第六部 第九章 第一話 侵入者


 トゥルク国を解放し復興の手伝いを終えたライは、アムルテリアと共に蜜精の森居城へと転移した。


 そんなライが居城の扉を開こうとした瞬間、念話による呼び掛けが──。

 相手はエクレトルの天使アスラバルス……いつも冷静なアスラバルスは、珍しく慌てている様子。



『どうしました、アスラバルスさん?』

(……勇者ライよ。落ち着いて聞いて欲しい)

『?……アスラバルスさん?』

(………エルドナが……死んだ)

「えっ……?」


 ライは一瞬呆けた。エルドナが死んだ?何故?年齢的なものではない筈……いや、そもそもアスラバルスの冗談ではないのか──?


 しかし、思考するにつれライは焦り始める。


 アスラバルスがそんな悪質な冗談を言う筈がない。エクレトルの技術で死を間違う訳もなく、では何故エルドナが死んだのかという疑問に行き当たった。

 何よりライを苦しめたのは、アリシアの気持ちを考えること。親友たるアリシアはエルドナの死を聞いたらどれ程悲しむのか……。


 アスラバルスの呼び掛けに応えることも忘れ、フラフラと居城に入ったライは……テラスで茶を飲んでいるエルドナを見付けた。


「…………は?」


 ライは混乱した。死んだ筈のエルドナがスフィルカと談笑しているのだ。

 再び脳内での思考が始まる。こちらのエルドナは偽者?若しくは幻覚?いや……ライの同居人達は皆優れている。エルドナの偽者に気付かないなど有り得るのだろうか……?


 そこでライは一つの答えに至る。これはエルドナの発明が絡んでいる可能性が高い……と。



『アスラバルスさん……』

(……。どうした、勇者ライ?)

『ウチにエルドナ居るんですけど………』

(!?……ど、どういうことだ?)

『俺にもサッパリ分かりません。分かりませんが……とにかく、エルドナを今からそちらに連れて行きます』

(そうだな……頼む)


 食堂の方からは賑やかな声が聞こえる。時折メトラペトラの笑い声や食器の音が聞こえるので、恐らく宴の準備が行われているのだろう。


 一瞬顔を出して皆を安心させようと考えたライだったが、場合によってはエクレトルで時間を食う可能性もある。ここは一先ず問題を解決してから改めて顔を見せることにした。


「エルドナ……」

「あら?ライちゃん、お帰り~。………。どったの、そんな酸っぱい顔して?」


 エルドナの言葉通り酸っぺぇ顔をしているライは、エルドナの頭に手を翳し幻覚魔法 《迷宮回廊》を発動。エルドナは抵抗する間もなく一瞬で幻覚に落ちた。


「ふぅむ……魔法が通じるんだから、やっぱり本物だよな……」


 念の為チャクラの力で《解析》を掛けるが、間違いなくエルドナ当人……。


 そんなライの様子に首を傾げたスフィルカは、心配そうに問い掛ける。

 スフィルカはライに挨拶をしてから発とうと律儀に待っていたらしい。



「どうしたのですか、ライさん?」

「スフィルカさん……いえ、今アスラバルスさんからの念話で『エルドナが死んだ』って言われたんで確認を」

「死んだとは……穏やかではないですね」

「とにかく、エルドナを連れてエクレトルで確認してきます」

「ならば私も御一緒致します」


 ソファーに立て掛けられていた星鎚を手に取ったスフィルカ。ライはエルドナを抱え上げると、アムルテリアに同行を依頼する。


「もうちょい付き合って貰える?」

「遠慮するな、ライ」

「ありがとう、アムル」


 ライの転移の光により、ライ、アムルテリア、スフィルカ、そしてエルドナは、居城を後にした。



 転移した先のエクレトル。場所はエルドナの研究室───。

 待機していたアスラバルスは、ライの抱えていたエルドナを確認し目を丸くしている。


「信じられん……本物か?」

「チャクラで確認しました。間違いなく本物ですよ」


 エルドナをソファーに下ろしたライは、部屋の隅にて信じられないものを目にした。


「エルドナが……二人居る……」


 研究室の隅……血塗れで床に倒れ伏すのはエルドナの姿。腹部を貫かれ絶命している。

 見た目は完全な当人。ライはソファーに居るエルドナと倒れているエルドナを交互に確認したが見分けが付かない。


「エクレトルの技術で確認したのだが、エルドナ本人だった。しかし……」

「ええ。俺の居城に居たのもエルドナ本人。となると……」

「エルドナの発明か……」


 アムルテリアは倒れ伏すエルドナを感知。その口から出た言葉はまた驚きを与える。


「ライ。あれはまだ生きている」

「えっ?マジで?」


 ライの感知ですら判らない程の完璧な擬態。しかし、エルドナのやることなら可能性はある。


「とにかく本人から聞いてみようか」


 ライがソファーに近付き《迷宮回廊》を解除すると、エルドナはハッ!と意識を取り戻す。


「……あ、あれ?此処って私の研究室?」

「そうだよ」

「ライちゃん……何でいきなり幻覚魔法使った?」

「エルドナが下手に騒ぐと居城の皆が集まる可能性があったからだよ。この問題にどんな原因があったから分からないし……」

「問題……?」


 ライは床に倒れる側のエルドナを指差した。


「……あれ?何で私が死んでるの?」

「そりゃあ、こっちが聞きたいよ……何なの、アレ?アスラバルスさん、凄いショック受けてたんだよ?」

「あ~……試作品だから説明して無かったんだったわ」


 ソファーから立ち上がったエルドナは、倒れ伏すもう一人の自分に近付きその額を強く押した。

 途端に死んでいた側のエルドナはドロリと溶け出した。


「うぉう!キモい!」


 更に溶けた液体は広がっていた血液を取り込み始める。赤い色は半透明の黄色へと変わり、液体は一ヶ所に凝縮してゆく。


 最終的に姿を現したのは……スライムだった。


「…………へ?」

「これは私が創った擬装スライムなのよ。ホラ……時折開発素材を集めなきゃならないっしょ?アレ、私が直接行かないと良いのが見付からないのよ。でも、外出の度に許可取って護衛付けて貰ったんじゃ手間でしょ?だから影武者をね……?」



 有機魔導生命であるスライムは、一部の例を除き基本的に無害である。それどころか生態系において調整役まで担っているのだ。

 その為ロウド世界では魔物としての認識が低い。


 スライムは生殖で増えず分裂して増殖する。とはいえ、古き細胞を脱ぎ捨て寿命を延ばす為に増殖は滅多に行わない。

 栄養源は小さな昆虫や生物の死骸、そして魔導生命体の例に漏れず魔力。何らかの自己調整が働いているらしく、過剰に大きくなることも増えすぎることも無いに等しい。


 エルドナは戦う力がある訳ではない。高い知能と智識を有するが個人のみの戦力としては通常の天使兵よりも弱い。それを補って余りある魔導具・神具開発……そういう意味ではエクレトルでも上位の戦力を持っている。


 そんなエルドナが魔導生命体であるスライムに改造を施したのが、アスラバルスが発見した偽エルドナの正体だった。


 【魔導精霊型スライム】


 エルドナが己の持ち得る技術を費やし魔導生命体であるスライムを強制進化させた存在。試作型であるが、何と精霊体にまで進化したスライムは高い知性も併せ持っている。

 それは、マリアンヌと似て否なる進化を果たした特殊個体である。


 進化させたエルドナに対し恩義を感じており無条件で契約を果たしたスライムは、本来エルドナの護衛用に生み出した存在でもある。


「………。護衛用なのに影武者に使ったのか………」


 アスラバルスは難しい顔で首を振っている。


 アスラバルスの心配はエルドナを大事に思っている故のものだが、せめて事前に説明が欲しかったところだろう。


「………ところで、スライムさんは動いていますが怪我は無いのでしょうか?」

「そこは大丈夫なんですよ、スフィルカ様。スライムは細胞そのものに魔力核があって、一欠片でも残ると再生するんですよ?凄いですよね!?」

「……そうですね」


 エルドナの研究熱に幾分圧され気味のスフィルカは、完璧な作り笑いで応えていた……。


「じゃあ、スライム君は実質無傷ってことか。凄いな……」

「でしょ?魔力があれば即時元に戻るのよ。しかも精霊格だから強いし色んな能力もある。擬態もその一つよ」

「でも、やられちゃったんだな……」

「それは擬態を命じたからよ。私ならこう動くっていうのを真似たの」

「成る程……だからか……。ところで……」


 スライムにも驚いたが、それよりも驚くべき事態がある。

 ライの視線を受けたアスラバルスは沈痛な面持ちで頷いた。


「言いたいことは分かっている、勇者ライよ。確かにこれは由々しき事態だ」


 そう……それはエクレトルにとって前代未聞とも言える事態──。


 何せ、回避したとはいえ神聖機構内での殺傷事件(未遂)。厳重な警備が展開されている神聖機構……その中へ易々と侵入されたことが問題なのだ。


「このことはもう神聖機構内に?」

「いや……知っているのは私と一部の者のみ。犯人を捜す際、貴公のチャクラに頼れればと考えたのだ。疲れているだろうところ済まぬ」

「いえ……頼って貰えて嬉しいですよ。結果としてエルドナも無事だったし」


 それもまたライの存在特性【幸運】の影響──。


 トゥルクで深傷を負ったアリシアをライは即座に居城へと運んだ。その後……居城に居たエイルが連絡を入れたことで、エルドナはライの居城に親友を見舞いに来たのである。

 結果、襲撃はスライムが身代わりとして受けることになった。


 あのまま研究を続けていた場合、エルドナは確実に死んでいただろう。


「……。賊の目的は私でしょうね」

「うむ……恐らくはエクレトルの弱体化を狙ったのだろう。エルドナの技術は今やエクレトルには欠かせぬからな。それとエルドナよ……機構内の情報の確認をせよ。私の予想では賊の目的はもう一つ……」

「エクレトルの技術……わかりました。今、確認します」


 エクレトルの情報には閲覧権限がある。エルドナは情報管理の責任者でもあるので、それを狙われた可能性は高い。


 そしてアスラバルスの推察は当たっていた……。


「……やられました。第一、第二種特殊情報を除き全て閲覧された痕跡があります。更に情報をかなり破壊されています」

「!?……まさか其処までとは……。むぅ……」

「……。ここまでの情報技術を一体誰が……」


 エクレトルの端末を操作し情報を理解するなど、天使以外に出来ることではない。特に機密情報の一部まで抜かれているのだ。


 それは隠密技能だけでなく賊の知能の高さを意味していた……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る