第七部 第五章 第三十五話 真理の力


 【愛】に物理的現象を起こす力は無い。



 愛とは意思の方向性を示す一形態、或いは思想や理念、または感情の昂りを示す感情である。

 親愛、友愛、憎愛、悲愛、家族愛……その言葉の数と種類は【愛】がただ一つの感情を指すものでは無いことも判るだろう。


 だが、愛が虚ろで無力かと言えばそうではない。感情は生物の活動に力を与える。特に知性ある者にとって大きな意味を持つことも多いのだ。その中でも愛は特別とも呼べる強さを宿す。


『愛……だと?』


 エイルの存在特性を聞かされたプレヴァインは呆れたように小さく首を振っている。


「そうだ。アタシの存在特性は【愛】だ」


 対してエイルはそんなプレヴァインを見ても全く不快な様子は無い。


『………。貴様は馬鹿か?自らの存在特性を明かすなど愚行と分からぬか?』


 プレヴァインが呆れているのは存在特性が【愛】だったことに対してではない。存在特性を相手に明かすことはそれ一つで命取りになり得るからだ。


 だが……エイルは変わらぬ笑顔で答えた。


「分かってるよ、そんなことは。でも、アタシはお前に伝えたかったんだ」

『伝えたかった……だと?』

「そうだ。お前、アタシの強さを引き出す為にわざと存在特性を使だろ?どういう訳かお前はアタシ達を鍛えようとしていた」

『……フン。何を言っているのか分からんな』

「それならそれで良いよ。ただ、アタシはお前が明かした存在特性に対して正面からぶつかりたいんだ」


 そういうとエイルは、まるで全てを受け止めてやると言わんばかり両腕を広げた。


「ま、試してみな?」

『……。良かろう……行くぞ!』


 接触する神衣と神衣。プレヴァインの【吸収】がエイルの【愛】をほんの僅かに取り込んだその瞬間──再び闘志が心の内から薄れ始める。剣技は切先が鈍りエイルの持つ朋竜剣で往なされた。同時にエイルはもう一方に持つ燐天鉱の大剣でプレヴァインの胴を薙ぐ。


『ぐっ……!?』


 再び距離を取ったプレヴァイン。自らの鎧の胴部分を手でなぞれば殆ど破損は無い。ただ一筋の線が跡として残っているだけでダメージにもなっていないものだった。


 それでも……いつの間にかプレヴァインの額に汗が滲んでいた。


 吸収した僅かな神衣が闘争心を奪い却って自らの不利になる。存在特性同士の戦いは相性……プレヴァインはこの時点で【吸収】を封じられた形となった。


 対してエイルは神衣状態での存在特性を使用が可能なまま。


(……。愛などという感情がよもやこれまで厄介とはな……)


 プレヴァインは永き刻を狂乱神の眷族として過ごした。その過去で一度だけ神々の世界に同行したことがある。その際、【愛】の存在特性を持つ神々と出逢った。


 プレヴァインが知る『愛の神々』の多くは絶望的に戦いに不向きな存在だった。真の神でありながらプレヴァインが倒すことが出来そうな程に戦意を持たなかったのだ。


 かたくなに『神の愛』を伝え戦い自体を回避する……それがプレヴァインの知る『愛の神』。


(しかし、エイル・バニンズは少しばかり違う様だな。戦うことに迷いが無い……いや、そればかりか他にもと感じるぞ)


 存在特性・【愛】は謂わば例外の力──。


 本来、存在特性には完全に同一のものは無い。例えば火炎系である場合『発熱』『炎』『発火』『魔力火炎変換』『燃焼』等多種の概念力が当て嵌まる。その力によって効果の上位・下位や多様性が分かれるのは想像に易いだろう。


 身近な例として、ライの『幸運』と契約聖獣である因糸紡いんしぼう・ワタマルの『因果律操作』は因果干渉系という点では同じものだが、『幸運』それのみではライが勝り多様性ではワタマルが優れている。


 そういった差が存在するのが通常の存在特性──しかし、【愛】は変わった特長を備えていた。


 【愛】という概念の場合、元が何であっても同じ力に到達する。『純愛』も『憎愛』も『親愛』も『友愛』も【愛】に統一されるのだ。


(ネモニーヴァ様のお話しでは、【愛】は一つの概念から多面性を引き出しているだけ……だったか)


 【愛】という特性は複数の者が宿せる可能性を秘めた大きな概念。と言っても、その力を宿し引き出せた前例は真なる神々にしか存在しない……筈だった。

 だが、力の一端を今、プレヴァインはその身で体験している。しかも相手は人……只人でこそ無かったがやはり驚くべきことである。


『……戦う意志の中に愛を宿す者、か。これは生まれながらの【愛の神々】には難しかろうよ』

「?……何の話だ?」

『こっちの話だ。……。確かに私の【吸収】は封じたやもしれぬが、我が剣技のみでも貴様には荷が重かろう。どう抗うか見せてみよ』


 吸収の効果を抑え神衣展開のみを力とすれば再びプレヴァインは有利に立つ。【吸収】は波動魔法対策へと対策として意識すれば良い。

 但し、プレヴァインは油断はしない。先に述べた様に【愛】は特殊な存在特性──多面性を利用すれば他にも様々な効果を生み出せる可能性がある。


 そして再び剣と剣による交差と衝突。意識を剣技に集中したプレヴァインの猛攻は再びエイルを窮地に追い込む……かに思われた。


 しかし……プレヴァインは先程から攻めきれない。剣技では間違いなく勝っているが、攻撃の威力が落ちている様に感じていた。


(神衣の効果か……。が、私の内面への効果は遮断している。今度はどんな力だ?)


 未知の能力との戦いにプレヴァインは内心で心が踊った。更に数撃斬り結んだところで、己が対峙しているその効果を凡そ理解する。


『膂力の引き上げか?【愛】という存在特性にそんな力もあるとはな……』

「ちぇっ。もうバレたかよ……。プレヴァイン、愛は力だぜ?」

『……。言葉のあやか?くだらんな』

「馬鹿にしたな?お前、アタシより神衣を使う経験が多いのに分かってないのか?」

『…………』


 確かに存在特性には想像を上回る可能性がある。プレヴァインでさえも未だ存在特性を極めている訳では無い。


 存在特性の中には副次効果が存在するものがある。ライの【幸運】は幸運それのみではなく【不運】や確率的な要素も含まれている。同様に、闘神の眷族デミオスの【誘導】には精神誘導と物理誘導という使い分けが可能だった。

 そういった力の幅こそが存在特性の本当の恐ろしさでもある。使いようによってはまるで別物の効果を齎すからだ。


「アタシも【愛】は感情の一種だと思った。でも、直ぐに違うって分かったぜ?何ていうんだろうな……存在特性は名前見たいのがあるけど、それだけじゃないんだよ。お前なら何か知ってるんじゃないのか、プレヴァイン?」

『……。それを戦いの最中に問うのか?』

「別に答えなくたって良いぜ?使い方は色々あるって分かったし、感覚でわかるし」


 エイルはそれが何か恐らく理解はしているのだろう。だが、上手く言葉にまとめられないだけ……それを理解したプレヴァインは小さく溜め息を吐く。


『存在特性は概念への干渉……だが、概念に明確な区切りは無い。元々それは【真理】や【悟り】、【根源】とも言われる世界そのもの故にな』

「世界……うん。確かにそうだな」

『私や貴様が使用する存在特性は同じ真理からの派生でしかない。そして触れて引き出す概念には本来、明確な区切りなど存在しない。飽くまで自らを顕す一部を存在特性として触れているに過ぎぬ』


 区切りが無い故にその力には多くの派生が生まれる。その範囲は存在特性の種類、そして使用者によって左右される。


『貴様の【愛】はそれ自体物理法則ではなく寧ろ思想や概念に近い……。そういった存在特性は多種の力にも及ぶ可能性がある。貴様の先程の膂力もそうだろう』

「そっか……なんとなく分かった」


 【愛】が絡む概念への干渉……それがエイルの力。その意味の果てしなさにプレヴァインは笑う。


『クックック。お喋りはこの辺りで良かろう?さぁ……見せてみよ?貴様の可能性を!』

「ああ。感謝するぜ、プレヴァイン!」


 存在特性【愛】の効果により膂力を引き上げたエイルは再び二刀にてプレヴァインと斬り結ぶ。先程の様に均衡になるかと思われたが、プレヴァインはこれを上回る力を見せる。


「ぐっ……!お前も存在特性に他の効果が?」

『これは地力だ』

「そうかよ!」


 再び剣技で押され始めたエイル。当然ながら己の持てるもの全てを費やし対抗する。


 二つの剣とコウの概念力で展開したラール神鋼の翼による多段斬撃。しかし、剣は捌かれ、翼の不意打ちも見抜かれ躱される。


 そこでエイルは鍔迫り合いでプレヴァインに押し負けたフリを行い距離を取ると、燐天鉱の大剣を思い切り投げ付けた。プレヴァインがそれを払う直前、大剣は激しく輝きを放ち爆散する。

 当然、プレヴァインはこれを【吸収】にて防御。エイルはその隙を逃さず朋竜剣に渾身の神衣を込めプレヴァインを横薙ぎに払った。


 プレヴァインは瞬時に【吸収】の効果を解除し大剣で受け止めるも想定外の衝撃により更に大きく距離を空けることとなる。


「良し!」


 その距離こそが狙い──ここでエイルは燐天鉱製の短剣を大量に展開。神衣を纏わせた短剣を操作し射出する。


 同時に行ったのは波動魔法の構築。プレヴァインの視界を短剣の嵐で塞ぎ編まれた魔法は、これまでに無い速度で完成した。


 その魔法は今使えるエイルの魔法の中でも最大級……。空間属性の神格魔法は波動を組み込むことで効果を引き上げる。それは先に放った短剣をも効果に組み込んだエイル渾身の波動魔法。


 【波動魔法・永劫螺旋雨刃】


 螺旋の渦を発生させ発生点と終束点を歪め繋ぐ魔法は、渦の中を舞う短剣が絶え間無く吹き抜ける死の空間。神衣を纏わせた短剣は破壊することも叶わず、螺旋の隧道すいどうの推進は波動魔法効果により止まることも無い。


『くっ……!天威自在法に神衣の効果を組み込んだか!』


 躱せぬように多重に張った策は見事に嵌まりプレヴァインは刃の嵐に曝される。それを大剣で全て捌いているが迫る刃の数と螺旋の隧道の狭さから動きが制限されていた。


 螺旋空間は時を掛ければ【吸収】にて打ち消すことも可能なれど、神衣に効果を持たせれば【愛】の神衣を取り込み戦意が弱まる。それでは剣嵐を防ぎきることができない。


 プレヴァインは……剣を振るいつつも冷静に分析を続けた。


(まるで獣の口に捕らえられた如き絶望の空間……一方向からの指向ではあるが、やはり神衣の効果と威力が尋常ではない。それにエイル・バニンズ……僅かの間に天威自在法をここまで使い熟すとは……)


 天威自在……もとい波動魔法を使用してまだ間も無いエイルがプレヴァインを唸らせている。それもまた【愛】の存在特性。


(天威自在法は神が自ら創世した世界へ慈悲を与える力──慈悲は愛……確かに慈愛に他ならぬ)


 エイルの存在特性覚醒は現時点でのロウド世界最高峰とも言える力である。だからこそプレヴァインとの戦いに均衡が保たれていた。



 だが……真に恐ろしいのはその状況すら凌ぐプレヴァインの底力と精神。エイルは直ぐにそれを思い知らされることとなる。


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