第六部 第六章 第十一話 天使マレスフィ


 エクレトル国内にある【ロウドの盾】本部・『盾の精錬所』───。


 訓練施設内で涙し跪くライの姿。それを目撃した一人の天使は、何事かと様子を窺いに近付いて来た。


「どうしました、アリシア殿、マーナ殿?」


 髪の短い女天使マレスフィは、うずくまっているライの様子を心配そうに見つめる。


「いえ……。それが私達にも……」

「しかし、この方は随分と感情が揺れているご様子……。一体何が……」


 そんな中で一番取り乱していたのはマーナだった。

 突然泣き出した兄……体調が悪いのかと寄り添い背中を撫でている。


「大丈夫、お兄ちゃん……?」

「ハハ……ゴメン。心配させちゃったな。大丈夫だよ。少しだけだから」

「?」

「もう大丈夫。ありがとう、マーナ」


 マーナの手を取り互いの額を付けるライ。マーナはまだ心配そうだが、取り敢えずは現状に満足しガッツポーズをしている。


 そんな様子に気付かないライは涙を拭いスッと立ち上がった。


「ゴメン、アリシアも心配させた」

「……引っ張られたって、もしかして例の……」

「……うん」


 アリシアはライの前世に絡む感情について聞かされている。しかし、何が影響したのかまでは判らない。

 問い質そうとしたものの指を口に当て“ 内緒にしてくれ ”と合図を送られたアリシアは、それ以上何も言えなかった……。


 そんなアリシアに申し訳無さそうな笑顔を見せたライは、改めてマレスフィと挨拶を交わす。


「スミマセンでした。もう大丈夫です」

「それなら良いのですが……」

「訓練の邪魔をしちゃいましたね……何かお詫びしないと」

「……。それならば訓練に加わっては如何ですか?此処に居るということはあなたも【ロウドの盾】参加者なのでしょう?」

「あ~……まだ違うんですけどね。折角だしちょっとだけ……良いかな、アリシア?」

「はい。問題ありません」

「じゃあ改めて……俺はライ。ライ・フェンリーヴ。マーナの兄です」

「!?」


 その名を聞いたマレスフィはそれと判る驚愕の反応を示した。

 視線をアリシアに送り確認を行ったマレスフィは、今度は食い入るようにライを観察している。


「あ、あの~……」

「し、失礼しました!お噂は聞いていたのですが、あまりに印象と違うので……」

「う、噂……?」

「古の魔王を退け魔獣も倒した勇者……表に一切出てこない事から『陰鬱勇者』や『闇勇者』、『趣味が暗躍勇者』『勇者の皮を被った魔王』『ぼっち勇者』などと言われていて……」

「………プッ!」


 不名誉な称号の数々に思わず吹き出したのはアリシアだった……。


 これまでの旅の過程をメトラペトラやトウカから聞いているアリシアは、ライの御人好し加減とかけ離れた噂に笑いが我慢出来なかったらしい。


「ご、ごめんなさい、つい………」

「ま、まぁ良いよ。というか、アリシアは噂知らなかったの?」

「済みません。エルドナが何かを調べて爆笑していたのは知っていたのですが、多分それが……」

「くっ!あの眼鏡天使め……」


 因みにエルドナは噂を煽っていた側である。



「で、でも、別の意味で裏切られた気分です。貴方の様な穏やかな方が本当に魔王を?」


 マレスフィは若干気を使いながらも少し興奮気味である。少なくとも『陰鬱』や『闇』とは見られていないことでライは気を取り直した。


「確かに魔王と戦いましたが倒したかは怪しいですよ?それに、アスラバルスさんが居なかったら多分死んでましたし……」

「では、本当に貴方が……」

「はい。勇者ライです」


 マレスフィはその存在を前に改めて特殊性を感じた。対峙した限り強者の風格を全く感じない。

 それが意図されたものであることは推測出来るが、それでもこれ程に穏やかな気配を纏う強者は初めてのことだった。


 となれば、その実力の程が知りたくなるのは必定。マレスフィは手合わせを望んだ。


「是非お手合わせを」

「良いですよ?方式はどうします?」

「私とは一対一でお願いします。残りの者も望むかも知れませんが、お嫌で無ければ是非」

「わかりました。武器や防具の決まりは?」

「全て使用で。この空間内は強力な守りがありますから外部に被害はありません。それに負傷は即死で無ければ直ぐに癒えますので……」

「成る程……『試練の間』に近い造りか……」

「試練の間?」

「いや、こっちの話です」


 ディルナーチ大陸、久遠国──そこでライが剣術の最終試練に挑んだ試練の間。そこではアムルテリアの力により死を無効にする仕組みが施されていた。


 それより幾分精度が落ちるが似た機構を作り上げたのだろうエクレトル……いや……恐らくエルドナの所業は、流石という他無い。


 となれば、多少実力を出しても問題は無い筈。勿論加減はするつもりだが、久々に身体を動かす本格訓練が出来そうだ。



 ライが準備運動を行っている間に、マレスフィが【ロウドの盾】所属者に説明に向かい全員見学ということになった。

 ただ……若干名がライに熱い視線を向けていたのだが、取り敢えず理由は手合わせの際に確認すれば良いだろうと結論に至る。



 こうして始まった『盾の精練所』での手合わせ。最初は提案通りマレスフィとの個人戦。


「ライ殿。準備は本当にそれで宜しいのですか?」


 白銀の鎧に斧槍を構えたマレスフィ。対してライは軽装のまま小太刀のみを構えている。


「大丈夫です。即死しなければ良いんですよね?」

「それは私に対しての言葉ですか?それとも貴方自身に対して?」

「それは秘密ということで……」

「成る程……食えない方なのですね、貴方は。しかし、私とて部下を持つ身。恥じる戦いは見せられません。……行きますよ?」

「どうぞ」


 ライの応答でマレスフィが踏み込んだことが手合わせ始まりの合図となった……。


 マレスフィは纏装による身体向上、鎧の機能による加速補助、更に天使の翼を用いた加速を加えた『超加速移動』を行う。

 それだけで衝撃波が巻き起こりそうな高速移動。そこへ斧槍での突撃が加わった。



 天使の翼は飾りではない。生物としての飛翔に必要な筋力や大きさが足りないそれは、云わば天使を天使足らしめる生体神具とでも呼ぶべき部位。

 【飛翔】を始めとして様々な機能を内包する翼は天使の力の象徴でもある。より上位になる程に力が増し枚数が増えることになるが、決して当人の邪魔になるようなことは無い。



 マレスフィは天使の中でも上位……次代の『至光天』とも囁かれる実力者。エクレトル守護騎士団が一つ『星光騎士団』を任される団長でもある。その実力は疑いようがなかった……。



 だが───。


「流石です!」


 貫くようなマレスフィの突撃は小太刀により僅かに逸らされライの脇を通り抜けて行く。

 マレスフィは即座に反転し再度ライに襲い掛かるも、再び最低限の動きで逸らされる結果となった。



 華月神鳴流・《払い柳枝》──。


 攻撃の勢いをまるで柳の枝のように受け流す、ライが好んで使用する技。マレスフィの突撃は実に七度受け流されることとなる。


 しかし……そこは団長を務める実力者。八度目の突撃の際、ライの直前で身体を回転させ斧槍による横凪ぎへと切り替えた。

 それを察知したライはマレスフィの懐まで踏み込み斧槍の手元を刀の束でち上げる。

 体勢を崩しかけたマレスフィは翼を用い距離を取りつつ身構えた。ライの追撃に備えたのだ。


 ライはそれを一気に距離を詰めマレスフィの斧槍の柄を蹴り飛ばす。大きく間合いを離されたマレスフィは翼による制動を行い停止した。


「………」


 加減されている……その事実はマレスフィの闘争心を益々駆り立てた。


 強者との手合わせは自らを高める恰好の場。悪しき者相手で無いならば胸を借りるつもりで挑める。

 結果……マレスフィは己の力を開放した。


 両翼を広げたマレスフィ。翼はそれぞれ魔法陣を描き出し、中から炎と氷の犬が出現。

 大型の肉食獣程のそれは二体とも召喚された精霊──。


 火の精霊【炎狗】と氷の精霊【氷狗】。マレスフィはそれを自らの翼に纏わせた。


(へぇ……。さながら簡易版【御魂宿し】か……)


 準備を整え再度ライへ突撃を行うマレスフィ。但し、今度は炎と氷の翼による攻撃が加わる。

 通り抜ける瞬間に炎や氷の斬撃の如き翼が追撃を行う。更に、突撃の時にライの手前で回転し炎と氷の竜巻を巻き起こした。


 広い空間のある訓練場全体にもその熱波、寒波が交互に広がり伝わる程の威力……。ライは改めてマレスフィの実力に敬意を表した。


 しかし……それでもマレスフィの攻撃は届かない。炎と氷は纏装変化で対応され、突撃は往なされる。翼による斬撃は尽くを刀で凌いでいた。


「その翼の無詠唱魔法は天使の特性ですか?」

「そうです。かつて大天使ティアモント様が編み出された技法。扱える天使はそう多くはありませんが……」

「成る程。ということはあの野郎、技を盗んだな?」

「………?」

「いや、こっちの話です」


 魔王アムド・イステンティクスは、ライとの戦いの際マレスフィと同様に翼を用いた魔法を展開していたのだ。ライはその技に苦戦を強いられたが、元は天使の技法なのだといま改めて理解した。

 同時に、アムドがあらゆるものに手を伸ばし成長していたことも……。



(にゃろう。だけど俺だって……)


 魔王アムドのことを思い出したライは、ならばとばかりに自らも技術を盗むことにした。


 高速詠唱で紡がれた魔法を展開。同時にマレスフィは耳鳴りと共に眩暈に襲われる。

 気付けは視界が混濁し体幹も狂うという事態に陥ったマレスフィは当然混乱……。自らの身に何が起こっているのか全く理解出来ない。



 神格魔法・《現崩世界》



 かつて魔王アムドがライに向け使用した魔法の一つ。

 対象者の感覚を狂わせ、前後、上下、左右の感覚を数秒毎ランダムに切り替えるそれを受けた者は、最早戦いどころではない。


 マレスフィの鎧はエルドナ製の神具。本来なら精神干渉は防御出来る。

 しかし《現崩世界》は神格魔法の中でも最上位。時空間魔法と幻覚魔法を融合したそれは、魔法使用者と同等の力を持つ者で無ければ防ぐことはほぼ不可能。


 マレスフィが魔導具・神具の補助を自らに加えているとしても、クローダーと契約し【情報】の力が底上げされたライの魔法は到底防げるものではない。


 結果として、マレスフィはその場に踞り身動きが取れなくなってしまった。精霊は解除され纏装も解かれている。

 そんなマレスフィに歩み寄ったライは提案を持ち掛けた。



「終わりで良いですか?」

「は、はい。ま、参りました……うっぷ……」


 吐き気を催したマレスフィに気付き慌てて術を解除したところで手合わせは終了。即座に回復魔法でマレスフィを癒す。

 周囲は何が起こったかも理解していない様だった。


「ラ、ライ殿……い、今のは何ですか?」

「前に魔王から受けた魔法ですよ。被害が少ない魔法なので……」

「魔王の……」

「立てますか?」

「はい……何とか……」


 ライの手を取り立ち上がったマレスフィは深々と頭を下げる。


「我が儘を聞いて頂きありがとうございました」

「いえ……。機会があれば、また手合わせしましょう」

「はい。是非に」


 マレスフィは何処か誇らしげに頬笑み、見学していた【ロウドの盾】達の元へと歩いていった。 

 だが、手合わせはまだ続く。どうやら皆、先程の手合わせの様子に腕試ししたくなったらしい。



 そして次にライの前に立ったのは、人間の若き騎士だった……。


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