第七部 第八章 第二十三話 精霊なるもの
飛翔にて山嶺を越えた裾野に広がるのは森の多く残る大地。二人の眼下には経済動線としての往路が森の中に線を描き各所の街を繋いでいた。
ニフラース領は自然の恵みを糧にした経済で成り立つ大領地である。薬草を素材とする薬剤生産の約三割を占め、自然由来となる毛皮や木材、それらを原材料にした道具や商品なども多く生産される比較的恵まれたな領地だ。
そしてニフラースにはもう一つ主軸となる産業がある。それが海産業。
「森のずっと先に見えるのは海か……。随分と自然に包まれた領地だね」
「ニフラース領には大きな港があって海の幸も多く獲れるそうだ。それにこの地には軍港があって働き先には事欠かない。だから人も多い」
「………もしかして俺が沈めた軍艦はここから?」
「ああ。この地には我々に対する反感もあるだろうな。だから私も足を運ばなかったが……」
「ゴメン、兄さん。迷惑掛けて……」
「事情は聞いている。気にするな……というと語弊があるが、それも因果応報だったんだろう。本来、魔王討伐に【海王】を利用した時点で犠牲は避けられなかった筈だ」
「…………」
「あの作戦の折、艦隊は沈んでも多くの者が海の魔物達に救われたと聞いている。海王がお前に感化されていなければ全滅だっただろうことは想像が付くよ。……。昔からお前の優先は親しい者だ。それが魔物かどうかは関係無く、傷付けられたことに怒ったんだろ?」
「うん……」
七年の時が過ぎても自分を理解してくれている兄にライは少しだけホッとした。
「今回、この地の紫穏石配置を拒否しなかったのは少しだけ罪滅ぼしの意味もある。が……お前が気にすることじゃないからな?」
「うん……分かってる」
「なら良い。さて……ここからどうする?」
「ちょっと待ってね……」
上空から千里眼を用い地層の確認を行うライ……。しかし、そこで焦りの表情を見せる。
「兄さん、ヤバい……。アバドンの分体の一部が……」
「何……!?」
「クソっ! 思ったより早く動き始めたみたいだ……」
海岸沿いは海に近い為か気配は無いものの、深い森の一部にアバドンの分体が地中より迫る様子がライの《千里眼》に映った。
「大きさはそれ程じゃないけど数が多い。早く紫穏石で塞がないと……」
「間に合うのか……?」
「まだ何とかね……。ただ、間に合わなかった時の為に兄さんはニフラース領主に連絡して現地民の避難を薦めて欲しい。その間にできるだけ地層の抜け穴を塞いでおくから」
「分かった。……済まないな、ライ。私にはお前程の多様な力は無い。任せる」
「大丈夫だよ。兄さんこそゴメンね。ニフラース領主との対面、大変だろうけど……」
「この国の民の為だ。その程度は苦にならないさ。じゃあ、行ってくる」
シンは飛翔速度を上げ海岸にある最も大きな街へと向かった。
「……。さて……。兄さんの目が無いなら多少の力を使っても問題ないですよね、カブト先輩?」
『それでも察知される恐れはあるが緊急故仕方あるまいな。この際だ。少し精霊術の特性を教えてやろう。先ずは地精霊の力を召喚せず集め結晶化せよ』
「了解です」
右腕の契約印を通し大地精霊コンゴウから力を引き出し掌を掲げる。やがて集めた魔力は水晶の様に結晶化した。
『それは地属の魔力結晶だ。良いか、ライよ。精霊術者でここまでの力を使える者はほぼ存在せぬ。故に知識は伝わっておらん。精霊術の特性は二つ……今回使用するのはその一つ、下位精霊の隷属だ』
「そういえば上位精霊は自分より下位の精霊を使役できるんでしたっけ?」
「うむ。下位精霊を数体補助として使用することで効率が上がり負担も減る。次いでに距離も補える。下位精霊は自我を持たぬ。お主は意志ある者の隷属を望まぬが下位精霊を一時的に使役する分には問題あるまい。では、下方の魔力を良く観察せよ」
言われるままにライは大地周辺の魔力を探る。緑豊かな大地故にその魔力も問題無く存在していることが分かる。
大地の魔力は基本非常にゆっくりと動いている。一日に大人の足で二十歩程だが、その全てが規則正しいという訳でもない。
例えるなら湖……流れが無いようでも僅かに水流が存在している様に、地の魔力にも流れや淀みが見て取れるのだ。
『その魔力を更に観察すれば濃淡が判る筈だ。全体の流れは地脈を巡る流れで巡回している。が、中には留まろうとする濃いめの魔力の塊が視える筈だ。それが最下位精霊よ』
「ちょっとだけ他より濃くてウロウロしてるヤツですか?」
『そうだ。そうやって精霊は個の魔力を貯め始める。この辺りは森が多い。あのままであれば植物属性の下位精霊となるだろう』
場所によっては潮風を受け風精霊に、海辺辿り着けば水精霊に……鍾乳石が成分を含んだ水滴により成長するように下位精霊もまたゆっくりと成長してゆくのである。
但し……ロウド世界はただ魔力が満ちる世界ではない。魔力により周囲に影響を与える存在が確かに在るのだ。
『この世界に於いて精霊の自我が目覚めるのは自然のみの力ではない。存在が高まる機運がある。火種……とでも呼ぶべきか。それもまた摂理といえば摂理ではあるのだがな?』
「火種……?」
『我が大聖霊の力を受けた様に、この世界には精霊が成長する切っ掛けが多々ある。代表的なものは大きな自然災害……しかし、これは上位精霊が起こすこともあるが』
「……。つまり、魔力の濃度が高くなる出来事ってことですか?」
『うむ。自然災害を挙げたがそれだけでないことはお主ももう理解しただろう』
「大聖霊、上位精霊、魔物、魔獣、聖獣……それに魔人もですね?」
『そういうことだ。故に、今から行うことはある意味精霊成長の切っ掛けにも成り得る。この辺りは確証は無いが『確率』と思えば良い』
魔力の濃淡、より多く受ける属性魔力、そして地脈……。それでほぼ精霊ができる土壌となるが、それ以外にも確率条件があるらしく詳細は蟲皇にも分からないらしい。
ただ魔力濃度が濃い程誕生の可能性は高く、強い魔力属性に傾くのは確かだという。
『事前の説明はこれくらいで良かろう。では、今から術式を教える。良いか? この術式こそ決して誰にも明かしてはならんぞ?」
人為的に精霊を操ることは本来自然の摂理を操ることと同義となる。故に精霊術は使用者にとって限定的な枷を掛けることでのみ術としての行使が可能となる。
ディルナーチ大陸・神羅国の精霊使いキリノスケは片手の指の数のみ契約とすることを自らに枷を課していた。ソガ・ヒョウゴは通常の制限以上の多様性を生み出す為、別種の制限……魔石を弾丸とする銃という形で精霊銃術を編み出した。
だが……蟲皇がライに伝えた術式は完全に無制限術式である。そもそもライは精霊術を使用せずとも既に超常……制限を掛ける意味がない。
とはいえ、他者にそれを知られることは危険を増やすことにも繋がる。蟲皇が術を秘事とし念を押すのは当然とも言えた。
『では、術式をその魔力結晶に刻め。そして最下位精霊の集まっている場へ落とせ』
「ポイっと……で良いんですか?」
『うむ。但し、魔力結晶には“従え”と念を籠めよ』
「分かりました」
投げるというより落とす感覚で魔力結晶を放ったライはそれが魔力の溜まり部分に届いたことを確認……途端に魔力結晶が分解した。
直後、僅かに集まっていた魔力は凝縮。より強い複数の塊となり上昇を始める。
「ど、どうです?」
『うむ……失敗だ』
「え━━━━━っ!?」
蟲皇、衝撃の告白。何が起こったのかライは良く分かっていない……。
『お主の魔力が濃すぎた。魔力結晶ももっと小さくて良かったのだ』
「ど、どういうことっすか?」
『下位精霊を操るつもりが中位精霊に進化した。お陰で自我が生まれた』
「えぇ〜………」
本来は個の成立していない下位精霊に一時的に地属性を与え土地に干渉させるつもりだった蟲皇。役割を終えた下位精霊は元の無属性へ戻る予定だった。先に述べた『確率』の要素で地属性になる可能性もあったがそれはそれで問題は無かった。
しかし、今回下位精霊はライの術式を受けいきなり中位精霊へと進化してしまった。元がコンゴウの魔力なので始めから地属性固定……ということにもなる。しかも自我が目覚めた状態で隷属という結果はあまり芳しいものではなかった。
『やはりお主に我が『神霊術』を託すのはまだ危険か……』
「神……霊術?」
『こちらの話だ。ともかく……起きてしまったことは仕方あるまい。時間がない。中位精霊が四体……そのまま地に潜らせ紫穏石を埋める位置へ誘導せよ』
「了解ッス」
仮契約とはいえ隷属状態の中位大地精霊はライの思念に従い地中へ潜った。紫穏石を配置する予定の位置に辿り着くとそのまま待機となる。
『では、仮契約印を通してお主の力を流せ。それで物質変換は可能だ』
「コンゴウの力を借りた時の逆をやるんですね?」
『そうだ。これは聖獣でもできるので特性ではないが』
「とにかくやってみます」
地中の精霊四体を通じ地層の一部を物質変換……これがすんなりと達成しアバドン分体の移動が停止した。
「……。上手くいったみたいですね」
『だが、まだ配置の済んでいない国もあるのだろう?』
「ええ。今から間に合うかどうか……」
念の為チャクラの《千里眼》にて確認を行ってみたもののアバドンはトシューラ国へ向かってはいない様だ。
「う〜ん……今ひとつ行動が読めないですね、アバドン」
『恐らく前回出現した地であるトシューラ国を避けている可能性はある。倒されかけた経験から本能的に、だろうが……』
「それならまだ何とかなるかな。でも急がないと……」
『その前に中位精霊との仮契約を解いてみよ。……と言っても恐らく……』
「……? 何かあるんですか?」
『やってみれば分かる』
言われるがままにライは中位精霊達との仮契約を解除した。それ自体は全く問題は無かった。
だが……。
「あれ? お前達、もう帰って良いよ?」
魔力の塊のままライの周囲を回っている中位精霊は傍を離れようとしない。
「え〜……な、何で……?」
『やはりな……』
「ど、どういうこと?」
『お主の力に味を占めたということだ。当然、離れたがらぬだろうな』
本来なら数十年から百年掛けて成長する筈の最下位精霊が一気に中位へ進化したのである。精霊の自我が芽生えたてであれ最高の環境が目の前にあれば当然居着く。蟲皇がフェルミナに付いて歩いたのと理屈は同じだ。
特に生物は地にて生活するもの……それを知っているので何処でも大地に接すると理解している。環境的な問題は無きに等しい。
「えぇ〜……。じ、じゃあ、転移で逃げるとか?」
『間違いなく追ってくるだろう。それより問題なのは
なまじ自我が芽生えた故に我儘や癇癪も持ち合わせているだろうと蟲皇は言う。ライは『失敗』の意味を改めて理解させられた。
「う〜ん……じ、じゃあ、どうしましょ?」
『本契約して制御すれば良い……が、問題もある』
「問題……?」
『この者らは中位精霊にも拘らず姿が固定されていない。そういった場合、他の精霊に喰われやすい』
「うっ……。そ、それは後味悪い……」
『故にその身が何かの形に固定されるまで安定した地に留まらせるのが妥当だろう』
「蜜精の森はどうです……?」
『お主の契約精霊が既に居るだろう。魔力調整をできる聖獣はともかく、一つどころに強い精霊を集め過ぎると御神楽のようなことになるぞ?』
魔力過多による魔人化発生地域……というのは流石に頂けない。
「となると他か……。候補は幾つかあるけど……」
『転移するにも一度この国の結界を超えねばなるまい。それも手間だ』
「それなら決まりですね。アステにはロウド最大の聖地があるのでそこへ」
『ふむ……。月光郷だったか。それなら確かに良いかもしれん』
そこでライは改めて思った。ペトランズ大陸では蟲皇を殆ど喚んではいない。しかし、その知識はライの記憶を全て理解している節がある。
「……。カブト先輩、本当に俺の目を通して全部見てるんですね」
『当然よ。お主は危なっかしくて放ってはおけぬからな』
「よっ! この覗き魔精霊!」
『……。痴れ者!』
「ぐあぁぁぁぁっ! め、目がぁ!?」
蟲皇はそのツノでライの目を突いた……。
『フン……。では、お主の兄が戻る前に済ませるぞ』
「へ、へ〜い……」
そしてライは四体の新たな精霊を連れ聖獣の住まう聖地・月光郷へと向かうのであった……。
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