第六部 第六章 第三十四話 斧使い


「実はずっとお前とやってみたかったんだぜ?魔の海域でお前と魔王の戦いを見たあの時からな」



 『エルベの酒場』から場所を移したライ一行とルーヴェスト。シシレックの街から少し離れた森の中で、ライとルーヴェストは軽い運動を行ない身体を解していた。



「あ~……海岸に居たのはルーヴェストさんだったんですね。あれ?そう言えば今更ながらクリスティも居たような……」

「はい。まさか魔王を退けたのがライだったなんて知りませんでしたけど……」

「まぁ倒せたか怪しいけどね。それでルーヴェストさん……どんな手合わせが希望なんですか?」



 エクレトルと違って結界など存在しない普通の森……当然ながら全力という訳にはいかない。それはルーヴェストも理解している。



「男の勝負っつったら素手に決まってんだろ?纏装、武器・防具、その他諸々一切無しの完全な肉弾戦だ。魔法得意そうなお前にゃ不利か?」

「いや……問題無いですよ」

「ほう?随分自信あり気じゃねぇか……」

「俺の旅は半分素手でしたから……アムドの時も武器持って無かったし」

「成る程な。じゃあ遠慮は要らねぇな?」

「はい」

「良し。そんじゃイグナース、合図頼むぜ?」

「はい!」


 イグナースにとっては強者から学ぶことは幾らでもある。その手合わせを見られることがかなり楽しみといった様子。


 そして──イグナースの掛け声により手合わせは始まった。



「始めっ!」


 掛け声とほぼ同時……ライとイグナースの殴り合いが始まる。


 それは駆け引きとは無縁の単純な力比べ。無防備の殴り合いは鈍い音を立て互いの身体を痛め付けるという男の我慢比べでもある。

 イグナースはともかく、見守るクリスティーナとファイレイは実に渋い表情をしていた……。



「ハッハーッ!良いねぇ……俺とガチで打ち合える奴は初めてだ!」


 殴られた口許を拭いながら笑うルーヴェスト。


「それは光栄ですね。でもルーヴェストさん、加減してるでしょ?」


 対するライも鼻血を拭いつつ血の混じった唾を吐く。だが、二人とも笑顔を湛えたままだ。



「そりゃお前もだろ?じゃあ、もう少し魂に火を入れるか……」

「そうですね」


 ルーヴェストは更に力を増しライへと迫るが、当然ながら易々と圧倒は出来ない。

 いや……寧ろライはルーヴェストを上回る力を見せている程だった。



 身長、体格はルーヴェストの方が大きい。にも拘わらずルーヴェストが膂力で押されるのは、肉体の造りそのものが違うことを意味する。


 大聖霊との契約、魔人から半精霊体、更に精霊体への変化……それは肉体の進化が繰り返された遍歴でもある。



 ルーヴェストはそんなライに対し満足気に頷いた。


「成る程な……自分を追い込み続けた末に人を超えた訳か。旅立ったのは遅いと聞いてたが、寝る間も惜しんで鍛え続けたんだろ?」

「俺は弱かったですからね。いや……まだ弱いの間違いかな……。俺なんて必死で“無くしたくない”って足掻いてるだけですよ」

「ハッハッハ。それが『人』ってヤツさ。お前の兄貴……シンが言ってたぜ?お前は優しすぎて戦いには向かねぇってな?」

「兄さんが……」

「それでもここまで鍛えたんだ。自慢して良いぜ、ライよ」


 完全な肉弾戦であるにも拘わらず、その戦いはまるで纏装使いの如きもの。その拳は岩を砕き、蹴りは樹を薙ぎ倒す……周囲は瞬く間に木々の倒壊が起こり地響きを立てた。


 恐らくシシレックでは何事かと騒ぎになっているだろう……。



 そんな他人の迷惑を省みない殴り合いは、まだ続く。



「おっと……前言撤回か?俺らは『人』っつうにはちっと成長しすぎたよな?ハハハ」


 ルーヴェストは決して自慢気に誇張している訳では無い。彼もまた研鑽の果てに変化した存在なのである。



 バベル血筋の『竜人化』……しかし、ルーヴェストはそれだけではなかった。更にもう一種の遺伝子の影響により、ロウド世界には非常に珍しい変化を起こしていた。



 【竜天魔人】



 バベル血筋の赤髪……ルーヴェストには生まれつき竜人化の兆候があった。子供には有り得ない膂力と肉体強度は、トォンの旅商人だった両親を何度も盗賊襲撃から守った力……。


 更にルーヴェストは、地に降りた天使……つまり堕天使の血も継いでいて修行の果てにそれが先祖返りとして発現……膨大な魔力を獲得するに至った。


 人の身でありながら魔人を超えた存在となったルーヴェスト。『精霊格』にまで至ったライと生身で対等に打ち合えることは、本来驚愕すべきこと……世界最強格に名を連ねたのは最早必然であると言える。



 しかし───ルーヴェストはまだ【真なる力】を見せてはいない……。



「やっぱ手合わせしねぇと判らねぇよな?ソイツのことなんてよ?」

「ルーヴェストさんは拳で語るタイプですよね?」

「肉体は嘘吐かねぇからな。ま、大体お前のことはわかったぜ」

「俺もわかりましたよ。ルーヴェストさんは、まだ奥の手を持ってますよね?」

「そりゃお前もだろ?大体お前、奥の手幾つ持ってんだ?しかも、今はその要が使えねぇんだろ?」

「……流石です。ルーヴェストさんのは……多分肉体強化系の何かですね。しかも、かなりヤバイやつ」

「ハッハッハ!当たりだ!それも魔の海域でのお前に触発されて発現したんだが……まぁ、今回は止めとこうぜ?」


 ルーヴェストが一頻り殴り合いを行ない満足したところで手合わせは終了となる。一同が集まりライとルーヴェストは友好の握手を交わした。



 通常ならばこれで談笑にでも入るところ。だが……今回は事情が違っていた。



 ライに目配せをしたルーヴェストは高らかに声を上げる。


「お~い!盗み見とは随分と悪趣味な野郎だな!アレか?最近の魔王ってのは陰湿野郎なのか?ん?」


 ルーヴェストの挑発……と同時にライは波動吼・《無傘天理》で場の全員を包んだ。


「へぇ……面白い技だな。それも切り札の一つか?」

「へっ?は、波動が分かるんですか?」

「波動ってのか。……何となくだが皮膚に伝わるな……後で教えてくれよ?」

「それは……良いですけど」


 ライは平然としている様でかなり驚愕している。知覚するのに結構苦労した【波動】……ルーヴェストはそれを感じ取ったのである。

 それは野性の勘とでも呼称すべきもの──その点でルーヴェストに勝る者はロウド世界には存在しまい……。



 一方のクリスティーナ達は当然ながらルーヴェストの言葉に混乱する。魔王が近くに居る……それは命懸けの戦いを意味する。


 特にイグナースは鎧を預けてきたことを後悔した……。


「ライさん……本当に魔王が居るんですか?何も感じないんですが……」

「ん。ちょっと前から様子を見てたみたいだよ。敵意が無いんで無視してたけどね……隠してても分かるこの魔力は魔王級で間違いない」

「……クソッ!こんな時に鎧を置いてくるなんて!」

「大丈夫だって。何とかするから……………ルーヴェストさんが」


 ライは余裕の静観を主張。ニヤニヤとルーヴェストを見ている。


「おいおい、投げっぱかよ……シンとは随分違うな」

「ハッハッハ!他力本願、最高っス!てか、毎度毎度戦ってられませんよ」

「ブハハハハ!わかった、わかった。此処はトォン国……まぁ俺も初めからそのつもりだったしな?じゃあ、ライよ……コイツらの守りは任せて良いか」

「任せて下せぇ、アニキ!あ……シシレックの方はどうします?」

「出来れば頼むわ」

「了解。思う存分やっちゃって下さい」


 ライは分身を更に一体増やしシシレックの守りに向かわせた。同時に魔法を使用しルーヴェストの回復を図る。

 対してルーヴェストは、未だ姿を見せぬ魔王に対し続けて呼び掛けた。


「お~い!もしかして照れ屋ちゃんか?居るのはバレてんだから姿をみせろよ、ヘタレちゃん!」


 その直後……上空に朧気な人影が出現。マントで正確な容姿は判らないが、ライやルーヴェストよりも更に大きな姿をしていた。

 ふと……ライはそのマントに見覚えのある紋章が刺繍されていたことに気付く。


「あれは……魔法王国の紋章?」

「何ぃ?んじゃ、アイツが魔王アムドか?」

「いや……雰囲気が違いますね。でも、関係者かもしれません。ルーヴェストさん、これは……」

「ああ。情報を得る好機だな……良し!任せろ!」


 《無傘天理》から飛び出したルーヴェストは魔王たる影の真下に移動した。


「お~い!お前、『負け犬アムド』の仲間か?ちっと話聞かせろや」


 更なる挑発を続けるルーヴェスト。それまで沈黙を続けていた魔王は初めて声を漏らした。


「………き」

「ん?『き』?」

「貴様ァァ!我が主を愚弄した罪……その命で償う覚悟はあるのだろうな!?」

「主ってことはお前はヤツの臣下か……。つうことは、やっぱりアムドは生きてやがるんだな?」

「貴様如き下賎な者がアムド様を呼び捨てにするなど、それだけで大罪!先程の発言と合わせ地獄の苦しみを与えた後、八つ裂きにしてくれるわ!」


 マントを脱いだ男は影同様の巨体。金の短髪、長い耳は紛れもなくレフ族……多くの傷痕あるその顔は歴戦の強者であることが見て取れた。


 男は赤銅色の鎧に同色の盾、そして黒銀の斧を装備。瞬時にそれらを纏ったことから【空間収納庫】を所持しているのだろう……。



「へぇ……お前も斧使いか。だが、そうなると俺も負けてらんねぇわな。来い!【スレイルティオ】!」


 ルーヴェストの呼掛け直後、シシレックの街方面から猛烈な勢いで迫るものがあった……。


 それは黒い斧……長い柄に『緑の竜鱗装甲』を通し持ち運んでいる黒斧スレイルティオは、ルーヴェスト専用魔導斧である。


 それらがルーヴェストの手元に届いたと同時に竜鱗装甲は自動的に持ち主の身を包む。直後、鎧には竜の翼が発生しルーヴェストは魔王と向かい合う位置に上昇を果たした。



「さ~てさて?まずは名乗りが先か……俺の名はルーヴェスト・レクサムだ。お前の名前を聞いておくぜ?」

「…………」

「オイオイ……今更ダンマリかよ。お前の御主人様の器が知れるぞ?」

「貴様ぁ……」


 ここで魔王は自らの顔を殴り付けた。挑発で頭に血が昇ったことを自覚し瞬時にそれを調整したことに、ルーヴェストは賞賛している。


「ふむ……お前、武人だな?なら、尚更名乗って貰いたいところだがな……」

「貴様などに名乗る名は無いわ!」

「まぁそう言うなよ。これから死ぬのに墓標くらいは欲しいだろ?」

「何ぃ……?」


 にやけた表情を変えないルーヴェスト……だが途端に殺気を纏ったことに魔王も真剣な眼差しへと変わる。


「お前らはやり過ぎた。だから死ぬんだよ。お前の主も含めて生かしとく理由も無いしな?」

「フン……貴様如きが我等に勝てるとでも?」

「ヘッ……お前如きが俺に勝てるとでも?」

「どこまでも巫山戯ふざけた小童が……。良いだろう……冥土の土産だ。我が名はグレイライズ・ナイガット……それが貴様を屠る者の名と知れ」


 魔王アムドの忠実なる臣下にして上位魔王級の力を宿す男──グレイライズ。

 向かい合うは【力の勇者】にして人を超えた【竜天魔人】──ルーヴェスト。



 二人の超越たる斧使いが今、激突する──。



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