第七部 第七章 第二話 帰れぬ理由


 テレサは夢を見ていた──。


 夢といってもそれはどんなことも起こり得る無秩序なものではなく、ただ日常の一部を切り取った他愛もない生活の記憶……。


 夢の中でテレサは祭りの準備をしていた。エンデルグで行われる『くれない祭り』という催し……染め物の原料となるニムロクスの花の収穫が無事終わった際に行われる宴である。


 ノルグー領は治安が良いとはいえ魔物や魔獣が花畑を荒らすことがある。広い土地には魔物避けの紫穏石が配置されているものの、ニムロクスの花や根を好む魔物が存在していて完全に防ぐことは出来なかった。

 気候にも左右され開花が少ないこともあった。魔法を研究し色々と花の品種改良も行われたが、ニムロクスは自然に咲いた物が一番鮮やかな色を発するので結局天然栽培で落ち着いた。


 その年は良質の花が収穫できた年で、魔王を封印した勇者を称える旗を作製する染物としてニムロクスの花が選ばれた年でもあった。何でも勇者の髪に合わせた赤にしたのだという。

 そんな話の影響か紅祭りにはそれなりの観光客が訪れていた。元々質の落ちるニムロクスで染めた安価な生地を求めてくる観光客は存在したが、やはり人の出が多かったのは確かだ。


「すみません。少しお聞きしたいのですが……」


 慌ただしく準備を進めていたテレサは旅人に声を掛けられる。『英霊の墓』について訪ねてきたのは魔術師というには優しそうな少年だった。


(………。そうだ……私、この人を………)


 テレサはそこで目を覚ました。


 まだ定まらぬ視線の端……朧気な影が見える。やがてその影は夢で出逢った少年の姿と重なった。


 テレサは寂しさと嬉しさが入り混じった声で叫ぶ。


「ベル!」

「おはよう、テレサ……。やっと……やっと起こしてあげられました」

「ベル……ああ、何でこんなにあなたが懐かしいの?ベル……ベル!」

「テレサ……私のテレサ……」


 ベッドから上半身のみで抱き着いたテレサをベルフラガはしっかりと抱き締める。


 テレサにとってはつい昨日振りの目覚め。しかし、ベルフラガにとっては二百数十年という永き時の果ての再会……。


 その様子を確認したライとフェルミナは、二人の再会の邪魔にならぬようそっと家の外へ出た。ベルフラガの深き心の闇を真に癒せるのはテレサだけ……触れ合い語り合う時間が必要なのである。

 その辺りは事前に提案していたのでベルフラガも今日一日は二人きりで過ごす予定だ。



「さて……本当なら城に帰るべきなんだけど……」

「帰らないんですか?」

「うん。先に色々とやっとこうかと……。先ずはコイツらからだな」


 外で待っていたのは猟師貝から進化したナーシフと元蠍人間クーンプリス、そして聖獣・光陰鹿鳥こういんかちょうのヨウエイ。


「ナーシフとクーンプリスはその姿のままじゃ色々問題があるから擬装する。ヨウエイは蜜精の森に案内するまで付き合って貰えるか?」

『はい。問題ありません』

「そんじゃ……ホイ!」


 掌を合わせたライが再び開くと首輪が二つ並んでいる。


「これを首に巻いておけば取り敢えずは人の姿になる。これからベルフラガに色々教わるにも今の姿で付いて行くと目立つからね」

「……これで人の姿になれるの?じゃあ、ヒイロの傍にいても良いでしょ?」

「いや……。言ったたろ、ナーシフ?お前達にはヒイロの守り手でいて欲しいんだ。でも、何かある度に擬装を解いていたら騒ぎになる。だから、目標が必要なんだよ」


 この言葉に反応したのはクーンプリスだ。


「つまり、人の姿でも力を使い熟せるようになれ……ということ?」

「そう。擬装しても力を使ったら元の姿になっちゃうんだよ。お前達はそれだけ強いんだ」


 今や半精霊格に至っているナーシフとクーンプリスはライの神具を用いても擬装しきれない可能性が高い。力に封印を掛けてしまえば簡単だが、それでは守り手としての意味を為さない。


「あの時は言わなかったけど、封印を掛ければ普通の人の振りを続けてヒイロと居ることもできる……んだけど……」

「それはイヤ!」

「と言うと思ったんだよ」


 ここでフェルミナがライの服の袖を引いた。そして敢えて聞こえないよう念話での会話を始める。


『ライさん……。この子達の力を維持したまま人型にすることはできますよ?』

『わかってる。でもね、フェルミナ……多分、コイツらはそれを望まない』

『何故ですか?』

『今の姿はヒイロから貰った力の結果だからね。人の姿は飽くまでヒイロと一緒に居る為に必要であって、本当は元の姿の方が好きなんだ。それに、半精霊格になってるなら努力も覚えないと力を調整できない。クーンプリスはともかくナーシフは心が幼すぎる』


 いつか心が成長して人の姿を望めば、その時は自然と変化できるよう霊位格を上げることも視野に入れての配慮……メトラペトラが居たら間違いなく呆れているだろうとライは内心苦笑いだった。


「まあ、ベルフラガから力の調整を習うにしてもあまりお邪魔になっちゃ悪いからね……。ついでだから人の暮らしも学ぶ為にカジームで寝泊まりする手もある」

「カジームってラルゴが行った場所?」

「ん……?そうだけど……」

「じゃあ、違う場所の方が良いと思う。ラルゴは世話焼きなんだ」


 剛猿ラルゴは見た目に反して何かと世話を焼きたがるとのこと。それでは折角の覚悟の邪魔になるとクーンプリスはライの提案を拒否した。


「じゃあ、やっぱり蜜精の森か……。それなら皆に色々教わることができるし」


 どのみちテレサには蜜精の森に移動してもらうつもりだった。今後のベルフラガの協力にはテレサの安全確保が必要なのである。それなら女性が居る場所の方が馴染みやすい。


「良し。じゃあ、蜜精の森で決定ね」


 首輪型の擬装神具をナーシフとクーンプリスか受け取るとほぼ同時にライの肩に白と黒二匹のウサギが出現。


あるじ!何故吾輩達との繋がりを切ったであるか!?』

『そうでおじゃる!』


 聖獣・聖刻兎のシロマリ・クロマリは出現と同時にライの顔に頭を押し付ける。


「いはあ……ほへかひつははへは……ひはひ!ひはいほ!?」

『言い訳無用におじゃる!』

「むぶぶぶぶぶ!」


 可愛い毛玉達にグリグリと両脇から顔を押し潰されている『顔面崩壊勇者さん』は両手で宙を掻くように悶ている。


「何よ、コイツら!」

『ぬっ!何者でおじゃるか!?』


 ナーシフとシロマリ・クロマリは互いに何かを感じ取ったらしく視線で火花を散らす。が、そのお陰でライはモフモフ圧迫幸福地獄から解放された。


「あ〜……その子はナーシフって言って魔物から進化した半精霊体だよ。クロマリ達に連絡取れなかったのはその子の創った異空間に居たからなんだけど……」

『何と……である!』

『馬鹿な……でおじゃる!』


 自分達の力が目の前の魔物に及ばなかった事実が余程ショックだったらしく、聖刻兎達は劇画風の表情でワナワナと震えている。

 これに気を良くしたのかナーシフはここぞとばかり自慢げに二匹を挑発した。


「フフン!ご主人様から大事にして貰ったあたしは凄いんだからね!」

『ぐぬぬ!小娘如きに……でおじゃる!』

『悔しいである!』


 見兼ねたライは聖刻兎達を抱き締めなだめることにした。


「落ちつけって。シロマリもクロマリもまだ下位聖獣なんだろ?じゃあ、伸び代たっぷりな筈だ」

『しかし……でおじゃる!』

『である!』

「分かった、分かった。後でちゃんと方法を考えるから。蜜精の森が聖域に変化してるなら少しづつ力も増えるだろ?だからちょっと待っててな?」

『むぅ〜……仕方ないである!』

『約束でおじゃるよ!』


 実際、異空間に行く度に契約が途切れては聖獣達も不安になるだろう。ライとしてもその点は憂慮していた。


「ということで、この話は保留。あ、折角来てくれたからシロマリとクロマリに頼みたいことがある」

『森に帰るでおじゃるか?』

「俺とフェルミナはまだ帰れない。代わりにコイツらを頼む」


 ナーシフとクーンプリス、そして聖獣・光陰鹿鳥ヨウエイを蜜精の森へ送る案内役をシロマリ・クロマリに頼んだ……が、ここでもナーシフと聖刻兎達が火花を散らしている。


 しかし……今回はクーンプリスがナーシフを制止した。


「ナーシフ。そんなことばかりしてると御主人様に嫌われるよ?」

「えっ!?そ、そうなの……?」

「ラルゴやイスカも言ってたでしょ?我儘ばかりだと駄目だって。これから色々教わるんだからね?」

「でもぉ……」

「でも、じゃありません」


 クーンプリスに諭されたナーシフは急にしおらしくなった。


「ゴメンね、兎さん達。お願いできるかな?」


 クロマリ・シロマリはライが頷くのを見て揃って咳払いをしつつクーンプリスに答える。


『まぁ良いである』

『では、行くでおじゃるよ』

「あ……シロマリ・クロマリ。一応城の皆にも事情説明頼む」

『了解したでおじゃる〜』


 一瞬の揺らぎの後、ライとフェルミナを残し聖刻兎、ナーシフとクーンプリス、そしてヨウエイは姿を消した。


「……。ライさん。本当は何故戻らないんですか?」


 フェルミナはそれまで疑問に思っていたことを敢えて口にした。


 ライは異空間内では帰ると口にしている。先程のこともライ自身が転移で連れて行き皆に説明すれば済む話である。どうしても帰りたくない事情があるのかとフェルミナは思ったのだ。


 そして、図星を突かれたライは渋々ながら本音を口にした。


「………。いま帰るとね……?動けなくなりそうで怖いんだよ」

「……?」

「体力的にどうとかじゃないんだけどさ。その……城は居心地が良いから……。まだやることが沢山あって、俺の都合でも皆に迷惑掛けてるのに……楽な方に逃げそうで……」


 これからライにはやるべきことが大きく分けて四つある。


 一つ──ベルフラガの協力を得て魔獣アバドンから各国を守る為の措置を行うこと。


 これはベルフラガを脅威認定から外して貰う為の『功績』にする意図もあり優先する必要があった。異空間内で起きたことだけではエクレトルの説得には少し弱いのだ。



 二つ──アバドンの無力化。活動の兆候が見えたアバドンを倒すか封じる必要がある。


 アバドンはプレヴァイン同様の吸収特化……今のライでは苦戦の可能性がかなり高い。それでも他者に任せるより自らが動いた方が被害が少ないと考えていた。



 三つ──プレヴァインとの対話。こちらは戦う必要が無いのでベルフラガを待つ今の内に行う予定だ。


 神々に関する知識も持つであろうプレヴァインからはかなり得られる情報がある筈……。闘神との戦いに備えるには重要と言えるだろう。



 そして四つ──本来なら最優先をさせるべき事案……イルーガとの対峙。


 イルーガとシウト国の内乱が繋がっていることは魔王アムドとの会話から最早疑いようが無い。だが……ライは未だ覚悟が決められなかった……。

 親しかった者との決別の覚悟──これはライの最大の弱点かもしれない。


 恐らく今戻っても混乱を拡げるばかりだと自覚している。シウト国の内乱は複雑な思惑が絡み合い、しかもライは未だ疑いを晴らせていない立場……。イルーガが相手となれば本気で戦えるかもかなり怪しい。


 結末を誰かに委ねれば楽になるだろう。しかし、今度はその誰かの心と身体が傷付くことが怖いのだ。この不安がいつもの様な暗躍に意識を割く余裕を奪う原因ともなっていた。




 




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る