第六部 第三章 第八話 勇者の休息⑥ 



「おはようございます。ライ様」

「おはよう、マリー」


 居城の食堂。朝食の席にて、マリアンヌに対するライの態度が変わったことにシルヴィーネルは首を傾げている。


「マリアンヌと何かあったの、ライ?」

「ん……?何が?」

「いつもライはマリアンヌに対して敬語だったのに」

「ああ……うん。マリーも皆と同じ様に接して欲しいんだって。俺も壁を作ってると思わせたくないから……」

「そう……うん。その方が良いかもね」


 ライは自分より年長である相手には基本敬語で接している。しかし、自ら親しくなろうとする特殊な存在にはその例ではない。


 例えば長寿が当たり前の存在である聖獣、精霊等の存在はより親しみを込めて接する為に滅多に敬語は使わない。

 そういった理由で、大聖霊の中でも敬われることを望んだメトラペトラを除き敬語を使っていないのだ。


 因みにディルナーチ大陸では『客』という意識が強い為に殆どの相手に敬語を使っていた。


 例外的なのはドラゴンと天使。この二種族はコミュニティを形成する社会性を持つ存在なので相手によっては敬語を使っている。

 これは敬意を重んじる社会性を尊重したからであって、相手が望めば敬語を使わないことも多いのだ。



 当然ながら、マリアンヌはライの居城に欠かせない存在──云わば家族である。普段通りに接した方がマリアンヌも喜ぶだろうことは、シルヴィーネルにも理解できた。


「それで……今日はどうするの、ライ?」

「うん。一旦実家に帰って生活雑貨を取ってこようかなぁと。他には脱衣所に洗濯魔法の洗い場を用意しようかなって……アムル、後でちょっと手伝ってくれるか?」

「わかった」

「それ以外だと剣の手入れとか軽い運動とか……皆は?」


 女性陣はそれぞれ家事を分担しているが、実際に役割としてあるのは料理くらいなものだった。

 何せ居城はアムルテリアによる特別製。城内外の汚れは定期的に自動洗浄され掃除の必要が無いのである。


 洗濯はライの洗濯魔法を組み込んだ魔導具設置が予定されている。つまり殆ど手間が無い。


 そこで……。


「私達は城の近くに菜園を始めたのよ。生ゴミを肥料にしてフェルミナに教わりながらね。魔法を使わない野菜の方が世界には優しいんだって」

「家庭菜園か……ふ~む、確かにその方が経済的でもあるかな」

「それで今日、道具や種を買いにストラトに行くわ。今回はホオズキがお留守番するって」

「?……何でホオズキちゃんは行かないの?」


 ケモミミ娘状態のホオズキは食事の手を止め説明を始めた。


「ホオズキ、お料理の勉強をしたいので」

「そっか……ホオズキちゃん、料理得意だもんね」

「一昨日ストラトで料理の本を買ってきました。だから頑張ります」

「うん。期待してるよ、ホオズキちゃん」


 ホオズキはケモミミをピクリと動かし嬉しそうに食事を続けた。




 皆で馬車に乗りストラトへ向かった後、ライは一足早く城に戻ることにした。持ってくる筈だった鏡や櫛、爪切りなどの生活雑貨は結局ニースとヴェイツに譲ってしまった。

 そこでライは、足りない雑貨……ついでに自らの衣装を『ノートン商会』で適当に見繕って貰うように女性達に頼んだのである。


 ライは服装のセンスが良い訳ではないことを自覚している。正直なところマリアンヌに頼んだ方が安心なのだ。

 そうなれば本来買い出しを手伝うべきなのだろうが、女性達の楽しみを急かすのは嫌なので先に帰還させて貰うことにした。



「ただいま~」


 ライが居城に戻るとメトラペトラやアムルテリアの姿はない。


 メトラペトラはストラトの酒場に向かったのだろうと推察。あのニャン公は昨日の内にお気に入りの酒場を見付け出したらしい。

 アムルテリアは城の中に気配がある。恐らくは昼寝中だろうと判断した。


 そうして入り口脇のサロンに目を向ければ、ホオズキが真剣な眼差しで本と『にらめっこ』をしていた。


「ホオズキちゃん」

「………」

「ホ、ホオズキちゃん?」

「……はっ!ライさん、いつの間に!?」

「今戻ったトコだよ。どしたの、そんな難しい顔して?」

「はい。実はお料理の勉強をしていました。でも……」

「何かあったの?」

「文字が読めません」


 ライはガクッと体勢を崩した。


「コ、コハクに聞けば良いんじゃないの?」

「はい。それで勉強中です」


 つまり料理の勉強をする為の文字の勉強中だった……ということらしい。


「……何とかしようか?」

「何とか出来るんですか?」

「うん、まぁ……」


 本来はゆっくり学んで貰おうと考えていたのだが、ホオズキは居城の食事当番も担う存在。ペトランズの料理を早めに覚えてもらうのは悪いことではない。


「じゃあ、少しだけ待ってて貰える?先に他の用を済ませちゃうから」

「分かりました。ホオズキ、ライさんを待ってます」


 ホオズキをサロンに残しアムルテリアの部屋へと向かえば、扉の前で一瞬違和感を感じた。

 とはいえ他者の部屋。一応ノックしアムルテリアの許可を貰わねばならない。


「アムル~、居るか~?」

「………ライか?入ってくれ」

「失礼しまーす」


 アムルテリアの部屋は落ち着いた内装。余計な物は置かれていない代わりに室内は植物に包まれている。

 明り窓から指す光……その奥に一際大きなソファーと毛布。アムルテリアはそこに座っていた。


「へぇ~……これがアムルの部屋か。まるで小さな森だな」

「この方が落ち着く」

「うん……良い部屋だよ。……ところでアムル。先刻さっき、誰か他に居なかったか?」

「いや……居れば城が反応する筈だが……」


 アムルテリアはライの見抜く目を知らぬ訳ではない。しかし、それでもアムルテリアは敢えて惚けている様子。

 何か理由があるのだろうと判断したライは、アムルテリアに配慮し『来訪者』については問い質さないことにした。


「アムル。風呂場の改修……あと、洗濯魔導具の設置をしたいんだけど今は大丈夫?」

「問題ない……行こう」

「助かるよ」


 そうしてアムルテリアと共に浴室へ。


 早速アムルテリアが洗濯室を増設する様子を、ライは不思議そうに眺めている。


「凄いな、アムル……流石は大聖霊様だ」

「いや……この程度はライにも出来る筈だが……」

「いや……契約して間もないからさ?まだ研鑽が足りないんだよ」


 契約大聖霊の力は修得し易いライではあるが、今回は完全なる休息……研鑽も全く行っていない。よって、巧く扱うには至っていない。


「それって、城の敷地も拡がって外壁も動いてる訳だよな……城全体のバランスとか調整してるの?」

「そうだ。簡単に説明するなら、限定空間内を把握して図形を組み直すイメージだ。……やってみるか?」

「そうだな。指導してくれるか?」

「任せろ」


 アムルテリアの指導の元、ライは男用の風呂と更衣室の増築に挑む。

  

 空間の物質構造認識は、簡単に言えば小型で透明な立体模型を見ている様な状態。【創造】による居城の調整はその状態から各部屋の増築や拡大を行うものだ。

 まるで模型を造るように城に手を加えるライは、案外あっさりと“ 少し武骨 ”な男風呂を完成させた。


「随分と小さいな……」


 完成した男風呂は女風呂の半分以下の大きさ。それでもフェンリーヴ邸の風呂に比べれば遥かに大きい。

 同時に入れるのは十六、七人といったところだ。


 といっても、現在男の住人はライのみ。アムルテリアと共に入浴してもまだまだ広い。


「まぁ、俺達だけだし……。この先、此処が小さくなる程人数増えるか判らないから」

「確かにな。だが……本当に良かったのか?」

「ん……?何が?」

「女風呂と繋がなくてだ」

「うぉぉぉい!それじゃ分けた意味が無いだろ、アムルさん!」


 かなり慌てている勇者さん……理由は『実は隠し扉を一瞬考えた為』なのは内緒の話である。


「じゃあ、覗き穴は?」

「べ、別に要らねぇし~?俺、千里眼持ってるしぃ~?精霊体にもなれるから何時でも女湯入れるしぃ~…………って、誰からそんな悪知恵を吹き込まれたんだ、アムル?」

「………済まん」

「いや……聞くまでも無かったな」


 全ては酒ニャンの入れ知恵。アムルテリアはその辺りの考えが疎いことを知りつつ余計なことを吹き込んだらしい。


「………アムル」

「……何だ?」

「酒ニャンに騙されちゃダメだからな?」

「………。お互いにな」



 アムルテリアは少し外出するというので玄関まで見送り、再びホオズキの元へ。ホオズキは姿勢正しくライを待っていた……。 


「お待たせ。ゴメンね、ホオズキちゃん」

「大丈夫です。ホオズキ、楽しみに待ってましたから」

「うん。じゃあ、早速始めようか」


 そこでライはホオズキの隣に座り、記憶の定着化の説明を始める。


「じゃあ、今からペトランズの共通語『トリーナ言語』……それと『レイヴ文字』っていうんだけどね?その記憶をホオズキちゃんの頭に流すから。一気に流すと頭痛になるから少しづつゆっくりと流すけど、もし辛かったら直ぐに言って。無理しちゃ駄目だからね?」

「わ、分かりました」

「じゃあ、少しの間動かないで……」


 ホオズキの頬に手を添え額を合わせたライは、そのまま言語と文字をホオズキの記憶に固定させて行く。苦痛がないようゆっくりと流したので凡そ四半刻程の時間を要した。


「はい。これで大丈夫だと思うんだけど……」

「………。あ、ありがとうございます、ライさん」

「ん……?少し顔が赤い?やっぱり辛かったんじゃ……」

「だ、大丈夫ですよ。ホオズキ、早速本を読んでみます」


 慌てた様子で料理本を手に取ったホオズキは、次の瞬間には喜びの奇声を上げた……。


「す、凄いです!ホオズキ、もしかして天才ですか?」

「……。ま、まぁ、ある意味天才は天才かもね」

「でも、ライさんのお陰でもあります。ありがとうございました。そうだ!ホオズキ、何かお礼をしようと思いますが何が良いですか?」

「いや、大丈夫。ホオズキちゃんには美味しい料理を作って貰う訳だから……」

「いいえ。それじゃホオズキの気が済みません。何でも良いのでこの『大人の女ホオズキ』に任せて下さい!」

「そ、そう?そこまで言うなら、是非やりたかったことがあるんだけど……」

「はい。何ですか?」


 ライは咳払いを一つ行った後、真剣な眼差しでホオズキに頼み込んだ。


「そ、その……ホオズキちゃんのモフモフの尻尾と耳、撫でたいんだけど……」

「な、何ですとぉ!それが大人の女に対する態度ですか?」

「いや……何でも良いって言ったから……」

「むむむむむ………!」


 確かに何でもと言ったのはホオズキ自身。これを撤回するのは大人の女としてのプライドが許さない………らしい。


「わ、分かりました。ホオズキも大人の女……一度口にした約束は守って見せます……よ?」

「……何で疑問形?」

「し、仕方無いですね、ライさんは……本当にケダモノなんですから」


 そうは言いながらも満更ではない顔をしているホオズキ。そう……ホオズキは頭を撫でられることが好きな大人の?女なのだ!


 結局ホオズキはライの膝の上に座り頭と尻尾を撫で回されることになる。


「モフモフ~……くっ!最高だ、ホオズキちゃん!最高に最強だ!」

「ホ、ホオズキ、いつの間にか最強になってしまいましたか?」

「うん!最強はホオズキちゃんの為にある言葉だぜ!」

「フッフッフ……遂にライさんもホオズキの凄さに気付いた様ですね……」

「あ、飴食べる?」

「頂きまふぅ~!」


 ライの膝の上でモクモクと飴を食べる女、ホオズキ……。撫で回されてもじっと飴を舐めている姿は小動物そのものである。


 そんな『小動物界最強の女ホオズキ』──ライは改めてその容姿を間近で見つめる。


 目鼻立ちが整ったホオズキはまるで人形の様である。そう……ホオズキもまた美少女の容姿をしているのだ。


「ホオズキちゃん」

「むふぅ?」

「ホオズキちゃんは本当に俺に付いて来て後悔していない?」

「………」


 口の中の飴をモクモクと動かしているホオズキ。何か言葉を発しようとしていたが、やがて諦めてただ頷いた。


「うん……ま、まぁ、ホオズキちゃんが良いなら問題ないよ」

「むふぅ!」


 一通りケモミミ娘を愛でたライは満足気だったが、酒場から戻ったメトラペトラにその姿を目撃され弱味を握られることとなるのは余談である。


 ホオズキはペトランズの言葉と文字を覚えたことでこの先大きな成長を果たすことになる……のだが、それはもう少し先の話。

 今はただ、ライにモフモフされながら新たに覚えた文字で料理勉強に没頭するホオズキであった……。




 ライの休日は、まだもう少し続く……。


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