第七部 第四章 第十話 ベルフラガの意思


 シウト国・ノルグー領内、西北の街『エンデルグ』──。


 同じノルグー領ながら栄えたノルグーの街とは違い、静かな高台の森の中に存在する街である。

 ノルグーの流通網に組み込まれてはいるものの、そこに住まう者達は皆穏やかな森の中での生活を望んでいた。


 エンデルグの主な収入は染め物。その地方にしか自生しないという不思議な花『ニムロクス』を使用した鮮やかな朱色染めの木地は、生産量の貴重さも相俟ってシウト王室が流通を管理する程。そのお陰で防衛も手厚くエンデルグは魔物の危険なく栄えることが出来ている。



 エンデルグから更に西の高台には、英霊殿と呼ばれる神殿が存在した。

 その場所は『英雄の時代』と呼ばれた頃の王達が眠る地──今となっては歴史に埋もれ忘れ去られた、足を運ぶ者さえない瓦礫の墓標……。



 そして現在──その地には二人の超常存在が対峙していた。


「ベリド……」


 簡素な黒基調の服に紺色のコートを纏う白髪の男、ライ。その視線の先には赤いローブが印象的な長い黒髪の男、ベルフラガ。

 ライにとって眼前の男はかつての脅威ベリドにしか見えない。故に警戒は続けたままの対面となる。


 対するベルフラガはベリドの記憶も有している。当然ライを知っているのだが……その表情は酷く怪訝な様子だった。


「……何か言いたそうな顔だな」

「………。貴方は……本当にあの『ライ・フェンリーヴ』ですか?あまりに違い過ぎますが……」

「まぁ……そう見えるのは仕方無いかな。自分でもそう思うし」

「………」


 対峙し警戒はしているが、互いに明確な敵意は向けずにいる。


 ライはベルフラガの事情を聞いている。ベリド自身に怒りを抱えてはいるものの、リーファムやマーナの願いがあるので対話を優先することにしていた。

 一方、ベルフラガは無言のままライは見つめている。やはり何か気掛かりがある様子。


 そんな二人の対面に割って入ったのはリーファムだ。


「お互い遺恨はあると思うけど、ライはマーナの為に……そしてベルフラガは、テレサの為に忘れて」

「分かってますよ、リーファムさん。俺は戦いに来た訳じゃないですから」

「それなら良いわ。で……ベルフラガはどうするの?」


 少し逡巡の様子を見せたベルフラガは仮面を取り出し自らの顔を覆う。


「……良いでしょう。ですが、ライ・フェンリーヴが本当に私の願いを叶えられるかは確かめねばなりません」

「確かめる?」

「簡単なことですよ。私より弱い者に私の果たせぬことが出来るとは思えません。私と戦い上回ってみてください」


 ベルフラガはその力を解放しライに圧を向ける。


「ベルフラガ!」

「すみませんね、リーファム・パトネグラム……。やはり話だけで信じることは出来ないのですよ。私自身が確かめ頼るに足ると思えたならば、その時は改めて協力を願うことにします」

「………あなたは!」


 ライは小さくため息を吐く。そして、素早く周囲に時空間結界を展開した。


「成る程……以前のあなたとは文字通り別物という訳ですか……」

「いんや?これは俺の力じゃないよ。力を借りただけだ」


 展開したのは聖獣・聖刻兎の能力を契約印を利用し引き出したもの。直接召喚より幾分劣るが十分な効果を期待できる。


「……聖獣契約ですか。それもあなたの力には変わらない筈ですが?」

「俺は集めた力を自分の力と過信はしないことにしてるんだよ。自分だけで同じことが出来るようになって初めて【自分の力】だ」

「……あなたは少し勘違いしてますね。人はそれ単体ではどれ程努力しても天井に突き当たる。だから他を取り込み己の糧とするのです。聖獣、精霊、ドラゴンの契約……そして魔獣の力もです。大体、脅威に対する神具装備などはその良い例ではないですか?」

「その考えは否定しないさ。でも、俺は違うってだけのことだよ」


 飄々としているライの様子にベルフラガは僅かに震えた。仮面で表情は分からないが、魔力からは怒りを感じる。


「……あなたは少々傲慢に見えますね」

「まさか、アンタに言われるとは思わなかったよ。いや……ベリドじゃないなら当たり前か」

「それは関係無いですよ。……何より、一人の存在が何でも出来るなどという傲りは私の三百年の苦悩を否定する」

「別に一人で全てできるとは言っていないよ。寄せ集めでも俺が此処に居るのは皆に支えられた証だ。そんな俺から言わせれば、アンタこそ傲慢に見えるけど?」

「…………」

「意味が分からないか?アンタ……始めはどうだか知らないが、テレサの治療を途中から誰にも頼らず自分だけでやろうとしたろ?本当に駄目ならアンタは頼れば良かったんだ。頼れる相手を捜す機会だってあった……それだけの力も持っていた。違うか?」

「あなたに何が分かるのです?私がどれ程探して捜して探して捜して……生まれてたった二十年足らずの貴方に……」


 ライは再び溜め息を吐いた。そして少し怒気を籠めて言葉を続ける。 


「……確かにアンタの苦労や苦悩は分からないさ。でも、それは他人を巻き込んで死なせて良い理由にはならない。ベリドに殺された人の中には、アンタと同じ苦悩を持った人達だって居た」

「……貴方は何を言っているのです?」

「……。分からないなら見せてやるよ」


 ライは幻覚魔法 《迷宮王国》を発動。ライが使える最上位の幻覚魔法には魔王といえど即座に解除・抵抗はできない。ベルフラガは一瞬ではあるが幻覚の中に落ちる。だが、それで十分だった。


 ライがベルフラガに見せたのはある青年の一生──。


 幼馴染みと将来を誓い合うも、恋人が病になりその治療法を探す日々が始まる。

 悪化させない治療費の為、危険な仕事をしながら故郷の恋人の為に奔走し疲弊した青年……ようやく病を癒す方法を見付けたその時、突然魔術師に囚われた。


 やがて拷問の様な実験の果て……青年は恋人の幸せを神に祈りその一生を閉じた。


「………う!……い、今……のは?」


 時間にして僅か数秒……だが、ベルフラガは確かにその青年の生き様を体験した。


「今見せたのはアンタの実験の犠牲になった人の記憶だ。因みに、恋人は亡くなったよ」

「…………」


 ペトランズ大陸に帰還したライは、挨拶回りの後エノフラハの地下に出向き『エノフラハ魔獣事件』の犠牲者の弔いを行った。

 殆どはフラハ領主レダの手により弔われていたが、身元不明の者が多く遺骨や遺品の返却は為されていなかった。


 ライはチャクラの力 《残留思念解読》を使用しそれらを犠牲者の故郷へと返して歩いたのである。


「他にもまだまだあるぞ?アンタ自身からは辿れなかったけど、犠牲者の痕跡は出来る限り辿って調べた。まぁ、トシューラ以外だけどな」


 再びの《迷宮王国》発動──まだ精神的動揺の内にあるベルフラガの脳裏に幾つもの悲劇が繰り返される。

 『ベリド』の精神ならば動じることはなかったかもしれない。だが、今あるのはベルフラガの精神──『イベルド』の慈愛の部分も併せ持つ意識である。ベルフラガは突き付けられた現実に動揺を隠せない。


「どうした?アンタがやったことだろ?」

「くっ……あ、貴方は……」

「辛い汚い仕事は別の人格に任せて相手を見ない、もう一人の自分からは記憶を奪って善行……一体、アンタの心は何処にある?」

「……それでも……それでも私は止まれない!」


 半精霊化しながら幻覚を振り払うベルフラガ。ライも即座に半精霊化を果たす。


「願いが同じなら……強い者の願いが優先されるのは摂理の筈です!私は……私は!」

「その摂理で言うなら、アンタの大事なテレサは死んで然るべきになる。テレサ自身は弱い存在でしかないんだからな」

「テレサを失うなど有り得ませんよ!……だから私は……」


 ベルフラガは具現化された『大顎の付いた鎖』をライに放つ。しかし、その攻撃はライの『精霊刀』により阻まれた。


「テレサはアンタにとっての大切な存在だから失わない為に抗った。それが『アンタの願い』──でもな?」


 ライは魔力を高めつつ訥々とつとつと続ける。


「アンタはクローダーに出逢ったんだろ?何でその時、『テレサを救う方法』を望まなかったんだ?」

「それは……」

「魔術師のアンタは魔法で救う方法を選択した。多分アンタにとっては魔法が日常の一部だから無意識に選んだんだろう?でも、本当にテレサを救いたかったなら方法だけを願えば良かったんだ。そうすれば……」


 クローダーは【生命の大聖霊】たるフェルミナの居場所を伝えただろう。そしてベルフラガならば難なくフェルミナを解放し、フェルミナの【概念力】でテレサを癒すことが出来た筈だ。


 しかし……。


「アンタは魔術師としての信念を捨てられなかった」


 それは母の血族であるレフ族をいつか解放したいという願い……または当時不安定なロウド世界にて、より多くを救いたいという『晴天の魔術師』としての願望……それらが含まれていた可能性は高い。恐らく元は悪意とは縁遠かったのだろう。

 だが……無意識とはいえベルフラガは確かに『テレサ』と『魔法』を天秤に掛けたのだ。選択したのはベルフラガ自身……そこから『ベリド』という脅威が始まったのである。


 ベルフラガは……ライの言葉を否定することは出来なかった。


「私は……私の思いが……テレサと魔法を……?」

「……。俺はアンタが本当はどうしたかったのかは理解しているつもりだ。自分の力でテレサを救いたかったんだろ?下手に優秀だから尚更にそれができると思った。それを責めるつもりはない。誰だって……自分が出来ることと出来ないことの判断なんて確実じゃない」


 それは先に交わされた言葉に通じること。自分だけでできることと、力を借りて為すことは別種なのだ。


「だから俺は、アンタのテレサへの想いだけは認めるよ。たとえアンタが最悪の選択肢を選んでいたとしても、その一点だけは尊敬している」

「…………私……は……」

「来い、ベルフラガ。どうせここでウダウダ悩んでもアンタは答えを出せないだろ?だから、俺がアンタの苦悩を受け止めてやる。これはアンタが俺を測る為の戦いじゃない……アンタがテレサの前に立つ為のみそぎだ」

「…………」


 ベルフラガの魔力は揺らぎを失い収縮して行く……が、それは気力を失ったからではない。ベルフラガの精神は真の意味で統合を果たしたのだ。


「……フフフ。まさか、あの少年がこれ程に成長するとは……。いや、心はあの時のまま変わっていないのかな?」

「そうか……アンタが本当のベルフラガなんだな?」

「ええ。今、全ての人格は完全に交じり元の私になった。人を救う意思も人を犠牲にした罪悪も、そしてテレサを救いたい意思も持っています」

「そうか……」


 ベルフラガは赤いローブを投げ捨てた。仮面を外し、空間収納された赤地に金の刺繍が施された外套を取り出し身に纏う。

 その手には赤い車輪の様な物が握られていた。


「ライ・フェンリーヴ……失礼ながら、私はあなたとの戦いに答えを見出だそうと思います」


 突然の意思表示。それはベルフラガなりのケジメであるらしい。


「この戦いの結末がどうあれテレサを救って頂けますか?」

「ああ。それは約束するよ。でも……」

「何ですか?」

「この戦いで死んで詫びるってのは間違いだからな?アンタはテレサを救った後、罪を償わなければならない。たとえ一部でもアンタが犯した罪だ。どうするかはテレサと話し合って決めれば良い」

「フフ。中々辛辣ですね……。ですが、分かりました。私はこの戦いの勝敗に関わらず、命を捨てる真似はしないと約束します」

「それなら良いよ。……これは俺にとっての因縁の決着でもあるけど、どうせなら恨みつらみは無しにしたい」

「マーナの為に……ですか?」

「ああ」


 ニッカリと笑うライにベルフラガも笑顔で応える。



 ベルフラガの深い業から始まった因縁……それがこうも蟠りなく決着へと向かうことなど、ライでさえ想像さえしていなかった。


 しかし……伝説的魔導師との戦いは、【和解】という言葉から掛け離れている程に熾烈なものとなる──。



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