第六部 第七章 第二十話 四体目の魔獣 


 プリティス司祭と対峙したランカは、細剣で空を斬り効果を発動──。


 細身で青い刀身の『静寂の薔薇』は、青い薔薇を模した飾りが手の甲を被う様に巻き付いた神具。主に空間・幻覚の魔法を用いた隠蔽に特化した武器。


 それは【サザンシス】であるランカの正体を隠す為に考案していた装備……本当のところ、ライはそれをランカに使わせたくなかった。


 ランカが戦いに出れば身に染み付いた暗殺の技を使うだろう。それはランカの望んだものではない。


 それでも前線に出ることになった際、ランカの正体を隠す為に考案された神具が『静寂の薔薇』だった……。



 空を斬ったその場から広がる空間は花園……周囲と隔絶されたそれは限定とはいえ異空間。周囲から見れば霧が立ち込めているようにしか見えない。

 しかし、空間内は一面薔薇の花園。内側から外に出るには神具を解除ないし破壊するしかない。


『成る程……それ程の神具ならば己の力と勘違いしても仕方ありませんね。しかし……』

「口が無いのに良く喋る」

『小娘……ならば、その魂を解放して差し上げましょう』

「無理だよ……お前は死んでるからね」

『何……?』


 ランカが言葉を切ると同時にピシリと音がした。そして『司祭だったもの・無貌』の身体に次々と亀裂が走る。


『なっ!い、一体何が……!』

「気付かなかったか?お前が見て……いや、感知して居たのは【分身】だよ。お前は始めからボクを捉えていなかった」

『くっ……!偉大なる神より授かりし御力を用いればこんな傷など……』


 高速再生を試みる『司祭だったもの・無貌』……しかし、逆にその身体の崩壊が加速を始める。手足、その背に生えた皮膜の翼までが、まるで砂が崩れるかの如く欠け朽ちて行く。


『い……ったい……なに……を……』

「答える義理はない。確かなのは、“ お前の神はお前を救ってはくれない ”ことだ。もっとも……お前達の理屈で言う『死が救い』なら、それを与えたのはボクということになる訳だけど」

『ば……か……な……』


 完全に塵と化した『司祭だったもの・無貌』を確認したランカは、神具による結界を解除した……。



 暗殺一族・サザンシスには、それに特化した技がある。隠形纏装もその一つ……そして同様に纏装を利用した技は他にもある。

 ランカが使用したのは【毒】……腐蝕纏装と呼ばれる技だ。


 本来纏装は、自分と他者のものが同化することはない。弾かれるか霧散するかなのだ。

 ライやマリアンヌの様に相手の纏装を解析し同質のものへと変化させる等は本当に稀な力であり、聖獣・霊獣などの魔力同化能力を除けば確認されている例はない。


 それを相手に気付かれることなく魔力や生命力に同化させその肉体さえ蝕んでゆく──サザンシスは恐ろしい暗殺特化の技を編み出していた。


 当然、その特殊性故にサザンシス以外が使用することは出来ない。ライやマリアンヌでも現時点で不可能と言える技法である。



「……お前が人を辞めていてくれて良かったよ。お陰で良心の呵責が少なくて済んだ」


 他者を傷付けることを躊躇う優しき『元・暗殺者』。今度は守る為にその力を───ランカはそんな新しい道を歩み始めた。



「さて……天使がいる現状を考えると、ボクはあまり派手に動かない方が良いだろう。それに前線は魔術師の娘達に任せきりになってる。手助けしないと……」


 上空の強力な魔力を感じているランカ……しかし、アスラバルスや天使達の目の前で戦う訳にもいかない。

 本当に必要な時には協力をするつもりではあるが、それまではサァラやファイレイ、そして他の天使達の手助けに回るつもりだ……。




 だが……戦況はここから更に悪化を始める。



 その原因の一つ目───それは『四体目の魔獣出現』。


 トゥルク総本山側に出現したそれは超大型魔獣。大国の一都市程に巨大な存在は、ワニの頭が二つ、身体は犬型だった。

 毒々しく硬質な皮膚、刃を連ねた様な尾、背から棘の様な突起が幾つも確認できる。


 地響きを立てながら近付く魔獣は時折地に頭を付ける。そして咀嚼の動きを見せた……。


「そ、そんな……。あの魔獣、味方を……」


 それを見ていたサァラやファイレイ、そして天使達は戦慄した……。


 魔獣を扱う存在と戦うとはそういうこと……。覚悟を決めた筈の皆の心が再び動揺を始める。


(不味いな……)


 ファイレイの念話により報告を受けたバズとドロレス。更にエクレトルの天使により全体の戦況が明らかになった。



「大聖霊殿達とアスラバルス殿が何者かに封じられてしまった様だ。それに気付いたファイレイ達は、対策を変えたらしい」


 ファイレイとサァラは、アムルテリアに送っていたプリティス教徒の拿捕を諦め昏倒させる方針に切り換えた。


 この場合……不測の事態が発生するとプリティス教徒が無防備になり犠牲となる。

 しかし、優先すべきはトゥルク王陣営の命……ファイレイの決断は苦渋と言うべきものだった。


 イグナースとルルナルル、マレクタルとシルヴィーネルは未だ司祭級と交戦中。先程までは若干余裕すらあったが、今は油断が出来ない状況……。


 ランカとアーネストは前衛に出ているファイレイとサァラの支援に……。マレスフィは自らも後退しつつ前衛の天使に撤退を促している。


 アリシアは近場であるイグナースの支援に向かっていた。



「今、前衛に巨大魔獣と戦う余力は無いだろう。ファイレイとサァラは一度下げた方が良い……。しかし……そうなると戦力不足は否めないな」

「私が前線に出ますか?」

「いや……正直なところ、まだ何があるか分からない。その際、私一人でこのトゥルク王陣営を守りきれるとは限らない。だからアスラバルス殿は我々二人残したのだろう」


 現状の最善は援軍の到着……しかし。


「さ、先程エクレトルから報告があり、近隣国の土地に魔獣が出現したとのこと……如何致しますか?」


 動揺している天使はまだ若いらしく、バズに対応の決断を求めている。


「各国の対応は……?」

「トォン国は大国ですので温存戦力を出した模様です。それに、トォン国に住まうドラゴンが手助けをしている様で……」

「シルヴィ殿のお仲間か……ではトォンは問題ないでしょう。近隣の小国はどうですか?」

「そちらはエクレトル側から援軍が向かいました。元々此方に送られた増援だったのですが……」

「それは痛い……が、仕方無いですね」


 恐らくシウト国も増援の準備をしているだろうが間に合うとは思えない。

 それに魔獣相手に有象無象では意味がない。魔獣との戦いは少数精鋭でなければただ犠牲を増やすだけになる。


 となれば、期待できる援軍はカジーム国……。


(しかし、彼等は少数すぎて頼る訳にはいかない。もう少し発展していれば……)


 トシューラ国は魔獣アバドンの被害甚大を理由に今回の査察参加を見送っている。


 同様にアステ国は、魔の海での損害が大きいことに加えトゥルクから近いことを理由に自国防衛に専念するとの連絡があった。



(成る程……。脅威存在を見越して創られた【ロウドの盾】も、組織的な脅威相手となるとこうも脆いのか……)


 戦況次第ではトゥルクの民と王を連れてトォン国への一時撤退も考えねばならない。

 幸い……トォン国に出現した魔獣の位置は退路からズレている。


 しかし、それは最後の手段……。恐らくトゥルク王はその進言を退けるだろう。


(噂の『白髪の勇者』殿が来たところでこの戦況は変えられまいな……。だが、今更退く訳にも行かぬ)



 バズは前線で戦う者を置き去りにする気は無い。最悪の場合はトゥルク王陣営をドロレスに託し撤退の殿を務めた後、前線へと出るつもりだった……。



 そんな中……プリティス教総本山側からの閃光。巨大な光の矢が大地をなぞる様に放たれた。


「馬鹿な!まだ『魔神の槍』が……!?」


 トゥルク王の陣営に張った結界を掠めた光……それは大地に展開した結界を破壊しつつ迫る。辛うじて防げたものの、大地には歪に伸びる一筋の焦土が発生していた。


「あれは『魔神の槍』ではありません!魔獣の攻撃です!」

「まさか、あの距離を……!?くっ!全員に通達を願います!撤退準備を始めて下さい!」


 幸い大地に展開していた土地占拠用の杭のお陰で天使達は無事……しかし、無傷という訳ではない。


 想像以上の火力……戦況は圧倒的な不利に変わった。





 だが、そんな中でも諦めない者達がいる。彼等にはまだ希望があったのだ。


「うおぉぉぉ━━━っ!」


 光線を横目で確認したイグナースは、ルルナルルに頼らず単身で『司祭だったもの・無貌』の討滅を果たす。


「凄い……」

「俺なんてまだまだですよ……。ルルナルルさん。撤退準備が始まったそうですから、天使の皆さんを支援して下さい」

「分かりました。イグナースさんは……?」

「前線にはファイレイやサァラがいますから………そのままあの魔獣を倒しに」

「…………。分かりました。どうか御無事で」


 持っていた回復薬と回復魔導具をイグナースに手渡したルルナルルは、周囲の天使を引き連れ撤退を始める。


 ほぼ同じ頃……マレクタルも『司祭だったもの・無貌(黒)』を撃破。


「お見事。流石は勇者ね」

「いや……シルヴィーネル殿のお陰ですよ。流石は『ドラゴンの加護』……力が湧き上がった」

「アタシの加護は少し力を引き出すだけよ。今のは全部あなたの力……それよりも」

「ええ。この位置からも確認できる巨体……それに上空の気配も……」

「で、どうするの?あなたはこの国の王族……前線に出るのは薦めないけど……」

「いえ……王族だからこそ前線に出ねば……。そして此処は私の国ですから」

「そう……」


 各人の活躍によりプリティス司祭を全て討ち果たしたことはシルヴィーネルも気配で察知している。

 少し遅れて、エクレトルの天使から撤退準備を始めたと連絡が入る。


 そして、マレクタルとシルヴィーネルの二名は行動を決断。


「私は前線に出ます」

「アタシも行くわよ」

「しかし、貴女がそこまでする必要は……」

「ここまで来たら最後まで付き合うわよ。それに……希望もあるから」

「件の勇者殿ですか……。では、それまで何としても生き延びねば……」

「ええ……じゃあ、行くわよ?」

「はい」


 前線へと駆け出すシルヴィーネルとマレクタル。


 対・巨大魔獣戦へと集う戦力──しかし、事態は未だ好転の兆しはない……。



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