第七部 第六章 第一話 行動する元勇者


 脅威が迫る中でもロウド世界の団結は未だ果たされていない──。



 世界の首脳陣に闘神の存在が伝わり、歴戦の者達がその身と心を削り脅威と戦い続けても、思惑を持つ国主は世界の為ではなく自らの欲望に忠実に従っていた。


 いや……それは欲望と呼ぶには些かの語弊がある。意志の方向性はともかく、彼等は彼等なりの『願い』の為に行動と選択をしているのだ。

 だが、その願いは本来個人の範疇であるべきもの──国家としての行動ともなれば当然多くの争いと不幸に繋がる。


 故に、それを良しとせぬ者が居る。愛国心、道徳心、義侠心……理由は様々であるが、自国の暴走を止める為に行動する者は確かに存在するのだ。



 アステ国イズワード領主、シン・カルダリアス・イズワードもその一人──ライの兄でもある彼は『元勇者シン・フェンリーヴ』とし高い名声がある。最大貴族イズワード領主としての責任感も加わり、以前からアステ国の為に行動を起こしていた。


 アステ国とトシューラ国の不可解で不平等な同盟──それに関して各貴族の動向を密かに確認していたのである。


「ようこそお越し下さいました、イズワード卿、そして奥方殿」


 その日、シンが出向いていたのはアステ内北東の領地にある『クレルガント領』。まだ領主となり日の浅いシンの挨拶回り──という名目で領主の動向を探っている行脚には妻のナタリアも同行している。

 シンは白の貴族服に赤の外套、ナタリアは赤のイブニングドレスに茶色の外套といった服装。アステ国民は赤い色を好むという習慣に倣ったものだ。


「いえ。お会い頂き感謝致します、クレルガント卿。今は冬支度の前の多忙な時期……御迷惑にはなっていませんか?」

「確かに時折雪がチラついていますからなぁ……。ですが、大方の準備はお陰様で順調です。クレルガントは神聖国にも近く品物の流通が早いので」

「それもクレルガント卿の手腕あっての賜物でしょう。私は元勇者などと持て囃されておりますが、公人としては未熟……学ぶべきことは多い。クレルガント卿からも御指導を頂ければと思っております」


 シンの言葉にクレルガント領主は少しだけ表情を緩めた。


 クレルガント領主は四十後半程の中肉中背の男。紺の落ち着いた貴族服に身を包んでいる。


「ハハハ。ともかく中へ。今、温かい紅茶を用意させます」


 シンとナタリアは領主のもてなしを受けることになった。



 領主同士に上下関係は無い。大領主でも小領主でも互いを下に見ることは侮蔑であり、逆に持て囃すことも無礼に当てる。

 領地にはそれぞれ役目がある。だからこその対等──しかし、これは前提であると同時に建前でもあった。


 領地の財には差が付くのは当然のこと。それは領主の手腕にも左右されるがやはり所領内の生産性が大きい影響を与える。

 大領地は資源も人材も多く、生活環境の整備も行われている。つまり、魔物などからも守られた安全な街も多い。人々は安住を求めて大領地へ流入する為に経済も回る。


 対して小領地は、やはり安全といった面では限界がある。領主の住む街以外での兵の配備や流通確保を補える経済力がどうしても劣るのだ。


 故に、小領主の中には大領主と良好な関係を築き融資を頼ることがある。それにより大領主は権威と発言力を増し、小領主は財政と治安の確保を賄えるのである。

 しかし、そうなれば依存が生まれる。小領主は必然的に大領主には逆らえなくなってしまう。事実、先代イズワード領主はそうやってアステ国内での存在感を増したのだ。


 無論、領主にも体面があるので公的な場では対等……ということになるのだが。


 その中では、クレルガント領は小領地ながらも流通路という強みがある。領主の手腕もあり領内の経済は上手く回っている。


 そして、シンが訪れた目的はその領主との対話──アステ国内での領主の意思確認が目的だった。


「それにしても、新たなイズワード卿は何というか……」

「祖父に比べると頼りなく見えますか?」

「いえいえ。寧ろ頼れるというか……いや、先代のパルグ殿も大きな存在なのですが、あなたはまるで大きな岩のようだというか……」


 ナタリアはクレルガント領主の言いたいことを理解していた。シンは落ち着いた雰囲気に加え元勇者としての実力が備わっている。それは周囲の者に不思議な安堵を与えるのだ。

 しかし、領主の妻としてそれを伝えるのは身内贔屓にあたると判断し微笑みを浮かべ黙っている。


「少なからず戦場に身を置いた故にそう感じて頂けるのかも知れませんね」

「元勇者の領主……ですか。確かに稀ではありますね」

「ですが、アステは王子が勇者でもある国です。然程、特別視はされないのでは?」


 この言葉にクレルガント領主は眉をひそめた。それは並の者ならば気付かぬ程の一瞬……しかし、シンはそれを見逃さなかった。


「クラウド様は特例と言っても良いでしょうからな……。それにあの方は……」

「実質公務をしていない……ですか?」

「!?」


 クレルガント領主は大きく目を見開いている。


「どなたからそれを……やはりパルグ殿ですか?」

「いえ。誰……という訳ではありませんが、私なりにアステという国を知る為の挨拶回りでもあるので……」

「そう……ですか」


 シンがイズワード領主となった際、各領主はその経歴や身辺を探っている。最大領主と今後懇意な間柄となれるかが掛かっている重要な要因……その人格や行動は粗方調べ尽くしただろう。

 その証拠に、シンに対してはほぼ全領主が友好を望んだ。温和な人格、民の為にその身を賭けられる覚悟、正しきことを貫き通す信念……果たされた多くの功績はどれもシンが信用に足る人物であることの証となった。


 対してシンもまた出逢った領主を一人一人確認していた。フェンリーヴ家由来の『見抜く目』は勇者としての経験により更に洗練されていた。

 結果、分かったことがある。アステ国の領主の多くは良心的であり、だからこそ王家の現状を憂慮もしていた。そして、クレルガント領主もまた国を憂う者だったらしい。


 部屋に控える下仕え達は領主からの合図を受けそそくさと退出してゆく。直後……傍に置いていた魔導具の杖を手にしたクレルガント領主。効果は遮音の結界である。


「失礼しました。何処に聞き耳を立てている者が居るか分からないものですから」

「正しい判断かと。屋根裏に居るのは王家直属の密偵でしょうね」

「屋根裏……!?」


 平然と言って退けるシンに唖然とするクレルガント領主。ナタリアまでも全く動じず茶を口に運んでいることには苦笑いするしかない。


「いやはや、流石は『武の勇者』……念の為と思っての行動でしたが、まさか本当に潜んでいるとは……」

「恐らく全ての領主には密偵が付いていると見るべきかと。ですが、今気配は消えました。私の言葉で慌てて退散したようですね」

「……遮音していたのに何故気付いたのでしょうか?」

「可能性ですが、透視系の魔導具で唇を読んでいたのでしょう。今後は遮音だけでなく視覚遮断の結界も用意した方が良いですよ。まぁ、クレルガント卿ならば監視されて困る程のこともあまり無いでしょうが」


 たとえ王命でも、密偵が領主の館に忍び込めば殺害されても仕方無いのである。気付かれなければ問題はないのだが、やはり命のやり取りは避けるべき……シンの場合、プライバシーの侵害に絡む場合は威圧をかけ追い払う様にしていた。


「では、今は安全……ですかな?」

「一応は、ですが。神具の中には私でも感知しきれないものもあります。とはいえ、そういった神具は数も少ないので密偵に授けることは稀でしょう」

「成る程……」

「それで……クレルガント卿は何故そこまで警戒を?」


 先程シンが言った様に探られて困ることは殆ど無い筈。思想犯的な嫌疑を領主が掛けられることは確かに由々しき事態ではあるが、クレルガント領主にそこまで大それた考えがある様には見えない。

 しかし……シンの予想通りならば、ここまで警戒するのは王家に対する意見が絡む話。それは挨拶回りの本来の目的である。わざわざ会話で誘導する必要が無くなったのはシンとしてもありがたいことだ。


「……。トシューラとアステの同盟について、イズワード卿はどうお考えか?」

「ハッキリと言えば愚行でしょうね。が、そこには理由がある。それはクレルガント領主も耳にしているのでは?」

「アステ王家はトシューラに飼い慣らされている……ですか……。単なる噂だと思いたかったのですが……」

「アステの歴代王家の中にはトシューラ王家血筋の者が少なからず居ます。あの侵略国が何もしないことはまず有り得ないでしょう。アステ王家は内側から蝕まれていると考えるのが妥当かと」

「しかし……それなら何故一気に奪わぬのでしょうか?」

「アステを取り込めば一つの超大国という形になるからでしょう。単独国家では『世界の敵』として孤立し易くなりますからね……。逆にアステとの二国同盟という形があれば政策に同意する国があると主張しつつ軍事行動の限界点も探れます。避けたい負担はアステに押し付けトシューラは余裕も生まれる……アステ貴族も明確な自国侵略の証拠が無いので動けませんし」


 魔の海域にて行われた魔王アムド討伐作戦の際、アステは艦隊を出すことになった。その被害と損害が甚大だったことは言うまでもない。


「アステの各領主にまでトシューラの息が掛からないのはその方が国が回るからでしょう。支配下にあるアステが衰退してしまっては本末転倒……。寧ろ栄えればトシューラとしても様々な利が生まれる。本当に厄介な相手です」

「しかし、そうなるとアステ王の安否が不明なのは心配ですな。体調が優れぬと表に出てきませんが、その生死までは誰も分かっていません」

「代わりに動いているのがクラウド王子……だった筈が……」


 数年前アステの王城から逃げ出した家臣が居た。文官の一人だったその家臣は、庇護を求めた領主に王城内の異常な様子を伝えた。

 城内の者達は一切の会話なくただ決まった行動を繰り返していたという。受け答えができぬ訳ではないが、相手側から語り掛けることがない……食事も仕事もただ決められたことをなぞっている様だった。


 そしてその文官もまた同じだったのだろう。城の中で突然意識を取り戻し周囲の異変に気付いたのだ。


「文官は音沙汰無しで半年城に詰めていたらしいですよ。後に確認した領主の話では現在王城に居る者は皆、同じ状態だそうです」


 城勤めで半年というのは割と良くある事だ。しかし、城下町にさえ姿を現さないというのはここ近年のことだったらしい。


「更にその文官の話では、クラウド王子が公務を任せきりであることも分かった……つまり、国を完全に放置しているらしいのです。あの方もまた、トシューラの操り人形なのでしょうか……?」

「いや………」


 クラウドが存在特性【魅了】を使用し何かを目論んでいることはマリアンヌから忠告を受けていた。

 そしてそれは、アステの為ではなく己の目的の為のみの行動。世界会議に於けるこれまでのクラウドの発言からもトシューラの言いなりという訳で無いだろう。


(いや……感じるのは寧ろトシューラに対する悪意。操り人形の筈のアステ王家に於いて唯一トシューラに敵意を向ける者……。つまり……)


「……復讐」

「!?……イズワード卿、いま何と?」

「恐らく……クラウド王子の目的はトシューラへの復讐です」

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