第六部 第三章 第七話 勇者の休息⑤


 部屋を訪れたマリアンヌの姿を確認したライは、即座に昼間の約束を思い出す。


「マリー先生」

「お約束通りに伺いましたが大丈夫でしょうか?」

「はい。丁度収まりが付いたところです」

「……?」

「取り敢えず中へどうぞ」


 ライはマリアンヌには極力隠し事をしないつもりでいる。それが、自分には勿体無い程の献身を見せるマリアンヌへのせめてもの誠意……というのがライの素直な気持ちだった。


 シルヴィーネルからの竜鱗装甲の返却。それに伴う鎧の進化。ソファーに座りその過程を聞いたマリアンヌは自らの推論を述べた。


「恐らくですが、鎧……【アトラ】はライ様の中にある『生命の大聖霊』の概念力から影響を受けた可能性があります」

「それって……」

「はい。原理的な意味では私と同じかと」


 フェルミナにより生物と認識され生体進化したマリアンヌに対し、『竜鱗装甲アトラ』はライの力の一部を吸収し精神が進化した。どちらも生命進化の意味では同じ現象である。


「そこまで進化したのであればライ様にとって大きな力になるでしょう。あとはシルヴィ様から進呈された鱗で造られた装備を加えれば、更なる力になる筈です」

「そういえばシルヴィが何か言ってたな……それって何の装備ですか?」

「籠手と具足、あとは剣ですね。初心者修行の後、ラジック様に依頼した装備は一応ながら揃っています」

「一応?何か変な言い回しですね……」

「それなのですが……実は装備開発にはエルドナ様が加わりました」

「エルドナ?……ってあのエルドナ社のエルドナ?」

「はい」


 エルドナ・クレストミーア──。


 神聖機構技術開発局長だった彼女は、現在『ロウド世界脅威対策室』の責任者へと籍を移している。


「どうやら竜鱗装甲を解析したことが知られていたらしく、カジームに居るラジック様の元に突然現れたとか……」

「そりゃあ大変だ……ラジックさん、大丈夫でしたか?」

「それが、何というべきなのでしょうか……似た者同士で意気投合というか、虎擲竜挐こてきりゅうだというか……」


 珍しく苦笑いを浮かべるマリアンヌの話では、魔導科学技術の話で初めは意気投合。やがて討論が始まり激論へ……最終的には勝負にまで発展したのだという。


 そうして出来上がった籠手、具足、剣の三点の装備。それらは二人の技術の粋を凝らしたものとなった……のだが、結局決着は付かなかったらしい。


「うへぇ……そりゃあカジームの人達も大変だったんじゃないですか?」

「それがそうでも無かったみたいなのです。レフ族の若い方が一人、ラジック様に弟子入りしました」

「………ほ、本当に?」

「はい。今はその方にラジック様のことをお任せしています」

「へぇ~……物好き……じゃなかった、好奇心のある人は何処にでもいますね……」


 あのラジックに弟子入り……正直、どんな人物か想像が付かない。ライの脳裏には類は友を呼ぶという言葉が過り、自然と笑顔の口許が引き攣る。


「そんな訳で一度カジームに足を運ぶことをお薦めします」

「そうですね。出来れば皆の装備も造って貰いたいし……シルヴィの鎧も取っちゃったことになるからなぁ」


 シルヴィ自身が竜鱗を持つ存在なので守り自体は強固。しかし、補助機能がある装備が有っても困ることは無い筈だ。

 そして、同居している中でもディルナーチから来たトウカやホウズキは殆ど防具が無い。ライ自身が作製するよりは専門家に任せた方が色々と使い勝手も良いだろう。


「どのみちクローダーを救えたらトシューラでクレニエスを……その後は挨拶回りしないと。マリー先生も一緒に行ってくれますよね?」

「宜しいのですか?」

「勿論。多分、大所帯の移動になりますから準備はお任せ出来ますか?」

「承りました」


 マリアンヌはライと初めての旅となる。口許が微妙に緩んでいることから内心かなり嬉しいのだろう。


「さて……それじゃ本題に移りましょうか。マリー先生への御礼、御詫び諸々を込めた俺の気持ちです。出来る範囲になっちゃいますけど、して欲しいこととか欲しいものがあれば遠慮せず言って下さい」

「ライ様……」

「辞退は無しですよ?それじゃ俺の気が収まりません」

「……わかりました。でも……その前に場所を変えませんか?今日は月がとても綺麗です」


 今宵は晴天の満月──。部屋の中よりも外の方が話しやすいこともあるのだろうと承諾するライ。二人は窓から飛翔し城の最上位置にある見張台で腰を下ろした。


 マリアンヌは持参していた水筒の蓋を外すと収納型の小さな容器を取り出し茶を注いだ。ライは礼を述べ一口啜る。


「うん。美味い」

「良かった……」

「マリー先生、寒くないですか?」

「大丈夫です。纏装を常時展開していますから」

「そうでした。でも一応……」


 ライは部屋を出る際に手に取った上着をマリアンヌの肩に掛ける。マリアンヌは……ライに見えない位置でガッツポーズを取っていた……。


「本当に月が綺麗ですね……」


 空には薄く青に染まった大きな月と、白く輝く小さな月が並んでいる。


「こうしてライ様と月を見てみたかったのです」

「うん。俺も嬉しいです」


 そして、しばしの無言……。月夜を楽しむ二人は肩が触れる程近くに座っている。


 そんな状況……先に沈黙を破ったのはマリアンヌだった……。


「願いの件なのですが……」

「はい」

「色々と考えましたが、私は案外満たされていて……必要な物などは揃っているのです。だから願い事は行為……私が行って欲しいことを考えました」

「はい。遠慮せずに言って下さい」

「………私の願いは」


 マリアンヌの手がライの手に重なる。ドキリとしたライだが、マリアンヌの要望には出来るだけ応えたい。


「ライ様……私に敬語は不要にして下さい。私にも皆と同じ様に接して欲しいのです」

「……それはつまり、師として見るのを止めて欲しいんですか?」

「はい。ライ様は既に私の力を超え教えるべきことはありません。ですから……」

「でも……そんなことで良いんですか?それは願いにしては少し容易ですけど……」

「はい。私は……そうして欲しいのです」


 互いの吐息さえも届きそうな距離……マリアンヌの視線は真剣そのものだ。

 しかし、礼というには些か軽すぎる。そこでライは承諾しつつも別の提案に変更する。


「分かりました。今後は敬語は使いません。でもそれは家族であるマリー先生の要望に答えたものですから、礼は別のものを考えましょう。それで良いですか?」

「ライ様……」

「そ、それじゃ……コホン!マ、マリアン……ヌ?」

「マリー」

「マ、マリー。俺もライで良いからね?」

「はい。ですが、私はライ様と呼ばせて頂きます」

「その方が楽ならそれで良いよ。呼び方も喋り方も自分が良いと思うようにしていいからね」

「はい」


 トウカやホオズキがそうである様に、普段の言葉遣いをそのまま使った方が楽な場合もある。マリアンヌは誰に対しても敬語……その方が楽なのだろうとライは判断した。


「今後も心配掛けるかもしれないけど……改めて宜しくね、マリー」

「はい。宜しくお願いします」

「……となると、お礼は何が良いかな」

「必要ありません。でも、もう少しだけこのままで居て良いですか?」

「え……?う、うん。それは良いけど……」


 そっとライに身を預けるマリアンヌ。それがマリアンヌにとっての幸せであると当人は考えている。

 だがライにとって、それはフェルミナの概念認識に因るものではないかという後ろめたさがあった。


「マリー……俺はマリーを縛っていない?」

「縛る……ですか?」

「うん。マリーが自我を持つ時、フェルミナは俺への献身を存在理由に加えた。でもそれは、マリーの自由を縛っているんじゃないかって……」


 存在に理由を刻まれている場合は逆らえないとライは考えている。それがマリアンヌの苦になっているのではないかと気掛りだったのだ。


「ライ様はどう思いますか?私が辛そうに見えますか?」

「いや、そんな風には見えないよ……。でも……」


 そこでマリアンヌはクスリと笑う。そして改めてライに身を預けた。


「確かに私の記憶にはライ様への献身を存在に刻まれている過去があります。ですが、実はそれ自体にそれ程の縛りは無いのです」

「えっ……?」

「厳密に言うと、フェルミナ様の仰った『献身』は、エルフト滞在の時のみを指しています。ですからその後は……」


 ライへの献身を破棄することが出来たのだとマリアンヌは口にした。


 そもそも、自我ある存在への変化の過程で『望む在り方になる』という選択肢をマリアンヌは与えられている……つまり縛られない在り方も選べたのだ。


 勿論ライはそのことを失念していた訳だが……。


「じゃあ、マリーは……」

「はい。思考は縛られてなどいません。私は私が望みライ様への献身を誓いました。それはどんな呪縛よりも強い私の意思です」

「そっか……」


 ライは全身から力が抜けた気がした。


 マリアンヌの献身は本当にライの手助けとなっていたが、やはり強制するのは嫌だったのだ。

 しかし、マリアンヌを手離したくないという葛藤もライの中には存在し、それを誤魔化す意味でもずっと師弟として接していたのである。


 マリアンヌが師弟関係としての対応を避けたいと申し出た時、今度は強制力が大きな不安になった。それが杞憂と解ると、ライは一気に赤面した。


 マリアンヌの自分への好意……ライはそれを改めて理解したのだ。


「……俺はマリーの気持ちにちゃんと向き合えない卑怯者だよ?」

「構いません」

「それでも手離したくないとか思う狡い奴だよ?」

「私は私の意思で傍にいるのです」

「……最低の答えを出すかもしれないよ?」

「良いじゃありませんか……皆、何処かしらにそういう部分があるのです。私も、フェルミナ様も、そしてライ様も……。ライ様は寧ろそういう部分が少なすぎたと思います」


 いつも誰かの為に動き自らの願望を押し付けない。そんなライを何処かで誰かが支えなければ、きっと壊れてしまう。

 マリアンヌは自らがその支えとなることに決めたのだ。


「ハハハ……結局、俺はマリーにだけは敵わないのかもしれないな。【魔の海域】でも本音を見られてるし、甘えてばかりだし……」

「良いのです。それが私の望みですから……でも、時折で良いからこうして甘えさせて下さい」

「うん。……ありがとう、マリー」


 ライは初めて自分からマリアンヌの肩を抱き寄せた。


 月明かりが煌々と二人を照らす中、互いの温もりを身を寄せて感じつつ語らうことしばし……。やがてライは、マリアンヌの体調を気にして就寝を提案する。


「明日もマリーが料理を?」

「はい。私は料理担当となりました。家事は分担制……料理はホオズキ様、トウカ様、フェルミナ様、そして私です」

「じゃあ、朝も早いよね……マリーも少し休んだ方が良い」

「そうですね。少し残念ですが……」

「またこうして話をしよう」

「はい……」


 マリアンヌはそんな約束に穏やかな笑みを浮かべつつ、自らの部屋へと帰って行った。


 そうして部屋に戻ったライは……ベッドで身悶えした……。


(うわぁぁぁ━━━━っ!最っ低じゃねぇか、俺!確かに母さんが言ってたようにゲロ野郎だ……)


 この日からライは自らの倫理に悩むことになる。


 後々増えて行く『想われ人』への誠意に悩み、答えを出せないにも拘わらず応えたいという願望……メトラペトラの言う【ハーレム】を達成出来るだけの力を持ち、それが可能である世界であるが故に益々悩むのだ。


 結局──その日ライは休養でも修行でも鎧の試用でもなく、唯々自分の駄目人間さに苦悩しつつ朝を迎えるのであった……。



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