね。クラウド王子は……」

「存在特性……だろ? その辺りはマリアンヌ殿からも聞いている。対策はしているから安心して良い。と言っても、王子を信じねばならない立場では裏切りになりかねないが」

「いや……流石は兄さんだね。じゃあ、もう一つ。この国にヤバい精霊を生み出そうとしている奴が居るらしいよ。邪教は潰したから可能性としては魔導師の魔法探究か、若しくはトシューラの謀略……国が大規模結界を張ったせいで状況がより悪くなったみたいだ」


 シンは少し唸って眉間にシワを寄せた。


「結界を張って以来感じる空気の淀みはそれか……」

「兄さんも気付いてたんだ……。それは邪属性の精霊で人工的にしか生まれないんだって。何とか探して対処した方が良いよ。場所は……」


 チャクラの《千里眼》にて位置を探った結果、トシューラとの国境ウルクセルという街だと判明した。


先刻さっきの大規模魔法に反応して来なかったから多分アチラの警戒はそこまで徹底していないと思う。でも、俺がこれ以上干渉するとクラウド王子も良い顔しないでしょ?」

「分かった。ウルクセルはソルラット領……領主殿とは知己だ。何とか対応できるだろう」

「そっか。じゃあ、最後に……手に負えないことがあったら遠慮なく頼って欲しい。もし俺が居なくても蜜精の森の城には頼りになる人達が居るからさ」

「ああ。分かったよ。………」


 シンは無言で握手を求めた。ライがそれに応えるとシンは空いた側の手でライを引き寄せ抱擁した。


「ライ……済まなかった。もっとお前の修行を手伝ってやれれば過酷な旅の助けになったかもしれない。俺は……自分のことばかりだった」

「………。兄さんが俺に頼れなかったのはそう思ってたからなんだね」


 ライは優しく兄の背を叩いた。真面目過ぎるが故にライの失踪に責任を感じ自分を責めていたと気付いたのだ。


「でもね……多分、兄さんが本格的に稽古を付けてくれていても俺は多分同じ結果になってたと思うよ。今だから分かるんだ……下手に自信を付けていたら馬鹿な俺は突っ走って死んでた。魔物相手にも躊躇してたからね……それが分かっていたから兄さんも父さんも俺の旅立ちを止めようとしてたんでしょ?」

「ああ……」

「俺はきっと皆の優しさの中でずっと守られてたんだ。そうそう……俺の存在特性って【幸運】なんだってさ。旅立ちもその運命の流れから始まった。だから俺は死なずにここまで来れた」

「ライ……」


 お互いの身体を離したライはシンの肩に手を添えた。今度は力強い眼差しで兄の目を捉えている。


「それに兄さんからも鍛錬法はちゃんと教えて貰ってただろ? 行方不明の間それで鍛えてたんだ。ちゃんと糧になってる。だから兄さんには本当に感謝してるよ」

「…………」

「今の俺はそうやって皆から貰ったもので出来ているからね……。だから恩を返したいんだ。ましてや兄弟だろ? 遠慮なんかしないでよ」


 屈託のない笑顔を向けるライにシンはかつての弱かった弟が重なった。姿が大きく変わり別人の如き強さを手に入れたライから何故かあの儚げな印象を受けたのだ。

 シンは……少し不安になった。何故そう感じたのか説明が付かない。しかし、それを口にすればライの強さと言葉を否定してしまう気がした。


 だからただ兄として言えることを伝えた。


「分かった。本当に困った時はお前に頼るよ。だからお前も助けが必要な時は遠慮せず私に言ってくれ」

「うん。頼りにしてるよ、兄さん」

「お互いにな」


 今度は笑顔で硬い握手を行う兄弟二人。七年振りの再会はシンの心の負い目を取り払うことができたのだ。


「それで……お前はこの後どうするんだ?」

「アバドンが動き出したからね……。ソッチを何とかする。先ずはこの後……トシューラに向かう」

「!? お前……まさかトシューラまで助けるのか?」

先刻さっきも言ったけど、どの国とも敵対の意志は無いんだ。トシューラは友達の国でもあるからね……出来るだけ犠牲は減らしたい」

「それがお前の道……か。無理はするなよ? お前に何かあれば父さんと母さん……それに私やマーナも悲しむからな」

「うん。分かってる」


 そしてシンから離れたライは精霊クロカナの力を遠隔行使した黒い渦を出現させた。


「じゃあ、またね。兄さん」

「ああ。気を付けてな。もし世界が落ち着いたら遊びに来てくれ。待ってるからな?」

「うん。楽しみだ」


 ライは本当に嬉しそうな表情で黒い渦へ飛び込み去って行った……。



 その兄弟の再会は僅か一刻程の時間に過ぎなかったものの、長き七年の空白を埋めることができた。


 しかし……彼ら兄弟の再びの邂逅が少しばかり穏やかさから掛け離れていることなど知る由もない。


 

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