幕間⑬ 世界の歪み


 その存在を世界に周知されたカジーム国──。


 しかし、その結果を祝福する国ばかりとは限らない。

 特にカジームを『魔族の国』として利用し恩恵を得ていたトシューラ・アステの二国は、様々な意味で大きな損害が生じることになる。


 現在のアステ国は実質クラウド王子が支配している。復讐に狂うクラウドにとってトシューラ・アステの損害は寧ろ喜ばしきことなのだろう。

 しかし、トシューラ国にとっては違う。カジームが国に認定された時から災難続き……このままではトシューラという国が揺らいでしまう。



 それを逸早く感じ取ったトシューラ国女王パイスベル。自国の維持の為に素早く奔走を始めた。


 それは自らの保身の為などではない。望まずながらも他者を蹴落とし就いた王の座は、全て愛しき娘の為……。

 パイスベルは自ら非情な女王の仮面を被ることで愛娘ルルクシアに安定した王の座を譲り渡すつもりだったのである。



 その為に邪魔なものは全て排除し、血の繋がらぬ子達もその殆んどを王位争いから追い落した。残った者も自滅し既にトシューラ国には存在しない。


 磐石……パイスベルがそう安堵した矢先の魔獣出現。娘の為にも今トシューラを失う訳には行かない──。

 そして……女王パイスベルは決断する。



 それは他国との協調による平安……。


 最早ルルクシアの玉座を脅かす者はいない。このままトシューラが侵略国家の在り方を捨ててもルルクシアは安泰。

 故国を侵略され無理矢理にトシューラ国王に嫁がされた自らの不幸な人生も、全ては愛しい娘の為……狂おしい程の母の愛は、皮肉にもトシューラの歴史の中でも最も良識的な行動を始めようとしていた。


 しかし……そんな母の愛は、娘に届かない───。



「お母様……」


 トシューラ王城『白鴉城』の玉座。パイスベルの元に訪れたルルクシアは、いつもの王族用の席ではなく正面に跪く。


 第一王子リーアと第二王子ディーヴァインが居なくなった今、軍部はルルクシアが一手に掌握している。

 その為に魔獣対策に当たっていたが、魔獣アバドンが排除されたことで帰国を果たしたのである。


 無論、パイスベルが最前線等に立たせる訳もない。ルルクシアはトシューラの宝具によりその身の安全を確保された位置から指揮に就いていた。


「ルルクシア……私の愛しい娘。さぁ、私にその可愛い顔を見せて頂戴」

「はい、お母様……」


 促される言葉に従いパイスベルの手が届くまでの距離に近付いたルルクシアは、微笑みを湛えたまま再び跪いた。

 パイスベルの膝の上に頭を乗せたルルクシアはその髪を撫でる手に抵抗をしない。親子はその愛情を互いに感じていた。



「ああ……ルルクシア。遂にあなたに玉座を譲る準備が整いました。でも、今のままではまだ駄目……魔獣は完全に駆逐されていないとエクレトルから報告があったわ。そして魔獣を葬るには他国を利用する必要がある」

「だからお母様は【ロウドの盾】の入国をお許しになったのですね?」

「ええ。今は魔王が台頭する時代……一国の力だけでは消耗が激しい。それは避けねばなりません」

「流石です、お母様……」


 スッと身体を起こしたルルクシアは玉座の隣……本来王の妃が座るべき席に腰を下ろす。パイスベルは我が子の姿から目を離し芸術技巧の粋を尽くした天井を見上げた。


「……私がこの国の妃になったのは侵略による故郷の滅亡を避ける為だった。私は故郷の為の贄にされたのです」


 パイスベルの故郷はトシューラに併合され既に無い。それどころか王族はパイスベルを残し他国へと亡命した……。


 そして贄に差し出されたパイスベルの地獄の日々が始まった。

 愛なき王妃という立場、王妃同士の謀略・奸計の蔓延る万魔殿──その中で繰り広げられる事故に見せ掛けた暗殺、薬物による毒殺、時には暗殺者の直接襲撃に晒されたこともある。


 そんな地獄を生き抜いたパイスベルの心は当然歪んでゆく。完全に壊れそうな心を繋ぎ止めたのは、自ら腹を痛めて産んだルルクシアだった……。


「あなたが生まれてから私は強くなった……強くならなければならなかった。だから私は……」

「他のお母様達を屠ったのですね?」

「………。必要なことだったのです。私は生きる意味をあなたに見出だした。その為に必要なことは全ておこなって来た」


 そう……トシューラ王ですらも、暗殺者【死の風】を雇い葬り去ったのだ。


 そして自らが国を支配し至る現在──。


 これで完璧なる我が子への愛を示せる……パイスベルは今、幸福感に包まれている。


「………ルルクシア」

「はい、お母様」

「この先私はトシューラを新たな国として作り直します。今のままではあなたが安心して暮らせる国にはならない。血の繋がった者による殺し合いでは安らぎは手に入らないのです」

「…………」

「その為には他国との協調も視野に入れます。トシューラ王家の血は新たに生まれ変わる……」


 トシューラの改革は世界に受け入れられるだろう。たとえそれが一人の少女の為に注がれる母のエゴだとしても、世界は認めざるを得ないのだ。


「お母様……」


 立ち上がったパイスベルはルルクシアを優しく抱き締める。そしてその耳元でそっと囁いた……。


「愛しているわ、ルルクシア……私の大事な宝物」

「私も愛しています、お母様……でもね?」


 パイスベルの腹部に鋭い痛みがはしり、続いて焼けるような熱さが広がる。よろめきながら身体を確認したパイスベルは、そこでようやく自らに起こったことを理解した。


 パイスベルの腹部には、短剣が急所を刺し貫き血を滴らせていたのである……。


「ル……ルクシア……?」

「愛していますわ、お母様。この世界で誰より私の傍に居てくれた方。でも、お母様?トシューラの血の業はそんな軽いものでは無いのです。この国を変えるには王族の血を絶やすしかない。しかし、その血を持つものは強欲で他者を踏みつけても生きる……その矛盾が消えることはないのです」

「ル……ルクシア……。あなた……は……」

「私はお母様の子……同時にトシューラの血を継ぐ者。でも本当に恐ろしいのは、私という存在がトシューラの血に抗おうとすることで怪物になったこと……」


 微笑みを絶やさず涙するルルクシア。パイスベルはそんな我が子を見て何かを悟った様に笑顔で応えた……。


「ルルクシア……愛しい娘……。あなたが……怪物……であることを……選んだとしても……母は……赦しましょう。私だけは……あなたを………」

「お母様……こうしなければあなたを自由にして差し上げられない。世界にはこれから更なる混乱が巻き起こります。そんな世界にお母様を晒すことは私には出来ないのです」

「……そう。……でも……私は貴女が……心配……」

「大丈夫です。私はお母様が思うよりもずっと強いのです。だから……安心しておやすみ下さい、お母様……」

「………ルル……ク…シア……」


 ルルクシアが最後に用いたのは《安らぎの棺》という呪殺魔法。眠るように死する魔法……。


 それは母への愛情か、それとも偶然か……最後に苦痛を受けずに死したパイスベルは、穏やかな笑顔を浮かべ眠っているかの様にも見える。


「お母様……私は既に狂ってしまったのです。愛よりも……憎しみや欲望が勝ってしまった。貴女が我が子への愛に狂ったように、私もトシューラの血に狂うことしか出来なかった……だから」


 全てを壊す──醜い人間を、愚かな国を、救いの無い世界を……。内側から湧き出す感情を、最早ルルクシアは止めることが出来なかった……。



 この日──トシューラ国には新たな女王が誕生したが、そのことは秘事とされた。

 女王を宣言すべきは今ではない……行動を起こすべき期を待つことにしたのである。






 そして……争乱の兆しは北の小国トゥルクでも───。



「皆の者!天啓は下された!」


 トゥルク国西部に存在するプリティス教総本山。

 山を削り出し造られた巨大な教会の中、幾万を超える信者が礼拝堂に集っていた……。


 プリティス教信者は皆、何処か濁った目で祭壇に立つ一人の男を注視している。


 男の名はナグランド……。プリティス教の指導者である。


 見た目は三十に満たない若い男。その顔はまるで白磁の様に艶やかだが、生命力を感じない造り物の様な容姿をしていた。


 最高位に当たる赤と黒の法衣を纏い、長い髪を束ねるような額飾りを付け、皮膜の翼を持つ天使の飾りの付いた杖を掲げるナグランドは、まるで洞穴に響く獣の唸りの様な声で宣言を始めた。


「我らが神『───』からの天啓である。近く世界には大きな争いが起こる。が、その前にこのトゥルクに災いが降り掛かるだろうとのお告げである。だが、恐れることは無い!我等は試練を与えられても必ずそれを乗り越えるだろう!」


 食い入るような信者達の視線を確認したナグランドは更に呼び掛ける。


「良いか!?我等は神の子であり忠実なる下僕しもべ!そしてこの世界には神に逆らう愚かな者が多く存在する!我等の使命は神の力を宿す獣の力を借り愚者達に『我等が神』の存在を知らしめることである!遂に計画していた『神獣の行進』を果たす時が訪れたのだ!!」


 一斉に喚声を上げるプリティス教徒。礼拝堂はその声で鳴動を起こしている。

 しかし、ナグランドが手を上げたことで声は瞬時に静まり反響のみが残された。


「が……その前に我等にはやるべきことがある。我等が神の国に於いて不信心である王族達、それに付き従う迷える民──彼等に神の偉大さを知らしめ救いを与えねばならない」

「おぉぉっ!ヘリゼ・レムズ真なる神とともに!」

「ヘリゼ・レムズ!」


 彼等の神を讃える声は礼拝堂に、教会に、そして山々に反響しトゥルク国中に響き渡った。

 それはまるで魔獣の咆哮の様だったという……。


 それを耳にしたトゥルクの民。ある者は歓喜し、またある者は自らの信じる神に祈った。



 そして………。



「怖いよぉ……」


 トゥルクにはその声に恐怖を感じ怯える民達も存在した……。


 国の遥か東端区域には、プリティス教から逃れた者達により構成された集落があった。

 邪教徒達の鳴動は山々を谺しそんな場所にまで届いていた……。


「プリティス教……何か目論んで居るのかのぅ……」

「お爺ちゃん……」

「大丈夫じゃ。この世界には神様が居る。それはプリティス教の奴等が掲げる悪い神と違い、偉大にして優しい神様だ。そしてこの世界には、その御使い様達が居られる。必ずや我等をお救い下さる筈だ」

「本当……?」

「本当だとも。それに儂等には偉大な王が付いていて下さるじゃろう?」

「ブロガン様!」

「そうじゃ……ブロガン様は偉大な御方。皆を守って下さる。じゃから安心せい」

「うん!」


 老人は孫の頭を撫でながら小さな砦の城に目を向ける。

 そこはトゥルク王ブロガンの住まう居城……しかし、老人の顔は冴えない。


(この国はこれからどうなるのか……ブロガン様にも全ては守れまい。そして、プリティス教祖であるナグランドは得体が知れぬ。せめてこの子らだけは………偉大なる万能神ラールよ。どうかお救いを……)




 世界の平和は歪み悲鳴を上げ始めた……。

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