第六部 第七章 第十九話 悪化する戦況


 プリティス大司教・トレイチェの出現により、トゥルク邪教討伐の事態は一変する。



 その異変に気付いたマーナ、マリアンヌ、ルーヴェストの三名は、トレイチェの魔力を感じた場所へと向かい囚われたメトラペトラとアスラバルスの姿を確認。即座に臨戦態勢へと移る。


「ニャンコ師匠!」

「マーナか……不味い事態になったぞよ」

「おいおい……アスラバルスの旦那まで……」

「ルーヴェスト。奴らは魔獣を喚んだ。我等は動けぬ……済まぬが頼む」

「やれやれ……悪い方に転がり出したか」


 その間マリアンヌは、メトラペトラとアスラバルスを閉じ込めた結界の破壊を試みる。


 しかし……。


「無駄じゃ。これは『神格持ち』の手に因るもの……お主らでは破壊は出来ぬ」

「神格……ですか?それは、この『ロウド世界の神』によるものでしょうか?」

「恐らく違うじゃろうな……。今、【神の玉座】にある者は大天使ティアモントという。そのティアモントが敗れたならば、戦いの余波で世界に揺らぎが起こる。アスラバルス達も気付く筈じゃ」


 アスラバルスは頷いた。


 神の代行たるティアモントが易々と敗れる訳がないことをアスラバルスは理解している。

 そのティアモントがこの事態でも現れないということは、相手は神格を持っていても『完全なる神』ではなく、倒せる可能性があることを意味する。


 それはつまり……。


神衣かむい使い──。じゃが、厄介じゃぞ?それは下位とはいえ神格であることには違いない。人の身で倒すのは並大抵ではあるまい」

「倒せないってことか?」

「神衣は『真なる神格』と違い纏装の進化型じゃ。意味は分かるな?」

「成る程……使用出来る力に限界がある訳か」


 神格に至る強力な力であっても『神衣』には纏装と同じで総量が決まっている……つまり、連続発動による力の放出には限界時間があるということ。同時に大きな力である程負担が大きいということになる。


「じゃあ、私達三人で攻めれば……」

「いや……お主達三名でも足りぬ。今回の討伐参加者総掛りでようやくといったところじゃろう。が、如何せん今は状況が悪い」


 この状況で現れないアムルテリアは、メトラペトラ同様に封印を受けてしまっていると推察される。


 地上では未だプリティス司祭戦が行われており、クリスティーナ、ランカ、シルヴィーネル、イグナース、マレクタル、ルルナルルは早々に動けない。


 更に眼前のトレイチェと三つの魔法陣……トレイチェから感じる魔力は上位魔人に近く、魔法陣から落ちる血溜りは儀式魔獣召喚で間違いはないだろう。


 天使マレスフィは疲弊に加えまだ戦いの経験が少ない為、あまり前線に出すべきではない。トウカとシュレイドは飛翔出来ず、アリシアは戦闘向きではない。


 サァラとファイレイが引けば平民プリティス教の犠牲が加速する。その他の天使達も魔獣や魔人相手には明らかに力不足だった……。



(じゃが……それでもシルヴィーネルとランカを前線に出せば戦力は何とか足りる。ランカに関してはギリギリまで隠しておきたいところじゃな)



 しかし──それでも現状は分が悪い。


 儀式魔獣で呼び出されるのは、恐らく封印されていただろう上位魔獣……それが三体。ルーヴェスト、マーナ、マリアンヌはそれぞれ各個で当たることは出来るだろうが楽に倒せると考えるのは楽観になる。

 そして、最も厄介なトレイチェを放置するのは得策ではない。となれば、少なくとも魔獣が一体野放しになる。


 それはマリアンヌやマーナ、ルーヴェストも理解しているのだろう。いつもの余裕が見当たらない。


「メトラ様……」

「何じゃ?」

「メトラ様達を封じている存在が更なる介入を行う可能性はあるのでしょうか?」

「ある……。が、させぬよ。ワシがこの封印結界の破壊に力を費やし続ければ、相手も結界維持を続ける為に力を使うじゃろう。アムルテリアも気配を感じ結界破壊に踏み切る筈じゃ。それで奴らの首魁は動けまい」

「成る程……理解致しました」

「じゃが、不利は変わらぬぞよ?」

「大丈夫です。予感がするのです……間もなくライ様が来てくれます」

「良し……では、それまで粘らねばの。後の判断はマリアンヌ……お主に任せる。頼んだぞよ?」

「承りました」


 そこに白々しい拍手が響く。それまで黙って聞いていたトレイチェが実に楽しげに歪んだ笑顔を浮かべていた。


「頑張りますねぇ……。まだ足掻きますか」

「余裕だな、トレイチェよ……。わざわざ話が纏まるまで待っていてくれるとは」

「それはそうでしょう、アスラバルス殿?我等が神とその御使いたる教主様に勝てるなど、滑稽な現実逃避でしかないのです。その喜劇の一幕を見逃すのは勿体無いでしょう?」

「フッ……。貴様はこの者達を……そして世界を嘗めすぎだ。これは貴様達にとっての悲劇の始まりかも知れぬぞ?」

「ハッハッハ!では見せて貰いましょう!どうやって喜劇を悲劇にしてくれるのかをね?」


 トレイチェから立ち昇る魔力が膨れ上がると同時──魔法陣が呼応するように移動を始める。

 上空の魔法陣が宙に滞留する血をゆっくりと取り込みつつ下降すれば、入れ替わるかの如く陣の上面に魔獣が姿を現した。


 現れたのは三体とも同じ形状の魔獣。三つ首の……竜に似た姿。角はそれぞれの額に一本づつ……その魔力はやはり強力なものだ。


「ちっ!どうする?俺が二体相手にするか?」

「ルーヴェスト様はトレイチェの相手をお願いします。この中で最も危険なのはあの男ですから」

「わかったぜ……。魔獣は任せて良いんだな?」

「何とかするしかありません」


 マーナとも視線を交わし頷くマリアンヌ。どこまで対応できるかは正直断言できない。


 しかし、そんなマリアンヌに檄を飛ばしたのはマーナだった。


「泣き言言ってる場合じゃないわよ、マリアンヌ?お兄ちゃんが来た時に褒めて貰うんだから!」

「マーナ様……フフフ。そうですね」

「じゃあ、行くわよ?」

「死ぬんじゃねぇぞ、お前ら?」

「アンタこそね?筋肉勇者!」

「何?筋肉が見たいだと?仕方無ぇな……時と場合を考えろよ?」

「やめなさいよ!この変態勇者!」



 マーナの叫びが戦いの合図となった……。



 まず行われたのはルーヴェストによる戦力の分断──。


 トレイチェが更なる邪法を用い魔獣を強化することを避ける為の分断……それは魔獣のみでなく地上側での戦いにも干渉させない選択だった。


「そらよっ!」


 一気にトレイチェへと飛翔し近付いたルーヴェストは、その勢いを利用して思いきり蹴飛ばした。


 トレイチェは変わらずの余裕……球体の魔力防壁により攻撃を難なく防ぐが、勢いを殺し切れず大きく距離を開ける。

 それを何度か繰り返しトレイチェと魔獣の分断に成功。遥か離れた位置でルーヴェストの戦いが開始された。



「流石はルーヴェスト様……お陰で此方は魔獣に集中出来ます」

「あれでも世界屈指の勇者だしね……変態だけど。さて……それでも状況は悪いままだけど手はあるの、マリアンヌ?」

「残念ながら……各個撃破が妥当ですが数の不利があります。苦戦は覚悟した方が宜しいかと……」


 マリアンヌが冷静に考察する中、地上から飛来する気配が……。


「マーナ様!マリアンヌ!」


 現れたのはクリスティーナだ。


「クリスティ様……地上の敵はもう殲滅を?」

「いいえ。あの方……ランカ様が任せろ、と。申し訳無いと思いましたがお任せして参りました」

「ちょっ……!だ、大丈夫なの?私、あの娘から力を感じなかったんだけど……?」

「い、いけなかったでしょうか……?で、では、戻らないと……」


 少し動揺するクリスティーナ。しかし、マリアンヌの判断はそうではない。


「ランカ様はライ様がお連れした方……その方が任せろと仰有るのであれば問題はないと思われます」

「し、しかし……」

「寧ろ私は……いえ……。何でもありません。それより目の前の敵に集中致しましょう」


 これで数の上では同等。倒せはせずとも均衡を保てるだろう。



 地上に若干の不安を残し、ライの同居人三人は竜型魔獣との戦いへと突入した……。




 同様に地上に居る同居人……ランカは、単独で『司祭だったもの・無貌』と対峙する。


 腕輪型魔導具から取り出したのは二本の小剣。それは、昨日ライから手渡されていた装備。


 ランカはその時の様子を思い出していた──。



「エルドナに頼んでいた武器だけど、鎧が間に合わなかった。ゴメン」

「良いよ。ボクは装備に拘らないし……」

「でも、一応はね。………。本当に参加するのか、ランカ?折角戦いの場から退しりぞいたのに……」

「これでも戦える身には変わらない……。それに身を引いたのは『暗殺』からだ。ボクにとってはずっと嫌いな力だったけど、誰かを護る為ならそんな力にも意味があったと思える」

「………」

「それに、ボクもこの城での暮らしが気に入ってるんだ。家族が危険へと赴くなら少しでも力になりたい。それでもダメか?」

「……わかった。でも、絶対に無理はするなよ?」

「分かってる。飽くまでそっと手助けするだけだ」


 ランカは申し訳無さそうなライの顔を思い出しクスリと笑う。ライは昨日全員を集め、今回のトゥルク査察に参加しないように訴えていた。

 しかし、ライは逆に皆から説教を受けることとなる……。


 普段の無謀故反論できないライは、結局メトラペトラの一言で諦めることとなった……。



 ライが査察に間に合わなかった今となっては、同居人達の参加は惨劇回避に不可欠となるだろう。


『娘……貴女のそれは自己犠牲の精神なのでしょう。しかし無駄ですよ?この地に足を踏み入れた者は皆、等しく裁かれねばなりません。それが我等が神の御意思……』


 遠巻きならば裸の人型にも見える全身のっぺりとした白い姿──そんな異形に変化したプリティス司祭。目も鼻も口も無い故に念話で語る『司祭だったもの・無貌』……発した声は澄んだ女性のものだった。


 その言葉を聞いた『明らかに場違いのゴシックロリータ衣装』で身を包むランカは、小さな溜め息を吐く。


「神の意思……か。お前に聞きたいんだけど、神に会ったことがあるのか?」

『何を馬鹿なことを……。神にお会いになることが出来るのは偉大な教祖様、唯御一人……』

「そうか……。では、お前は神を知らない訳だな?」

『何を言って……』

「ボクの一族はエクレトルの天使達と因縁があってね……。それでも、エクレトルの天使達は【神の座】にある者の言葉を直接聞いている。そして、天使達は知る限りこの世界の役に立っているよ。だけど、お前達は違う……存在している意味が分からない」

『………』

「小さな国の中で命を弄ぶ……それは邪神だろう?本当にそんな神の教えが世界に蔓延はびこれば、その世界はもう滅びを待つだけだ」

『………貴女も只の愚者でしたか』

「愚者にさえ理解できない程度の教義を説くのは、神が愚かな証だと思うけど……?」

『小娘……。言わせておけば……』


 顔が無い故に表情は判らない『司祭だったもの・無貌』……しかし、ランカの目に映る魔力の揺らぎは不快さを顕していることが判る。


『これ以上の問答は無意味……貴女如き無力な存在は早く救わねばなりませんね』

「救いなら間に合ってるよ。ボクを救ったのはボクが知るどの神でもない。お人好しの勇者だ。だからボクは、その勇者の為に戦う」


 ランカはその手に持つ小剣の一つで空を斬る。



 プリティス司祭戦──ランカは絶技とも言える暗殺者の技を用い、単身で戦いへと踏み出した。

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