第七部 第五章 第三十八話 心に咲く花
『ヒイロは確かに力の行使を避けていた。しかし、魔王としてのエイル・バニンズが去った後も同族を見守り続けていた。一族に聞いてみるが良い……幾度かの大規模侵攻を受けた際、何故か魔物に守られたことがあった筈だ』
三百年の内で大規模侵攻があったのは三度だとプレヴァインは語る。レフ族を守る為、一度目の侵攻から剛猿が……二度目の侵攻の際には飛竜が創生された。
そして三度目……現代に於いてアステとトシューラは戦力を集結しカジームへの侵攻を計画していた。
「集結場所はフロットだったのですね?」
『そうだ。しかし、ヒイロは運命の悪戯に晒された。フロットに居た兵士の中に
ヒイロを騙しレフ族の結界を破壊した原因──カルセア国の商人レドル。フロットに居た兵士は髪の色が僅かに違うだけで生き写しだったのである。
『既に二百年以上過ぎているのだ。ロウドの民の寿命を考えれば当人ということは無いだろう。或いは子孫か転生体の可能性も否定はできまい。が……ヒイロの心の傷を抉るには充分だった』
悲劇の記憶が走馬灯の様に甦りヒイロの存在特性が暴走……結果、大量の魔物が発生し城塞都市は崩壊した。
それ以来、ヒイロは監視を魔物に任せ自らは異空間に居ることを選んだ。
「……。プレヴァイン、お前ならヒイロの力の暴走を止められただろ?何で……何で止めてやらなかったんだよ……」
憤慨するエイルだが、無論八つ当たりなのは当人も理解している。しかし、プレヴァインは曲がりなりにもヒイロを気遣っていた……だからこそ問わずには居られなかった。
そんなエイルを諌めたのはベルフラガだった。
「エイル……プレヴァインは動けなかったのでしょう」
「……なんでだよ?」
「契約のせいですよ。プレヴァインが力を貸しているのは復讐……ヒイロの暴走は、意思はどうあれ復讐には違いありません。それを止めることは契約に反する」
「でもよ……」
「神の眷族ですからね。契約に厳格だった……違いますか?」
この問いにプレヴァインは答えない。ベルフラガは構わず推論を続けた。
「本来はヒイロ側ももっと縛りがある筈ですが、プレヴァインは自らの契約のみ厳格に縛った。それがヒイロに自由があった対価なのでしょう。プレヴァイン……貴方、私達に対して演技をして見せていましたね?」
『……。あまり賢しいと嫌悪されるぞ、魔導師?』
「これも性分なのでお許しを」
ベルフラガの言葉の意味が分からないエイルは首を傾げている。
「何の話をしてるんだ、ベルフラガ?」
「プレヴァインは初めから私達とヒイロを会わせるつもりだったのですよ。任せるに値する相手か見定めていた……その上で力を試す為の戦いを始めた」
「全部プレヴァインの仕込みだった、ってことか?」
「飽くまで推論ですがね。恐らくそれに絡むのが【未来視】──違いますか?」
この指摘にプレヴァインは呆れる様な顔で微笑む。
『貴様も過去でも見えるのかと疑うぞ……。その通りだ。私の行動は殆ど【未来視】に沿ったものだ。占い師と言っていたが……あれは存在特性だろう』
過去、占い師に出逢ったプレヴァインは未来を告げられる。明確な時期こそ明言しなかったものの居城にヒイロが迷い込んだことでその時が来たと理解した。
『私の素性さえ見抜くのだ。相当の力だったと言って良いだろう。だが、鵜呑みにはできぬのでな?試させて貰った』
「占い師は何と言ったのですか?」
『複数あるので全てを語るには長くなる。ヒイロに関するものとしては、“あなたの元にやがて迷える子羊が訪れる。その羊はあなたの永き刻に光を導く
「成る程……だから貴方は私達がその“強者”かを確かめた、と……」
『そうだ。結果、貴様達は確かに強者だった。これで私の願いも叶うらしいが……』
「願い……それは一体……?」
『詳しく聞きたければ我が城へ来ることだ。だが……その前に貴様達はやることがあるのだろう?』
横たわるヒイロへと視線を向けるプレヴァイン。その目には少しばかり慈愛の色が宿っていた。
「良し……じゃあ、早くヒイロを帰してやろうぜ?」
「そうですね。そろそろ起こしましょう」
エイルはヒイロに近付きその身体を優しく揺り動かす。
「ヒイロ、起きろ。家に帰るぞ?」
しかし、ヒイロは起きる気配が無い。やや強めに揺さぶり頬を叩いても反応を示さないのだ。
「……。幾ら何でも反応無さ過ぎじゃないか?」
「先程の戦いの負担……という訳でも無いですね、プレヴァイン?」
『そうはならぬ筈だ』
「もしや、契約のせいでは?」
『それも無い。ヒイロから追い出された時点で私は契約を破棄した。今のヒイロは自由な状態だ』
「では、何故……」
『……。恐らく精神的なものが原因だろう』
その言葉を聞いたライはヒイロに近付くと額に手を翳す。【情報】の概念による精神干渉を行い目を覚まさぬ原因を探った。
「どうだ、ライ?」
「……。これは……」
「何だよ?」
「ヒイロ自身が……起きるのを拒否してるんだ」
『やはりか……』
ヒイロは己の罪に長い間苦しんでいた。たとえそれが子供の過ちだとしても、ヒイロが背負ったものはあまりに重すぎる。
「何でだよ……。折角家に帰れるんだぞ?起きろ、ヒイロ!」
「エイル……」
「オルトリスとサリナ、それにお前の妹が待ってるんだぞ!なぁ!?」
涙を浮かべヒイロを揺さぶるエイル。ライはエイルの手に自らの手を重ね小さく首を振る。
「ライ……」
「……。プレヴァイン。アンタはこうなるのが分かってたから自分とヒイロの入れ代わりをやってたんだろ?」
『……。私が内の精神領域に居ればヒイロは心の中に逃避することは出来なくなる。目を覚ましていればヒイロは大事にしている魔物達との交流がある。そこから生への執着が生まれる、と考えていたのだがな……』
「でも、ヒイロは堪えられなかった……」
それ程に純粋な心を持っていたヒイロは自らを今代の魔王だと名乗った。自らを赦せず、しかし贖罪の方法が分からない……その悪循環が益々ヒイロの心を磨耗させていったのだろう。
「じゃあ……ヒイロはこのままなのかよ……。そんなの、辛すぎる……」
エイルは横たわりヒイロの胸に
耳鳴りしそうな程の重い静寂が異空間を満たす──。やがてベルフラガが口火を切りライと相談を始めた。
「酷な様ですが、いつまでもこのままと言う訳にも行きません。どうしますか?」
「………。少しだけ時間をくれないか?」
「どうするつもり……と、聞くだけ野暮ですね。貴方のことです。ヒイロの心に潜るつもりなのでしょう?」
「ああ。上手く説得できるかは分からないけどね……」
以前、ライ自身も心の中に閉じこもったことがある。あれはディルナーチ大陸・神羅国でのことだ。
【
あの時は自らの内に住まうもう一人の自分『幸運竜ウィト』の記憶に指摘され己を見失わずに済んだ。その経験からヒイロを引き戻せないかと考えていた。
だが、ライとヒイロでは心の負荷が違う。ライは共感しても本当の自分の記憶ではない。対してヒイロは自らの過去……つまり行動した半生が心を潰す原因なのだ。故に、ライにも説得できる自信が無い。
しかし、何もしない選択肢は無い。ヒイロの過去を見たのでこれは尚更だ。
「……これも含めてアンタに託されたんだよな、プレヴァイン?」
『この結果は予言にない。だが、私は託せると考えていた』
「そっか……」
ここで改めてライは今後の話へと移る。
「この異空間内なら邪魔な横槍が入らないから集中出来る。だから、今からヒイロと対話してくるよ」
「本当か、ライ!」
「エイルにとっても、ベルフラガやアービンさんにとっても大事な存在だからね。やるだけやってみるさ」
「……ありがとな」
「御礼は上手く行ってからだ。それで……この後異空間から出たらヒイロを家に帰すのが最優先。で、次がベルフラガのことだ」
ベルフラガの想い人であるテレサを【死の病】から解放すること……これはベルフラガとの約束だった。
「忘れていない様で安心しましたよ」
「大事な約束だから忘れないよ。それで、それが終わったらプレヴァインから話を聞かせて貰う。でも、どれも一朝一夕で片付く話じゃないから何日か掛かりそうだな」
加えて現在残されている懸念は魔獣アバドンの復活、そしてシウト国の内乱……。どちらにもあまり時間的な余裕がある訳ではない。
しかしながら、一気に行動を起こすことが解決に結び付くとも限らない。特にシウト国の問題は、表向きライが虜囚とされている以上迂闊な行動を起こすことが躊躇われた。
(それは言い訳……だよな。皆に甘えてばかりじゃなくそろそろ覚悟を決めないと……)
ライにしては珍しく行動を避けている理由……。それは、かつての友であるイルーガとの衝突に解決の糸口が見当たらない故。ライはできればイルーガを傷付けたくなかったのだ。
しかし……この判断は後に悲劇に繋がることになる。
「プレヴァインとしては待っていて貰うことはできるのか?」
『ヒイロから分離した私は行動をすることはない。事情があってな……私の本当の体は城から動かすことはできぬ。時間に関しては今更な話だろう?』
「七千年だもんな……。わかった。じゃあ、悪いけどアンタの話は少しだけ待ってくれ」
『……。ヒイロの精神に潜るのだな?』
「何か伝えることはある?」
『いや……必要あるまい。何もしてやれなかった私が言えた義理ではないが、ヒイロを頼む』
「アンタは沢山のことをしてやっていたよ。多分、ヒイロもそれは分かってると思う」
『………』
複雑な表情を浮かべるプレヴァインに微笑みつつ、ライはヒイロの胸に手を置いた。
「時間は掛からないと思う。それじゃ行って来る」
幻覚魔法である《迷宮王国》を発動したライはそのままヒイロの中へと意識を潜らせた。
精神の海は暗く深い。泡の様にヒイロの記憶が浮かび上がる中をライは潜り続けた。
(っ……!直接な分、キツイな……)
ヒイロの記憶と感情をライは改めて追体験していた。その殆どは後悔と懺悔ばかり……歓喜や快楽といったものは無きに等しい。
それが三百年……ヒイロの心にとってどれ程の苦難だったを考えるとライは悲しくなった。
深く……深く潜った先にライは一筋の光に照らされた一輪の花を見付ける。花は真っ白でまだ開花しきってはいない。
暗闇で孤独に咲く花……ライはその花に寄り添う様に降り立ち語り掛ける。
「ヒイロ……話をしにきたよ」
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