第七部 第五章 第四十話 帰るべき故郷へ


「貴方は……初めからこうするつもりだったのですか?」


 赤子を抱き寄せるエイルを尻目にベルフラガはライへ質問を投げ掛ける。


「いや……。俺はできるなら……ヒイロにはヒイロの意志で家族の元に帰って欲しかったよ」

「………」


 他者の心に直接介入する行為はライが最も嫌うこと……。だが、ヒイロの心はもう限界だった。

 このまま眠らせればやがてヒイロの心が死ぬだろう。プレヴァインの様に契約で繋ぎ止めても限界は近かった筈だ。


「ヒイロは繊細過ぎたんだ。それは生まれ持ってのものだったのかもしれない。でも、ヒイロの心の中で感じたよ……多分、心を癒やす為に必要なのは健やかな子供時代なんじゃないかって」


 人の性格は子供の頃の経験が大きく影響する。その想い出が人の目標を作り努力と強さを宿すこともある。

 しかし、ヒイロにはその想い出が枷となってしまった。だからこそライはもう一度そこからやり直させてやりたかった……。


 いつか……罪の重さに堪えられるだけの心の強さを宿せた時に記憶の封印が解け、僅かな幸せの記憶も取り戻せるように……。


「それで……君の負担は大丈夫なのか、ライ?」

「ええ。子供に戻したのはフェルミナの力を借りたので……俺は実質、記憶の封印しかしてませんから。……。俺よりもアービンさんの方は大丈夫なんですか?」

「ハハハ……。足手まといにならないよう踏ん張ってみたけど……流石に疲れたよ。ガデルにもかなり無理をさせてしまったな」


 竜鱗装甲ガデルは現在、機能低下によりペンダント形態となり沈黙中──。だが、ガデルの進化は確かにアービンの成長にも繋がった。これは後々大きな力となる。


「さて……残る問題は彼等ですね」


 再びエイルに視線を向けたベルフラガ。そこにはエイルとヒイロを取り巻くように守護獣達が見守っている。


「魔物なのでどうすべきが正しいのか……と言っても、貴方はそれも考えているのでしょう?」

「………。か、考えて無かった……」

「………」

「………」

『………』

「じ、冗談だよ、冗談……。ヒイロにも頼まれてるからね。ただ、できるだけ好きにさせてやろうと思ってるよ……その辺り、魔物達の気持ちを確認しないと分からないだろ?」

「まぁ……確かにそうですね」


 そして一同は魔物達の集うエイルの元に向かう。


「ヒイロ〜……ホラ、ライだぞ〜?アハハ。ライを見て笑ってるぞ?」

「それはエイルの温もりが心地良いんだよ。エイルの存在特性を感じてるのかもね」

『フフン。エイルの存在特性は【乳房】だからね……皆、その胸に抱かれると幸せになれるんだよ』


 白銀のリスの姿に戻った聖獣コウはいつの間にかフェルミナの肩に乗っている。そして何故か誇らしげにふんぞり返っていた。


「え?ち、乳房?愛じゃなくて?」

『そう!乳房さ!』

「あ、あれ〜?俺、最後の方だったから勘違いしてたのか?」

『チッチッチ!ライ……分かってないなぁ。良いかい?乳房は【愛】だよ?』


 この言葉にライはガビ〜ン!と衝撃を受けた!!


「ち、乳房は……愛!た、確かに!」

『そう。そしてエイルの乳房は最高!つまり、愛の力は乳房の力なのさ!』

「おお……!つまり、神衣の力でエイルはオッパイ神様に……ははぁ〜!ありがたや、ありがたや……」


 オッパイ神様、まさかの御降臨!


 その奇跡にライは跪きエイルに手を合わせ一心不乱に拝んでいる。並ぶように移動したコウも一緒に手を合わせているのがまた滑稽に見えた。


 これまでのエイルの慈愛シーン、台無し。ベルフラガとアービン、そしてプレヴァインでさえもその表情は得も言われぬ程に生温い。


「そんな存在特性、あってたまるか!」

「ぐひょん!」

『ぎゃぴん!』


 ヒイロを抱えだ愛の女神様による鉄拳制裁。ライとコウは仲良く地面をのたうち回る。その姿に赤子ヒイロは大喜びだ!


「ま、まぁまぁ。それでオッパイ神……ではなくて、エイル」

「オイ、ベルフラガ……」

「フフフ。ともかく、ヒイロに何か着せてあげないと。恐らくライは霊位格にも制限を掛けている筈です。風邪引くと大変ですからね」

「あ!そっか……」


 赤子の姿と精神で高い霊位格の力を操作することは容易ではない。確かにライはそちらにも封印を掛けてあった。


 ベルフラガは子供になる前のヒイロが羽織っていたローブを拾い上げエイルに手渡す。温かな布に包まれ安心したのか、ヒイロはウトウトと夢の世界へと落ちた。


「……。今度こそ……幸せな夢を見られるよな?」

「ええ。そして、両親の元で健やかに育まれることでしょう」


 守護獣達はその言葉に小さく頷く。ヒイロの子であり家族たる守護獣は主の幸せを心から願った。


「さて……。それでお前達のことだけど……」


 いつの間にかのたうち回るのを止めていたライは守護獣達の前に胡座をかき向かい合う。ヒイロの子であり心残りとなる守護獣達……ライはできる限りの配慮をするつもりだった。


 最初に声を上げたのは飛竜だった……。


『私はイスカと言います。先ずは主を救って頂き感謝致します』

「いや……ゴメンな。こんな方法でしか救えなかった。お前達には辛いだろ?」

『いいえ……。恐らくこれが最善だったのでしょう。私の見た未来の中で主は笑えているから……』

「お前、未来視が使えるのか?」

『はい。そこで今後の事ですが私には役割がある様です。その為に行動するつもりですが……一つお願いが』


 意外なことにイスカの願い事は人物の紹介依頼だった。


「紹介?一体誰を……」

『マレクタルという人物を通じてギルバートという勇者を』

「ギルバート……って、もしかして『竜殺しの勇者』のギルバート・ボーマン?」

『はい。その方で間違いありません』

「…………」


 ギルバート・ボーマン──勇者会議の際、マーナからその名が挙げられた勇者。『竜殺し』という称号を持っているが、実はドラゴンを殺している訳ではないことがトゥルクの勇者マレクタルから語られている。


 しかし……已む無くとはいえギルバートは飛竜を殺している。飛竜であるイスカが、何故そんな人物に会いに行こうというのかライは気になった。


「大丈夫なのか?ギルバートって人は……」

『承知しています。ですが、これは未来視からの選択なのです。そしてそれはギルバートという人物の為でもありますので』

「……。お前自身、傷付くことは無いんだな?」

『はい。それは大丈夫です』


 イスカは存在特性である【未来視】を使える。必要な事だと判断し、かつ傷付かぬと断言したならばヒイロが悲しむ結果にはならないだろう。


「分かった。異空間の外に出たらマレクタルさんに連絡を入れておくよ。トゥルク国の場所は分かる?」

『はい』

「そっか」


 飛竜イスカは自らの視た未来から正しいと思える選択を行った様だ。


 続いて声を上げたのは剛猿ラルゴだ。


『我はカジームの守護を行う。元々その為に生み出された』

「それは有り難いけど……俺としては役割ってだけで動かないで欲しい。ヒイロなら……お前達に自分で考えて幸せになって貰いたい筈だからな」

『ならば問題無い。これはいつか主と再会する為のものだ。主に代わり我がレフ族を守る……それも主の贖罪の一部となろう』

「いや……だから、そういうんじゃなくて……」


 そこまで言いかけたライはラルゴの目を見て理解した。剛猿は初めに生み出された魔物……ヒイロへの愛情は特に深い。

 親であるヒイロの為に……その選択をライは否定できなかった。


「分かったよ。でも、里の外で孤独に……ってのは無しだ。カジームには伝えるから里の仕事も手伝ってやってくれ」

『……わかった』


 レフ族ならば間違いなく受け入れてくれる。剛猿は本来森の魔物……暮らす環境も申し分ないだろう。


「後は……」


 残った守護獣は猟師貝ナーシフと蠍人間であるクーンプリス。すると……突然ナーシフは泣き始めた。


『御主人様〜、やだよ〜!離れたくないよ〜!うわあぁぁぁん!』


 赤子になったヒイロを覗き込み、再び泣くを繰り返すナーシフ。


 猟師貝は守護獣の中で最後に生まれた魔物でまだ精神が成長しきっていない。しかも異空間結界の役割を持つ為に常にヒイロの傍に居た。故にヒイロとの別れにもかなり抵抗があるらしい。


「ナーシフ……だっけ?そんなにヒイロと一緒に居たい?」

「一緒に居るもん!離れないんだから……うわぁぁぁん!」

(……。まぁ、こうなるのが普通か……)


 剛猿と飛竜は先に生まれた為か随分と物分かりが良かった。いや……良過ぎたと言うべきか。

 対してベルフラガとの戦いの中で進化したナーシフ……進化したてという事もあるのだが、かなり幼い印象を受ける。


(いや……この態度はヒイロが絡むことに関してだけなのか?幼い程親を求めるのは人間と一緒なのかも……)


 聖獣・聖刻兎の力さえ遮る程の力──このまま不安定では却って問題が増える。と、いってもライは既に方針を決めていたのだが……。


「ナーシフ。ヒイロは家族の元に帰るんだ。それがヒイロがずっと望んでいたことなのは分かるだろ?」

「……。でもぉ……」

「まぁ最後まで聞いてくれ。確かにヒイロは家族の元に帰る。でも、そうなると守るヤツが居ないだろ?だから、ナーシフとクーンプリスにはヒイロを守って貰おうと思っていたんだよ」


 契約を解かれ、赤子となり力を封印されてもヒイロは精霊体なのである。そして高い霊位格を持っているとなるとそれに引かれる者が現れないとも限らない。

 だからこその護り手──それは人型に近く高い霊位格を持つナーシフとクーンプリスが最適なのである。


「でも、まだ二人はちょっと人との違いが目立つ。だから力の調整を学んで人の姿になれるようになって欲しい。そしたらヒイロの友達としてヒイロの傍で暮らして貰うよ」

「……。一緒に居て良いの?」

「力の調整ができるようになったらね」


 パッ!と明るい表情になったナーシフは跳ねるように浮遊している。一方でクーンプリスは浮かない表情だった。


「それは……本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。クーンプリス……人と魔物は家族になれる。俺はその前例を知ってるよ。何より俺の家族にも魔物は居るからね」


 ディルナーチ大陸・久遠国にて不知火領主夫妻の養子となったリル……。実はペトランズ大陸に戻ってから一度だけ海で遊んだことがあった。

 その後何かと慌ただしい為に会いに行けていないが、問題が片付き入国禁止の期限が過ぎたら改めて遊びに行こうとライは考えている。ヒイロにとっての守護獣達がそうなれれば……というのはライの願いでもあった。


「という訳で、クーンプリスとナーシフは少し修行ね」

「では、そちらは私が協力しましょう。勿論、テレサを救って貰ってからになりますが……」

「それは助かるよ、ベルフラガ。最近、割と忙しくてね……」

「フフフ……。損な役回りばかりしているからですよ。では、ナーシフ。そろそろこの空間から出して下さい。ヒイロを帰すのは……やはりエイルが適任でしょう。任せましたよ?」

「ああ。任されたぜ?」


 ようやく異空間からの脱出──入った時と同じ塔の屋根の上に出た一同はまばゆい朝の光に照らされた。見下ろしたトルトポーリスの街は一面の雪に覆われていた。


「随分降ったんだな……」

「トルトポーリスは北の端ですからね。ですが、間もなくペトランス大陸にも冬が訪れるでしょう」

「なら、色々早く片さないとな……あ!エイル。あれ……」


 丁度その時……オルトリスとサリナの家の扉が開く。中から現れたのは大人のレフ族女性……。


「サリナだ。……じゃあ、行ってくるぜ」


 ヒイロの母サリナの元へと向かったエイルが赤子ヒイロを預ける経緯を、一同は屋根の上から見守った。事情を聞き全てを理解したらしいサリナは……ヒイロを抱きしめ膝を突き泣き崩れた。

 やがて家の中から父オルトリスと娘……ヒイロの妹が現われる。エイルは家族水入らずの邪魔にならぬようその場からそっと退散した。



 帰りたかった温かな家族の元へ──それは多くの者達がヒイロの為に心砕いた証……。


 ヒイロは永き旅路の末、遥かな故郷へと辿りついたのである──。


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