第六部 第七章 第十二話 聖獣・聖刻兎 


『吾輩に何か御用であるかな?』


 タキシード姿と言葉遣いそのままに少し渋い声の黒ウサギは、浮遊しながらライに近付いてきた。


「何用かな?じゃなくてさ……俺をここに入れたのは君達でしょうが」

『………。知らんのである』

「いやいやいやいや……君達は二体一組でしょ?」

『ああ……そういえばそうだったであるな。事情は察したのである』

「……もしかして、忘れてた?」

『ならば、語らねばなるまい……。まず吾輩が生まれたのは今から百二十年程前……」

「……。ゴメン……急いでるんだけど長くなりそう?」

『……。吾輩が生まれたのは今から……』

「くっ……!コイツも話聞かない系か……!」

『失礼な!これも大事な話である!黙って聞くのである!』


 ライは諦めて話を聞くことにした……。


 どのみち自力では出られなそうなのだ。下手に機嫌を損ねては出して貰えなくなる恐れもある。急がば回れの心境だった……。




 そうして聖獣が語り始めたのは自らが誕生した歴史。


 今から百二十年程前──ロウド世界に一体の聖獣が生まれた。


 聖獣は星に還った魔力が龍脈を伝い大地を流れる際、特異点として大量に蓄積された場に生まれる。その発生は数こそ定まっていないものの最大数はほぼ同じだという。


 聖獣の姿が動物に近いのは、自我が発生する際近くの生物を認識し形状を真似る為。

 魂の疲弊や負傷等の理由で輪廻に還る際、大概は記憶を維持していて最初に得た姿を形成する。その為、各聖獣の種属や能力は記録として残されている。


 そういった流れの中でロウド世界に誕生した聖獣は、姿が確定した後ロウド世界の植物を食べ受肉が始まるのだ。



 稀に……長き時の中ではその存在が限界に至り輪廻の流れに乗れない場合がある。その際は全く新しい聖獣として生まれ変わり世界に産声を上げるのだ。

 そうして……黒いウサギの聖獣『刻兎こくと』は、新しき存在として生まれた。刻兎はそれまで類を見ない『時空間を操る力』に特化した聖獣だった。


 『刻兎』は時空間の扱いには長けていたが、戦いには向かない存在だった。いや……聖獣はその多くが戦いを好まないのだが、その中でも『刻兎』は争いを徹底して避けるという聖獣……。

 その理由は『紳士は野蛮と無縁だから』──考えからして聖獣という枠から外れた存在『刻兎』。そんなの者は、誕生した時点である悩みを抱えていた。


 刻兎は生まれ付き『自分という存在には何かが足りない』という不安を感じていたのである。


 そこで刻兎は世界を旅して回ることにした。何処どこかに自分の足りなさを埋めるものがあると信じて……。




 時を同じくして、ディルナーチ大陸に存在する異界からの門が開く──。

 【門】と銘打ったが、実際は空間の歪み……しかも短時間で消える次元の穴である。


 そしてその【門】を渡ってきたのは、黒いタキシードとシルクハットを着用した一匹の白いウサギ。但し……そのウサギは並のウサギではなく、かなり特殊な力を宿していた。


 『玉兎ぎょくと』と呼ばれる真っ白なウサギは見知らぬ異界に引き寄せられたことに驚きつつ、別段帰りたいとも思わなかったのでそのままロウド世界で暮らすことにした。

 玉兎は自らに相応しい住み家を探して旅に出る。



 玉兎が異世界に渡って来てから一年程が過ぎた頃……その旅先で額に角の生えた黒いウサギと出会う。

 それは運命の導き──人で言う『魂の伴侶』と同様の強烈な引力を感じ、二体のウサギは共に在ることを選んだ……。


 それから、共に在った二体は真に一つになるべく魂の融合儀式を行う。これにより二体のウサギは『聖刻兎』という特殊な存在になったのである。



『めでたし、めでたし、である』

「……………」

『……………』

「………え?ま、まさか終わり?」

『……うむ』

「…………」


 大事な話というから黙って聞いていたが、只の自己紹介だった……。ライはガクリと崩れ落ちる。


「くっ……何て無駄な時間を……!」

『無駄とは何であるか!』

「あのねぇ……?……。駄目だ……。説明する気力まで無くなった……」


 見兼ねたクラリスは簡潔に事情を説明。『刻兎』はやれやれと肩を竦めている……。


『ならばそれを早く言うのである!』

「いや、神獣様……ライは言ってたよ?急いでるって」

『そうだったであるか?うぅむ……それは悪いことをしたである』


 悪気は無かったのだろう。ただ少し感性がズレているだけで……そう思うことにしたライは、気を取り直して頼みごとをすることにした。


「……ま、まぁ入りたいって頼んで入れて貰ったのは俺達だから、それに関しては良いや。それより、この異空間から出たいんだけど……」

『そうしてやりたいのは山々なのだが、無理である』

「……。一応聞くけど何で?」

『我々は二体一組の聖獣。玉兎が居なければ出してはやれぬである。が……玉兎を呼ぶにも今は都合が悪いである』

「そこを何とか呼んでくれないか?頼むよ」

『それではこの異空間の民が飢えてしまうである』

「……。どういうこと?」

『実は、であるな……?』


 聖獣『聖刻兎』は『ロウド世界』と『異世界』の能力を持ったウサギによる融合体。自分達の力で融合を果たしたのだが、どうやら無理があったようで能力に不具合が生じ始めたのだと刻兎は語る。

 その為、外に出ることが出来たのは玉兎のみ。そしてその玉兎も再び異空間内に入れば出られなくなる恐れもある。


 現在……異空間内は魔獣アバドン騒動による難民が加わったことで、人口過多状態。つまり、食料問題が発生中。外から中に食料を送る役目の玉兎が戻れば、異空間に食料を補給する者が居なくなってしまう……。

 それでは聖獣や精霊人はともかく、人間はかなり死んでしまうだろう。


 因みに、空間自体は祝福の塔の力を【要】に利用しているので維持されているとのことだ。



「それを早く言ってよ……。そしたら食料確保してから中に入って解決策を探せたのに……」

『そ、それはちょっとした伝達ミスである』

「二体一組なのに?連帯責任でしょ、普通?」

『うっ!』

「………」


 ライは心底困った。閉じ込められたことや時間のこともそうだが、最近の立て続けの問題に……。


(クソッ!やっぱり呪われてんのか、俺は?最近何かとツイて無ぇ!)


 内心ではそんな焦りの感情が湧き上がるが、実はこの出会いこそライにとっての最大級の幸運であることを当人は知らない……。



 ともかく、今は脱出が優先事項。とはいえ、異空間の住民を犠牲にする訳にも当然行かない。

 そうなれば最善の処置は『聖刻兎』の不調を治すこと……いつもならメトラペトラに相談するのだが、生憎の不在……。


 そこで今回は、フェルミナに情報の確認を任せることにした。


「フェルミナ。聖獣の異常、俺とフェルミナで治せそう?」

「少し待って下さいね?」


 フェルミナは刻兎に手を伸ばしその身体に触れると、目を閉じて存在の状態を探る。魂の状態は確かに綻びがあるが、それ程大きなものではない。

 その綻びも、恐らく俯瞰して融合を調整できる者が居なかったことが理由だろう。


 しばらくして確認を終えたフェルミナが目を開いた。


「………どう?」

「融合自体はほぼ成功していますが、どうやら異界からの来た玉兎側がこの世界の法則に噛み合っていないみたいですね。それを治せば自然に完全融合を果たすと思います」

「となると、どのみち玉兎を呼んで貰わないと解決にはならない訳か……。さて、どうすっかな……」


 玉兎を中に入れておきながら『出来ませんでした』ではお話にならないのだ。この異空間で暮らす人間全ての命を背負う覚悟が必要になる。

 しかし……他者に危険を無理強いできる程、ライは今の自分に自信がない。何せ身体の限界がどこまで及んでいるのか手探り状態なのだ。


 迷うライ──その躊躇を断ち切るよう魂の再調整を申し出たのは、刻兎の方だった。


『もし本当に調整出来るのならば是非に頼むのである。我々『聖刻兎』は完全でありたいのである』

「………上手く行くか約束は出来ないぞ?」

『どのみち今の状態は長く続かないのである。やがては玉兎も中に入れなくなる可能性も否定出来ないのである。それは魂を裂かれるに等しいことである』

「………」


 聖獣の言葉が不思議とライの胸に落ちたのは、ウィトという存在が己の中に居るからに他ならない。

 半身とも言えるアローラを失ったウィトの記憶は、自覚はなくともライの中に刻まれている。


 半身を失う悲しみ……そして異空間に暮らす者達の未来の為ならば、これは決断すべき事案。

 最悪、異空間に閉じ込められてもフェルミナがいれば食料難は凌げるだろう。その間に何らかの策を講じれば良い。


 更に、ライの居城にいるエイルはライ達の行き先を知っている。それを聞けば、メトラペトラとアムルテリアが何とか異空間を見付けて対応してくれるかも知れない。



 そうと決まれば後は行動──。


 ライは早速、刻兎の申し出を受けることにした。


「あまり時間が無いから一気にやっちまおう。刻兎……玉兎を呼んでくれないか?」

『了解したである。……というより、我々は二体で一つの存在。重要な話なので玉兎にも聞かせていたのである』


 刻兎の隣にボフン!と煙を上げて現れたのは白いウサギ。刻兎とは逆に黒のタキシードとシルクハットを身に付けていた。

 但し、蝶ネクタイだけはお揃いの赤。何か拘りがあるのだろうか……。


「玉兎……今からお前達の魂を調整し直す」

『話は聞いていたでおじゃる。全部そなたに任せるでおじゃる』

「お、おじゃると来たか……」


 刻兎とは対照的に甲高く可愛い声の玉兎。タキシードにも拘わらずその語尾の独特さも相俟って中々個性的だ。


「本当に俺を信用して良いんだな?」

『大聖霊と共に在る者ならば問題無いでおじゃる。二言は無いでおじゃる』

「………。わかった。ともかく、今からお前達をこの世界に合わせて調整して安定させる。フェルミナ、手伝ってくれる?」

「わかりました」

「スフィルカさんには、もし魔力が足りない際に力を貸して下さい」

「はい。あまり御無理はしないで下さいね」

「ムクジュは俺が倒れたらモフモフを頼むよ」

『モフモ……し、承知しました』


 確認の後、ライは二体のウサギ『聖刻兎』に手を翳した。フェルミナはライのその背に手を置いて補助に回る。


 これまで何度も行ってきた存在への干渉。今まではメトラペトラの指導の元で行使してきたが、今回遂にライ主導での干渉に至る。


 これまで培った経験に加え、【情報を司る】大聖霊クローダーとの契約──それらが存在干渉を単独で熟せる程にライを成長させていた。



 そして……仄かに赤い閃光の元、特殊な聖獣『聖刻兎』への干渉が始まった───。


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