第七部 第五章 第十九話 ヒイロの記憶


 ロウド世界の歴史を遡ること三百年前──当時のカジーム国に於けるレフ族の里は五つ程に分かれ自然の管理を行っていた。


 長老であるリドリーは各里に短期滞在、そして移動を繰り返しレフ族の状況を把握・確認という役割を担っていたという。



 そんなレフ族の里の一つ……現アステ国内・カルセア領にあたる位置に存在した『参の里』──オルトリスとサリナ、そしてヒイロは、そこに暮らしていた。


 『参の里』は地理的に中央になるので、レフ族の流通網には欠かせない地だった。カジーム国と友好関係にある国から輸入された物資などは『参の里』を基点に国内を流通していたのである。当然ながら集まる人の数も増え、その意味ではレフ族最大の里だったとも言える。


 だが……だからこそ『参の里』はトシューラとアステに狙われた。占領し分断すれば、レフ族は対応に遅れが出る。元々争いを好まぬレフ族は応戦への戸惑いもあったのだろう。 


 そして、その『参の里』侵略の原因となったのが自分なのだとヒイロは涙ながらに語る。


「あの日……僕は外の人間に騙された。それが理由で『参の里』は奪われたんだ」

「どういうことだよ、ソレ?」

「エイル……カジームの中には小国の商人が出入りしてたのは覚えてる?」

「ああ。アタシも会ったことがあるよ。トルトポーリスとカルセア、それとラミーの商人だろ?」


 トルトポーリスは現在も残っているが、カルセアはアステに併合されてしまい領地名として名残りを残すばかりとなっていた。

 そしてラミーはトシューラ国によって滅ぼされ今は存在しない。


「あの頃、『参の里』にはカルセア国の商人達が多く出入りしていたんだ。その内の一人……レドルっていう商人は何かと僕をかまってくれた。だから友達だと……思ってたんだ」


 当時のレフ族がカジームの外に出ることは滅多に無かった。それは自分達の知識や宝具が争いの種になり得る危険性を知っていた故。

 だが、子供達には好奇心がある。外から来る商人は子供達にとって興味の対象だった。


 カルセアの商人レドルは当時幼かったヒイロの相手をしてくれた人物。珍しい玩具や菓子を手土産に、カジームの外の話を聞かせてくれる若い商人だった。


 ヒイロは……種族は違いながらもレドルを兄のように慕っていた……。


 だからヒイロも色々なことをレドルに話した。それは少しでも自分に興味を向けて貰いたいという子供心からのこと……そんなヒイロの話をレドルは楽しそうに聞いてくれた。


 だが───。


「その日、レドルは『参の里』の通行許可について話をしてきた。僕は子供だから良く分からなかった……そうしたらレドルは、『荷物を沢山持ってきたけど、運ぶ人が入れないからカジームの入り口で待っているんだ』って言って……」


 カジーム国に入るには結界を抜ける必要がある。結界は各里の中心に配置され、五つの里が連携することで国全体に及ぶよう構築されていた。

 商人達はその結界を通り抜ける為の許可証として首飾り型の魔導具を与えられており、それ以外の者は結界を通り抜けることが出来ない。


 その為レドルは、荷物を運び入れることが出来ず困っているとヒイロに話した。


「そうしたらレドルは、荷物を運ぶほんの少しの間だけ結界を止めてくれないか、レフ族の為だから……って。僕は……レドルの役に立ちたくて……それで……」

「……『参の里』の結界を止めちまったんだな?」

「何も知らなかった……。参の里の結界を止めると全体の結界が消えるなんて……。それに、レドルの荷物の中身は……沢山の兵隊だった」


 結界を解いた途端、『参の里』にはアステの兵が雪崩込んだ。結界装置は真っ先に破壊され、カジームの守りは一気に瓦解した。


「僕が馬鹿だったから……騙されて……沢山のレフ族が死んだ。優しかったロロナおばさんも、力自慢のモルドおじさんも……綺麗なテルーナお姉ちゃんは連れていかれて……。全部……全部、僕のせいなんだ」

「ヒイロ……」


 レフ族は心優しい。子供達には健やかに育って欲しいと外の世界の負の面を見せないようにしていたに違いない。

 ましてやヒイロは善悪の判断さえ覚束ない子供……しかし、自分がやったことが取り返しの付かないという事実は嫌でも突き付けられた。

 それは一人で抱えるにはあまりに重い現実……。だが、両親に真実を伝える勇気が持てずヒイロは苦しんだ。


 だから逃げ出した……自分だけが幸せに暮らしてはいけないのだ、と。


「エイルも……僕を恨むべきだ。僕が……レフ族の平和を壊したから……エイルの家族も……お兄ちゃんも死なせちゃったんだ」


 止まらぬ涙で項垂れるヒイロ……。エイルはそんなヒイロを強く抱き締める。


「……。ヒイロは悪くない。悪いのはヒイロを騙した奴らだ」

「でも……!」

「長老がさ?良く言うんだよ……。レフ族は御人好しすぎたから、いつかは侵略されていただろうって。それが偶々ヒイロの時だったってだけだ」

「それは違う!」

「違わないよ。レフ族は皆、優しすぎたんだ。兄さんが死んだアタシにはそれが辛くて……だから復讐に逃げた。その結果が魔王ってヤツだ。友達まで不幸にして、沢山の人を殺して、カジームに残された森まで壊しかけた」

「…………」


 魔王となったエイルの所業に比べればヒイロの罪は確かに軽い。だが、精神的な負い目からすれば本来は比べようが無いこと。そこを敢えて自分を引き合いとしたのは、エイルなりの励ましだった。


「アタシはさ?本当は復讐を果たしたら死んでも良いって思ってたんだ。兄さんの仇さえ討てれば……って。でも、魔王になって怒りばかりに染まって……結局、仇も討てなくて長い間封印されて眠ってた」

「うん……」

「でも、そんなアタシを救ってくれたヤツが居た。そして言ってくれた……一緒に居ないかって。その時、初めて大事なことが分かったんだよ」

「大事なこと……?」

「ああ。凄く、な?」


 顔を上げたヒイロが見たエイルは目に涙を浮かべ微笑んでいた。


「アタシは生きている。そしてお前も生きているんだよ、ヒイロ……」

「生きて……いる?」

「そうだぜ?生きているから辛いかもしれないけど、生きていないと嬉しいことも全部無くなっちまうんだ。それって物凄く悲しいことなんだぞ?」

「…………」

「アタシは父さんや母さん、兄さんを覚えてる。親友だったヤシュロも、死んだレフ族の皆もな?でも、アタシが死んだら本当に皆が消えちまう……アタシはそれが嫌だ」


 誰かの心の中に生き続ける意味、そして覚えている者が生きる意味。それこそが歴史であり、残された者の義務……。


「ヒイロ……生きてこそだぞ?ヒイロの好きだった人達はヒイロの中で生きてるんだ。それにレフ族は、魔王のアタシだって責めやしない程の御人好し……ヒイロのことだって待ってる筈だぜ?」

「……僕……僕は…………」

「帰ろうぜ、ヒイロ。アタシ達はお前を迎えに来たんだ」

「……。ううっ……うわぁぁぁぁぁぁ━━━━━━!」


 ヒイロは喉が張り裂けんばかりの声で泣いた……。


 三百年の永きを独り悩み苦しみ抜いたヒイロ。それは心狂わせたエイルよりも遥かに地獄だったことだろう……。

 そして今、エイルの言葉と温もりはヒイロにとってどれ程の救いとなったかは語るに尽くせまい。


 そんな会話を大輪の花の傍らで聞いていたフェルミナ。そして……。


「ライさん、泣いてるんですか?」


 『ミニチュア勇者』と化していた分身体ライは、フェルミナの肩に腰をおろし鼻をすすっている。


「うん。良かったなぁって思って……」

「……もしかして、ヒイロの記憶を見たんですか?」

「分身は少し吸収性質があるからさ……感情が流れ込んで来たみたいだ」


 ヒイロの苦しみと悲しみの記憶を見たライは中々涙が止まらない。元々涙脆さに定評がある『泣き虫勇者さん』ではあるが、目許を拭いつつ何とか持ち直した。


「でも、これで終わり……って訳にはいかないんだろうな……」

「……。何が見えたんですか?」

「フェルミナ……今の話の中で語られてないことがある」

「……。ヒイロが精霊体になった経緯ですか?」

「そう……それともう一つ。ヒイロが何をしようとしていたか……」


 レフ族の元に帰れないという理由だけではヒイロが精霊格にまで到達した理由としては足りない……。

 結果には原因がある。そして原因はヒイロの意思に起因する。


「ヒイロはエイルと同じだったんだ。大切なものを奪った相手に向けるのは復讐の念……方法は違ったけど、ヒイロは確かに力を求めて手に入れた」

「復讐の為に……ですか?でも、ヒイロ自身は精神が歪んでいる訳では無い筈ですよ?」

「うん。だから、余計に困ってる」

「ライさん……?」


 ヒイロの記憶と感情を知り、ライは多くのことを悟った。しかし、そうなると問題がハッキリと浮かび上がってくる。


 トルトポーリスでエイルに会ったのは救いを求めていたからで間違いないだろう。

 しかしながら、異空間に侵入したエイルやライ達に対し予告無く魔物達で襲撃を仕掛けた。精神的な不安定さが原因では無いとなれば大きな矛盾である。


 更に、ヒイロは三百年前の『魔王エイル』を知っていた。エイルは曲がりなりにもカジームへの侵略を防いでいたのだが、姿を消した後カジームは再び危機に晒されていた。

 精神に異常が無く、かつ自らが原因だと言うのであれば何故ヒイロは動かなかったのか──。


 答えは至って単純明快。ヒイロはカジームを守る為に行動していた。


 そして……ヒイロが力を手に入れた方法にも問題があった。


「フェルミナ……例えば精霊との契約を無効にするとして、一方的に破棄できる?」

「それは契約の内容次第です。屈服による契約なら、させた側に権利があります。ライさんの精霊契約みたいに相手が条件を出していてもそれは変わりません」

「じゃあ、相手が上で目的を果たす対価がある場合は?」

「それもまた内容次第ですね。精霊や聖獣、大聖霊契約もそうですが、本来はかなり複雑に取り決めがあるんですよ?」


 ライの場合、精霊、聖獣、大聖霊に至るまで、かなり大雑把な内容での契約である。互いにそれで良しと判断しての契約であるが、既に多くの力を得ているライ自身からすれば率先して負担を増やしていることに他ならない。


 本来、他の存在から力を得る契約は『魂の契約』なので制限が多い。使用できる力の量は対価に左右され、制約が重い程使える力も多くなるのだ。


「じゃあ……ギリギリかな」

「……ライさんは何をしようとしてるんですか?」

「ヒイロを本当に救う為の方法をちょっとね……。フェルミナ。この後、少しヒイロと戦うことになる筈だ。フェルミナにも協力を頼まないとならないけど、終わったら疲弊を治してやってくれないかな」

「……。わかりました。でも、ライさん……無理はしないで」

「わかってる。心配かけてゴメン」


 そんなライの言葉を肯定するように、エイルに身を預けていたヒイロは身体を離し口を開く。


「ありがとう、エイル……。でも、僕は帰れない」

「……どうしてだよ?」

「僕は僕の望みの為に取り返しがつかないことをした。エイル……僕はね?」


 無貌の仮面と赤い外套を纏ったヒイロは立ち上がり背を向けた。


「僕は……今の時代の魔王なんだ」



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