第六部 第二章 第九話 大聖霊アムルテリア


 懐かしき故郷へ帰還を果たしたライ──。



 その翌朝、早速フラハ卿別邸に居を移した。


 それは狭いフェンリーヴ家への負担を減らす為の一時的転居。ライは報奨として土地を手に入れた『蜜精の森』に新居を建築する予定だ。



 しかし、その前に最優先として成すべきことがある……。

 それは大聖霊アムルテリアとの対話──ライとメトラペトラは所有の土地となった『蜜精の森』へと足を運ぶ。


 今回、トウカとホオズキは同行していない。二人はストラト内にあるフラハ卿別邸にてクローディアと対談することになっている。

 ニースとヴェイツは、ローナによる教育が始まっている為フェンリーヴ家にてお留守番だ。



「のぅ、ライよ……。聞きたかったのじゃが、蜜精とは何じゃ?」


 いつもの定位置……ライの頭上に座っているメトラペトラ。博識な師がライに質問することなど滅多に無いのだが、今回は事情が違う様だ。


「メトラ師匠が知らないのも無理ないですよ。『蜜精』っていうのは人間が勝手に付けた呼び名らしいですからね……」


 シーン・ハンシーから譲り受けた服にティムの店で購入した上着を羽織るライは、ストラト付近の平原を『蜜精の森』に向かって歩いている。

 今回は故郷の空気を感じる為に徒歩での移動だ。



 無防備な軽装と言えるライ……。しかし一点だけ……その腰にはしっかりと『九重頼正』が携えられていた。

 ストラト近郊は定期的な魔物討伐が行われているので比較的安全ではある。しかし、これまで旅で培った経験が『武器の常備』という習慣をライに刻み付けていた。


「あの森は蜜蜂が沢山いて、その巣から取れる蜜は味が良く高い魔力回復効果もあったらしいんです。まるで妖精の恩恵みたいだから『蜜精』と名付けたとか何とか……」

「成る程のぅ……。じゃが、その説明の仕方じゃと既に過去の話ということかぇ?」

「流石は師匠……そんな蜜ですから乱獲されちゃいまして『蜜精』と呼ばれた蜜蜂達は姿を消してしまったらしいんです。今ある僅かな蜂の巣も普通の蜜らしいので……蜜精が消えたのは五十年以上前の話と聞いていますよ」

「やはり愚かじゃのぅ、人間は……お主がいなければこれ程関わることはないと断言出来るわ」

「……でも、最近は嫌いじゃないでしょ?」

「………。ま、まぁ、皆が皆悪しき者ではないことは理解したぞよ?」

「素直じゃないなぁ……」

「フン!」


 それでも……メトラペトラは随分と人間を気に掛けてくれる様になった。ライはそのことがちょっとだけ嬉しかった。



 『蜜精の森』に関わる昔話を幾つか語りつつ森に辿り着いたライとメトラペトラ。森はそれ程鬱蒼とはしておらず陽光が差し込み明るい。


 といっても、それは森の一部でしかない。


 蜜精の森はそれなりに広く、奥に向かえば川や湖、洞窟などもある土地。

 魔物が少ないストラト周辺でも小型の魔物程度は『蜜精の森』に潜んでいると考えて良いだろう。


 もっとも……小型の魔物が人を襲うことは滅多に無いので、危険な森と言うにはまた微妙な地ではあるのだが……。



 ともかく、そんな森に足を踏み入れた師弟コンビ。両者は感知により早速アムルテリアの気配を感じ取った。


「奥に居ますね……洞穴があった辺りかな?」

「ふむ……洞に住まう様なヤツではないのじゃがの……。やはり何かあるのかもの」

「会ってみれば分かるんじゃないですかね?とにかく……行ってみましょう」


 森の中を進むライは、勝手知ったるといった様子で先へ先へと歩いて行く。

 整地されている訳でもないのに平然と進んでいるのは、経験から来る慣れの部分が大きい。


 それでも最後に立ち寄ったのは三年程前……幾分なり変化している森を確かめながらライは更に先へと進んだ。


「…………」

「ん?どうしたんじゃ?」

「いえ……この森には盗賊が住み着いてたんですが、居なくなったのかなぁと」


 薬草集めをしていた頃は、森に侵入して間もなく盗賊が現れていた。しかし、今は気配すら感じない……。


「ふむ……犬公を見て逃げ出した可能性はあるのぉ。大聖霊と知らずとも、まともな者は対峙すれば圧倒されるじゃろうしの」

「………俺、フェルミナやメトラ師匠の時はそんなこと無かったですよ?」

「お主は痴れ者じゃから気付かんのではないのかぇ?」

「ニャン……だと……?」

「冗談じゃ、冗談。お主が最初に出逢ったのはフェルミナじゃからな。ワシと会った時はお主は既に魔人化している状態で圧を感じなかったのじゃろう」

「……それだと他の人はフェルミナやメトラ師匠に怯まないとおかしくないですか?」

「ワシらは人と関わりあるお主と契約した時点で人には圧を掛けないようにしておるからのぉ……それでも時折、感情が昂り漏れ出した力を感じる者も居た様じゃが」


 要は大聖霊達が気を使ったという話らしい……。


「じゃあ、他の大聖霊と盗賊だと……」

「そうじゃな。もしかすると盗賊とやらは犬公に【物】に変えられているかもしれんの……石とか樹とか」

「うわぁ……笑えねぇ」


 メトラペトラの話では【物質を司る大聖霊】アムルテリアは、大聖霊の中で最も生真面目なのだという。しかも向けられた敵意はキッチリと相手に返す性分らしい。


「……となると契約してくれるかも怪しいですかね?」

「大丈夫じゃろう。ワシとフェルミナが既に契約している以上、無下にはせん筈じゃ」

「そうだと良いんですけど……」

「何じゃ?ああ……『お巫山戯勇者』の自覚があるので不安なのかぇ?」

「アハハ……ハハ~」

「まぁ、大丈夫じゃろう。ただ、何という名目の契約にするか次第では分からんがの……」


 フェルミナは従属契約。メトラペトラは師弟契約。それぞれ状況と意図が違うのだ。ライはその辺りを行き当たりバッタリで決めていたが、今回は何か考えておくべきだろうとメトラペトラは告げる。


 しかし、ライは敢えて首を振った……。


「結局、会って話をしないとそれも決められない。もしかすると一時的に契約、なんて可能性もありますし」

「……まぁ好きにせい。決めるのはお主じゃからの」

「了解ッス!」



 二人は更に森の奥へ──。


 小川を飛び越え、茂みを抜け、湖の畔を迂回し、やがて岩場のある場所に到達した……。


「この辺りですよね?」

「うむ。あちらも気配を感じていた筈じゃから逃げることは無いんじゃが……」

「仕方無い。また感知を……」



 あまり感知で探るのも失礼かと纏装を解除していたライが、そう口にしたと同時……樹の陰から姿を見せる存在があった。


 現れたのは狼──いや、形状は元が狼だろう姿の魔物。


 射し込む陽光を受け光るのは、青み掛かった銀色の毛並み。

 凡そ中型犬といった大きさの体躯。その額には菱形の銀鉱石が輝き、長い尾が二本という特徴的な姿……。



 メトラペトラがそれを確認し声を上げようとした瞬間、ライは一気に駆け出し狼に近付いて行く。その余りの勢いにメトラペトラは宙に置いて行かれてしまった……。


「待て、ライよ!ソヤツは魔物では……!」


 メトラペトラの制止より早く狼に近付いたライは……勢いそのままに、いきなり抱き着いた。


「は……?な、何じゃ、一体……?」


 呆けるメトラペトラ……。


 視界の先のライは狼を手慣れた様子で撫で回している。狼はされるがままだが、嬉しそうに尻尾を振っていた。


「…………」


 メトラペトラは怪訝な顔でゆっくり飛翔しライに近付いた。

 確認したライは笑顔を浮かべ、一心不乱に狼の腹を撫で回し続けている。


「………。ラ、ライ?」

「あっ!メ、メトラ師匠!スミマセン……懐かしいヤツに会ったんで、つい……」

「懐かしい……じゃと?」

「はい。以前話しませんでしたか?子供の頃に傷だらけの魔物を介抱したって……」

「そう言えば聞いたような……それがソヤツじゃというのかぇ?」

「はい。名前はベルリスって付けたんですよ?」

「……………」


 メトラペトラは心底呆れた顔で浮遊している。 

 その意味が分からないライは、キョトンとした顔をしながらも魔物を撫で回す手を止めない。


「のう、ライよ……」

「何です、メトラ師匠?」

「お主が撫で回しているソヤツはの?魔物じゃないぞよ?」

「え?じゃあ、やっぱり狼?」

「………。お主は何しにこの森に来たんじゃったかの?」

「……大聖霊に会う為に、ですね」

「では、アムルテリアを感知をしてみよ。それで判るじゃろう」

「………わかりました」


 感知纏装を伸ばし辺りを確認するが周囲には小型の生物の気配しかない。が、自らの手の先には膨大な魔力が凝縮している。

 ベルリスと名付けられた狼から森の入り口で感じた気配があったことに、ライは混乱を起こした……。


「………。ハッハッハ。ご冗談を……」

「……誰も何も言うとらんぞよ?」

「え?これってベルリスが大聖霊に進化したことになるんでしょ?じゃあアムルテリアは何処に?」

「お主が撫で回しておるのぉ」

「え?じゃあベルリスは何処に?」

「お主が撫で回しておるのぉ……」

「…………」

「…………」


 しばし沈黙したライが出した答えは……。


「そうか!ベルリスはアムルテリアと合体したんだな?じゃあ『ベルルテリア』……『アムルテリス』、いや、『アムリス』……それとも『ベルリア』……」

「ニャタァァァッ!」

「ゴハァ!」


 メトラペトラのネコ・アッパー炸裂!ライは空高く舞い上がりドチャリと大地に落下した。


「な、何故に……」

「現実逃避するでないわ!」

「だって……まさかベルリスが大聖霊だったって言うんですか?」

「他に可能性はないじゃろ……おい、犬公!いい加減ダンマリは止めんか!」


 それまで無言だった狼……ベルリスは小さく溜め息を吐いて口を開く。


「折角の再会を邪魔するとは……相変わらず無粋だな、メトラペトラ」


 低く澄んだ若い男の声……。メトラペトラの名を呼んだことでその存在が大聖霊であることは疑いようがない。


「フン……お主が惚けていなければこんな手間は要らんのじゃ、犬公め」

「いきなり喋ればライを驚かせることになる。期を見て説明をするつもりだったのに……台無しにしてくれたな、メトラペトラ」


 再び溜め息を吐いたベルリス──アムルテリアは、ライに向き直り改めて自己紹介を始めた。


「済まない、ライ。騙すつもりではなかったんだが……」

「じゃあ、本当に……」

「【物質を司る大聖霊】アムルテリア……それが本当の名前だ」

「そっか……」


 救ったのは魔物だとばかり思っていたが、まさか大聖霊だったという衝撃の事実。驚き戸惑って然るべきである。


 だが、奴は御存知の通りの男───驚くには驚いたが一瞬だけだった。


「うん。ま、そういうことなら納得納得……ともかく無事で良かったよ」

「……責めないのか?」

「ん?何で?」

「いや……黙っていたこともそうだが、突然姿を消したことも……」

「う~ん……確かにどうせ喋れるなら話して欲しかったし居なくなって寂しかったけど、それは考えがあったんだろうからさ……違う?」


 アムルテリアは首を振っている。アムルテリアにはアムルテリアの事情があった……それは間違いでも嘘でもない。


「じゃあ良いよ。俺にはお前が無事で居たことが一番嬉しいからさ……寧ろ話が出来るなら凄いことじゃないか?」

「………そう言って貰えるなら救われる」

「なぁに、気にすんな。改めて自己紹介……の必要は無いよな、今回は」

「そうだな」


 アムルテリアの頭と首元をワシャワシャと撫でるライ。アムルテリアは尻尾を振っている。


「それで、ベルリス……じゃなかった、アムルテリア……」

「ベルリスで構わないぞ?」

「いや……名前は大事だろ?大聖霊の名前なら神様に貰ったんだろうからさ……」

「では、アムルと呼んでくれ」

「分かった。……。おかえり、アムル」

「……ただいま、ライ」


 大聖霊アムルテリアとの再会──。それはライと大聖霊達の出逢いが最早運命であったことを意味する。

 しかし……ライにとって喜ぶべき再会は、メトラペトラに一抹の不安を芽生えさせるのであった……。

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