第六部 第二章 第十三話 別れと、再会と……。  


 トシューラ国・南の大地にある荒野──其処はかつて緑豊かな大地だった。


 しかし……三百年前の脅威『夢傀樹むかいじゅ』の出現により、大地の力は枯れ赤錆色の光景に変わり果てた。



 そんな生命の芽吹かない大地に住まい始めたのは地竜達。彼らはドラゴンの本分である世界環境の維持の為、自ら苛酷な地に住まい大地に魔力を与え続けた。

 三百年ものその歳月──トシューラ国からの妨害にも抗いつつ役割を果たし続けた地竜達は、竜の中でも温厚で特に慈悲深い。その存在が、やがて大地の渇きを癒すまでの成果を見せる日が訪れた。



 一面の赤錆色の大地は少しづつではあるが、緑が息づき始めたのである。


 『地竜の荒野』と呼ばれるその地はやがて『地竜の草原』と名を変えるのはそう遠くないだろう。




 そんな『地竜の荒野』の中でも南──岩場の多い地域。かつて渓谷だったそこには大きな洞穴があり、地竜達はコミュニティを作り静かに暮らしていた。

 そしてその場所は現在、魔獣出現により避難した多くのトシューラ国民が避難する場所となっている……。


 洞穴の入り口。人々を護るように赤銅色の竜が集まる中に、一際大きな竜が横たわっていた。


「長!しっかりなさって下さい!長!」


 周囲の竜達が心配気に声を掛けている巨竜は、地竜達の長──名をデフィルという。デフィルは身体を起こすことすら苦になるらしく、うつ伏せで薄目を開けている。


「済まんな、皆の者よ。儂はもう寿命だ……間も無くこの命の火は消える」

「長ぁ!」

「長!お心持ちを強くなされませ!」


 地竜達は口々に長であるデフィルを気遣うも、デフィルはただ穏やかに答えるのみだった。


「悲しむことはない。我ら竜は不滅……一度卵に戻り再誕の時を待てばまた逢える。ほんの少しの別れに過ぎん」


 啜り泣く地竜達。偉大なる地竜デフィルはこれまで皆を導き守っていた云わば『父なる存在』……。地竜達はその【心】と別れるのが辛いのだ。


「メソメソするでない。古きが去り新しく生まれ出るは世の定め。今後はお前達の時代……次の長はリオース、お前だ。皆を導いてやってくれ」

「はい……デフィル様」


 まだ比較的若い地竜リオースは、思慮深く勇敢な地竜。必ずや仲間を導くことが出来るとデフィルは考えている。


「ふぅ……これで肩の荷が下りたな。大聖霊様……貴女のお陰で安らかに眠りに就けます。心から感謝を……」


 地竜の長の傍らには人型の女性が数人、寄り添うように立っている。

 その内の一人……手をデフィルの頬に当て癒しの力を流しているのは【生命を司る大聖霊】フェルミナだ。


「デフィル……古い友よ。貴方と別れるのは寂しいけど、次も良き友となることを誓います」

「フフフ……有り難き御言葉。また生まれる日が楽しみになりました」


 フェルミナは慈愛の視線で優しくデフィルを撫でる。永き刻の中で知り合った友人デフィル……別れは寂しくあるが悲しい訳ではない。

 竜の魂は【竜の卵】で魂を癒し再誕する。例え記憶がなくとも友であることには変わらないのだ。


「地竜の長老……その節はお世話になりました」

「氷竜シルヴィーネルか……あの卵は無事に孵ったのだな?」

「はい。貴方の教え通り聖地で孵り、一年程共に暮らしました……。その後、慈母竜が来訪し無事巣立ちを」

「そうか……見事役割を果たしたのだな。しかし、覇竜王が誕生したとなると何か脅威が迫っているのだろう。時期的に見てあの魔獣ではない……気を付けることだ」

「はい……」

「天使達と協力すれば万難も排することが出来る筈。そちらの天使殿はアリシア殿といったか……竜達を宜しくお頼みする。儂はもう力になれぬ故」

「お任せ下さい。竜と天使、共に神に仕えし存在。更なる連携を約束致します」

「……感謝する」


 そこでデフィルは深く呼吸を吐いた……。


 苦しみは無い。竜としては長く生きたデフィルは老衰に似た症状で、どちらかといえば眠気と戦っている状態なのだ。

 但し、一度眠りに落ちれば次は新たな命としての目覚め。今やり残すことがあってはならぬと必死に堪えているのである。


 だが、それももう大丈夫だろう。後は若き者達が苦労しながらでも解決していく筈だ。


 そうしていよいよ意識を閉じようとしたその時……デフィルは新たな気配に意識を引き戻された。


「………。どうやら客人が来た様だな。ハッハッハ……何と間の悪い……いや、良いのか」

「客人……?」

「ホラ……大聖霊様の背後に見えるでしょう?」


 気配に気付き振り返ったフェルミナ。そこに居たのは白き髪の男と銀の狼……。


「ライさん!」


 大きくその姿を変えてもフェルミナには一目で分かった。

 魂の繋がりがある故か……それとも命を司る存在故か……。


 白髪の男──ライは少し小走りで近付きフェルミナの脇に並ぶ。



「フェルミナ。悪いけど感動の再開は後にしよう。それよりも、この地竜は魔獣にやられたのか……?」

「いいえ……寿命です。もう二千年……竜の輪廻に還る刻ですから」

「そう……。地竜の長、で良いのかな?俺はライ。突然の来訪を謝罪します」


 地竜はその目を開きライの姿を確認した。


「……大聖霊と同等以上の力を感じたが……成る程、要柱か。それに……竜の匂いがする」

「竜の匂い?」

「体臭では無いから自覚していないか……まあ良い。それよりライと言ったな。何をしに来た?」

「フェルミナを迎えに来たんです。それに傷付いた地竜が居ると聞いて力になれればと……」

「ハッハ……随分と義理堅い」

「あなた達地竜は人を助けたと聞いてます。だから手助けをと思ったんですよ」

「他国からわざわざ済まんな……だが、怪我は大聖霊様に癒して頂いた。安心して良い」

「そうですか……」


 ライは少し悲しげな目でデフィルを見つめる。年季の入った鱗に分厚い皮膚。ライを一飲み出来るだろう頭でありながら、その目は優しさに満ちていた。


「何かして欲しいこと、やりたかったことは無いですか?無理だと思った夢でも良い」

「ふむ……夢、か。そうだな……地竜は翔ぶのがあまり得意では無い。だから最期に思い切り翔んでみたかった……」

「……わかりました。フェルミナ……長に残されている時間てどの位?」

「……。もう湯が沸く程かと」

「そう……残念だけどゆっくり話をしている時間は無いか。長……これでお別れです。思い切り翔んで下さい」


 分身による小型の竜を生み出しデフィルの意識を中に移す。その感覚はデフィルに驚きを与えた。


「こんなことが……か、身体が……軽い!」

「思い切り、思った通りに翔べますよ。さぁ」

「感謝する!最期に出会えた幸運を!」


 二度程羽ばたいた小型の竜はそのまま空高くへと昇って行く。地竜の重い身体ではなく、まるで風になった様な身体……デフィルは夢中になって空を巡った。


(ああ……これが私か……これ程空は広かったのだな。世界はこんなにも美しいのだな……)


 やがてデフィルの心はその身体からも飛び出し遥か先へ……世界中を巡り大空そのものになった。


(ありがとう……ありがとう)


 小型の竜は形を失い霧散したことを感じ取ったライ。その目から涙を流しデフィルの頬に額を当てる。


「おやすみ、地竜の長デフィル。良い夢を。いつか……また会いましょう」


 ライの言葉でデフィルの死を理解した地竜達は、一斉に鳴き声を上げた。その様子に洞穴から人々が集まり始め、口々に地竜の長に感謝の言葉が注がれた……。



 この日……古き良き竜の一体が天に帰ったことは、ペトランズの竜達に大きな哀悼の念を与えるだろう。しかし、竜達はそれが別れではないことを知っている。




「……ライさん」


 フェルミナはライの背にそっと手を添えた。その温もりに気付いたライは涙を拭い笑顔を浮かべる。


 フェルミナはライと別れた時と殆ど同じ服装だった。材質やデザインが微妙に違うので同じものではないが、魔力を感じるので恐らくラジック製の魔導具装備なのだろう。


「ただいま、フェルミナ……遅くなってゴメン」

「ライさん……私、信じてました。だから……お帰りなさい」

「うん……あ、そうだ!どうせなら再会からやり直そう!こう……距離を置いて互いに駆け寄る感じで」

「そうですね……わかりました」


 アホな男の提案を受けたフェルミナは一度ライから距離を取る。周囲は何事かと注目していた。


 そして……。


「フェルミナ!今帰ったよ~!」


 両腕を広げ迎え入れる体勢になったライ。それを確認したフェルミナはライに向かい駆け出した。


「ライさ~ん!」

「フェルミナ~!」


 互いに駆け寄る感動の再会の場面。最早演出以外の何でもないのだが、改めて再会を喜び合うには寧ろ相応しく思えた。


 周囲もデフィルを亡くしたばかりの悲しい気持ちを解す……そんな場面だったのだが……。


「ライさ~ん!」

「フェルミナ~!」


 今まさに感動の抱擁……と皆が見守る中、それは起こった。


「ライさ~ん!」

「フェルミナ~!」

「ライさ~ん……のバカァ━━━━ッ!」

「ホゲ━━━━━ッ!」


 フェルミナ、怒りの鉄拳!ライはぶん殴られ“ ホゲ━━━━! ”と吹っ飛ばされた。


 フェルミナの拳の威力は凄まじく、ライは近くの岩壁に派手に激突。岩が崩れて下敷きに……。



「……あ、あの方、今『ホゲ━━ッ!』って言いましたよね、『ホゲ━━ッ!』って!?シルヴィ!私、初めて見ました、『ホゲ━━ッ!』って吹き飛ぶ人!」

「そ、そうね。アタシもよ、アリシア……」


 かなり興奮気味のアリシアにシルヴィーネルは若干引いていた……。


「ちょ、ちょっと!何で平気な顔してんのよ、二人とも!あんな勢いで岩に当たったら無事じゃ済まないわよ、普通は!?」


 感動の再会を邪魔しないよう見守っていたエレナ。周囲が眼前の出来事に絶句している中で冷静な突っ込みを入れている。


「大丈夫よ、エレナ?大陸中の魔物を一瞬で殲滅する存在が、あの程度で死ぬとは思えませんから……」

「で、でも、アリシア……」

「エレナ。フェルミナがライを慕ってたのは知ってるでしょ?だからまぁ……だ、大丈夫よ」

「ま、まぁ、シルヴィがそう言うなら……」


 天使や竜と違い人間の常識人たるエレナ。敬虔……ではないが、一応神聖教徒なので尚更心配になったらしい。


「それよりフェルミナ……何で殴ったの?」

「えっ?ライさんの手紙に『戻ったら殴って良い』と書いてあったから、そうした方が良いのかと……」

「た、多分それ『心配掛けて悪いことしたから、怒ってたら殴って良いよ?』って意味じゃないかしら?」

「……。ライさ~ん!」


 駆け出すフェルミナ。エレナ、シルヴィーネル、アリシアはその後を追った。


 激突した岩場に辿り着くと、そこには瓦礫に腰掛けるライの姿が……。


「ライさ~ん!」


 フェルミナの声に反応したライは立ち上がり腕を広げ満面の笑顔で待ち受ける。全く懲りた様子がない辺り流石の痴れ者である。


「ライさ~ん!」

「フェルミナ~!」


 また殴るんじゃないかとエレナ達がハラハラしながら見守る中、フェルミナは勢い良くライに抱き着いた。


「フェルミナ。三年も待たせてゴメ……んんっ!?」


 ライの言葉は妨げられた……。


 今度は殴られたのではなく唇を塞がれたのである。それもフェルミナの唇で……。


 混乱のあまり手でジタバタと宙を掻いていたライだが、そのあまりに濃厚なキスにやがてグッタリ力が抜け遂にはヘナヘナと腰砕けに崩れ落ちる。


 しかし、フェルミナのキスはしばらく続く。ようやく唇を離した時、ライは──恍惚の表情を浮かべていた……。


「お帰りなさい、ライさん」

「…………」

「ライさん?」

「……ふぁ!フ、フェルミナさん?い、今何を……」

「キスですよ?以前、エイルさんがライさんとキスしたと聞いていたので私も……嫌でしたか?」


 胸元で上目使いのフェルミナ。我らが『チェリー勇者』は当然耐性がない。今起こった事態に興奮しつつも、懸命にフォローする。


「い、嫌な訳無いじゃないか!ただ驚いただけで……」

「良かった……」


 ライの上に乗っているフェルミナが一体どこで濃厚なキスを覚えたのか……ライとしては非常に気になったところである。


 地竜の長デフィルとの別れは、少しばかり賑やかな再会を含み場の空気を僅かながらに軽くした。


 ともあれ、勇者ライはこうして遂にフェルミナとの再会を果たしたのである……。



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