第七部 第四章 第七話 ベリドとイベルド、そして……。


 魔女の島『四季島』にて行われた戦いの結果、リーファムに撃ち破られたベリド。


 その正体は伝説的魔導師『赤のベルザー』であり、かつての勇者マーナの仲間の一人『イベルド・ベルザー』でもあった。



 意識を取り戻したイベルドはその後数日、謎の昏倒に陥っていた。現在は目を覚ましたものの、やはりベリドではなくイベルドの人格のままだった。

 イベルドは既に観念したらしく落ち着いた様子を見せている。しかし……改めて話を聞くにあたりライの同居人達の安全を考えた一同は、対話の為の場所移動を選択。


 そうして対談を行ったのは異空間──マリアンヌの提案により蜜精の森に住まう聖獣・聖刻兎せいこくとの協力を得て、空間を用意して貰ったのだ。



「……。凄いなぁ、この異空間……」


 聖刻兎達が用意したのは四方を光の壁が囲んだ空間。中央には小さな館が用意されていて、談話を行うに都合が良いものになっていた。

 館の中には家具一式から応接セット、寝室、食料に水源まで揃っていたことにイベルドは感心頻りである。


 イベルドとの対話は魔女の島で対峙した者だけで行うことになった。未だ不安要素が多い以上、その方が対応に適しているというマリアンヌの意見に従った形だ。


「一応、言っておくわね。もし敵対を感知した場合、貴方は空間から弾き出されてロウド世界の遥か上空に飛ばされる……と聖獣が言っていたわ。まぁ、マーナも居るから大丈夫でしょうけど……気を付けて」


 すっかり疲弊から回復したリーファムは新たな衣装に身を包んでいる。流石に戦闘でボロボロになっていたので当然ではあるが、白いシャツにカーキ色のパンツルックという簡素な服装は敵対の意思が無いことの顕れでもあった。


 リーファムはイベルドに対し敬意を持って接しているように見える。『赤のベルザー』は魔術師にとってそれだけ偉大な存在なのだろう。


「ハハ……。仕方無いですよね。僕はベリドと同一人物ですから警戒するのは正しいですよ」

「イベルド……。じゃあ、やっぱり……」

「うん……。ゴメンね、マーナ。僕はイベルドであり、ベリドであり、そして『赤のベルザー』でもある。但し、人格や記憶は統一されていない。部分的には共有されてるけどね」

「全部話して……。そうでないと私は一緒に旅したアンタさえ信じられなくなっちゃう」

「わかった……。飽くまで僕の話せる範囲でだけど、全部話すよ」


 マリアンヌが茶を用意する間にソファーに座ったイベルドは、ゆっくりとその過去を語り始めた──。




 イベルドが自らを認識したのは今から二百年程前。それは本当に唐突だったという。


「僕の一番古い記憶は、とある街と街を繋ぐ交易路……その前の記憶はないんだ。いきなり其処に放り出されたような……そんな目覚めだった」


 ただ呆然と交易路に佇んでいたところで、イベルドは自らの存在と世界を認識した。

 名前さえも分からず、何故其処にいるのかも分からない……何とか記憶を思い出そうと周囲を確認していたのが最初の行動だった。


 そしてその時、イベルドには遠くで助けを求める声が聞こえた。迷いはあったが、やはりほぼ無意識にそちらに足が向いた。


 向かった先に居たのは旅の商人の一団。連隊を組んでいた商人の馬車は複数の魔物に襲われていた。


「無我夢中で駆け付けたんだけど、何故か勝手に身体が動いた。戦いなんて知らない筈なのにね……そこで初めて自分が魔術師だと理解したんだ」


 イベルドは学んだ記憶さえない魔法と纏装を駆使し魔物を追い払った。更に怪我をした護衛や商人を魔法で瞬く間に癒す。

 商人は大変感謝し馬車で拠点にしている街へとイベルドを誘い歓待した。


 商人はイベルドの事情を聞くと街に滞在を勧め、その地で魔法診療所を開くことになった。回復魔法の使い手は貴重なので直ぐに生活は安定した。


「………。その段階では自分が『赤のベルザー』だとは知らないんでしょ?」

「うん……。僕は過去の記憶が無いまま一年程医師として人々を治療していた。最初は……自分は普通の人間だと思っていたよ」


 しかし、イベルドはちょっとした怪我をしても直ぐに傷が塞がることに気付く。しかも跡形もなく……。


 決定的だったのは診療所が盗賊に襲われたことだ。

 人間相手で躊躇っていたところ不覚にも深傷を負ったが、それさえも魔法無しで塞がった。そこでようやく自分が人間の枠を超えた魔人だと気付いた。


 そして、それからは一層自分の力を隠すようになった。魔人は恐怖の対象でもあるから。


「しばらく医師として活動を続けたけど、僕の目的は怪我の治療じゃないと思い出したんだ。魔法では癒せない病……その治療方法を見付ける為に旅をしていたことを」

「病……?」

「そう……同時に幾つか記憶が甦った。僕が『ベル』と呼ばれていたこと……そして、癒やすべき相手……テレサ」

「テレサ……?」


 イベルドは『テレサ』の為に病を癒す方法を探して旅をしていたことを思い出した。だが、そのテレサが何処の誰かの記憶は戻らない。


 手掛かりはイベルドの研究していた病……。


 【オルトレー病】


 その病は割と昔から存在しているが、治療法の見付からない病と言われていた。

 魔法は勿論、薬草や外科的治療も効果が無い不治の病……それこそが『テレサ』を蝕む病、オルトレー病。


「オルトレー病って……確か、少しづつ身体が硬くなっていく病よね?でも、アレってある地方でしか起きないって聞いてるけど……」


 一種の風土病と言われているオルトレー病は、指先から硬直が始まりやがて死に至る病──治療法は現代ロウド最高の技術を誇るエクレトルでさえでもまだ確立に至っていない。


 限定地域でしか起こらない病ということ、伝染性ではないということ、また発症者が非常に稀だということも含め病の研究は進まなかったのだ。

 一説には病ではなく呪詛の一種と噂されてもいるが、真偽の程は定かではないとされていた。


 イベルドは盗賊の件と甦った記憶から判断し、魔法医師を勤めていた街を離れ世界を旅するようになった。だが、ある日ふと違和感に襲われる。


「患者の中に僕が治療をした覚えのない人が居たんだ。当然、治療法も僕は知らない。でも完璧な医術を施してあって、しかも患者は間違いなく僕がやったと言う」


 そんなことが何度か続くと、今度は買った覚えのない薬品や薬草が増えていることに気付く。


 そして更に……。


「それまで僕が居たのはシウト国──でも、次の日に何故かアステ国に居た。この辺りで僕はようやく自分の心が僕一人じゃないことに気付いた」

「……。アステ国に居たのは転移魔法ね。イベルド……アンタは転移魔法が使えたのに隠してたの?」

「ゴメンね、マーナ。僕は神格魔法を使えると知られたくなかったんだ。魔人であるのと同じで争いの種になるからね」


 旅をしながら病の研究に没頭する毎日。あらゆる材料を駆使し治療に効くものを探す──そして転移にてオルトレー病の発祥している地に向かい治療を試す日々が続く。


「アンタの研究ってオルトレー病だったのね……。言ってくれれば良いじゃない」

「君には君の役目があっただろ?それに、僕は二百年も研究を続けていたんだよ?どのみち研究は限界だったんだ」

「…………」


 二百年……それは十分な程に長い月日。世界を回ったイベルドだが、やはり治療法が見付からなかったのだという。


 それまでの話の中でマリアンヌにはふと気になったことがあった。


 確かにペトランズ大陸は広大だが、時があればやがて外の大陸に目が向く筈……。


「……。ディルナーチ大陸には向かわなかったのですか?」

「向かいましたよ。あの大陸の外科的知識や薬学はとても役に立った。けど……やっぱりオルトレー病の治療には繋がらなかった」


 当時ディルナーチは鎖国されていた。船が下手に近付けば敵とみなされ被害を受けることになる……その為、飛翔で渡ること覚悟していた。

 しかし……飛翔の途中、ある船と出会い近くまで運んでくれた。


 それは宝鳴海を漂う幽霊船……自らに呪いを掛けたピアスレット・カクタスの船。


 イベルドは自分と似た身の上であるピアスレットと打ち解け、話を聞いてくれる可能性がある者にだけ聞こえる角笛の神具を渡した。


 そうして渡ったディルナーチ大陸でも治療を行いつつ知識を蓄えた。今、ディルナーチに伝わる回復魔法はイベルドの功績であることは当然知られていない。


「あの大陸には定期的に異界からの知識が流れてくると知った。でも、鎖国状態の国に何度も渡れないからね……」


 その後ペトランズ大陸に戻ったイベルドは、次に魔法による治療法を突き詰めることにした。やがて新たな術式を追い求めていた時、突然自らの内に『ベリド』が生まれた……。


 リーファムはふと一つの疑問が過った。


「イベルド。ベリドの人格は貴方より後に生まれたの?」

「ええ……その通りですよ。ベリドはある時僕の精神内に現れ宣言しました。『貴方だけでは足りない。だから私が貴方のやらない役割を担う』と」

「それが冷酷な魔術師の誕生だった訳ね……」

「ベリドでいる間の記憶は殆ど無いんです。時々精神の中で会話する程度でね……。ベリドは僕より魔法の知識が高い。恐らく赤のベルザーがそう作ったんだ」


 複雑な表情のイベルド。そんなイベルドに対しマーナはどうしても確かめなければならないことがあった。


「……。イベルド……結局アンタはベリドがやっていたことを知らないのよね?」


 マーナのこの問いにイベルドは答えない。その顔は悲痛な様相を浮かべている。


「答えて、イベルド!」

「……。僕は確かにベリドと記憶の共有はしていない。でも……何と無くは判るんだ。ベリドがその手を血に染め多くの命を奪っていることが……。けど、止めることが出来ない。それが赤のベルザーの意思だから」


 もう一人の自分が非道に走っていることに気付きながらも止められない……それはイベルドにとっては地獄──。

 だからこそイベルドは、自分でいる内はより多くの命を救うことを選んだ。せめてもの贖罪の為に……。


「マーナと行動を始めたのはその為だよ。罪悪感から逃れたい為に君と行動を共にしたんだ。僕は……最低な奴なん痛い!?」


 マーナは悲嘆に暮れるイベルドの頭をマーナは勢い良く平手で叩く。


「私の仲間であり友人のイベルドは底抜けに良い奴よ。損得省みず人を助けていつも頑張っていたわ。私は今でもそれを誇りに思ってる」

「マーナ……」

「それにベリドは敗れたのよ。もし復活しても今度は私が倒してやるわ。アンタの中から居なくなるまで……何度でもね?」

「………。ありがとう」


 イベルドはまるで子供のような顔で涙を浮かべつつ笑う。孤独な筈の自分はいつの間にか大切な繋がりが出来ていた。それはイベルドがベリドに勝る何より大切な力。

 

 しかし……話はそう簡単なものではない。疑問はまだ残されているのである。


「今の話ではベリドは魔法研究に専念していたことになるのよね?どんな研究をしていたのか分かるかしら?」


 リーファムはそれこそが『赤のベルザー』の目的なのだと推察している。いや……それさえも過程であるとして、ベリドが活動を続けていたことを考えれば目的は果たされていないと見るべきだろう。


 そんな疑問にイベルドは真摯に答える。


「ベリドは『癒すのが無理なら病を越える肉体を得れば良い』と言っていました。それが魔獣を利用した【進化】であることまでは聞いているんですが、細かいことまでは……」

「進化……ね。一つ質問するわよ?貴方はいつ自分が『赤のベルザー』であることに気付いたのかしら?」

「それは……上手く説明できないんですが、時折そう強く感じることがあるんです」

「そう……」


 リーファムは小さく溜め息を吐いた後、マーナを一瞥いちべつした。力の籠った、少しだけ申し訳無さそうな顔だった。


「私はそちらの分野は得意ではないのでハッキリとは言えない。でも、一つだけ分かる。『赤のベルザー』……貴方、見ているわね?」

「ちょっ……リーファム!何を言って……」

「マーナ。良く聞きなさい。イベルドもベリドも元は一人の人間……では、何故人格が分かれていると思う?」

「それは……」

「昔読んだ魔導書に、研究の停滞に関する改善方法というのがあったわ。それは自らの人格を分けて様々な視点からアプローチするというものだった。【情報】の神格魔法……いえ……それは【魂】に関する神格魔法ね」


 一人の人間の思考限界を打開する……その為の別人格構築。本来は【情報】の概念であるクローダーの力を使いライのように思考を並列化・加速させるのが妥当なのだが、【情報】の神格魔法はクローダーが復活しライが獲得するまで殆どが失われていた。

 そこで赤のベルザーは魂を敢えて区切ることで別人格を構築し、思考並列に近い現象を起こしたのである。


 この場合、精神が破綻しないよう主人格は自らを俯瞰する様に位置付ける必要があるという。赤のベルザーを六割、イベルドとベリドをそれぞれ二割、といった具合に魂の量を調整するのだ。


 つまり……。


「貴方はずっと見ていた。イベルドもベリドも、その行動から思考、そして研究の成果も全て……。当然、今も……」


 リーファムのこの言葉を受けたイベルドは困惑していたが、突然雰囲気が変化する。何故か満面の笑顔を浮かべたのだ。


「……。貴女は非常に鋭いですね……。初めまして、リーファム・パトネグラム。かの【火葬の魔女】に会えて光栄ですよ」

「イベル……ド?」

「すみませんね、マーナ。イベルドは今、私の中で眠っています」

「……アンタ、誰よ!」


 マーナの問いに立ち上がったイベルド。いや……それはイベルドではなく、本来の肉体の持主──。


「初めまして、皆さん。私の名はベルフラガ・ベルザー……かつて『赤のベルザー』などと呼ばれた者です」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る