聖域の章

第六部 第五章 第一話 解呪


 クローダーは苦しみから解放された……。



 大聖霊という存在の番外にまで落ちていたクローダーは、力を取り戻しつつ新たな存在の在り方を与えられた。


 それは創世神が去った後行われた初めての偉業。クローダーが司る【情報】が正常化されたことで世界にはやがて変化が生まれるだろう。



 しかし、人々は知らない───。



 その為に一人の勇者がどれ程の覚悟をしていたのかを……。


 人々は知らない──。


 その代償により一人の勇者が、より苦難の道を往くことを……。



 それでも勇者が歩みを止めることはない。その内に燻るが彼の内面を形づくり突き動かすのだ……。







 トシューラ国ドレンプレル領──。その領城に転移した勇者ライ一行。


 クローダーとの契約を果たし新たな力を得たライは、友との約束を果たす為にその地に足を運んだ。



 ライに同行したのはメトラペトラ、アムルテリア、フェルミナ、そしてトウカとランカ。

 一応トシューラ国ということもあり人数を絞ったのだが、同行出来なかった者達には不満もあったのは間違いない。


 そこで、次の目的地への同行は優先させると約束し取り敢えずは納得させたのである。



 敵地に等しいトシューラ国の中で現在唯一とも言える親交を持つ領地・ドレンプレル──領主一族たるメルマー家は、ライの来訪を内密としながらも歓迎してくれた。


「勇者ライ! 久しいな!」


 真っ先にライを出迎えたのはメルマー家の次兄ボナートだ。


「お久し振りです、ボナートさん」

「良く来てくれたな……っと、本当はこんなことを言っては不味いのだろうがな」

「アハハ……。俺、御尋ね者ってか賞金首なんでしたっけ……」

「まぁ、このドレンプレルに於いては安心して良いさ。恩人に仇で応えるのは我が家の恥だ。さ……中で話をしようか」



 応接室に移動したライ達。間を置かずメルマー家長兄グレスと小さなメイドであるエニーが顔を見せた。


「おお、確かに勇者ライだな。良く来てくれた!」

「グレスさん、お邪魔してます」

「ハッハッハ。邪魔などである訳がない。ゆっくりしていってくれ」

「ありがとうございます。エニー……ちゃんは話すのは初めてだよね。こんにちは」

「はい! 初めまして! お話は聞いています……皆様を救って下さりありがとうございました」

「どういたしまして」

「今、お茶を御用意致しますね」


 笑顔で応えたライに安心したエニーは、急ぎ茶の用意を始めた。その拙い動きにトウカがハラハラヤキモキしていたのは余談である。


「それで、勇者ライ……今日はどうした?」

「その前に先ず謝罪を……」

「謝罪? 何の話だ?」

「ホラ……急に兵を送ったでしょ?」

「あ~……そう言えばそうだったな」


 ライは数ヶ月前、ディルナーチ大陸の久遠国に侵略し捕らえられていたトシューラ兵をドレンプレルに送還した。


 そんな兵達は処分されるのが恐ろしくドレンプレルに滞在しているという。身分や名を変えドレンプレルに仕える形を選んだ様だ。


「結構負担になりませんでしたか?」

「いや、こちらとしては寧ろ助かった。特に魔獣の出現時にはな」

「そういえば魔獣の被害は……」

「ドレンプレルに侵入したのは一部のみだ。どうやら【ロウドの盾】が途中で食い止めてくれたらしい。代わりに多くの者を領内に避難させたからな……人手は渡りに船だったよ」

「それなら良かった……因みに高地小国群──今のノウマティンとは?」

「密かに連携を取り魔獣対策に当たったんだが……ウチの領内に侵入した魔獣を消し飛ばしてくれた様だ。荒野に見事な大穴を開けられたよ。ハッハッハ」

「ハハ……アハハ~……」


 猫神の巫女に託した装備は役に立った様だが、思いの外威力が強過ぎたらしい。後で更なる調整と指導が必要だろう。


「と、とにかく、被害が少なくて良かったですね」

「そうだな。だが、魔獣は倒し切っていないのだろう? エクレトルから通達が入ったが……」

「ちょっと厄介な場所に隠れたらしいんで……でも魔獣が出た場合、今度は俺も出ます」

「そうか……ならば幾分安心か」

「さて……そればかりはやってみないと……。………。それでですね? 今日は約束を果たしに来たんです」


 この言葉を聞いたグレスとボナートは“ガタリ!”と勢いよく立ち上がる。

 約束──その言葉はつまり、呪いに蝕まれたクレニエスの解放を意味していた。


「ほ、本当か……? 本当に……」

「断言は出来ませんが、多分大丈夫かと……」

「そ、そうか……」


 グレスはライの前に立ちその手を取る。そして絞り出すような声で懇願した。


「頼む……。何でもする。俺が代わりになって救えるなら幾らでも代わりになろう。だからどうか……弟を助けてくれ……」

「大丈夫です。クレニエスは友です……必ず助けますから」

「感謝する……」


 ボナートも並び深く頭を下げる。そしてエニーもたどたどしい御辞儀を見せた。ライは少し困った様な笑顔を浮かべていた……。



 城の中層に新たに造られた石造りの部屋。そこにはクレニエスが限界まで時間を遅らせた状態で眠っていた。

 約半年……ほぼ時が止まっているクレニエスは当然ながらあの時のままだ。


「一応皆は部屋から出ていてくれる? アムルは部屋に結界を頼むよ。メトラ師匠は術式が上手く行っているか指示をお願いします」

「良かろう」

「フェルミナは俺の背後で待機。呪いが解呪出来たら直ぐにクレニエスの傷の回復を頼むよ」

「わかりました」


 ライと大聖霊以外は全員外で結果を待つことになる。解呪の際、罷り間違って呪詛が飛び火しないとも限らない。ライや大聖霊ならばそれを弾くだけの力がある。


 いよいよ解呪──となる前にチャクラの《解析》を使用しつつ、クローダーとの契約で獲得した《情報解読》の術を併用。呪いの構成式を一つ一つ解きながら確認して行く。

 チャクラはライの力となってはいるが、それ自体が力を持つもので使用の負担は軽い。チャクラの《解析》と併用した《情報解読》は魔法の知識を照らし合わせるものであり大きな負担にはならない。


 最悪の場合を除き、ライは普段の力で熟す癖を付けるよう心掛ける必要があった。


「どうじゃ?」

「読み取れました。組み合わせがかなり複雑ですけど、同じ呪式を逆さにしてぶつければ解呪出来ますよね。かなり時間は掛かりますけどね……」

「ふむ……時間停滞を解かねば魔法が効かぬ。じゃが解けば呪いが進行するのが厄介じゃな」

「だから、この場で解呪の魔法式を組みます。それなら一つづ解かなくても自動で相殺出来ると思いますから」


 そして再びクローダーの【情報】概念から得た知識で解呪式を組み上げて行く。クローダーとの契約はライを限界に追い込んだが、普段使用する力としては消費を抑える助けになるのが救いだ。


 時間を掛け組み上げた解呪式魔法。メトラペトラと共に何度も確認した後、遂にクレニエスの時間停滞を解除に踏み切る。そして間髪入れずに魔法を発動──解呪に取り掛かった。



「良し……上手く行った様じゃな」

「フェルミナ! 治療を頼む!」

「はい!」


 フェルミナの力でクレニエスの傷は跡形もなく塞がった。顔色から失血による影響も無いことが分かる。周囲に散った呪詛も問題無く消滅を確認した。


 後はクレニエスが目覚めるのを待つばかり……ライは外で待っていた皆を部屋へと迎え入れた。



 そして──。


「…………。……俺は……外に居た筈だが」


 クレニエスが最後に目にしていたのは陽光……意識を取り戻した部屋の中、急な明暗の差で周囲がハッキリと見えていない。


 目を擦りまばたきを繰り返す……そんなクレニエスの視界が回復する前に、エニーが我慢出来ず飛び付いた。


「クレニエス様ぁぁ~!」

「その声は……エニーか?」

「クレニエス!」

「良かったな……全く、心配掛けやがって……」

「グレス兄さん……ボナート兄さんも……」


 薄暗さに慣れたクレニエスが目にしたのは、涙を溜めたエニーと兄弟達の笑顔。クレニエスはそこで全てを悟った。


「そうか……。俺は助かったのか……お前が約束を守ってくれたんだな、ライ」

「ああ。お帰り、クレニエス」

「……ありがとう」

「なぁに……気にすんな」


 ニッカリと笑うライを確認したクレニエスは、エニーの頭を撫でながら安堵の笑みを浮かべた。


 クレニエスからすれば死を覚悟した直後に救われた為、幾分の拍子抜け感はある。しかし、確かにライは自分を救うと約束したことは覚えている。


「……お前……強くなったか?」

「まぁね。お前が寝てる間に修行しまくったからな……今なら剣術でも負けないぜ?」

「……ハハハ。差を開けられたか。……あれからどれくらい経った?」

「半年位だよ。思ったより早く救う算段が付いたからな……」

「……そうか」


 それから場所を移した一同。クレニエスはグレスからその後のドレンプレルや世界事情を聞かされていた。


「魔獣……そんな存在が……」

「まだ倒し切れていないそうだ。……クレニエス。そんな脅威にもこれからは兄弟で力を合わせよう。そうすれば必ず乗り越えられる」

「……ああ」


 今のクレニエスには世界を巡るより大事なものが出来た。それに……。


「……今の俺は兄さん達に正体を隠す必要もない。全力を出せる」

「そうだ。お前が何だろうと同じ血を継いだ兄弟なんだ。後ろめたいなどと思うなよ?」

「……分かっているよ、ボナート兄さん」


 半獣人であることを隠す必要が無くなったクレニエスは、最早自由に飛ぶことが出来る。世間には獣人に対する偏見があるのであからさまには飛べないが、少なくとも家族への隠し事は消えた。

 今後はその能力を駆使し兄達を支えることも出来る。クレニエスにはそれが嬉しかった。


「……俺は兄さん達を支えたい。だから領主にはならない……良いだろ?」

「それが望みなら無理強いはしない。領主に関してはボナートと二人で話し合うさ」

「……ありがとう」

「さて……。我等が恩人に何かを返さねばならんのだが……」


 その言葉にライは首を振った。何時ものことではあるが、ライは見返りが欲しい訳ではない。只のお人好しなのである。

 かといって、それではメルマー兄弟の気が済まない。


「じゃ、地酒」


 そう発言したのはメトラペトラだった。一瞬キョトンとしたグレスだが盛大に笑う。


「お前にも世話になったからな……地酒が良ければ最高の物を用意させる。無論、樽でな?」

「ヒャッホ~ゥ! のぅ、ライよ? 言ったもん勝ちじゃろ?」

「くっ……弟子として恥ずかしい!」

「ワッハッハ~!」


 上機嫌のメトラペトラ。だが、ライはここで時間的な都合を理由に引き上げることにした。


「じゃ……行きますか、師匠」

「へっ? ま、待て! 酒を……」

「ハイハイ。用意して貰って後から取りに来て下さい。後が支えていますからね?」

「……し、仕方無い。メルマーよ。また来るぞよ?」

「もう行くのか? 少しゆっくりして行けば……」


 ボナートの申し出に笑顔で応えるライは、小さく首を振る。歓待が気恥ずかしいという理由もあるが本当に急いでもいるのだ。


「次はなるべくゆっくりさせてもらうつもりです。転移魔法が使えるようになったんで……本当はあまり顔を出すのは不味いんでしょうけど、折角出来た縁ですから」

「……そうか。我等メルマー兄弟、そしてドレンプレルはいつでも歓迎する」

「はい。その時はまた……」

「……ライ。俺ももっと強くなる。お前に差を付けられたままじゃいられない」

「アハハハ! じゃあ、どっちがより強くなるか……勝負だな、クレニエス?」

「……ああ」


 力強くと腕を交差させたライとクレニエスは改めて友情を確かめた。


 そんな光景を不思議そうに眺めているランカ……。思えばライは、ランカに対してもサザンシスに対してもいつの間にか親しくなっていた。


「ライはいつもあんな感じなのか、トウカ?」

「はい。私が知る限りではライ様は皆等しく親しくあろうとします。魔獣にさえ意思を確認しないと手を下さないのですよ?」

「……僕には分からないな」

「ライ様を見続ければいつかは分かりますよ、ランカ様」

「そんなものなのか?」

「はい」

「………」


 これまで暗殺者として生き、今は新たな生き方を模索するランカではあるが、ライの生き方を正しいとは思えなかった。

 無償で誰かの為に命を張ることは愚行。ライは聖人君子という訳でもない。そんなライが何故ああも人を惹くのか……羨ましくもあり嫌悪感もある。


 この先行動を見ることで見えてくるものもある……ランカはしばらく『お人好し勇者』を見守ることにした。



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