第六部 第三章 第五話 勇者の休息③


 蜜精の森、居城──。



 手合わせを終えた女性陣が入浴している間、ライとアムルテリアは食堂にて牛乳を酌み交わすことにした。


「くぅ~っ!運動後の一杯は格別だな!」


 『酒に酔えない男』ライにとって美味い飲み物は嗜好品。酒代わりとしては味気ない物かもしれないが、それはそれで楽しめるものだった。


 アムルテリアはテーブルに置かれた牛乳入りの器を二つの尻尾で器用に固定し少しづつ飲んでいる。その顔は実に幸せそうだ。


「アムル、遠慮しなくて良いからな?無くなったらまた買ってくるから」

「ありがとう、ライ。私は……幸せだ」

「そっか……」


 今までのアムルテリアがどう過ごして来たかは敢えて詳しくは聞いていない。しかし、一緒にいる限りは出来るだけ甘やかしてやりたいとライは考えている。


「さて……それじゃ部屋に行ってるかな。本当は俺が料理出来れば皆も楽なんだろうけどね……」

「得手不得手は仕方無いだろう。それよりライは風呂には入らないのか?」

「うん……流石に一緒には入れないよ。だから皆が出てからにする」

「そうか……浴槽を一つにしてしまったが、後で直しておこう」

「それは助かる。ありがとうな、アムル」


 男湯と女湯の区分けが出来れば今後覗きなどを疑われるトラブルの回避になる。

 それにしても、家主にも拘わらず肩身が狭い……。


「アムルも部屋に来るか?」

「そうだな。少しライの話を聞かせてくれ」

「わかった」


 自室に戻ったライは、ソファーでアムルテリアを膝に乗せると撫でながら思い出話を語る。アムルテリアが居た頃から去った後まで、自分がどう暮らしていたかをゆっくりと伝えた。

 そんな一時ひととき……やがてライの部屋には入浴を終えたマリアンヌが訪れた。


「皆様の湯浴みを終えました。ライ様、先に入浴してしまい申し訳ありませんでした」

「大丈夫ですよ。食事の用意をするのに土埃を落としたかったことは理解しています。それに女性は綺麗好きですからね」

「ご理解頂きありがとうございます。急ぎ夕食のご用意を致します」

「慌てなくて良いですよ。マリー先生の夕飯食えるだけでとても幸せですから」


 マリアンヌは嬉しそうに頷いた。


「それじゃ、俺は風呂に入ってきます。アムルは風呂大丈夫か?」

「風呂は好きだ」

「ハハハ。良し、じゃあ隅々まで綺麗にしような」


 その間にマリアンヌが夕食のご用意をすることとなり、ライとアムルテリアは風呂へと向かう。


 四十人は同時に入れそうな浴槽のある広い浴室……。そんな風呂場でアムルテリアを隅々まで洗うライ。

 アリシアが用意したエクレトル製の高級石鹸で泡塗れになったアムルテリアは、まるで羊の様だった……。


「アムルはダニとかいないみたいだな……。メトラ師匠みたいに身体に付いたダニ類は電気で駆除してるのか?」

「いや……私に害を為そうとする小虫は尽ことごとく石になって落ちる」

「………うん。害虫に同情したのは初めてだな」


 綺麗に泡を流し湯船に浸かるライとアムルテリア。これまでの旅を思えば、こんなに贅沢な瞬間はそうあるものでは無かった。

 ライは思い出す……久遠国のカヅキ道場ですら修行と称したリクウの襲撃があったことを……。


「ふぃ~……気持ち良いな、アムル」

「全くだ」


 ライはこれまでに無い程の完全な無防備──。


 城の結界は、ライの許可が無い者が外部から城内へ転移することを阻害すると聞いている。更に石像による危険感知と防御機構……守りは万全だ。

 よってライは、湯船を楽しむ為に纏装も解除している。その余りの安心感から珍しくウツラウツラと始める程だった……。


 そんな状態の『リラックス勇者』。浴室への侵入者が入ってきても気付かないのは仕方の無い話である。


「……う。おっと……少し眠ったかな」


 アムルテリアに視線を向ければ浴槽の縁に頭を乗せて“ ふぃ~っ ”と脱力している姿が。それは時間にして十数秒のうたた寝だった。


 そして再びの脱力したライは、ふと気配を感じアムルテリアの反対方向へと視線を向けると……そこにはフェルミナの姿が……。


「…………」

「…………」


 寝惚けたかと湯で顔を洗い目を擦る。そして再び視線を向けたが、やはり直ぐ傍にフェルミナの姿がある。幻ではない……。


「……フ、フェルミナ?」

「はい?」

「どうしてここに?」

「ライさんの背中を流そうかと思いました」

「そ、そう……」


 こう度々全裸の美少女が傍にいると却って開き直るらしく、ライは努めて冷静に会話を続けた。


「もう身体は洗ったからしばらく湯で暖まるだけだよ。フェルミナも湯冷めしないように少し話をしようか」

「はい!」


 以前の様に慌てて退避されなかったことが嬉しかったらしく、フェルミナはライの肩に頭を寄せた。


「俺が居ない間、皆は良くしてくれた?」

「はい。とても」

「良かった……。仲良くもなったみたいだし安心したよ」

「はい。シルヴィやアリシア、エレナ、マーナさん……それにエイルさんにフローラ達とも仲良くなりました。他にも【ロウドの盾】やエクレトルの方達も……」

「そっか……。……ねぇ、フェルミナ。今の世界は好き?」

「はい。皆さん温かいですから……それに、今の時代はライさんに出逢えましたので……」


 血行が良くなったからか、それとも照れから来るものか……ライの顔はかなり赤い。


「大勢で暮らすことは嫌じゃない?」

「はい。とても楽しいです。ライさん、私もお料理を覚えたんですよ?」

「へぇ~!そりゃ楽しみが増えたな!」

「エヘヘ……」


 大聖霊達がこうして他者との繋がりに幸せを感じた時代は、かつて一度も無いとフェルミナは言う。それこそがライという存在の凄さなのだと……。


「俺はただ仲良くなりたかっただけだよ。まさか、こんなに大切な存在になるとは思わなかったけどね」

「大切……ですか?」

「うん。俺にはメトラ師匠やアムルは大切な家族だ。勿論フェルミナもね。ただ、フェルミナはもう少し特別かもしれないけど」

「特別……」

「前に母さん達が言ったろ?フェルミナと結婚するかって話……そう考えられる相手って特別だと思うんだ」

「ライさん……」


 フェルミナはこれまで見たことがない様な初々しい反応を見せた。それがローナの教育の賜物かは分からない……。


「優柔不断だからハッキリと『結婚する!』って言えなくてゴメンな。何て言うか、俺を想ってくれる相手を放っておけない気持ちがあって……だから、まだ答えが出せないんだ。最低だって分かってるんだけどね……」

「……皆、一緒じゃ駄目なんですか?」

「え?う、う~ん……その……お、俺はともかく、女の人達は大抵他の人に気持ちを向けられると嫌がると思うんだけど……。エイルは“ 一度決めた相手は変えない ”って言ってたけど、それでも自分だけを見て欲しい筈なんだ。フェルミナは……違うの?」


 改めて問われると確かに独占したい気持ちはある。その気持ちが悪いものか良いものかフェルミナにはまだ判断が付かないらしい。


「そういった気持ちは悪いことじゃないと思うよ。俺もフェルミナを誰かに渡すことは考えられないし……」

「……嬉しい」

「うん。でも結局、俺の身勝手で決められない。だから……本当にゴメンね……」


 ロウド世界の国には複数の妻を持つことが可能な国、また逆に妻が複数の夫を持つ国も存在している。

 互いの気持ちがそれを良しとするのであれば、そんな人達にも参考に話を聞いてみたい……ライはそう考えていた。


「私やライさんには時間がありますから、ゆっくり考えていきましょう」

「ありがとう……」


 フェルミナの頭に自らの頭を寄せたライ。と……フェルミナは少し慌てた様子で湯船から立ち上がった。


「そろそろ夕食になると思うので、私も手伝ってきますね?」

「う、うん……」

「それじゃ……」


 気のせいでなければフェルミナの顔は真っ赤に見えた。そのことに残念勇者は首を傾げる。


「湯あたりしちゃったかな?」

「………。ライは……肝心な時に鈍いな」

「ん……?何か言った、アムル?」

「……別に」


 しかし、ライとしてはフェルミナの変化に気付く余裕が無かったというのが本当のところ。

 何せ、またもやフェルミナの全裸を拝んでしまったのだ。平然な振りをしていただけで、頭の中は大混乱中である。



 ────【70パーセント】まで上昇。



「か、考えてみれば、此処って女の子ばかりなんだよな……。ムムム……こ、これは、どこかで鎮静化する機会が無いとエロスの暗黒面に堕ちる恐れがあるな……」

「エロスの暗黒面……」

「ど、どうしたら良いかな、アムル?」

「………。頑張れ」

「くっ!冷たい!冷たいぞ、アムル!」


 アムルテリアとしては昔のフェルミナ同様、人の生殖行為はあって当たり前と考えている。しかも人の法や道徳にも疎い。正直、相談されても困る。



 その後──夕食となるまでに何とか股間だけは鎮静化させられたライではあるが、悶々とする気持ちが抜けない……。

 それは夕食の席で皆の普段着にすら目を奪われる始末……。欲情は益々蓄積していくこととなる……。



 食後の談笑は紅茶を飲み少し早めの就寝。とはいえ、今のライは殆ど眠りを必要としない。眠ることは出来るが、昨日充分に眠ったので今日は少し持て余していた。


「………修行でもするかな」


 疲労が残らない程度の修行なら幾らでも出来る。波動は何かを消費する力では無いので研鑽は可能であり、また分身を使えば最低限の疲労で術の研鑽も出来る。


 最早、修行人間であることがライのアイデンティティと言えなくも無い。



 と、そんなライの部屋の扉を叩く音が響く。入室を許可すると顔を覗かせたのはシルヴィーネルだった。


 就寝前のシルヴィーネルはネグリジェ姿……ライは悶々とする意識を消し去るべく、自らの頬を両手で強めに叩く。


「な、何、急に……?眠け醒まし?」

「ん?ああ……そ、そんなものかな……。で、シルヴィはどうしたの?何かあった?」

「うん。実は少し話があってね……」


 シルヴィーネルの動作から背後に何かを隠していることは直ぐに判った。見たところそれは、シルヴィーネルが装備していたピンク色のメイルアーマーらしい。

 とにかく部屋の中にシルヴィーネルを案内し、ソファーにて話を聞くことに……。



 シルヴィーネルの話はライにとって非常に重要なこと……。それこそ忘れてはならないへと繋がるのである……。

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