第七部 第六章 第七話 タンルーラ


 神聖国家エクレトル──神の意志の代行であるの国家でさえも不安要素を抱えてしまったロウド世界。もしも……この時エクレトルに混乱の種が撒かれていなければ、また違った未来となっていただろう。


 しかし、世界に『もしも』は存在しない。それは歴史の偶然か必然か……。


 矮小な人の身では世界の流れに翻弄されることのみ……ロウド世界は強者の思惑により激動の渦中にあるのだ。



 そして──その国もまた大きな思惑の渦に飲み込まれる運命だった……。



 ペトランズ大陸北東の国・【タンルーラ】


 シウトとトォンという二つの大国に挟まれ小国アヴィニーズが南西側に隣接するその国は、自然を神と崇める宗教国家である。

 建国の歴史は新興国に部類するも、侵略などに巻き込まれない地理にある為に長く平和が維持されていた。


 自然と共にあることを選んだタンルーラ国民は国主たる教主からして身を律していて、昔ながらの狩猟と農耕、そして漁業で生計を立てている。特に漁業は北の海の寒流と唱鯨海の暖流が合流する豊富な漁場により安定した糧が得られていた。


 ルクレシオン教は元を辿れば神聖教──。同じ神を崇めている中で僅かに違いが生まれた分派が、より自然回帰に傾き新たな宗教となった。賛同する者達が集いやがて集落となり、国へと発展……それがタンルーラの始まりである。



 ───この国には神聖教から隔絶した秘密がある。


 一つ──他国には知られていないが、教主は代々魔人である。


 ルクレシオン教ではより多くの自然魔力を得ることは神の恩寵を得られることと同義だと考えられていた。魔人化=神の御使いと考えられていたのだ。

 初代の教主は只人であったが高みを求めた。魔力が特に集まる地に寺院を据え、長い刻を掛け瞑想を行ったのである。更に、過去の文献を元に魔石を食する……という荒行は確かに驚きの結果を生んでいた。


 苦行の果て【魔人】となった教主は民からの信仰対象となった。それに応えるべく教主は更なる高みを求める。過剰の上の魔力過剰摂取……その結果はベルフラガの推測とは大きく異なり、肉体から精神が剥離し精霊の一種となった。


 魔人化ではなく精霊化……但し、やはり強引すぎる手法は正しき結果を得られなかったのだろう。素養を備えぬ強制進化は精神の発達に至らず、下位精霊に成り果て自然の中へと溶け込んで消えた。

 魂は輪廻に還るのである意味では教義通り……ではあるものの、その不毛な結果をルクレシオン教徒は知る由もない。


 だが……驚くべきはそこではない。魂の剥離した肉体は純魔石へと変化する。それを現世からの解脱とし神の恩寵と宣ったのは誰だったのか……魔石となった教主の亡骸を砕き身体に取り込むことがいつしか教主継承の儀とされた。


 それからは次の教主が荒行を行い魔人化、そして魔石化……。こうしてタンルーラは三百年内に五人の教主が変わることとなった。


 現在、六代目の教主ラドゥーラは自然魔人の一人だった。生まれながらにして魔人という状態はそれだけでルクレシオン教主の資格を得る。それどころか天啓として幼い頃から信奉の対象とされるのも必然だったと言えるだろう。


「教主様。今回の瞑想は如何でしたか?」


 僧正テルジンは『瞑想の間』から戻ったばかりのラドゥーラにかしずく。そこはタンルーラ国の中枢でありルクレシオン教の大本殿最奥に存在する『万象の間』──。


 灰色の石造りで建造された神殿内に誂えた教主謁見の間でもある其処は、壁を大きく切り出した窓があり光が差し明るい。部屋奥……ラドゥーラの背後の壁には赤を基調とした独特な模様の壁飾りが大きく飾られている。

 天井の中央から四隅へと吊られた赤い布にも同様の模様が編まれている。宗教的な教えが記されているというが恐らく理解できる信徒は少ないだろう。

 

 大きな木製椅子の肘掛けで頬杖を突いたラドゥーラは、テルジンの言葉に小さく溜め息を吐きアクビ混じりで答える。


「ふぁ〜あ……。実に退屈だったよ、テルジン」


 ラドゥーラは齢十と幼かったが聡明だった。


 タンルーラという国に生まれ落ち直ぐに天然魔人であることは判明した。その後中枢に取り込まれ寺院の中で過ごすことになった。

 肩で切り揃えた黒髪に赤い瞳。僅かに褐色の肌に鼻筋が通った顔は幼いながらに美形。ただ、年相応に身体は細く教主と言われてもその様な仰々しさは見当たらない。言葉遣いもどちらかといえば砕けたものだ。


「瞑想……といっても精神的な何かがある訳じゃない。ただ大地魔力の高い位置でじっとしているだけだからね。魔石は美味しくないし」

「仕方ありますまい。それもまた教主のお役目ですよ」

「でも、テルジンの差し入れてくれた食料や本があったからまぁ退屈は凌げたよ。おっと、これは内密にしないと……」


 ラドゥーラは教主。しかし、ルクレシオン教という宗派にそれ程傾倒している訳ではない。寧ろ疑念を持っている風だった。


「それで、テルジン。ペトランズ大陸会議はどうだった?」

「それが……」


 テルジンは事の経緯を順を追って説明した。魔獣アバドン対策への協力、その際の各国同盟締結の確認、そしてトシューラ女王の宣戦布告とアステの賛同……。

 全て聞き終わった際、ラドゥーラは申し訳無さそうに頷いた。


「ゴメン、テルジン……。嫌な思いをさせた」

「教主様が謝ることではないかと思いますが……」

「しかし、トシューラが最悪の行動に出たその場に立ち会わせてしまった。本当に済まない」

「ラドゥーラ様……」


 ラドゥーラを支える僧正テルジンはタンルーラの出自では無い。かつてトシューラに侵略され滅亡した小国からの亡命者である。

 故に、タンルーラの民とは違った知識と価値観を持っている。それでも僧正として受け入れられたのは魔法の知識があった為だ。


 ルクレシオン教は魔法の知識に乏しかった。それを補い魔物と渡り合える様になったのもテルジンが来訪してからのこと。果たした功績は大きく、かつルクレシオン教を理解したたゆまぬ努力が認められ今の地位となったのである。


 しかし、幾ら時が経とうとも大陸会議でのトシューラの行動には心中穏やかではない筈……ラドゥーラはそれを詫びた。


 そんなラドゥーラを見たテルジンは、剃髪された自らの頭を軽やかに叩いて困った様に笑う。


「それはもう過去のことです。今の私は僧正……このタンルーラの民。ですから教主様がお気になさる必要はありません。それよりも……」

「……大陸の戦争、か。いや……タンルーラはそれ以前の魔獣対策が必要になる訳か」

「はい。この地には紫穏石が少ないのでシウト国からの支援に頼ることになるでしょう」


 タンルーラは海に面してはいるが内陸側の守りに不安がある。大国二国とアヴィニーズがタンルーラの防壁代わりとなっていた地理的優位は地中から来る相手には意味を為さない。

 だが、タンルーラはシウト国に返せる物がない。海産物や肉、毛皮などを対価として支払う必要が無い程にシウト国は豊かなのだ。調度品もそこまで価値のあるものは存在しない。質素な国柄というのは外交の際にどうしても劣ってしまう。


 シウト国は恐らくそれでも支援してくれるだろうとテルジンは言う。だが、それでは国としての格が下がる。たとえ小国でも威信というものは必要なのである。


「これまでテルジンが言っていたようにタンルーラ独自の技術や文化を模索してはいたけど、中々上手く行かなかったからなぁ……。辛うじてできるのは……」

「魔石……ですか?」

「うん。この地の地下にはそれなりにある筈なんだよね?」


 魔石の大鉱脈……これがもう一つの秘密。


 それを明らかにすればトォン国といえどタンルーラを放置しない可能性がある。価値ある資源であると同時に危険な兵器にもなる魔石……タンルーラはそれを管理するには文化も技術も低いのだ。


 魔力の高い地には当然ながら魔石鉱脈が存在する。タンルーラでも時折川や田畑から小さな魔石が取れる。それらは庶民に無償で分けられ光や熱と資源として活用されていた。

 しかし、大きなものとなると採掘が必要となる。が、タンルーラの大地は名目上聖地──採掘は大地を汚す事と考えられていた。


 テルジンはそういった古い考え方を理解してはいた為これまで進言はしていない。ただ、知識としてラドゥーラに伝えてはいた。


「……。やはりそれは避けるべきでは?」

「う〜ん……。でも、魔石があれば多少色を付けて融通しては貰えると思う。国が滅んでしまっては意味がないし」

「ですが、恐らく僧正達が認めないでしょうね」

「ふぅ〜……。考えは時代によって変えないとならないのにね……。古きを守るのは美徳ではあるけど、守るべきは今なんだよ」


 ラドゥーラはテルジンから多くの知識を学んだ。だからこそ広い視野を持ちこれまでのタンルーラの在り方から改革しようと努力していた。

 無論、ルクレシオン教を全否定する為のものでは無い。宗派の教えと国民の発展バランスを取ろうとしていたのである。


「自然の中から神の意志を感じ取る……そんなルクレシオン教の教えは恐らく正しいと私は思っている。でも、正しいが故に盲目的になり狂ってしまっている部分もある」

「…………」

「良い例が私だろ?子供を幼い頃に親から引き離して瞑想や遺骸を食わせても神の御心が宿るとは思えないんだ。人は先ず自分のみでできることを見極める必要がある。教主に依存するだけじゃこの国はこれ以上発展しないし人も成長しない……違うかい?」

「……そう……ですね」


 人は自らの意思で生き様を選び、できることの限界を模索する必要がある。勿論、規律は必要だろう。神に祈ることも悪いことではない。ただ、神に頼るのは本当に困った時でなければ怠惰に陥る。

 ルクレシオン教も同様で、教主への依存ありきで国を回そうなどという考えは恐らく初期の教義から掛け離れているとラドゥーラは考えている。


 教徒の信奉はそれ程に強いが、もし教主が何らかの理由で唐突に死んだ場合はどうするつもりなのか……それが気掛かりだった。


 ラドゥーラは教主として国民の為にその身を賭す覚悟はある。魔人故に病程度では死ぬことはないが、魔獣が相手となれば話は変わってくる。

 信ずべきは神であり教主では無い。教主は飽くまで道標──それを現在のルクレシオン教徒が理解していないことにラドゥーラは不安を感じていた。


「それでも平和が続くなら先送りでも良かったんだけどね……。今のロウド世界は気苦労ばかりさ。ま、私もテムジンが居たからそう考えられる様になったんだけどね」

「ラドゥーラ様の聡明さがあればまだタンルーラには救いがありましょう。先ずは魔獣の危機を乗り越える方策を──」

「ならば、その方策……我が教えてやろうか?」


 突然響く凛とした声にラドゥーラとテルジンは動けなかった。


 全く感じなかった気配……その姿は『万象の間』に忽然と現れたのである。

 場に広がる威圧はラドゥーラとテルジンの生気さえ奪う程のもの。二人は呼吸さえ忘れ脂汗が滲んでいた……。


「……。フム、少し力を込め過ぎたか。


 威圧から解放されたラドゥーラとテルジン。その眼前には金の髪の成人男女が三名、そして白髪の……ラドゥーラと然程歳の変わらぬだろう少年が一名近付いてくる。

 白髪の少年こそが首魁……ラドゥーラは即座にそれが理解できた。存在感が圧倒的なのだ。


「さて……少し話をしようか、この国の教主よ。これは貴様の利になる話やも知れぬぞ?」

 


 


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